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侯爵の訪問

「そんなこと、出来るわけが」
「どうしてだ? だめだという理由はない」
「そんなの、ベルトラン卿たちが受け入れる筈がないじゃないですか」

 彼らにはちゃんとした家がある。親類でもない、まったく赤の他人の家に居候する必要など無い。

「看護だってそんな簡単なものじゃありません。素人が知識も無くできないから、ちゃんと学校があってそこで学ぶ必要があるんです」

 自分の仕事を軽々しく言われ、アリッサは抗議した。
 もちろん医者ができて看護師にできないことがあって限界がある。看護師を下に見る医者もいた。
 でも共に医療について学んだ者同士、そこは助け合って協力して患者のために努力してきた。
 それを簡単なことのように言われては黙っていられない。
 
「人の命を預かっているんです。生半可なことで関わられて、一番迷惑するのは患者さんなんです。軽々しく言わないで頂きたいです」

 自分の仕事を軽く扱われてついかっとなる。
 
「わ、悪かった・・別に君の仕事を軽く見たわけでは・・」

 ブリジッタ・ヴェスタだとばれそうになって怯えていたが、知られてしまったからにはもう怯える必要も無い。
 
「それにドロシー嬢が私で納得するでしょうか」
「納得しなくても引き受けてくれると有りがたい」
「大事なのは彼女の気持ちです。嫌なことを無理矢理させるのはどうなのかと・・何しろご両親を亡くしたばかりですし」
「君のようにか?」
「え、何のことですか? ヴェスタ家の方は確かまだ二人とも健在だと思います」
「ルクウェルとの婚約だ。君にとっては『嫌なことを無理矢理』だったのか?」
「それは閣下には関係ありません。もうとっくに切れた縁です」

 愛し合わなくても、共に手を携え尊敬し合って生きていけると思っていた。
 でもジルフリードとは、そんな未来も想像できなかった。

「君の言うとおり、決めるのはベルトラン卿夫妻だ。彼らにも話をして納得してもらおう」

「え、あの、その…ほ、本気なのですか?」
「もちろんだ。なんなら、君が誤解したもうひとつの方も考えてみてもいいぞ」
「それは結構です!」

 真っ赤になって断る彼女に、侯爵は笑顔を向ける。
 ジルフリードとはこんなやり取りをすることすらなかった。
 有紗の夫もどちらかと言えば寡黙で、女性は苦手なタイプだった。
 そんな人も浮気をするときはするのた。
 
「ベルトラン卿が嫌だと言えば、諦めていただけますか? マージョリー様にはまだ看護が必要なんです。少しずつ良くなっていますが今治療を止めたら、また最初の状態に戻ってしまいます。ドロシー嬢の教育係はいずれ見つかるでしょうが、看護人はまだまだ人数が少ないんです。すぐに変わりは見つかりません」
「わかった。私も暴君ではない。ベルトラン卿は爵位はなくても尊敬される人物だ。彼らを困らせてまで、この話を通すつもりはない」

 それを聞いてアリッサはほっとした。
 ベルトラン夫妻がこの提案を受け入れることはないだろうと思ったからだ。
 いくら屋敷が広くても、縁もゆかりもない方の家に厄介になどなりたくないだろう。

 そう思ってアリッサは侯爵と共に馬車でベルトラン邸へと向かった。

「しかし、君は随分雰囲気が変わったな」

 馬車の中で向かいに座った侯爵が言った。

「そうですか?」

 有紗としての記憶を思い出した今は、見た目は元のままだが、そう言われても、仕方がない。
 言いたいことも言えなかったブリジッタと、侯爵に対してもズケズケ物を言うアリッサ。どちらも彼女だが、以前とは違うのは確かだ。

「侯爵は、私のことをいつ見かけたのですか?」

 こんな鮮やかな赤い髪をしていて、顔立ちも整っていたら夜会で目を引いた筈だが、彼女には見覚えがない。

「任務中だったから、目立たなかったのだろう。それに私もちらりと見ただけだった。だが、あの時は周りから色々言われて、何も言い返せず耐えていたように見えた。でも今の君は、物怖じすることなく話す。人とはこうも変わるものなのか」
「き、きっかけがあれば、人は変われると思います」

 前世の記憶を思い出したからだが、それは言えない。

「私の言動が気に入らないなら…」
「そうは言っていない。ただ最初に見た印象と違うと言いたかっただけだ。それに、今の方が君らしいと思う」

 そう言って微笑む彼の笑顔は、思わず見惚れてしまうくらいだった。
 狭い馬車の空間が一気に息苦しくなる。

「あ、ありがとう…ございます」

 俯いて彼女は小さく呟いた。

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