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湖の街ブオーマ

「それじゃあ、行ってきます。本当にいいんですか?」
「当たり前だ。私は雇い人に休みも与えない非道な雇い主ではない」
「でも、奥様・・マージョリー様は・・」
「アリッサ、大丈夫だ。今日はフィレイド先生のところから、一人看護人を派遣してくれることになっているし、君に頼ってばかりではいられない。そうだな、マージョリー」
「ひょう、ひゅっくり、ひてひて」

 まだ少し言葉が不自由でマージョリーは上手く話せない。それでも何とか意思疎通ができるようになった。
 オルノー看護学校を卒業し、アリッサはベルトラン家の奥方でマージョリーの看護人とし二ヶ月前に就職した。
 彼女は脳梗塞になり、それ以来寝たきりになった。夫のロドニーは仕事を退職し、このブオーマへと移り住んだ。
 ブオーマは風光明媚な町で比較的気候を暖かく、大きな湖の畔に栄える街だった。
 人口規模は約一万人。犯罪も少なく治安の安定した街だった。
 ここに来てから二ヶ月。最初アリッサがマージョリーに会った時、彼女は寝たきりで僅かに褥瘡、いわゆる床ずれが出来ており、食も細くよく熱を出していた。
 熱は褥瘡から来ており、まずはそれを治すことから始めた。
 体を清潔に保ち、クッションを入れ替えて頻繁に体の位置を変え、寝る間も惜しんで看病をした。
 その甲斐あって彼女は回復した。
 ベルトラン家に来てから二ヶ月、アリッサは休みらしい休みも無く働き、その上殆どマージョリーの看病を寝ずにしていた。それを見かね、ようやく回復したマージョリーとロドニーの二人が休みをくれたのだった。

「ブオーマは大きな街じゃないが、街並みも綺麗でゆっくりするにはちょうど良い。若いお嬢さんにはつまらないかも知れないがな」
「いえ、大丈夫です。じゃあ、なるべく早く帰ります」
「気を付けて。ケヴィン、頼んだよ」
「はい、旦那様」

 二人に見送られて、アリッサはベルトラン家の使用人のケヴィンが操る荷馬車に乗って、ベルトラン家を出発した。

「いい天気で良かったですね」
 
 ベルトラン家は街から少し離れた高台にある。療養するには静かな環境だが、街へ出るには少し不便だ。歩いて行けないことはないが、やはり乗り物は楽ちんだ。
 オルノー看護学校も小さな村にあったので、人が多いところへ行くのは本当に久しぶりだった。

「最初、看護人が来ると言うから、いくつくらいの人が来るかと思っていたが、アリッサさんみたいな若くて綺麗なお嬢さんとは驚いたよ」

 ケヴィンさんが特殊ではない。この世界では女性が働くことは珍しくないが、教育を受けて資格を取って職を得るというのが珍しいらしい。
 
「人の命の関わることですから、きちんと知識がないと勤まりません」
「それはそうだ。でも、ずっと部屋に引き籠もっていた奥様がああやって元気になられたのはアリッサさんのお陰だって、皆喜んでいるんですよ」
「そう言ってもらえるとうれしいです」
「しかし、アリッサさんの年頃なら普通に結婚して子供を産んでもおかしくない。なんで働こうなんて思ったんだ?」
「そ、それは・・」

 いつかそれを訊かれると思っていた。
 女性の幸せは結婚して子供を産むこと。生活のために働かなくてはならない平民でも、結婚出産は女性の人生に必須のように思われている。
 
「結婚は今のところ私の人生設計にはありません」
「もったいない。こんなに美人なのに。おれが独身だったらほっとかないのに」
「あ、ありがとうございます」

 おじさんのお世辞だと思うが、ブリジッタの容姿は貴族社会では特別でもなんでもなかった。
 ジルフリードと並ぶと貧相で見劣りするとずっと言われていた。
 
 そんなことを思いながら、アリッサは街へ入った。
 

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