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51、嘘

 カミルがアリツィアに二者択一を迫っていたのと同じ頃。
 スワヴォミルはジェリンスキ公爵家に強引に押し入って、カミルの居場所を聞き出そうとしていた。

「クリヴァフ伯爵?! おやめください!」

 ジェリンスキ家の執事や侍女たちが止めるのも聞かず、魔力で強引に進む。
 そして。

「な、なんだ! いきなり!」
「おくつろぎ中失礼するよ、ジェリンスキ公爵。こちらも急用でね」

 スワヴォミルは寝台の上で愛人と寝ていたジェリンスキ公爵の喉元に剣を突きつけて言った。

「カミル・シュレイフタをすぐにここに呼び出せ。方法はあるんだろ?」

 なんらかの方法で連絡を取っているはずだ。手順を踏んでいる時間はない。

「娘たちのためならなんでもする。君も父親ならわかってくれるだろ?」

 スワヴォミルの血走った目に、ジェリンスキ公爵は射抜かれたように動けなくなった。

          ‡

 閉ざされた雪の城でアリツィアは、できるだけ落ち着いた声を出すように努めた。

「カミル様、以前も申し上げたはずですわ」

 動揺を見せるな。押し切れ。

「これではふたつにひとつになりません。まずはイヴォナを戻してください。その上で、わたくしが死ぬか魔力が使えるふりをするかを選ばせてくださいませ」

 カミルはちょっと思い当たる顔をした。

「そうだった、お姉ちゃんは頭が悪くないのを通り越して可愛くなかったんだっけ」
「可愛くなくて結構ですから、イヴォナを返してください。もちろん生命力を元に戻して。でなければ、うちの父がカミル様に何をするかわかりませんわ」

 そろそろ体調も戻ってきたスワヴォミルが、おとなしくしているとは思えない。もちろんスワヴォミルがカミルに何をしようとアリツィアは止めるつもりはないが。
 カミルは少し考えた様子だったが、やがて、小さく頷いた。

「わかった」

 答えると同時に右手を高々と上げ、ぐるぐると回した。その動きに合わせて、花たちも回り出した。浮いているイヴォナに向かって。
 向日葵に薔薇に百合にラベンダーにアザミに、スイートピー。
 数えきれない種類の花が、だんだんと小さくなって、イヴォナの胸の中に消えていく。意思を持って行進しているみたいに。
 こんなときなのに、アリツィアは目を奪われた。自然界では決して見ることのできない光景。
 カミルはついっと大きく腕を揺らした。

「またね」
 
 イヴォナが足元から煙のように消えていき、すぐに見えなくなった。

「イヴォナ……」

 アリツィアの呟きは小さいものだったが、カミルは嬉しそうに振り向いた。

「ちゃんとクリヴァフ邸に帰ったよ。さあ、選んでよ。ていうか、決まってるよね? 僕と暮らそう。魔力のあるふりをしよう。難しいことなんて何もない」
「いいえ、ここからやっと選べるのですわ。ふたつにひとつを」
「頑固だなあ」

 花もイヴォナもなくなった大広間は、ただただガランとしていた。カミルはその中央に足を踏み入れた。くるりと回って笑う。

「いいこと教えてあげようか?」
「絶対にいいことに思えませんけど、どうぞ」
「魔力がない貴族なんて今までいっぱいいたんだよ」
「……は?」

 その内容を理解するまで、しばらく時間がかかった。

「魔力がない人間なんていっぱい……いた? 庶民のことですか?」
「違うよ? 貴族だってば」
「ですが……」 

 カミルは得意そうに説明した。

「貴族が庶民に産ませた婚外子なんて、魔力なしだらけだよ。みんな魔力があるふりをして生きていたんだ。だからクリヴァフ伯爵は笑いモノにされたんだ。正直者だって。気付かなかった?」
「まさか」
「それがホントなんだな」

 そんな馬鹿なこと、あるわけない。
 そんなことがあるなら。
 アリツィアたちの苦労はなんだったのだ。
 母ブランカの苦労は? 
 みんな、魔力がないのにあるふりをして、正直なアリツィアたちを笑っていたのか?

「君たちは貴族なのに、権力にしがみつかなかったから悪いんだ。すでにある権力には逆らわないのが無難だよ」

 カミルは笑った。心底楽しそうな笑いだった。

「クリヴァフ伯爵は、すべて覚悟の上だったんだろうけど、思ったより壁が厚かったんじゃない? 商人としては成功したけどさ。ま、そのおかげで、今アリツィアが魔力保持協会の役に立てるんだからよかったよね」

 アリツィアは足元から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
 カミルは小さな欠伸をした。

「ねえ、あのスープ、もう一度作ってよ。イヴォナに頼んだのに、アギンリーを瀕死にさせたから作ってくれなかったんだ」

 アリツィアは答えなかった。代わりに、カミルに一歩近づいた。

 パンッ!

 小気味いい音を立てて、アリツィアはカミルの頬を叩いた。
 アリツィアの目は燃えるようだった。

「いい加減になさいまし!」

 カミルは呆けたように自分の頬に手をやっていたが、ハッとしたように向き直った。

「なんだよ?! いきなり」

 アリツィアはカミルを睨みつけた。

「あなたが怒るのは、わたくしにではありません!」
「は? 何それ? 言い逃れなら、もっとマシなこと言えよ」
「あなたが怒るべきなのは、魔力保持協会です!」

 人の人生をもてあそんだのは誰だ?
 魔力なんかのために、子供を親から離して記憶まで消したのは誰だ?
 なんのために?
 ちっぽけな権威のために。

 ーーわたくしたちは、もっと怒っていい。

 アリツィアは畳み掛ける。

「どうして、どちらかでなくてはいけないの? どうしてふたつにひとつなんですの? 魔力があっても、なくても、正直に生きる世の中を一緒に作りましょうよ。自分に嘘をつかなくていい世界を」
「……綺麗事だ」

 カミルはパチン、と指を鳴らした。

「もういいよ」
「ふっ……うっ……ぐっ」
「うざい」

 アリツィアは呼吸ができなくなった。息が吸えない。苦しい。

「言ったよね? 死ぬか魔力があるふりか、どちらかを選んでって」 
「……ぐ……」

 アリツィアは朦朧とする意識の中で、ミロスワフのことを考えた。これが最後の記憶になるんだとどこかで思いながら。

 ーーミレク。ミレク。そう呼びたかった。

 記憶の中の青い瞳が心配そうに揺らぐ。
 魔力のあるふりしていたら、ミロスワフとは出会えなかった。
 魔力なしで生きてきた自分を認めてくれた人たちだっていた。
 何より、魔力がないのにあるふりをしても、それは私じゃない。

 ーーでも、どうしたら……いい……の……かしら。

 アリツィアの体から力が抜けていったその瞬間。
 アリツィアが肌身離さずつけていた護符がーー光った。

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