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【3】結婚が決まった二人

 去っていくジェラルドを、レティシアは扇の影から見ていた。

 ――行ってしまう。

 あんなに綺麗な男の人と目があった事自体が奇跡だと彼女は考えていたから、ひきとめるという発想はなかった。ただもう少しだけ見ていたかったのではあるが。

 その日、二人が会話をすることはなかった。


 帰宅したレティシアは、入浴してからベッドですぐに眠った。

 毎夜の夜会は疲れるが、他の令嬢と違って、日中にはお見合い話もデートも無いから、まだ気楽だろうと考える。だが、なんとか結婚相手は見つけなければならない。

 兄と義姉にも申し訳ない。
 それらを考えていると、いつもすぐに眠くなるのである。

 翌日早朝、レティシアはたたき起こされた。いつもよりも三時間早く、六時に布団をはぎ取られたのだ。こんな風に乱暴な起こされ方をした記憶は一度もなかった。

 何かあったのだろうかと目を開くと、侍女のエーネが朝の挨拶後すぐに扉の方を見た。

 起きあがりながらそちらを見ると、兄の姿があった。
 兄のアーネストが自室を訪れた記憶もほとんどない。

「レティシア、君の結婚が決まった」

 おはようの一言もなく、アーネストが言葉を続ける。

 今日の午前中にお見合いをするのだと兄は言う。しかし、もう結婚は決定事項であるという口ぶりだ。絶対に粗相をするな、破談にしてはならないぞと繰り返している。

 それさえなければ、午後には婚約をし、明日には結納すると言う。

 ――随分と急な話である。なおレティシアの側に拒否権はなさそうだ。

 だが、先方にはあるらしい。だからくれぐれも失礼がないようにと言って、兄は出て行った。レティシアは頷いて返すのが精一杯だった。

 それから侍女のエーネの手で、ドレスを着付けられた。お見合いだからだろう、いつもより上等なものである。

 髪を整えてもらい、お化粧もしてもらった。だから早起きすることになったのだろう。身支度とお見合いのためだ。

 そう理解して朝食の席に行くと、兄と義姉が「おめでとう」と口にした。しかし二人とも、驚いた顔をしたり、困惑した顔をしたり、険しい顔をしたりしつつだ。

 仲が良いわけではないのは、レティシアが不機嫌そうな顔をするからであり、この二人が悪いわけではない。兄も義姉も非常に良い人々である。

 だからあからさまにレティシアを追い出したりはしないのだ。

 ――相手はどんな人なのだろう。

 レティシアはそれが気になったが、その話題にはならなかった。

 兄夫婦は、結婚がいかに良いものかについて話をシフトさせたのである。そのため、名前も年齢も何も知らないまま、彼女はお見合いに臨むことになった。


 兄であるアーネストと、義姉であるナーチェは、内心ではレティシアが断るのではないかと考えていた。二人から見れば、レティシアはやはり気位が高く、嫌なものは受け入れないタイプに見えるのだ。

 だが、客観的に考えて、非常に断ることが困難なお見合いだといえる。

 縁談を持ちかけてきた相手は、ミーディアス伯爵領の商人と関わりが深いらしいのだ。破談となれば、最悪流通が止まる。

 その他の条件だけ抜き出してみても、文句なしの相手である。
 しいてあげるならば、離縁回数の多さだけが異常だが。


 ――勿論その相手というのは、ジェラルドである。

 昨晩考えた末、ジェラルドは結局レティシアとお見合いをしてみることに決めたのだ。

 冷静に考えれば、レティシアに断るという選択肢はないはずだと改めて思ったことが大きい。実際にジェラルドの考え通り、ミーディアス伯爵であるアーネストは、二つ返事で見合いを了承し、妹も喜ぶだろうと言っていた。

 会場でのことを思い返しても、口に出して嫌がっていた令嬢よりは、黙って嫌そうにしていたレティシアの方が、二週間堪えられるような気がしたのである。約束の時間になり、王都のミーディアス伯爵邸へと訪れたジェラルドは、応接間へと通された。

 レティシアが入ってきたのは、そのすぐ後のことである。
 彼女は俯いていた。

 この結婚に乗り気ではないのだろうなと思いながらも、ジェラルドは断られない限り話を進めてしまおうと一人再度考えていた。


 一方のレティシアは、兄によるお見合い相手の紹介を、俯いたまま聞いていた。

 緊張しすぎて顔を上げられないのだ。

 しばらくしてから、ちらりと勇気を出して視線を向けた。そしてすぐに再び下を見た。今度は動揺して手が震えそうになってしまった。

 なにせ、昨日夜会でみた、ものすごく格好良い人が正面に座っているからだ。予想外すぎた。てっきり自分とお見合いしたいなんて言うのだから、もっと年配で結婚に焦っている、爵位もあんまり高くない、もっというとモテそうにもない人だろうと思っていたのだ。

 その上、兄が説明していくジェラルド・レクトールという伯爵の経歴は華々しい。

 ――あきらかに自分とは不釣り合いである。

 正直首を傾げそうになる。何故自分とお見合いをする気になったのだろうか。その内に、兄による紹介が終わってしまい、少し無言の空間が訪れた。

 これまでに幾度かお見合いをしたことがあるのだが、大体の場合、この空間が続いた後、縁がなかったと言われるのだ。それはまずいのだとレティシアには分かっている。

 ……しかしどうすればいいのかも分からない。

 困ったまま沈黙していると、ジェラルドが話しかけてきた。

 俯いたままだったが、頷いてみたり首を振ってみたり、レティシアは必死で意思表示をした。時折ジェラルドを一瞥して、心臓がドキドキしすぎて死ぬかと思った。

 そんな彼女の反応を見て、ジェラルドは、よっぽど嫌なのだろうなと思っていた。見ていた兄も同感である。しかしレティシアが明確に断りの言葉を伝えなかったので、ジェラルドと兄で結婚の話を進めた。

 レティシアにはそもそも断るつもりはなく、本当に自分で良いのかという不安しかなかったが、彼女のその思いを正しく理解している人はいなかった。

 そのまま午後には婚約し、翌日には結納をした。レティシアは全然実感がわかない上、ジェラルドともほとんど会話をしなかった。


 急いでいた理由は、結納のすぐ後からジェラルドが演習のため王都を離れるからだった。戻ってきたら、結婚式をして、一緒に領地に帰る事になった。

 レティシアは、嫁入り道具や持参品の用意をしてすごした。

 結婚式の招待状の作成とウェディングドレス選びは、お嫁さんになるのだと言うことを意識させたから、少しだけ照れてしまいそうになった。そもそもあまり外出する方ではないから、そんな日々は楽しくもあったが、非常に疲れた。

 珍しく茶会に行くことになったのは、ジェラルドが帰ってくる二日前だった。

 王都で数少ない友人とこうしてお茶を楽しむのも最後となるかもしれないので、レティシアは顔を出した。むしろ彼女のために、周囲が茶会を開いたとも言える。

 レティシアの友人は、既に皆既婚者だ。子供がいる女性も多い。その日初めてレティシアは聞いた。

 ジェラルドの結婚が、次で六回目であることと、レクトール伯爵邸にはバケモノがいるらしいという噂をである。周囲は、勿論レティシアが知っているものとして話していた。

 一切知らなかったが、レティシアは別に何も言わなかった。

 ――一人納得していたのだ。

 そういう事情があったから、自分とお見合いすることにしたのだろうと。やはり何の理由もなしに、取り柄のない自分と結婚するのはおかしい。

 プレッシャーすら感じていたので、逆に安堵で肩の荷が下りてしまった。

 友人達は、普段通り感情の見えないレティシアを励ましたり慰めたり、きっと幸せになれると言ったり、様々な反応をしていた。友人達も基本的に善良な人々だ。


 結婚式には、多くの人が訪れた。

「何日もつかな」

と揶揄する人が大勢いた。

 しかし彼らは、純白のドレスを纏ったレティシアを見て、思わず声をのみこんだ。老若男女みな、呆然としたようにレティシアを見ていた。彼女はひとえに、美しかった。

 ジェラルドだって端正な容姿をしているのだから、美男美女といえるが、レティシアの美貌は群を抜いていた。ポカンとしている人々が多い。

 無表情のレティシアからは感情はうかがえないが、逆にそれが作り物めいた美に拍車をかけていた。


 そんなことはつゆしらず、レティシアは緊張に堪え切れそうにもなく、完全にあがっていた。結婚指輪を填められた時など、倒れるかと思った。

 誓いのキスをされた時は、呼吸を忘れた。そして気づいた時には式が終わっていて、領地へ行く馬車に乗っていた。

 上手く生涯を共にするという誓いの言葉を述べる事が出来たのかすら記憶にない。

 馬車の中でレティシアは、俯いたり窓の外を眺めたりしながら、ひたすらに緊張していた。隣にジェラルドが座っているのだが、特に会話はない。

 ジェラルドは、膝の上に広げた資料を見ている。お仕事中のようだから邪魔をしてもいけないだろうと、レティシアはなるべく静かにしていることにした。


 ――ジェラルドは実際に仕事の資料を見ていたし、途中からはそれに集中していたが、最初はレティシアに話しかけていた。

 だが、レティシアの嫌そうな顔を見て、話がしたくないのだろうと考えて、会話を止めたのだ。とりあえず結婚してくれただけで良かったし、後は二週間程度滞在してくれれば何の問題もない。

 途中で何度か宿に泊まり、十日かけて領地に着いた。
 宿での部屋は別々だった。

 通常であれば、領地でも結婚式が行われるのだが、ジェラルドは何度も結婚しているため、行われなかった。レティシアがやりたいと言う事もなかった。

 宿の部屋が別だったことも含めて、レティシアはそういうものなのだろうと考えていたのだ。結婚するとどう行動するのが自然なのか、いまいち彼女には分からなかったのだ。

 サリジナのレクトール邸につくと、執事のローレンをはじめとした使用人達が並んで出迎えた。思ったよりもその数は少ない。

 ちなみにレティシアが連れてきた侍女二人も、今日からここで働くことになる。
 エーネとメルディだ。

 邸宅は立派で広く、歴史を感じさせる。だが入って持った印象は、ほこりっぽいというものだった。レティシアの生家の十倍は広いが、掃除が行き届いているとはとても言えない。昼間だというのにしまっているカーテンもあるし、どことなく陰鬱な空気が漂っている。

 しかし、レティシアにあてがわれた部屋は、非常に掃除が行き届いていたし、南の角部屋にあって、日差しも良好だった。嫁入り道具の家具は既に設置済みである。


 夕食は美味しかった。

 食後、入浴を済ませると、侍女の手で肌に香りの良いオイルを塗り込まれた。これが初夜となるのだ。花嫁の仕事は、これを持って終わりだ。

 薄いナイトドレスを指で撫でながら、レティシアは寝台に座っていた。

 ――ジェラルドは、本当に来るのだろうか?

 一番の不安はそれだった。
 なぜならば、ジェラルドは仕事中らしいのだ。



 夕食後すぐに自分の執務室へとこもったジェラルドは、不在の間の報告を受けていた。

 領地の報告、邸宅の報告、様々である。報告しているローレンは、淡々と話した。
 彼は鉄壁の無表情である。
 レティシアと違って、嫌そうな表情一つ無い。

 ようやく仕事の話が一区切りついたのは、もう遅い時間だった。
 急務は片づいたので、ジェラルドは一呼吸置いてからローレンに聞いた。

「それで、使用人の部屋はどうしたんだ?」
「予定通り全て地下に移しました。二週間の間は、何があっても決して上に上がらないように申しつけてあります」
「そうか……すまないな」

 謝っておいてくれと続けてから、ジェラルドは溜息をついた。

 ローレンはそんな主人を見て、雇って屋敷においてくれるだけで有難いことなのだと内心考えていた。しかし彼は、特別告げない。今までにも何度も伝えたからだ。

 二人は同じ歳で、昔からの顔なじみだ。
 ローレンは幼少時からこの屋敷に勤めている。

「二週間もつと良いが……もつと思うか?」
「最大限の配慮は致します。それにしても意外でした」
「なにが?」
「ジェラルド様も人の子だったのですね。あのように美しい奥様を迎えられるとは」
「中身も美しいとは限らないがな。第一、二週間したら彼女は出て行くんだぞ」
「そろそろ寝室へ行った方が良いのでは?」
「行くつもりはない。今後のことを考えても、彼女のためにも寝室は別の方が良いだろう」
「いくらなんでも行かないのはまずいでしょう。初夜の拒否は、公になれば離縁理由になります。二週間と言わず、明日出て行かれてしまうかもしれません。最低限顔を出すくらいはした方が良いでしょう」

 ローレンの言うことは最もだった。

 しぶしぶとジェラルドは立ち上がり、部屋を出た。本日は夕食前に入浴は済ませていたが、まだ寝間着には着替えていない。

 彼女の部屋に隣接した場所にあるのが、一応夫婦の寝室だ。

 とはいえ、寝室はジェラルドの私室にもある。廊下に面した側の扉の前に立ち、ジェラルドは溜息を押し殺した。

 ――顔を見て、声をかけて、帰る。それだけのつもりである。

 出て行った後に妊娠が発覚したらやっかいだし、彼女が今後どこかに再度嫁ぐ場合を考えても純潔のままの方が良いのはあきらかだ。

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