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【2】五回の結婚がすべて破綻した伯爵

 彼女を見ていた青年――ジェラルド・レクトールも同じ感想を抱いた。

 レクトール伯爵家は、建国当初から続く古い歴史ある名家だ。限りなく侯爵家に近い、名門伯爵家であり、同じ伯爵家とはいえ、レティシアのミーディアス伯爵家とは、家格が違いすぎる。

 レクトール伯爵家は、この国の最北、国境沿いの地、サリジナ一帯を治めている。サリジナ辺境伯と呼ばれることの方が多い。

 サリジナは冬が険しく、位置する場所的にも危うい土地だ。ジェラルドが、伯爵位を継いだのは四年前、二十三歳の時である。現在二十七歳である彼は、この四年間で、五回結婚した。全て破綻している。

 ジェラルドは、レティシアから見れば尋常ではなく格好良いが、世間一般的な評価としては、よく言って上の中だ。

 勿論、美形と言って差し支えのない外見をしていることに、間違いはない。その上でレティシアの好みに合致したのだろう。当然レティシア以外にも、ジェラルドの容姿に惹かれる女性は相当数いた。

 それに辺境伯とはいえ、レクトール伯爵家は、資産も格式も何もかも優れている。結婚相手を探す事など、大変容易だ。だが、五回の結婚で、いずれも女性は出て行った。

 別段ジェラルドは浮気をしたわけでもない。性格が極悪というわけでもない。妻となった相手には、好きなように買い物だって許していた。そもそもこの国では、離縁は歓迎されない。だというにも関わらず、女性達は出て行った。

 理由は一つで皆同じだ。

 ――レクトール伯爵家が堪えられないというものである。

 何故堪えられないのか、それはサリジナにある伯爵邸がバケモノの巣窟だからだというのだ。貴族の女性はかしましい。

 離縁後、その噂は払拭できないほどに広がった。拍車をかけたのは、サリジナの領民達も以前からそう噂していたことである。

 ジェラルド自身も払拭すべく動く事はなかったし、彼は黙秘を貫いた。ただ彼は一人、女性に期待しなくなっただけである。

 最初の結婚は、社交界では恋愛結婚だと騒がれた。

 相手は伯爵家の長女で、社交界の花と呼ばれた一人である。相手の側がジェラルドに惚れていた。何があっても貴方を愛すると口にしていた。

 しかし結婚して二週間で、サリジナ領地から去っていった。特に何があったわけでもないが、泣きながら怯えて出て行ったのだ。

 二度目の結婚は、勝ち気な男爵令嬢との結婚だった。彼女はお金が好きだった。何不自由ないジェラルドとの結婚生活、絶対に出てなど行かないと言って嫁いできた彼女は、なるほど、三ヶ月もった。最長記録である。

 だが三ヶ月で出て行った。一生王都の邸宅にいて良いか、使用人を全員解雇しなければ出て行くと宣言した彼女に、どちらの条件ものめないためジェラルドは離縁を決意した。
三度目の相手は侯爵家の次女で、彼女は聖母の生まれ変わりだと評されるような、心優しい女性だと謳われていた。

 彼女は、噂など気にしないと穏やかに微笑し、ジェラルドと結婚したいと言った。これまでの相手とは出自の高貴さが違う相手だが、彼女もまたジェラルドに惚れていたのだ。こちらも恋愛結婚だと騒がれたものである。しかし彼女は、もうすぐ一ヶ月になろうかと言うところで、出て行った。

 四度目の結婚は、商人の娘、即ち平民との結婚だった。貴族になれるだなんて夢のようだと涙していた彼女は、三日で出て行った。最短記録である。

 五度目の結婚は、子爵家出身の未亡人とのものだった。年齢的にも上の女性は、やはり気だてが良く優しいと評判だったが、一ヶ月半を過ぎたところで出て行った。

 恋されていても駄目、家格が下でも駄目、平民でもやはり駄目、未亡人でも駄目、年上でも駄目、お金があっても駄目、優しい女性でも駄目、気の強い女性でも駄目、本当に上手くいかないものである。

 ここまでくると、別にもう結婚しなくて良いではないかと、ジェラルドは思う。

 泣かれたり怯えられたりヒステリックに怒鳴られたりして別れを告げられる事態も快いとは言えない。しかし、体面の問題や後継者の問題もあり、結婚相手を探してもいる。が、全く急いではいなかった。

 ――今回までは。

 結婚しろという王命が下ったのだ。

 理由は一つ、実に簡単なことである。

 次の戦争で、ジェラルドをもっとも致死率の高い第三師団の指揮官にするためである。ジェラルドは大変な実力を持っているのだ。本人もその配属を希望している。死ぬ気もない。だが、伯爵位のような高位貴族が前線指揮に出ることは、本来ならばこの国ではあり得ないのだ。

 結婚していて嫡子がいる場合でなければ、絶対的に無理だともいえる。

 最低でも結婚していれば、後に夫人が養子を迎えることで家の存続を図ることが出来るため、許される。そこで、結婚しろという勅命が下ったのだ。

 王陛下もジェラルド自身も、戦地へ行った後で夫人が出て行く事は構わないのだと、言葉にはしていないが同意していた。出立時に条件さえ整っていれば、何の問題もないのだ。

 恐らく誰と結婚しても、その相手は出て行くだろうとジェラルドは考えていた。

 戦争に出かける前は、子孫を残すことを奨励するように二週間ほどの休暇が与えられる。休暇後、戦に望む。なので、領地に迎え入れ、その二週間を最低限邸宅で過ごしてくれる相手が求められる。

 ジェラルドは、休暇など取っていたら体が鈍るのではと思うのだが、規則は規則である。法的に結婚して、二週間家にいてくれる女性。平時であれば、簡単に見つかるだろうが、現在は情勢的に結婚ラッシュで、空いている女性が非常に少ない。

 中でも五回結婚に失敗していてバケモノが邸宅に住んでいると評判のジェラルドの元には、いつも以上に縁談はない。思案した末ジェラルドは、結婚せざるを得ない女性を探すことにしたのだ。

 言葉は悪いが、まずは嫁ぎ遅れている女性に目星をつけた。

 同時に、出戻る事が難しい女性を探した。結婚せざるをえない上、出て行くあてがない女性を探したのだ。候補者はすぐに何人か見つかった。続いてその中から、爵位と年齢的にもっとも釣り合う女性を選んでいった。

 どうせ相手は出て行くのだからと、容姿や性格は考慮しなかった。最終的に三人が残った。いずれも伯爵家の次女か三女で、二十代前半である。その三人の各家の収支状況を調べ、絶対的に断れないように、取引相手を買収したり、借金を立て替えたり、技術援助を持ちかけたりと、相手の家には気づかれないように外堀も埋め終えてある。

 後は誰と結婚するかだけであり、三人もいるのだから一人くらいは結婚に同意するだろうとジェラルドは考えていた。全員今夜の夜会に参加している。


 さて、その内一人は、恋人がいるようだった。今も相手と楽しそうに話しをしている。男性側の爵位が低いせいでこれまで婚姻できなかったようだが、今回の情勢ならば恐らく許されるだろうから、彼女は除外だ。人の恋路を邪魔するのは気がひける。正直彼女でなくても良いのだから。

 では、二人目はどうか。性格の良さそうな女性で、何人かの男性と笑顔で話をしている。背は低いが恰幅が良くて、そばかすが印象的だ。話しかけてみようと考えて歩み寄った結果、真っ青な顔をされて避けられた。

 友人らしき女性に走り寄り「バケモノだけは無理」と唇を動かしているのが見えた。

 ジェラルドは、唇の動きで会話が分かる特技の持ち主だ。無理だろうが何だろうが、最悪彼女には結婚してもらわなければならない。

 しかしながら、まだもう一人残っている。

 初めから無理だと言っている相手を説得する前に、見に行ってから考えよう。

 ――ということで、ジェラルドは会場を歩き、壁際までやってきたのである。ようするに、三人目がレティシアだったのだ。


 彼がレティシアを見て最初に思った感想は、これは無理なんじゃないのかというものだった。何せ彼女は、ちょっと美しすぎた。ジェラルドは、ごく一般的な美的感覚の持ち主である。また、それほど女性の容姿を気にするタイプでもない。

 そんな彼であっても、思わず目を瞠ってしまうほど、レティシアは美しかったのだ。視線が釘付けになる。気位が高そうな彼女には、相手にされないのではないか。

 きっと同じ思いの男が多いのだろうなとジェラルドは考えた。実際彼の考え通りである。

 どこか冷たそうな雰囲気で、氷のようだ。頭では、きっと彼女は結婚の話を断れないと分かっているのだが、彼女に断られたら文句は言えないような気分にもなる。

 完全に見惚れてしまっていたジェラルドは、それから視線が合い、息を飲みそうになった。興味がなさそうに前を向いていた彼女が、緩慢に自分を見た瞬間、胸がドクンとした。彼女のアイスブルーの瞳が自分を捉えていると思うと、少し動揺しそうになった。

 勿論表情を崩したりはしなかったが、珍しくジェラルドは焦っていた。その直後、彼女が嫌そうに目を細め、扇で顔を隠したのである。結論から言って、三人目のレティシアにも嫌がられたのだとジェラルドは判断した。

 いくらなんでも分不相応すぎるだろうから、しかたがないとジェラルドは思う。ジェラルドは自己評価が低い方ではないので、

 バケモノの噂と結婚回数以外は、自分は容姿性格家柄資産ともに優れている方だと正確に認識していたが、いくらなんでもレティシアは無理だろうなと考えてしまうほどだったのだ。人間は外見ではないという思いがジェラルドの正確な心情であるが、そうは言ってもレティシアは美しすぎる。

 とりあえず歩き去ることにした。いずれにしろ誰かとは結婚しなければならないのだが、少し頭を冷やそうと思ったのだ。

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