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2 ちいたまも一緒




「なるほど。相続した家を見に行ったら土地ごとまるで商業施設の様で、思わず中も見ずに逃げ帰って来たと」
「だって、家が総合雑貨店位あって中が想像できないし、玄関前に立つのも勇気がいるんだもの」

 翌日、自分の「やっぱり……」と消極的になりがちな性分を自覚している玉生は、勢いのあるうちにと寿尚を訪ね日尾野家へとやって来て、叔父の遺産で譲られた場所の事を相談していた。
 そろそろ本格的に冬の気配がする時期だが猫を愛する日尾野家ではすでに全室床暖房が大活躍で、壁際のキャットタワー以外は低いタイプの家具で統一された寿尚の自室も、床にクッションを置いて座っているが冷えとは無縁なのだ。
来るたびについ座ってしまう巨大な椅子型クッションに埋まりながら、カステラの最後の一欠をミルクココアで飲み込んだ玉生は部屋の主に、分不相応な物を貰ってしまって困っている話を訴えた。
 その話を時々相槌を打ちながら聞いている部屋の主は、玉生の一つ上の友人である日尾野寿尚という。
本人は大の猫好きだがなんとも皮肉な事に彼の見た目の印象は犬、しかもクールなハスキー犬である。
 小学校普通科で玉生とは出会って、現在は小学校高等科と中学校普通科に進学先は別れたが、週末に玉生のバイト先のミルクホールに顔を出したり休日の遊戯に連れ出すなどして交流を絶やさずにいる。
そしてその積み重ねで友好を深め、すぐ遠慮する玉生がこういう時どうにか頼ってくるまでには親しくなったのだ。

「それでね、ただでさえ一軒家の上にあんな大きいなんて色々と心配になっちゃって、広い庭があるなら駆君とか翠君が一緒に引っ越して来てくれないかなって思うんだけど、どうかな?」

 たしかに『あの野人どもなら広い庭には釣られそうだな。一人暮らしさせるのも心配だし』と玉生の提案に納得した寿尚は、さらに『一度くらいは使用人のいない生活を体験してみるべきか』と自分も同居に参加する気になった。

「まあ、小江都線の駅のすぐ前に路面の停留所で、バスも通るならどこからでも乗り換え楽だし。あの辺は近年の埋め立て開発された土地だから、自転二輪でも余裕だろうし、今は折りたたみで持ち歩けるしさ。あ、それよりまずアイツらも誘って、電車かバスで途中の店とかも確認しながら――うん。家の生活線が生きているなら、試しに泊まってみるとかしてみた方がいいだろうし」
「え、じゃあ、う〜ん……タオルケットとかいるのかな? 敷地内にある物はそのまま込みだから、自由に使っていいって聞いているけど」

 具体的な話になるとオロオロしながらでも行動に移そうとするのは、玉生の短い人生からの学習成果である。
寿尚も苦笑しながら、たしかに暖房の対策に包まる寝具くらいは必要だろうと肯定した。

「うちは独立しても個人の部屋はそのままにしているから俺も必要な物はどうせ買うし、一通り見て足りない物は少しずつ揃えるとかでいいと思うよ? でもそうだな、最近冷えてきたから床にゴロ寝がきついと思ったら徹夜するか迎え呼ぶかすればいいさ」
「『俺も』って、尚君も共同生活してくれるの!? でもこの家、みんななかなか戻らないから留守番って言ってたのに、猫たちだって――連れて行くのは、僕は構わないんだけど……」
「いや、猫は家に憑くって言うし縄張りがあるから、うちが引っ越すわけでもないのに俺の勝手でよそに連れて行くのは可哀相だよ。俺だけで飼ってるわけでもないし、モフモフに埋もれて癒やされようと帰ってくる家族にも恨まれるから、会いたくなったら人間の方が家に帰るのが我が家のルールなんだよね」

 猫の下僕を名乗り学校にいる間は猫っぽいという玉生に癒やしを求める程に猫好きな寿尚なら、家の猫とは離れたくないのではと思っていたので意外だったが、たしかに彼の家族もみんな同じ様に猫が好きだ。
たまにこの家で会う時は、大体猫と戯れながら「久しぶりだね、たま君」と玉生に声をかけてくる記憶ばかりがある。

「留守は尾見たちがいるから問題ないよ」

 何はともあれ寿尚も同居してくれる気だと聞いて、『いいのかな』と思いながらも玉生としては心強い。
孤児院を出た後に住む所ができたのは本当に本当にありがたいし、放置されがちだった幼年期のせいで一人で生活する空間には慣れているつもりだったが、やはりあの大きさの家に一人暮らしというのはちょっと想像が追い付かないせいか漠然とだが怖い気がする。
ただ、玉生にとって相続したあの屋敷は外国の童話に出てくるお城のような印象で、例えば非常時でもないのにどこかの大きな体育館で、一人生活すると仮定する位に現実の事としての実感が薄いのだが。


 そこでコンコン・コンコンとノックの音がして部屋の主である寿尚が入室の許可を出すと、「失礼します」と執事の尾見が扉を開いた。

「寿尚坊ちゃま。獣医が言うには、ちいたまは元々が小さく生まれたのと栄養が足りてないのが要注意なだけで、健康的に疾患はないので普通の赤ちゃん猫と同じような育て方で問題はないという事でございますよ」

 尾見が「良うございましたね」と目尻を下げ寿尚にそっと渡してきた柔らかそうなタオルの中を、手にした彼に促された玉生が覗き込むと、フカフカな布の隙間には昨日庭先で拾ったガリガリの小さな猫がいた。
丁寧に拭われたようでポヤポヤとした毛並みにお腹だけをポッコリとさせた身体をくにゃんとさせ、小さな口からそれに見合ったサイズの桃色の舌を覗かせて開いたまま、グッスリと眠っているようだ。

「しばらくは、ちいたまにかかりっきりになるから少なくとも育ち切るまでは、ヤキモチ焼きの子と離しておきたいんだよね。うちの親には今日のうちにでも家族通信で許可は取るし、この子と一緒にお邪魔するよ」
「では私は、新生活に必要かと思う物をいくつかお持ちいたします。倉持様にも引っ越し祝いをお持ちしますね」

 そう言い残して退出する尾見相手には、遠慮するだけ無駄だとこれまでの経験で分かっている玉生なので、かろうじて「お、お構いなく〜」と返事を返したが、しかしさっきから気になっていた事を聞かずにはいられなかった。

「ねぇ……尚君? ちいたま、ってその子の名前?」

 それにニッコリとした寿尚は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いた。

「この子、たまに似てるからね。それで小さいから、ちいたまっていう名前にしたら奉公人たちも納得していたよ」

 その言葉にキョトンとした玉生は、改めて目を閉じた小さな顔をじっと見た。
鼻先が薄い桃色なだけの白と黒二色のハチワレで、おデコから目の際は頬のラインに沿って真っ白で前半身も白。
今はぐっすりといわゆるヘソ天状態なのでよく見えないが、拾った時の記憶では頭部から背中は黒かったような気がする。

「……うーん、やっぱり僕には似てるとか、分かんないや」

 そっと指先で子猫の額から鼻筋を撫でた寿尚が「本人はそうかもね」と唇の端を上げると、子猫の少しだけ開いた目が黒い色をチラリとだけ覗かせて、またすぐに閉じられる。
 背中を向けていたローベッドの枕元に置かれていた、ちいたまのためにある様なサイズの猫用ベッドにそっとタオルごと寝かせた寿尚は、「普通は子猫時代の目は青いんだけどな」とテーブルの上に放置してすっかり温くなった緑茶を飲み干した。
それを見ていた玉生が「う〜ん、多分ね。その子と僕が似てるっていうなら、みんなにもう少し太れって言われる意味は理解したと思う」と言うのに、寿尚は思わず吹き出した。
 それから、ふと思い出して「もっと太れといえば、たまの本の虫仲間の彼にも声をかけないと拗ねてしまわないかな?」と基本的に引っ込み思案な玉生に、やっと増えた友達にも声をかけるように提案する。
 玉生は相手が話しかけてくれば反応は鈍いながらも応えはするので、根気強くまたはへこたれずに好意を示し続ければ時間はかかるがある程度の友好は成立するのだ。
ただ自分に自信がないので自分から行動していいのかと思い悩んでしまうため、マイペースにその友好的な距離を保てなければ「やっぱり」みんなに平等な人が自分にも同等に好意を示してくれただけと“納得”して終わってしまうのだ。
つまり当然の様に孤児院の子たちは、そういう“みんな仲良し”の精神で玉生も仲間に入れてくれているだけだと思っている。
 それというのも、幼少時に玉生が振り分けられた班のリーダーの口癖が「勘違いするな」というものだったのが大きな理由で、ほかの院生もそれに異を唱える事もなかったので、玉生は自分に向けられるものもちょっとした親切であって好意ではないと結論づけてしまったのだ。
リーダーの彼は彼で、孤児院にいるという境遇から考えても期待して裏切られたという自分の経験が反映された言葉だったのだろうが、その事情を悟るには余裕のない子供には難易度が高すぎた。
 そこを取り持てる立場である周りの大人にしても、玉生のいる孤児院は国営であって職員は努めで子供の世話をしているという方針であり、親代わりというスタンスはどちらかというと戒められている。
一部の子供に職員の好意が偏ったり、子供が依存して職員に独占欲を持って子供同士の諍いの原因になったりという問題が過去に多発したため、今は必要以上に干渉し合わない方が上手くいくという見解になっているらしい。
 そういうわけで同じ年頃の子供との集団生活をしてはいても、せいぜいがクラスメイトと変わらない距離感に留まり、個人的に親しいといえるほど馴染めた相手はできなかったのだ。
 つまり、そんな玉生の性格に合ったとても貴重な友人なのだ。

「詠君は――広い所を見て回るだろうから、引っ越してから誘おうかって思ってて」
「でもほかの友達は誘われて自分は知らなかったって、間が悪いとわだかまりが残らないかな?」

 そう言われて玉生自身で考えてみると、自分ならなんとなく以後はこちらから誘うのを躊躇してしまう気がする。

「相手に遠慮しすぎると、相手の方だって遠慮するようになるって分かるだろう? お互いで迷惑じゃないかって気を使う様になるから、仲良くしたい相手なら近況報告みたいにでも話してから様子を見て誘うといいよ」

 納得したようにコクコク頷く玉生の猫のような頭頂部をやわやわと撫でながら「疎遠になりたい相手に限って遠慮しないってのもあるけどさ。そういう時は俺とか、まあミミにでもいいから相談しなよ?」と寿尚は付け加えた。



 そうして空気がほのぼのとした所へ、再び小さなノックの音がして「坊ちゃま」と声がかかった。

「三見塚様と田畑様がお出ででございますが、ご入室いただいてもよろしいですか?」

 音に釣られて扉の方に顔を向けていた玉生が、ハッとそれに気付いて「尚君」と振り向くと彼はニッコリと頷いた。
どうやら寿尚はあらかじめ玉生のために、同居に誘うつもりだろうと二人を呼び出しておいてくれたらしい。
 寿尚の「入ってもらって」の返事と共に「スナさん、邪魔するよ〜」と軽い足取りで入って来た巨体は、ミミこと三見塚駆だ。
自他共に犬っぽいと認める駆は、よく知らない人にまで「あのラブラドルレトリバーみたいな人」で通じてしまう。

「くらタマもいるって聞いて来たんすけど。自分、お邪魔していいんすかね?」

 駆に続いたのは現在小学校高等科で玉生とは同級の友人で、見た目だけなら繊細な物語のエルフの容姿だがその実態は外見詐欺と名高い田畑翠星だ。
彼は高等科に進む時に田舎の実家から出て来たので、小学校通常科から中学校普通科の方に進学している一学年上の寿尚たちとは玉生を介して知り合った仲で直接の関わりはない。
体育会系と芸術家肌の良い所取りでコミュニケーション能力が高い駆の方はともかく、寿尚の方はお互いにマイペースすぎて初対面から二年たった今もまだ友達の友達な気持ちの方が強いらしい。
しかしそれは、「みんなでお出掛け」という口実でもなければ会う機会もなく、当然ながら翠星は玉生と一緒にしか寿尚と会った事がなかっただけであって、どちらにも特に思うところはないのだが。
今も自ら立ち上がった寿尚が、壁の収納から座布団を取り出して「はい、楽にしてどうぞ」と勧めているのが歓迎している証拠だ。
 訪問者たちはやっと身長が百六十㎝を超えた玉生と違い、百九十㎝弱と百八十㎝ほどもの高さがあり、その存在だけで部屋の中が賑やかになった。
彼らにしては静かに入ってきたのは、おそらく尾見が子猫の存在を言い含めた成果だろう。
 その後ろからサービスワゴンにお茶とお菓子を載せた尾見が続き、全員分のお茶を配り焼き菓子を盛った菓子鉢をセットすると、先にあった方の食器を手早く回収して「では、ごゆっくり」と引き上げて行った。

「翠星は香草茶の方でよかったよね? ミミはお菓子だとそのままストレートで、たまは砂糖無しのミルクティーにする?」

 寿尚は家主らしく場を仕切ってから、「ほら、たま。二人に話があるんだろう?」と玉生を促したのだった。





「広い庭付きの一軒家で共同生活、いいと思うぞ。実際に住むには多少不便な場所だったとしてもありだな」

 小振りのマドレーヌを一口で食べて紅茶をグビリと飲む頃には、駆の中では結論が出たらしい。

「自分はそろそろ部屋の更新の時期だし、もっと大きい部屋に移ってから、くらタマに同居しないか聞くつもりだったから問題ないが」
「えっ、そうだったの!?」

 翠星の方は友人たちの中で唯一学校も学年も一緒なので、進路の話題の時もすぐ側で様子を見ているだけに孤児院を出る事とその後の諸々に悩んでいる玉生を見て、このままでは良くない方向に思い詰めそうだとの危惧をしていた。
それでとりあえず住む所だけでも確保しておけば、いきなり地方へなどと短絡的にはならないだろうと、玉生の選択肢を増やすためにもとシェアが可能な引っ越し先を検討しているところだったのだ。

「ま、自分は自由にできる庭があるっていうなら、もう八割方希望通りだしな。畑作っても構わないんだろ?」

 フルーツジャムのクッキーを手にしたままの翠星が一応の確認をする様にその緑の目を向けると、玉生はコクコクと頷いた。
友人たちの間では、自分から図々しいくらいに押して「お互い様」の理屈で玉生の方からもこちらにものを言わせるという暗黙の了解ができているのだ。
それというのも、生まれ育ちの環境からくる自己評価の低さと自己犠牲と奉仕の精神が相まったせいで、有無を言わさず好意の押し付けでもしなければ、こちらからのお返しですら「そんなつもりじゃなかったから」と遠慮してしまうからだ。

「う、うん。あのね、ナッツの木とか……あと、桜とかもあるけど、家が遠くに見えるくらい広い庭にシロツメ草が広がっててね。家の裏手も森みたいで、童話のお城みたいだなぁって、僕思ってね」

 みんなが乗り気なのが嬉しくてどんな場所かと伝えたくなった玉生は、一生懸命に昨日の記憶を思い返した。
あの時はあの場所に、一人で暮らして一人で寝起きする生活が頭をよぎり漠然と不安だったのが、みんなと共同生活をして同じ場所に帰るのだと思うと、途端に探検するのも楽しみで今からワクワクしてしまう。

「うん。やっぱり、詠君も誘う。それで、みんなで探検しようね! はじめはみんなで一緒に行きたいから、次の週末とかどうかな?」






「お昼は食べて行かないの?」

 玉生はこうしようと決めたら、ふいに急がないと後悔するかもという感情でいっぱいいっぱいになる時があって、今はちょうどそんな気持ちに急かされていた。

「今の時間だったら、詠君は図書館にいると思うから、誘ってみるの早い方がいいだろうし。えと、お八つごちそうさまでした」
「あ、くらタマ。図書館なら自分も通るし、自転二輪の後ろに乗せてくから。ちょっと待て」

 そうやって、慌ただしいながら子猫の睡眠を妨げないように、小声で「お邪魔しました」と玉生と翠星が立ち上がると、「玄関まで、お見送り」と残る二人も後に続く。


 そして玉生を荷台に乗せた自転二輪車を見送り、建物脇に停車している原動機付自動二輪車を横目にしながら、寿尚は隣で彼らに手を振る大男に提案する。

「なあ、ミミ。君はもうそれに乗り慣れた頃だろうけど、うちのお使いを頼む時にはたまも同乗できると便利だと思うんだよ」

 言われた駆が「うん? 何が?」と首を傾げると、寿尚はニッと笑った。

「自動二輪の免許さ。あれば、側車付きも荷台の大きい自動三輪も運転可能になるって話なんだけど」

 そして胸のポケットからカードを出し、「ちなみに俺は取得済み」と駆の前でそれをヒラヒラと振ったのだった。

「あーそっかそっか、そっちがあったか。オレ車の免許取れたら一緒に移動するの楽だなくらいにしか考えてなくってさ、自転二輪はまだしも自動二輪は車道走るから、マオマオ後ろに乗せるのは怖くてムリって思ってたぜ」
「ちょっと前まで、たまの進路が不明だったからさ。国営の斡旋にでも頼られたらどの県に割り振られるか賭けになるわけだし、いちいちうちの運転手呼び出して動くにもね、というわけで個人の機動力を追求してみた」


 頃合いをみていたのか、話の区切りがついたタイミングで尾見が玄関口から顔を出し、二人に声をかけてきた。

「お二方とも、お昼の支度ができております。冷めないうちにお召し上がりください」

 そう屋敷の方から呼ばれ「昼ごちそうになったら、教習所行ってくるわ」と家人より先に室内に戻る駆の返事に満足し、寿尚も後に続くのであった。





 東の商業都市である都町にある国営図書館の前で、玉生は自転二輪車の荷台からトンと軽やかに下りた。

「翠君はそのまま帰っちゃうの?」

 翠星も玉生たちほどではなくとも、それなりに本は読む。
彼曰く「娯楽の少ない田舎の暮らしは晴耕雨読」なのだそうだ。

「引っ越すんなら荷物まとめたり片付けたり、まあ色々やらなきゃいかんだろ? 今日からがんばるわ」

 そう言って陽の光の下で眩しい、適当に括ったような金髪を背中に揺らして帰って行った。


 今はちょうどお昼時だが、詠は寝食を忘れて本に没頭してしまうタイプだ。
それで彼の両親には、気難しい息子にできた友人である玉生が当てにされ「食事時に詠を見かけたら誘ってやってほしい。行き付けの国営図書館なら1階に併設の喫茶店でまとめ払いにしておくから、玉生君も好きな物をぜひ一緒に」と頼まれているのだ。
奢りについては遠慮しようとしたのだが「それでは詠も食べないから」と説得され、喫茶店の主人にまで話が付けられていて、マトモなメニューを注文するまで「ご注文は?」と繰り返し許してくれないので、最近は詠が本日のランチセットを「いつもの二つ」でまとめてしまうのだった。


 玉生が覗いた館内では、今日もいつもと同じ様に司書のいるカウンターから少しだけ離れた場所で、詠が熱心に文字を追っていた。
詠曰く、あまり近いと貸し出しや返却のやり取りが気になるが、司書の目の届く範囲内だと騒がしい利用者にはすぐに注意が入るので、人の出入りの多い図書館では煩わされず読書に集中できる好位置なのだそうだ。
 今はお昼時のせいでカウンターの辺りはその時間を利用しているらしい人の出入りがあるが、それ以外の場所は人がまばらで椅子の背と背の間も通りやすく、玉生はすぐに目標である痩せた中背の背中まで辿り着けたのだった。

「詠君、お昼だよ。それに話したい事もあるんだ」

 小さく声をかけた玉生を振り仰ぐ黒縁メガネの彼は、切りがよかったのか素直に「分かった」と頷いて本を閉じた。


 その黒縁メガネの主は富本詠という名で、学区が別で通う学校は違うが玉生とは同学年の友人である。
詠の家から直近の図書館は本の傾向が好みと違っているらしく、休日や長めに時間がある時はバスを使ってこちらに来ているのだ。
詠の両親は学者で江都の研究施設に努めていて、この図書館にも資料を探す目的や気分転換で来たりと頻繁に訪れているという。
それで司書とも懇意にしており、その息子がうっかり遅くまで本に没頭していても知り合いの司書から連絡がいき、親の帰宅時に連れ帰るというのもここではよくある光景であるらしい。

 そんな詠と玉生の出会い当初は、玉生の数少ない娯楽スポットである図書館の利用者同士で互いになんとなく顔を見知っていただけだったのだが、今では本の感想も含めた雑談もする仲になっている。
 その親しくなった切っ掛けは、詠が以前に読んでどうしても展開が不可解だった本を手にしてる同世代と思われる少年を見かけ、その疑問について尋ねた事だった。
その時に詠が話しかけた相手の少年が玉生で、それから見かけると会話をするようになり、気付けば読書仲間となっていたのである。
 感想について語り合うというのはある意味、自分の内面を晒し合う様なものなので見解の相違で決裂する事なくそれが続くのだから、彼らは馬が合っているといっても過言ではないのだろう。


「いつもの二つ」

 そう喫茶店の主人に頼んで、スタスタと奥の観葉植物の陰にある席に向かう詠の後に付いて、玉生もそこに腰を下ろした。
そこは二人掛けの見るからに窮屈な席で、中肉中背でも成人男性ならば頭や肘・膝など油断すると壁や観葉植物にぶつかってしまう狭い空間だ。
なので他人と隔離された空間を好むにしても余程偏屈でなければ、パネルで左右と背後を囲んだ一人用ソファーの設置された窓際にあるカウンター席を利用する。
そもそもその詠の愛用する席は、館内に一人でいる子供を保護者の迎えが来るまでの間、不心得者の目から隠す目的のためにひっそりと設置されている物なのだ。
 国営の施設に付属して商売をするにはそういうモラルのある経営者を優先して継続させているので、長く店舗を構えているだけで国から良店としてのお墨付きを貰っているも同然で、当然この店も読書家たちから東都の国営図書館内名物喫茶として知られている。
 詠は玉生と知り合う前からたびたびここで保護されていた常連なので、主人の方もその接客を心得ていてメニューを選ぶのが面倒な詠と遠慮しがちな玉生には、日替わりランチのセットを出すのが定番となっているのだ。
それでも時々は作品の食事シーンで描写されていたのか、詠の方からメニューを選んで注文する事もあるので油断はできないが、常連の中には変わり者が多いので多少のアドリブに対応するのは慣れっこの主人なのである。


「それで話とは?」

 本人としては特に人嫌いというわけではないが、前置きもなく本題から入るのが詠という人間の取っ付きの悪さに一役買っているのは間違いない。
悪意には敏感な玉生は愛想がないのと相手にする気がないのとの違いは雰囲気で判断できるので、その手の機微からのすれ違いがなかったのも、彼らがすぐに友人としての関係が築けた大きな理由の一つだろう。

「うん、あのね、前に話してた孤児院を出た後の問題が解決しそうなんだ」
「……国の斡旋で訓練所に行くと言うのなら、当然僕は反対だからな。どこの県に行くのか分からないんだぞ。孤児院を出るにしても、うちか日尾野の家で下宿して先を決めたらいいんだ」

 この話題が出てからずっとその主張を曲げない詠は、ムッとした顔で目を逸らし両腕を組んだ。

「うん、僕のお母さんが亡くなった時にお母さんの弟さんから僕への遺産があるって、その僕の叔父さんが頼んでくれていた後見人の人が知らせに来てくれたんだ。それで都心のすぐ近くに住める所を相続したからそれはもう大丈夫」

 玉生が慌ててそう言うと微妙に疑わし気に「――そうなのか?」と詠はこちらに視線を戻した。
 

「はい、お待たせしました。ゆっくり食べていってね」

 昼時がそろそろ終わって余裕ができたのか、ランチを自ら運んで来た主人が常連の少年たちに目尻にシワを寄せて声をかけたのに、玉生はペコリとお辞儀をしてからスプーンを手に取る。 
それからは今日のランチセットのマグカップのスープに卵のサラダとメインのチキンカレーを揃って黙々と食べて、程よく冷めたスパイスミルクをゆっくりと飲みながら話の続きに戻った。

「それでね、そこがすごく広い場所で一人で暮らす自信がなくて、尚君たちにも相談したら共同生活しようって。それでね、詠君もおうちで一人の時が多いから一緒にどうかなって」

 そこまで話してから、こちらの都合だけで一方的な勧めだったかと思い至って、「あ、やっぱり、自分のおうちあるから……」とわたわたと慌てだす玉生に、詠は半目になった。

「どうせあの猫男だって、立派な屋敷があるのに同居する気だろ」

 玉生が「猫男?」と首を傾げると「見た目はハスキー犬だけどな」と詠に続けられ、すぐに誰の事か思い当たったらしく、「尚君、たしかにすっごく猫が好きだけど」とつい笑ってしまってからブンブンと首を振った。

「え、と。尚君はね、僕がその相続した所の庭で拾って届けた猫が、自分のお家の猫と一緒に飼うのは小さくて心配だって。それに、お世話する人がいない生活もやってみるべきだろうって」
「――うちの親が前から筑波の学術都市に招致されているのに、引き継ぎは僕が独り立ちする頃まではかかりそうだとか言っている。本当は向こうの研究の方が本命だしもういい頃合いだから、自分も玉生の共同生活に参加して送り出す」

 詠は少し考えた様だが、すぐに自分の中で結論が出たらしくキッパリと言った。

「え、あの、僕は嬉しいんだけど、まず小父さんと小母さんに話してから……あ、次の週末の土日にみんなで泊まりで見に行こうってなってるから、その時に見てから決めるとかでもいいんじゃないかなっ?」

 詠としては自分の中ではもうその気なのだが「一理ある」と納得して、まずは週末の探検に参加する事となった。

「じゃあ僕は次の子が早く入れるように、孤児院の片付けとか色々と準備とか終わらせておかないとだから、今日は帰るね。えーと、待ち合わせは図書館の前のバス停でいい? 都合が悪い様ならここの玄関口の掲示板にメッセージ書いてね」

 言いたい事は言えたというように「はぁ……」と息を吐いた玉生は、残りのスパイスミルクをぐっと飲み干して立ち上がり「じゃあ、またね」と手を振って帰って行った。
残った詠はカップの中身をゆっくりと口にしながら、「一人暮らしについての雑誌とか、参考になるか? それとも引っ越しについての方か?」と、こちらもこれからの予定を立てるのだった。





 それから玉生は思い立ったが吉日と、孤児院の院長に「譲渡先の住居に早ければ来週にでも引っ越せそうなので」と報告し、荷物をまとめたら
すぐにでも退院の手続きをしたいと申し出た。

「後見人の方からもある程度の事情は聞いているが、春に高等科を卒業した後にどうするのかは考えているのかね?」
「はい。少し余裕ができたので、もう一年高等予科へ行こうと希望しています」

 院長は頷いて「行き詰まる事があれば、早いうちに国の斡旋所か役所に相談しなさい。窓口で尋ねればその人の必要な部所へ案内してくれるはずだ」と二〜三のアドバイスをして「どうしょうもなくなったら訪ねて来るといい」と最後に付け加えてあっさりと院の退去が許可された。
玉生が義務教育の通常科から高等科へ進学して孤児としては充分な学歴である上、おそらく後見人の傍野がうまく説明したのだろう。
 常に子供が出たり入ったりしている孤児院では問題児の世話に忙しく、職員からしたら玉生のように手のかからない子供は影が薄く、院生と別れを惜しむにもまだ幼かった玉生が世話になった世代はもう実業学校へ進むなりして社会に出ているのだ。
そして、現時点で百人の定員は男女ごといくつかに別れて班を作り問題が出ると入れ替えるので、交流上手ならあちこちに友達ができていたのだろうが、あいにくと玉生は社交的な性格というわけではなかった。
 孤児院の中での玉生は、気の利いた年長者が声をかける事でもなければ、院内の廊下や踊り場の窓際などあちこちに置かれている棚の本を繰り返し読み歩く子供で、本人はそんなつもりではなくても読書に夢中になると反応が悪くなるため、付き合いの悪い子だと思われ遊びに誘われないという状況にもなった。
そしてアルバイトのため出歩く頃になると、さらに図書館に入り浸るようになるのは必然的な事だった。
しかも、図書館で本を借りて持ち帰るといつの間にか破損していたり勝手に持って行かれたりしたので、どうしても読み切れないがすぐに貸し出されてしまう人気の本などは、学校で仲良くなっていた寿尚に「外泊許可もらってうちで読めば?」と勧められ自由時間も外出する様になった。
そんなこんなで院では親しい相手などできなかったのは、当然の結果というものであっただろう。
 今も『最後の日にはみんなに、何か珍しい甘味でも差し入れしたいな』くらいには思っているが、正直いつまでたってもこの場所は自宅という認識にはなりそうもない。
それに、個人的に親交がある者とは正月の年賀状をやり取りしている。
今年の年末には新居に落ち着いてそれでまとめて報告できるといいと思いながら、玉生は孤児院で割り当てられていた部屋を片付けるのだった。

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