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  だから、そばにいさせて。

           

       西の茶店





  Ⅰ 同居人の朝





 六月二週目、梅雨に入るか入らないかの瀬戸際。派手にギラギラした太陽が照りつくかと思えば、いきなり河が氾濫しそうな大雨といった具合にころころ天気が変わる頃だ。



 午前七時。目覚し時計が派手に鳴り響く中、居候の身である紫蓮龍樹(しれんりゅうじゅ)はベッドの中で必死に戦っていた。



 ちくしょぉおっ、なんで解けねぇんだよおっ!



 昨晩からもがいても足掻いても、身体は冷凍マグロの如くぴくりとも動かず、外はいつのまにか朝である。



 陰陽師のはしくれともあろうこの俺が、なんでこんなにしっかり金縛りに捕まっちまうんだよ!



 そんな龍樹を嘲笑うかのように、金縛りの主は龍樹の上にどっかりと乗っかって、動こうともしない。それどころか、時々ずしっと重くなる。



 いくら胸中で九字や真言を叫んでも、精神統一できるどころか、苛立ちで暴走しそうになる。



 くっそー、この強烈さは、久々にあの超現実主義バカのはねっ返しが来たな!?



 歯を食い縛って必死に抵抗しようとする努力も虚しく、目も開けられないまま夜は明けてしまった。一晩中寝ていないことになる。



 なんで俺があいつの分までこんな目にあって、苦しまにゃならんのだ!



 どんなに罵倒したところで思いは声になるはずもなく、動けないおかげで枕元では目覚し時計がジリジリと喧しく鳴り続けている。



 朝ンなって目覚しも鳴ってるってのに、いい加減解けろよなーっ!



「龍樹ーっ!いつまで目覚し鳴らしてんだ!うるせーだろ、さっさと起きろ、この阿呆っ!」



 バンッと勢いよくドアが開いて、この家の家主である六波羅忍(ろくはらしのぶ)が怒鳴り込んできた。



 何が阿呆だ、このバカっ!金縛りにあってんのがわからねーのか、鈍感!



 ベッドの上で硬直状態の、どう見ても普通に寝ているようには見えない龍樹の腹の上に、忍がドスンと腰を降ろした。



 忍ーっ、おまえ、ちょうど金縛りの主と同じ所に腰を降ろすなーっ!



「おら、さっさと起きんかい。飯はいらねーのか?この俺が作ってやった朝飯を放棄するとは、見上げた根性じゃねぇか。おい、さっさと起きやがれ、龍樹!」



 全く何も感じていないという顔の忍にぱちんと頬をはたかれて、龍樹の金縛りはふっと解けた。



 がっくりと体力を消耗して虚ろに目を開けると、そこにはふてぶてしいほど血色のいい忍の顔があり、龍樹はひりつく頬の恨み分を込めて怒鳴り返した。



「なにが阿呆だ、この鈍感男っ!自分にかかるはずの金縛り、ぜーんぶまとめてこっちに跳ね返しやがって、おかげで俺は昨日一睡もできねぇで苦しんでたんだぞ!それをいきなり平手で叩き起しやがって、この恩知らず!」



 いろんな霊関係のモン呼び寄せる体質のくせに、本人はけろっとして無意識に全部跳ね返しやがって!



 うるさそうに顔を背けて龍樹の腹から立ち上がった忍が、悠然とベッドの上の龍樹を見下して言った。



「で、その手の分野にはエキスパートであるはずのおまえが解けなかった金縛りとやらを、解いて起してやったのは誰だ?」



 龍樹は一番痛いところを突かれて、ぐっと言葉を呑み込んだ。



 専門分野の話をふっかけられると、つらい。おまけに、忍に口論や口喧嘩では勝った試しがないのだ。



 文句があるならっさっさと言ってみろ。と無言で言っている忍を見やって、龍樹は渋々の丁で口を開いた。



「…俺の八つ当りだ、悪かった」



 あああっ、なんで俺が謝らなくちゃならねーんだ。人の分まで請け負ってしまうこの体質が恨めしいっ。



「よしよし、いーこだな、龍樹は」



 手を伸ばして龍樹の頭を撫ぜて、忍がにっと笑った。



「おまえぇぇっ、人の頭と撫ぜるなと、何回言ったらわかるんだーっ!」



 忍より十五センチ低い、百六十五センチの俺が、どれだけコンプレックス抱いてるか知ってるくせに、嫌な奴ーっ!



 枕を力一杯、背を向けた忍に投げ付けると、忍はなんでもないように振り返り、手をかざしただけでそれを空中に留めた。



「俺は記憶力が悪いんだ。百万回言われたって、すぐに忘れるんだ。よーく覚えときな、龍樹ちゃん」



 忍がちょいと指を弾く様にしただけで、空中にとどまっていた枕は、龍樹の顔目掛けて飛んできた。



 不意打ちに避ける暇もなくまともに食らって、龍樹はベッドの上に引っ繰り返った。



「枕とじゃれてるのもいいが、さっさとしないと飯、食いっぱぐれるぞ」



 口元に笑みを浮かべて、忍が部屋を出ていった。



「なぁーにが記憶力悪いだって?学年首席の頭持ってて、いい根性してるよなーっ」



 龍樹の家主である六波羅忍は、龍樹と同じ学校、同じ学年、同じクラスで、常に成績は学年トップ。成績優秀でスポーツ万能、生徒会長にクラス委員と教師陣が泣いて喜びそうな人物だ。



 おまけに、忍が持ち合わせている妙な能力とやらは、バリバリの超常現象――超能力と言う。つまり、忍は超能力者ということになる。



 だからなのかは定かでないが、忍には霊的現象は全く効かないし、本人も全く信じていない様子。



 龍樹は霊能力者、いわゆる陰陽師の家系の生まれで、変なものが見えたり祓えたりする能力はしっかりと持っている。



 百六十五センチという名のコンプレックス付きの霊能力者である龍樹に対し忍は、学校では右に出るものがいない(右に出たらその場で殺されそう、というつぶやきを龍樹は聞いたことがあるが、まさにその通りだ)し、大胆不敵で実は慇懃無礼で、恐いもの知らずの超能力者ときた。



 令和のご時世に陰陽師の家系なんて、逆にユーチューバーのネタにされてしまいそうな肩書きの龍樹としては、おもしろいはずがない。



 それでも友達なんかやっていて、おまけに同居しているなどというのは、ひとえに忍のあっけらかんとしていそうで実は扱いにくい性格を把握している自分の賜である、と龍樹は思っている。



 …なんだかんだ言っても、俺は忍の強引で強気な所も結構気に入ってたりするから、悲しい。



 枕をベッドに押しつけると、龍樹はぐしゃぐしゃと髪をかきあげてドアノブに手をかけた。



 あー、神様って不公平だっ。







「遅い、と言ってるだろーが。さっさと顔洗ってこい。せっかく人が挽きたての豆でアイスコーヒー作ってやってんのに、氷が解けて水っぽくなるだろーが、阿呆」 



 二階層造りで部屋の前の廊下から見下ろせる二十畳はあるLDKのテーブルに朝食を並べている忍に、部屋を出るなり怒鳴られて龍樹はへいへいと返事をしてから洗面所に向った。



 まったく、なんでこんな広いマンションに一人暮らしなんてしてんだろーね。こちとら引っ越して来てまだ三ヵ月だってのに、あいつは中三からってのが信じらんねーよな。



 このマンションは超が付くほど高級である。部屋数は少ないものの、別荘みたいに二階層造りで上に十二畳の洋室が三部屋。下には広いLDKと大の字になって入れそうな風呂とトイレ。



 どう考えても億ションとしか言いようのない家で、自分が来るまでどうやって使っていたんだろうと、龍樹は思う。



 龍樹が来た当時も忍は一部屋しか使っていなくて、龍樹に割り当てられた部屋は、ベッドに布団が用意してあっただけで、がらんとしたままだった。おかげで宿題などはリビングでいつもふたりでしている。



 シャワー付きと普通の二つのボウルが並ぶ洗面台でざばざばと顔を洗って、寝不足でぼやけた頭をすっきりさせた。初めの取り決めで、左が忍、右が龍樹、専用だ。



 洗面台一面鏡張りになっていて、そこに映った龍樹の顔は見事に目の下にクマを作って、疲れ果てた顔をしていた。



 あー、悲惨な顔。こうなりゃ学校で睡眠とろう。今日は絶対こんな顔してらんねーもんなぁ…。



 勝手に決め込んで忍と朝飯の待つLDKに戻ると、エアコンが除湿しているらしくやけにさっぱりとした空気の中、忍は朝刊を広げてFM放送を聴いていた。



「お待ちどーさん」



 グレーとブラックのツートーンでまとめられたシンプルなキッチンの対面式カウンターテーブルに付くと、忍がばさっと新聞をたたんで顔を上げた。



「遅い」



 そのまま新聞をぽいっと放ると、新聞はテーブルの下にあったラックにすっぽりと納まった。



「便利な超能力だな」



 感心しながら、龍樹は素直に謝ってお膳の前で手を合わせた。



「いただきます」



 忍は料理作るのが上手く、趣味の一つのようだ。多趣味らしいが、龍樹にとってはありがたいの一言だ。



 なにしろ龍樹の家は「男子厨房に近寄らず」の古い思考の家庭で、包丁は中学の家庭科のリンゴの皮剥きで無理矢理握らされたのが最初で最後だ。



 乳白色の食器に綺麗に盛り付けてあるベーコンエッグを突いていると、忍が呆れたように呟いた。



「おまえ、妙にジジむさいとこあるな。その飯の前に合掌するのも、仕込まれたのか?」



「悪いか。俺の家ではこれが普通だったんだよ。もっと言えば、朝は米に味噌汁がモットーだった」



 とろけるチーズの乗ったトーストをかじりながら、喫茶店のモーニングセットのような洋食を指して言うと、忍は信じられないというように笑った。



「米に味噌汁がモットー!?もしかして、畳に置いた卓袱台に家族全員がその回り囲ってて、その横にはお釜と鍋とヤカンなんか置いてあったりするんだろ!?」



 忍はジョークのつもりで言ったようだが、龍樹には全くそのまんまと言っていいほど的確に捕らえている台詞だった。



「…それがどーした。前まではそれが俺の日常生活だ」



 龍樹がぶすっとして言うと、忍は苦しそうに笑いながら、目尻に浮かんだ涙を手で拭った。



「信じらんねー。いまどき貴重だぜぇ、昔ながらの習慣守ってる家なんて」



 笑いすぎで呼吸困難に陥りながら言う忍のおかげで、龍樹はますます不機嫌に輪がかかる。



「どーせ俺ん家は国宝級古典的家庭ですよ」



 おまけに一族揃って長生きするものだから、曾祖父、曾祖母までいるので龍樹の家、おまけに日本家屋は和風ホラーハウスだ。



「まぁそういじけるなって。アイスコーヒー、まだあるけどいるか?」



 目敏く空になった龍樹のグラスを見た忍が、今度はご機嫌取りにかかる。



「…いる」



 短く言った龍樹に忍はまだくすくすと笑いながら、龍樹のグラスを取って対面式になっているキッチンの方へ行った。



 透明なロックアイスをグラスに入れて、まだ湯気を上げているコーヒーメーカーのポットを取ると、ざっとグラスに流し込んだ。



 へぇ、手慣れたもんだ。俺なんかなにをどーしたらいいかなんて、さっぱりわかんねーもんなぁ。



「ガム抜きでミルクだったな?」



 答えを問う訳でなく、ただ確認のために言って、忍がグラスにミルクを入れた。



「この豆は俺が見込んだ店のだからな、うまいだろ?」



 ごとんと二杯目のアイスコーヒーを龍樹の前に置いて、忍が横に腰を降ろした。



「うん、うまい」



 実は龍樹は結構味オンチで、コーヒーの豆の種類まで見分けられないのが事実だ。



 でも、忍の作るものは何でもうまいので、一応相づちを打っておく。



「そうだ、最近パスタがうまい店見付けたんだ。また連れてってやるからな」



 珍しく上機嫌で忍が言って、龍樹はどーしたもんだと珍しい忍のにこにこ顔を見ていた。





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