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白鬼夜行

 山桜が、白にほんのりと桃色を添えたような、そんな色合いで咲き乱れる。その花は、共に生えるまだ紅色をした若葉によく似合う。冬の間茶色しかなかった森が、緑を始めとした彩を添えて輝き始める。その中を歩く者あり。方向音痴で半人半妖の辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。彼は、冬の間は旅を休んでいたものの、新年を迎えた頃から旅に出て、帰って来たばかりである。そして、いつもどおりに湖底の竜宮へ続く、洞窟へと足を運んだ。
 時は三月、別名辰の月である。しかし、竜宮での竜たちの様子は、辰の月であるからと、特別変わった様子は見られなかった。春の穏やかな日差しも、この竜宮には届きはしない。
 遊行は、いつもどおりに九角竜天子(くかくりゅうてんし)への謁見を、側近の竜へ申し出た。すぐに謁見に応じることができ、謁見の間へと向かう。
「遊行、明けましておめでとうございます。また一つ、平穏無事に新年を迎え、こうしてお会いできること、心より喜ばしく思っております」
天子は、竜宮の長であるにも関わらず、頭を下げながら丁寧な新年の挨拶をする。遊行も、天子の前に片膝をつき、頭を下げて新年の挨拶をする。
「こちらこそ、明けましておめでとうございます。天子を始め、竜宮や森の方々のご無事な様子、喜ばしい限りです。なお、旅に出ていたため、新年の挨拶が遅れたご無礼をお許しください」
天子は、にっこりと微笑む。
「いいのですよ。貴方は貴方の思うままに、旅をなさって構いません」
遊行の気ままな旅を許して下さる天子の寛容さを、遊行はありがたく思う。
 遊行が、一通りの旅の報告を終える。
「それにしても、今は辰の月。森や外の様子も、春爛漫ですね。山桜が咲き、木々も芽吹いてまいりました。最も美しい時期ですね」
遊行は、季候の話をした。すると、微笑む天子の顔が、更に穏やかなものとなる。
「そうですね。今は建辰月(けんしんづき)。別名で蚕月(さんげつ)とも言います。蚕月の名もここから来ているんですよね」
「そうなんですね。それは初めて知りました」
「遊行、今年も蚕月に色々なことを教えてあげてくださいね」
天子は慈愛に満ち溢れた顔を、遊行に向ける。遊行はその微笑みに応え、微笑を浮かべながら、ただ一言告げる。
「わかりました」
そして、遊行は謁見の間を後にして、奥座敷へと向かう。名を持ちながらその様子を知らない幼子の元へ。
 奥座敷へ着くと、蚕月童子(さんげつどうじ)は独楽を回していた。昨年の長月以来、約半年ぶりに会うのだが、その間に独楽を回せるようになったようだ。童子は回る独楽をじっくりと眺めている。回り終えた独楽を拾った時に、外の遊行に気がついた。
「あっ、遊行。明けま()ておめでとう。独楽ね、回せる(しぇゆ)ようになったよ」
遊行が、奥座敷の中へ屈みながら入っていくと、童子は独楽を大事そうに抱え、とことこと近寄って挨拶をする。その満面の笑みに、遊行も顔が綻び、目線を合わせて頭を撫でる。
「明けましておめでとう。もう回せるようになったんだ。凄いね」
撫でられた童子の顔がうっとりとする。褒められたこともあって余程嬉しかったようである。そして、童子は遊行に独楽を回すのを披露してくれた。独楽は短い間ではあったが、確かに回っていた。大きな進歩である。
「大事にしてくれてるんだね。独楽」
「うん。この間ね、天子様(てんちしゃま)に独楽を回(しゅ)のをお見せし(しぇち)たの。そし(しょち)()ね、(しょ)の独楽を大事にすれ(しゅえ)ば、もっと上手(じょうじゅ)に回せる(しぇゆ)ようにな()って仰ったの」
「そっか」
 遊行は、笠と道中合羽を傍らに置いて、胡坐を掻く。その前に、童子はちょこんと正座をする。その揃えられた膝の上には、優しく両手で独楽を包み込んでいる。
「物を大事にすることはいいことだ。字が上手になりたかったら筆を、独楽が上手になりたかったら独楽を大事にすべきだろう。また、腕の立つ職人は道具を大切にし、手入れを欠かさずに行うもんだ。古来より、大切に扱われた道具が、持ち主を上達させると信じられている。また、道具を雑に扱えば腕が落ち、持ち主を不幸にすると。今日はそんな話をしよう」
今日も遊行が語りだす。


 今度の旅でやりたかったことがあった。それは、懐剣・賽ノ牙(さいのが)を刀鍛冶か研師(とぎし)といった職人に見てもらうことだ。旅での野宿やらなにやらで懐剣を使うことは多く、更にこの間の鬼退治で鬼を刺したことから、刃毀れや錆が懸念された。俺は、刀を研ぐことはできても、所詮は付け焼刃の素人技術。下手に手入れをしたことが、却って刀の破損を招きかねない。逆に、専門の職人に見せて手入れをすれば、刀の寿命が伸びる。賽ノ牙は、俺にとっても旅の苦楽を共にした愛着のあるものだ。そう易々と手放す事態だけは、どうしても避けたかった。
 主な街道を只管歩き続けた俺は、とある城下町に辿り着いた。そこは、大藩だった。大藩というものは、何かと他国より優秀な職人を呼び寄せたり、工芸を奨励することで更に栄えようとする。そんな大藩の城下町であれば、優秀な職人に出会えそうだと思った。城下町には色々な店が軒を連ねていた。俺は、その町で研師の店を探す。流石に城下町だけあって、すぐに研師の店を見つけることができた。店構えも立派で、随分と栄えていそうな店である。早速その店の主人に、懐剣を研ぐことができるかどうかを聞いてみた。
「すみません。懐剣の研ぎをお願いしたいんですが」
店から出てきた主人は、小綺麗な小袖に羽織といった恰好をしていた。主人は、俺のことを値踏みするような目で見ていた。それから、俺が持っていた懐剣を眺めた。その不躾な視線に、俺は眉根を顰めた。店の主人は、貼り付けたように笑いながら答えた。
「申し訳ございません。今は生憎、注文が立て込んでおりまして……。お急ぎであれば別の店でお願いできますか?」
「そうですか……」
俺は店を後にしようとすると、すれ違いざまに暖簾を潜る、身なりの整った武士が、太刀を抱えた若党を連れてやって来た。
「主人よ、この太刀を研いではくれんか」
「おお、これはこれは小松様。太刀の研ぎでございますね」
俺は振り返った。あからさまに俺の時とは態度が違う。俺が依頼したときは断っておいて、後から来た武士の太刀の依頼を受けようとしている。恭しく主人は、若党から太刀を受け取ると、拵え(こしらえ)を眺めて言う。
「流石は、小松様。拵えも素晴らしいですなあ。このような業物の太刀の手入れを、仰せつかることができて、誠に光栄に存じます」
店の主人は、鞘から太刀を抜きもしないのに、やたらと太刀を褒めちぎっている。どうやらこの主人は、客の身分で引き受けるかどうかを決めているようだ。俺はその様を呆然と眺めていた。仕方なしに他の研師の店へ行くことに決め、踵を返す。その時に、隣の雑貨屋の主人が声をかけてきた。
「旦那、その店なら藩士専門の研師ですよ。旅の方や庶民の短刀や脇差(わきざし)は、絶対やりませんよ」
「そうなんですか?」
「そうそう。若い頃は菜切り包丁だって研いだんだが、今じゃ庶民の刃物扱ったら店の面子が潰れるってんでやりません。あの太刀だって、自分の弟子どもに任せっきりで、自分じゃ研いだりしませんよ」
確かに、隣の店の主人の言う通り、研師の主人の恰好は、自分が研ぐにしては小綺麗な恰好であり、あの服装で刀を研ぐとなったら一回着替えなくてはならない。本人の腕前は、藩士達が認めるくらいには中々のものなのだろうが、それ故に育んだ矜持により、研師は初心を忘れ、自らの腕を揮う機会を捨てて、媚び諂う様になったのだ。恐らく、今彼が実際に刀を研いだとしたら、刀はその鋭さを失い、鈍らとなってしまうだろう。
「腕のいい研ぎ師なら、この先の店へ行くといいですよ」
雑貨屋の主人は指をさして案内してくれた。
「ありがとうございます」
俺は笠を少し上げて礼を言った。そして、雑貨屋の主人の指した方へ歩いていく。
 俺は、雑貨屋の主人の指した方へ、歩いていたつもりだった。しかし、肝心の研師の店は見当たらなかった。どうやら迷ってしまったらしい。周りを眺めていると、主な通りからは外れてしまったようで、周りには店らしい店は見当たらなかった。ただ、只管まっすぐに進んでいった。人通りも疎らになり、長屋と思しき家が立ち並ぶ。俺の後から、包丁を抱えた子どもが駆けていく。布巾で包んだ包丁を大事そうに抱えているが、そんなものを持って走るのは危なすぎるだろう。俺は子どもに声をかける。
「ねえ、急いでいるみたいだけど、包丁を抱えて駆け回ったら危ないよ」
子どもはいきなり声をかけられて驚いたようで、警戒心を露わにしている。俺は振り返った子どもを怯えさせないように、しゃがみ込む。
「あのさ、包丁持ってどこ行くの?」
「包丁研ぎのおじちゃんのとこ」
「俺も短刀を研いで貰いたいんだよね。連れてってくれない?」
子どもはぱあっと明るい顔になった。
「しょうがねえなあ。おれが連れてってやるよ」
鼻の下をこすり、得意げになった子どもは、胸を叩いた。子どもは、大人にものを教えられるのが、嬉しいらしい。俺は立ち上がり、子どもの傍に歩く。待っていてくれた子どもは、傍まで寄ると俺を見上げて目を見張った。
「おじちゃん、でっかいな。何食ったらそんなにでっかくなれるんだ」
俺は子どもを見下ろした。目をキラキラと輝かせてこちらを見ているが、首がかなり疲れそうだ。俺は顎に手を添えて考えたが、これといったものは思い当たらなかった。
「特に、何かこれを食べたから大きくなったって思うようなものは、食べてないよ。強いて言えば、よく食べて、よく動いて、よく寝てた」
「そっかあ」
子どもの歩調に合わせてゆっくり歩く。
「大きくなりたいの?」
「うん。だって、そんだけ大きかったら、他の奴よりたくさんの物が見えそうじゃん」
なるほど。なんとも子どもらしい発想で、口角が上がってしまう。
「なら、肩車しようか?」
「えっ、恥ずかしいよ。この年で肩車なんて、餓鬼じゃないんだし」
子どもは、俯いて着物の裾を両手で握っている。この子どもは、子どもから脱却したがり、大人に憧れるような、何かと気難しい年頃らしい。大人になるのはいいことだが、そういう所はそのままでいてほしいものだと、こちらは思うんだがな。
「いやいや、君に道を教えてもらって、こちらは助かっているんだ。しかし、この恩を返せるのは肩車しか無いんだよ。恩返しさせてくれないかい?」
子どもの目線に合わせる。すると子どもは、逡巡した後に答えた。
「しょうがねえなあ。そこまで言うんじゃ、肩車させてもらおうじゃねえか」
俺は子どもから包丁を預かって、子どもを肩車する。初めての高さに興奮を抑えられないようで、はしゃいでいる。周りにはヒトもいないので、子どもはじっくりと人一倍高い視界を堪能した。数分間の肩車での移動を楽しんだ子どもは、目的の店が近いようで、降りるとせがんだ。降ろしてから、包丁を持たせてやると、また駆けだした。
 少し先の角を曲がってすぐのところに、その店はあった。軒先に茣蓙を引いた上には、水の入った盥と数種類の砥石が置いてある。店主は粗末な服装をし、無精ひげを生やしていた。眼光鋭いその目つきは、職人らしさを醸し出している。子どもから包丁を受け取った主人は、盥の水に包丁を入れた後、砥石を一つ取り、軽く研ぐ。その後、別の砥石を取り出してからまた研いだ。手際が非常によく、あっという間に包丁は元の切れ味を取り戻したようだ。子どもから、少しの銭をもらう。
「おい坊主、包丁持って駆けるんじゃねえぞ。毎度あり」
その声は嗄れ気味の低い声をしていた。子どもは研師の忠告も聞かずに、走り去ってしまった。俺は、研師に懐剣・賽ノ牙を渡した。怪訝そうな顔をした研師は、賽ノ牙を鞘から取り出し、柄を目線より少し下にして眺めている。その視線は先ほどよりも鋭くなっている。少しの刃毀れも見逃すまいとしているのが、見て取れる。分厚い親指を刃に当てて、切れ味を見ている。
「あんた、若えのに随分と業物持ってるじゃねえか。しかし、こいつは獣かなんか切ったな。血脂がこびり付いていやがる。修復もしてやんねえと折れちまうぞ」
自分の持ち物を褒められて、嬉しくならない奴はいない。俺も心が弾むような気分になった。
「そうなんですね。修復もお願いできますか」
「あんた見たところ旅人だろう。出来なくはねえが、日と銭がかかるぞ」
「構いません。お受けしていただけるのであれば」
研師は、俺を見た後、口角を少し上げている。それは、難題に挑むことにわくわくとしているようなそんな顔つきだった。
「任せときな。じゃあ五日後の辰の刻には終わらせておく。そん時来な」
「よろしくお願いします」
俺は笠を取ってから、深々と礼をした。研師は目を見張った。俺は店を後にした。
 あの研師の振舞いは、さっきの店よりも信頼に値するだろう。先ほどの手際の良さ、分厚い手。刃を見る眼光の鋭さ。あれは少しの刃毀れや、欠けを見逃さんとするものだ。嗄れた低い声は、男は鍛冶も出来るのかもしれない。砥石も数が豊富であった。口調は素っ気なく、無駄に媚びる様子が無い。その方が好感が持てる。何よりも、賽ノ牙の刃を見た後の、研師の顔は、面倒な仕事ほど燃え上がる職人気質が伺えた。かく言う俺も、独楽の大技をやるときは、あんな顔をしている自覚があるからだ。とりあえず、賽ノ牙は最良の職人に預けることができた。あとは、出来るまでの日数をこの町で過ごすだけだ。
 再び、俺は大通りに出て、今日の宿を探す。運よく連泊ができる宿を見つけた。出来上がるまでの間、この宿に泊まることにする。その日の夜は、歩き回った疲れもあるが、賽ノ牙を預けることができた安心感からか、ぐっすりと眠ることができた。

 翌日、俺は旅銀と賽ノ牙の手入れ代を稼ぐため、芸を披露した。宿屋の主人が軒先を貸してくれたのだ。都や江戸からは離れたこの城下町では、旅芸人が珍しいのか、ひっくり返して置いた笠は、すぐに銭でいっぱいになった。昨日の子どもも見に来ていたので可笑しくなってしまった。

 更に翌日、昨日の芸で必要な銭は稼げていたので、城下町を歩き回ることにした。そんな中、一軒の古道具屋を見つけた。少し興味が湧いたので、暖簾を潜ることにした。所狭しと並ぶ古道具は、大事に手入れがされているものから、補修によって一部の木材の色が違うといったものまで、年月が経っていそうなものが沢山あった。少し店の中を眺めていると、店の主人が話しかけてきた。店の主人は老齢で、腰が曲がり、杖をついている。
「お客さんは、お若いのにこういったものが気になるんですかい」
「ええまあ。使い続けた物は新品に比べれば味がある。そういった物の方が性に合うんですよね」
「そうですか。手塩にかけて作ったものは、手入れをすれば長く使えます。お客さんの仰る通り、味が出るものです。ところが、最近は安くて数年で使えなくなってしまう物の方が好まれるようですね」
店の主人は遠くを眺めながら語り続ける。俺はそれを黙って聞いていた。
「ところでお客さん。長く大事に使われた道具には、命が宿ると言われています。主人に愛された道具には、その内命が宿り、主人を助けようとする。これを俗に付喪神と言いますね」
「付喪神……」
「そうです。愛おしいとは思いませんか?物言わぬ道具に命が宿るなど。しかし、付喪神は大事にされなくなると、夜に行列をなして捨てた者の元へ怨みを晴らします」
俺は固唾をのみ、唯々付喪神の話を聞いていた。店の主人は、濁った眼でこちらを見据えて語りかける。
「貴方は物を大事になさってくださいね」

 その夜、どうにも古道具屋の主人が言っていた、付喪神の話が気になって、中々寝付けなかった。ふと、夜風にでも当たろうかと、宿を抜けだした。昼はあれだけ賑わっていた大通りも、夜には静かなものだ。ふと、後の方から祭囃子のような物が聞こえた。こんな時間に祭囃子とは、一体何なのかが気になり、後を振り返った。そこには、遠目からは牛車のようなものであった。こんな時間に何事だと思った。しかし、この時代に牛車というのも随分と時代遅れな気がするし、牛車にしては牛らしきものが見えなかった。祭囃子もあったから、祭とも考えられるが、この数日、ここで祭があるという話は聞いておらず、今俺以外のヒトがいないので、祭では無い。俺は、近くの物陰に隠れることにして、様子を伺った。段々と祭囃子が近くなってくる。
 俺はその光景に我が目を疑った。なんと百鬼夜行(ひゃっきやこう)である。先々を照らす提灯お化けや古籠火(ころうか)(石燈籠の妖怪)を先頭に、朧車(おぼろぐるま)を護衛する、刀を持った妖怪と、弓を持った妖怪。弓を持った方には古空穂(ふるうつぼ)が寄り添っている。そして、朧車に乗っているのが、この一団の長なのであろう。その者は白髪三千丈で、逆立っているのかゆらゆらと揺れている。二つの眼は見えないのか閉じられており、代わりに額の皺の間に三つ目がある。皺だらけの体をした老人は、白い束帯姿で座っている。俺はその長を見て、古道具屋の主人を思い出した。更に続くのは琵琶牧々(びわぼくぼく)鉦五郎(しょうごろう)(鉦鼓の妖怪)、木魚達磨に三味長老、鈴彦姫に若笛将(わかぶえしょう)(笛の妖怪)、琴古主といった囃子を奏でる楽器の付喪神たち。それ以外にも、煙管粋(きせるすい)(煙管の妖怪)や五徳猫、筆風情(ふでぶしょう)(筆の妖怪)に不落不落(ぶらぶら)(提灯の妖怪)、雲外鏡に唐傘小僧、文車妖妃に塵塚怪王(ちりづかかいおう)、硯の魂や猪口暮露(ちょくぼろん)、瀬戸大将に蓑草鞋、鞍野郎に面霊気、経凛々に払子守(ほっすもり)など、ありとあらゆる妖怪が跋扈していた。
 物陰に隠れていた俺であったが、古籠火に存在が気づかれてしまった。
「おい、ヒトがいるぞ」
その声を機に、全ての付喪神達は、古籠火の視線の先の俺に注意を向ける。もちろん朧車に乗った長と思しき者もこちらを見た。
「ヒトが我々の夜行を見るなどと」
「ヒトは殺せ」
「そうだ殺せ殺せ」
付喪神たちはやいのやいの言っている。ヒトがいないと道具も生まれることはないんだが、捨てるのもまたヒトである。捨てられた憎しみや悲しみは、長い年月で積もりに積もっているのが伺えた。逃げようにも、この数の妖怪相手では逃れられそうにはない。俺は冷や汗を垂らす。すると、どこからともなく短刀がやってきた。柄もなく、(なかご)が剥き出しになった短刀は、俺に近寄ろうとする付喪神を刺さんと飛んできて、地面に突き刺さる。突き刺さった短刀は、威圧感を放っている。その菖蒲造りの短刀は見覚えがあった。しかし、それは今、己の手元には無い。
「ひぃっ」
俺に襲い掛かってきた付喪神は、恐れ戦き、尻もちをついた。これには他の付喪神たちも驚いた様子だ。俺は、その短刀を拾い上げて、確認する。矢張り間違いなく、補修に出していた懐剣・賽ノ牙である。拾い上げた瞬間、禍々しい威圧感は消え去った。まるで、主人の無事に安堵した、忠臣の如しである。この顛末を一人、冷静に見ていたのが白髪三千丈の彼である。
「その短刀は、貴方の者ですか」
俺は、朧車から身を乗り出している彼に目を向ける。
「そうだけど」
「なるほど、短刀は主人を護るもの。その子は貴方の危機を感じとり、馳せ参じたようだ」
朧車の傍らで太刀を持った妖怪が、太刀に手をかけて長に話しかける。
「彼をどうするんですか?」
「どうもしませんよ。同族と立ち向かう趣味はありませんから。行きますよ」
彼の鶴の一声に、乱れた行列が纏まっていく。そして、整然とすると、囃子が響き渡り歩みを始める。そして、何事も無かったかのように、去って行った。最後の付喪神が俺の脇を通り過ぎた後、振り返ったときには深い霧にでも呑みこまれたかのように、囃子の音も聞こえず、何も見えなかった。ただ、静謐な暗闇が辺りに広がっていた。
 俺は、賽ノ牙をじっと見つめた。よくよく手入れがされている。姿こそ未だ表さないが、付喪神が宿りつつあるのかもしれない。夜が明けたら、再び研師の所へ持って行くとして、もう宿へ戻ることに決めた。

 朝になり、宿屋にはあの研師がやってきていた。どうやら、依頼を受けていた刀剣の何本かが何者かに盗まれたようだ。泥棒は明け方に大通りで発見された。泥棒は、俺が依頼した研師のみならず、城下町中の他の研師に依頼されていた刀剣も盗んでいたようだ。泥棒には、盗まれた刀剣が突き刺さっていたようだ。その突き刺さっていた刀剣の全てが、いわゆる年代物だそうだ。剥き身の賽ノ牙も盗まれたようで、研師は探していたが、泥棒の手元にも無かった。それで、城下町中の宿屋を回って、俺のことを探していたようだ。俺は手元にある、剥き身の賽ノ牙を見せると、研師は開いた口が塞がらなかった。
「あんた、それどうしたんだい?」
「いや、夜更けに散歩してたら拾ったから、俺も届けようと思って……」
事の顛末をかなり端折って伝えた。そして、賽ノ牙を研師に再度渡す。
「刀泥棒が逃げる途中に落としたのかもしれねえが、不思議なこともあるもんだな」
そう呟いた研師は、風呂敷から取り出した、拭い紙で拭いをし、油を塗ってから柄と鞘に納める。そして、恭しく俺に賽ノ牙を渡した。
「毎度あり。あっ、お代はいらねえ。返って来たから良かったものの、本当にすまないことをした」
「いや、俺の手元に戻って来たんだし、こんなに素晴らしい手入れをされたんだ。只でってわけにはいかないさ」
「あんたも義理堅いな。じゃあ砥石と丁子油を買ってくだされ。普段の手入れに使うといい」
「わかった」
本当に二束三文で砥石と丁子油を買い、手入れの仕方を教わる。そして、風呂敷を抱えて研師は帰って行った。帰り際にも深々と謝罪をされた。仕事はきっちりこなすのに、あまりにも稼ぐ気がない。矢張りあの研師に頼んで正解だった。思わず笑みが零れる。傍で俺たちの話を聞いていた女将さんが呟く。
「真面目だねぇ、あの研師。他の研師だったら、絶対盗まれたの有耶無耶にするんだよ。うちの包丁もあの人に頼もうかねぇ。その短刀見たら、腕も確かなようだし……」
 思いがけず一日早く賽ノ牙が帰ってきたので、帰りの準備がてら城下町を歩く。俺が最初に入った研師の店では、預けた太刀を受け取りに来た武士がいた。
「ところで主人よ。我が太刀は、此度の刀泥棒に盗まれてはいまいな」
店の主人は、手を揉みながら答える。
「はい、我が店は盗人は入りませんでしたので、この通り無事でございます」
主人は冷や汗を掻いている。盗まれた刀が返って来なかったらどうするつもりだったのか。女将さんの言う通り、ここの研師は無かったことにした。
 俺は古道具屋に向かった。古道具屋に置いてある品は、よくよく見ると昨夜の百鬼夜行で行列をなした器物もあった。奥に佇む古道具屋の主人に声をかけられた。
「おやおや、昨日もおいでなすった方ではございませんか」
「昨夜は色々と世話になったな」
主人がにんまりと笑い、深い皺が刻まれる。
「いえいえ、貴方を助けたのは、貴方の懐剣ですよ。私ではございません。それに、貴方は我々に近いものを感じましたので……そうでしょう?」
その口振りは疑問ではありながら、確信を多分に含んだものであった。
「仰せの通り、俺は半人半妖。妖怪とヒトの子だ。で、あんたは何者なんです?」
「私ですか?狐や狸が長生きすると化ける様になるでしょう。あれもつくも神と言います。私はいわばヒトのつくも神です。ヒトに捨てられ、それを憐れんだ付喪神に拾われた私は、長生きをしました。目も濁って見えなくなり、足も衰えましたが、代わりに三つ目が開眼し、髪を自在に操り、化ける妖術を手に入れ、付喪神に慕われる存在と相成りました」
遠い昔話を語るように、主人は話す。ヒトのつくも神なんて聞いたことはないが、狐狸や猫など、他の生き物がなれるのだから、ヒトがなったって不思議ではない。俄かには信じがたい話ではあるが、腑には落ちた。
「ところで、刀泥棒を退治したのはあんたらの一味かい?」
「いえいえ、我々の仕業ではありません。ですが、盗まれた刀の魂を呼び覚ます切欠にはなったかもしれませんね。貴方の懐剣しかり……」
俺は懐に手を当てた。主人は横目でそこを見ていた。
「その懐剣、すごくいい子ですね。持ち主の危機に飛んでくるなんて。譲ってほしいくらいですよ」
着物越しに懐剣を掴み、俺は鼻で笑って言ってやった。
「こいつは旅の道連だ。どんなに大金摘まれたって、俺が死んだってこいつは譲れないね」
「それは残念です」
言葉とは裏腹に、主人は満足そうな笑みを浮かべて言った。これっぽっちも残念だとは思っていない口振りだ。彼もつくも神なら、道具が大事にされることは本望なのだろう。俺は低すぎる出入口の暖簾を潜って、外に出た。後から「またお越しくださいませ」なんて言葉が聞こえたが、振り返りもしなかった。己の心中と同じくらい、爽やかな風が一陣吹いた。そして、俺は城下町を後にした。


「どうだい。道具を大事にする気になったかい?」
「うん。大事にする(しゅゆ)
童子は独楽を眺めた後、遊行をじいっと見た。遊行はそのきらきらとした視線に居た堪れなくなり、目を背ける。
「遊行、賽ノ牙(しゃいのが)(しぇ)て」
遊行は、童子の言うことを予期しており、その通りの言葉に肩を落とす。ため息を一つついた遊行は、仕方なしに賽ノ牙を渡さずに刃を鞘に納めたまま、見せてあげることにした。
「危ないから触っちゃだめだよ」
一応、忠告はしたが、好奇心が勝った童子には聞こえておらず、童子は片手で鞘を握った。もう片方の手も鞘に手をかけた時、どうやら握っていた片手をそのまま持ち上げてしまった。遊行が剥き出しになった刃に気づく前に、童子は握ろうとした片手を刃に添えてしまった。
「童子、駄目だ!!離せ」
「ほゆ?」
童子の手は、抜き身の刃に当たっていたが、遊行の声かけに咄嗟に賽ノ牙を離す。しかし、その手から血が滴ることはない。遊行はすぐに刃を握った方の手を見たが、傷一つなかった。偶然にも童子の手を切ることは無かったようだ。遊行は深い安堵を覚え、息を漏らす。そして、遊行は、童子の両のほっぺたを抓んだ。
「危ないから触っちゃ駄目って言ったでしょう」
「ごみんひゃひゃい」
「偶々刃が当たらなかったから助かったけど、当たってたら大惨事だったんだよ」
童子は抓まれたほっぺたを撫でながら言う。
「でもね、なんとなく僕を(きじゅ)(ちゅ)けないと思ったの」
童子の言葉に遊行は目を丸くする。確かに、手入れしたばかりの切れ味抜群な短刀に、童子の手は触れていた。それが触りどころの問題だけで切れないということがあるのだろうか。
 遊行は童子と別れ、奥座敷を出た後、賽ノ牙を鞘から抜いて親指を刃に当てた。鋭い刃に触れた時の、なんとも言えない痛みはない。親指を見ても血が滲むことはなかった。次に懐紙を当ててみると、少ない力で切れていた。不思議なこともあるもんだと遊行は首を傾げた。

しおり