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禁断の恋、始動 ③

「おはようございます……ってあれ? 今日は絢乃さん、制服なんですね」

 この時点で絢乃さんとは知り合って三ヶ月になろうとしていたが、実は制服姿は初見だった。
 こういう姿でいるとやっぱりまだ女子高生なんだなぁと思う反面、その外見と比例しない彼女の凛々(りり)しい佇まいには、「彼女は本当にまだ高校生なんだろうか」と思ってしまう自分もいた。いわゆる〝ギャップ萌え〟というヤツだろうか?

「うん。今日からこの制服は、わたしの戦闘服になるの」

 〝戦闘服〟とは、何とも勇ましい。さしずめ、この制服姿は彼女にとって武士の甲冑(かっちゅう)のようなものだったのだろう。
 彼女はこの後、僕にご自身の制服姿を見せたことがなかったと気づかれたようだ。

「はい、初めて拝見しました。絢乃さんは何をお召しになってもお似合いですね。制服姿も可愛いです」

 ……何を言ってるんだ、俺は!? こんな歯の浮くようなセリフを吐くキャラじゃなかっただろ!

 ――口が勝手に滑ってしまい、キザなセリフを言ってしまった自分を内心で(ののし)った。
 でも、彼女は一瞬ポカンとした後、頬を赤く染めて「……そう、かしら。ありがと」とお礼を言ってくれた。両手で頬を覆っていたところを見るに、彼女もまた照れていたようである。

 彼女は憶えていないのだが、実は彼女は僕に「スーツが似合う男の人って色気があっていいよね」と言ってくれたのだ。
 僕は照れ隠しと謙遜半々で「いやいや、僕なんか全然ですよ!」と返したのだが、実は内心ものすごく嬉しかった。彼女が忘れているなら、コレは僕の中だけの秘密にしておこうと思う。

 ……話が逸れてしまった。元に戻そう。

「おはよう、桐島くん。今日はよろしくね。――ハイ、ラブコメモードはそこまで! さっさと車のドアを開ける!」

 僕と絢乃さんとのラブコメモード全開(?)なやり取りを呆れたように見ていた義母が、僕に命じた。

「はっ……、ハイっ! 失礼しました! ……どうぞ」

 僕は慌ててマークXの後部座席のドアを開けた。

 義母は絢乃さんに輪をかけて厳しい人だ。というかコワい。絢乃さん以上に会社で一緒にいる時間が長かったので、実質僕のボスは義母だったのではないかと思うことが今でもままあるのだ。……まあ、簡潔にいえば、僕は彼女に一生頭が上がらないということである。

「ママ……、他に言い方ないの?」

 僕に抱いた好意をまだ悟られたくなかったらしい絢乃さんが、義母を唖然と見ていた。そんなことしなくても、僕にはすでにダダ洩れだったのだが。

「…………。さ、行きましょう」

 とはいえ、僕もそれに対してどうコメントしていいか分からず、車内に少々気まずい空気が流れる中、僕は車をスタートさせた。

 絢乃さんと義母は会社へ着くまでに、二人で相談して決めたという「自分なりの会長としてのあり方」について、僕に語って下さった。

 まだ現役の高校生だった絢乃さんは基本的に学業優先で、出社するのは学校が終わってから。出退社時には僕が車で送迎する。そして、彼女が不在の時には義母が会長の業務を代行することでその穴を埋める。
 ただ、義母はあくまでも会長の〝代行〟でしかないので、会社やグループの経営に関する決定権は持たず、決裁などの権限はすべて絢乃さんが持つのだと。これで、親子間での方針の食い違いや分裂・派閥争いなどが起こることを避けられるのではないか、と。

「――なるほど。それなら、親子で権力争いや派閥争いが起きる心配はなさそうですね。絢乃会長おひとりに、すべての権限が集中しているわけですから」

 僕がそう納得すると、それは決してワンマン経営ということではなく、社長や専務などと会議で話し合い決めていくつもりなのだと絢乃さんはおっしゃった。
 そういえば義父も、そういう経営方針をとっておられたなぁと僕は思った。やっぱり絢乃さんは彼の後継者にふさわしい。
 平和主義者である僕は、社内で権力争いなんて起こしてほしくなかったし、代替わりでいきなり経営方針を変えられたら他の社員たちだって戸惑ってしまう。
 もしかしたら彼女は、僕が安心してこの会社で働き続けられるようにと考えて下さったのではないだろうか……。

 そんな彼女に、僕は心からのエールを送りたくなった。

「――絢乃さん」

「うん?」

「あなたはこれから、きっと険しい道を歩んでいくことになると思います。でも、あなたは決してひとりじゃないです。僕も、加奈子さんも、そして……亡くなったお父さまもお側にいますから。あなたのことは、絶対にお守りしますから」

 そんな言葉が、口からすらすらと出てきた。それは彼女へのエールでもあり、そして僕自身の決意表明でもあったと思う。
 秘書としても、彼女に惚れた一人の男としても、彼女の一番の支えになっていこうと。

 すると、義母も僕に続いて彼女を励ました。「私たちが全力でサポートするから、いつでも頼ってほしい」と。

「……うん。ママ、桐島さん、ありがとう!」

 僕と母親からの励ましに勇気づけられたらしい絢乃さんは、キラキラした笑顔で僕たちに感謝の言葉を述べられた。

****

 ――二階の大ホールに入ると、司会の席には同期の久保がいた。
 
「よう、桐島!」

「おー、久保! 久しぶり。――絢乃さん、加奈子さん。先に舞台袖の方へ行っていて頂いてよろしいでしょうか?」

 僕は彼女と義母を遠ざけ、しばし総務課時代の戦友と話し始めた。

「今日の司会、お前が担当するのか?」

「そうなんだよ。そういや聞いたぞ! お前、今日から会長付の秘書やるんだって? どうりでいいスーツでばっちり決めてるワケだ」

「うっさいわ。そんなにいいスーツでもねぇよ。まぁ、新品なのは確かだけどな」

 それでも、紳士服チェーンで量販されているスーツである。それまで着ていたスーツは酷使しすぎてくたびれてしまっていたので、秘書が着るにはふさわしくないと思い、思いきって新調したのだった。

「――それにしても、俺の再出発の場所がここなんて皮肉だよなぁ……」

「ああ、そういやこのホールだったっけ。先代会長がお倒れになったのって」

 久保の言葉に、僕は複雑な気持ちで「うん」と頷いた。
 このホールは()しくもその三ヶ月ほど前に僕と彼女が出会った場所であり、義父が病に倒れた場所でもあった。
 絢乃さんが会長として出発され、僕自身も彼女の秘書として再出発することになった場所が、義父の寿命を決定づけた場所でもあるとは……。運命とは何とも皮肉なものである。

「――じゃ、俺はそろそろ行くわ。久保、司会よろしく!」

 株主総会の開会時間が迫ってきたので、僕はそこで久保と別れて絢乃さんたちと合流した。

「お待たせしてすみません。お二人のコートとバッグ、僕がお預かりしておきます」

「ありがと。――ねえ、あの司会の人って桐島さんの知り合いなの?」

 脱いだ上着と荷物を預けながら、絢乃さんが僕に問いかけた。

「はい。久保っていって、僕とは同期入社なんです。総務課でも一緒に働いてたんですよ」

「総務課の……」

 その時、絢乃さんの表情が曇ったことに僕は気づいた。でもまさか、彼まで僕と同じ目に遭っていたとは思ってもみなかったようである。彼女がそのことを知るのは、その二ヶ月半以上後のことだった。

『――みなさま、本日はお寒い中大勢お集まり下さいましてありがとうございます。ただいまより、緊急の株主総会を行います』

 物々しく、ピンと張りつめた空気の中、久保の司会により臨時株主総会が始まった。
 ふと絢乃さんの様子を窺うと、彼女は息をするのも忘れたように表情を強張らせ、制服のスカートの裾をグッと握りしめていた。どうやら極度の緊張と闘っているらしいと僕には理解できた。

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