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ー リラは爪弾かれる(5) ー

「うおっ!?」

ビシッという鋭い音が走ったかと思うのと同時に、リーグル様が素っ頓狂な声を上げる。
隣を振り向くと、リーグル様が掛けていた眼鏡がバリバリにひび割れていた。これではもう眼鏡としては機能しまい。なぜ突然割れてしまったのかわからないが、そんなことよりも、破片が飛び散ったら危険だ。私はハンカチを取り出しながら声をかける。

「リーグル様っ、お怪我はございませんか!?」
「あー……、大丈夫。うん」

リーグル様は眼鏡を外し、その有様をまじまじとみて盛大に溜息をつく。
歯切れの悪い回答に首を傾げると、皇帝陛下が盛大に笑い出した。

「はははっ‼いや、すまん、すまん。言葉は選ばんと前置きをしたつもりだったのだが…」

笑いを堪え切れない様子の皇帝陛下をリーグル様がじろりと睨んだ。

「ウチの大将を怒らせないでもらえませんかねぇ……」
「おっ、開戦か!?良いぞ‼」
「曾祖父様、何をおっしゃるのです‼よくありません‼」
「ヴェストリ将軍閣下(オクソール)、何卒、穏便に……」

沈黙を守っていたシグルド様までもが止めに入る中、皇帝陛下と曾祖父様は笑い合ったままだ。私は状況についていけず、かといって皇帝陛下と曾祖父様の間に割って入るようなこともできず、どうしたものかとおずおずとリーグル様へ目配せするも、バツが悪いような顔をされて、視線をそらされてしまった。
これは、またもや隠し事があるに違いない。そう確信した私は、お腹に回されていたアレウス様の手の甲をぎゅむっとつねる。

「何をする。痛いぞ」
副将軍閣下(アウルヴァング)、ご説明いただけますか」

まったく痛みを感じていないかのような口ぶりでアレウス様が答えたので、私も事務的に返事を返した。

「ん?対になっている遠見の魔道具(フロネシス)がミュルクヴィズ側で破壊されたんだろう。リーグルの言い分だと、テュールの仕業だな」
「え、お父様が?というか、遠見の魔道具(フロネシス)って……」
「先ほども言っただろう。この会談は魔道具《フロネシス》を通して筒抜けだと。音は私の風属性(アネモイ)魔道具(フロネシス)で。遠見はリーグルの眼鏡で……。なんだったか、水属性(ネレウス)魔道具(フロネシス)か」
「そうっすね……。エーシルの力作なのに、また俺が怒られる……」

魔具技工士(ファーベル)として随一の腕前を誇るエーシル様は、こういった最新の軍用品の設計や製作を一手に担っている。恐らく、この魔道具(フロネシス)はまだ試作段階なのだろう。
眼鏡は、人間族(ヒト)にも広く使われている一般的な医療機器であり、あくまでも視力を補助するための道具にすぎない。それを遠見ができるよう魔道具(フロネシス)として改造した?いや、恐らく逆だ。どこで使っても気取られないよう、わざわざ眼鏡の形を模して作られた魔道具(フロネシス)ということだろう。
リーグル様が水属性(ネレウス)魔力(デュナミス)を込めた指先で、バリバリにひび割れたガラス部分をなぞると、あっという間に元通りに直ってしまった。

「文字通り、目でも耳でも筒抜けということか」
「なに、特段の問題もなかろう」

宰相閣下の言葉に、ようやっと笑いが治まった様子の皇帝陛下が答える。

「それにしても、また空恐ろしいものを作ってくれたものだな。どこまで軍事力を伸ばすつもりなのか」
「なぁに。また妖精戦争が勃発しても、妖魔族(ファフニール)が生き延びられれば問題ないまでよ」

興味深げな皇帝陛下の質問に対し、曾祖父様がニヤリと悪い顔で応じる。

「その抑止力として、妖魔族(ファフニール)が存在していると認識しているが?」

不本意を隠さずに宰相閣下が続けた。

「そうだな。だが、結んだはずの協定を今ここで壊さんとしているのは人間族(ヒト)では?」

アレウス様は同意を示しつつも、原因はさも人間族(ヒト)にあるかのように応酬する。

「我々には、神々の娘(レギンレイヴ)が必要なのだ」
神々の娘(レギンレイヴ)は、人間族(ヒト)の道具ではない。世界を紡ぐ宝だ。それ以前に、ノルンは我々の家族だ。売り渡すような真似など…もごっ」

私は、供されていた焼き菓子をアレウス様の口に突っ込み、言葉を封じた。まさか私が同じ手でやり返してくるなどとは思っていなかっただろう。アレウス様は眉間の皺を一層深くしながらも、大人しく咀嚼することにしたようだ。

「皆さま、そんなに急いでお喋りばかりしていては、さぞ喉が渇くことでしょう」

お茶を一口、くぴりと飲んで続ける。

「それとも足りないのは、『餌』の方でしたか」

この空気感は知っている。ここに来る前の妖魔族の王城(スキーズブラズニル)でもそうだった。合同演習でいつも後衛に追いやられるときも。思い返せば、小さな頃からそうだったかもしれない。私という当事者は、いつでも置いてけぼりなのだ。

(そうして、ずっと守られてきたのだわ)

決して、悟られることがないように。神々の娘(レギンレイヴ)として生まれた私が、利用されることがないように。自らの意思で、道を選択できる余地があるように。

「皇帝陛下、お聞かせいただけますか。『釣り餌』とやらの詳細を」

自分でも驚くほど、感情の込もらない声で問う。この先を聞けば、もう後戻りはできないだろう。いずれにしても、私には是非を決定する権利などないのだ。私が持っているのは、神々の娘(レギンレイヴ)であるという一枚のカードだけ。私ひとりでは世界の綻びは止められない。でも、このカードを切れば、希望が見えるかもしれない。エンテレケイアに存在する全てと、私の命。どちらを取るのかなど、誰に聞くまでもないだろう。

たったひとつの道しか選べないとしても、せめて『自分で選んだ道』なのだと胸を張っていよう。

(これが私の運命ならば、私は、受け入れる)

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