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色は感じるもの

「色は、白と黒から作り出される。
 全ての色は、この二色が混ざって出来たものだ。
 それでたくさんの色が生まれ、色鮮やかな世界となった」

 これは僕の師匠が遺した言葉。
 だけど、最近この言葉を否定してくるやつがいる。

「ヨハン、君の言う色彩論なんて、ほんとうに愚の骨頂だ。
 そんな研究やめて、さっさと科学から足を洗いたまえ」

 喧嘩を売っているとしか思えない。
 今まで我慢してきたけど、今日こそは言い返す。

「アイザック、君はガラス製の三角形、えっと、何て言ったっけ?
 ああ、そうだ、プリズムだったか。
 あれを使った実験で、光を七つの色に分解したと言ってたね?
 そんな事出来るわけがない」

「実験は成功したさ。論文も今書いている。
 光がなければ色は存在しない。これは歴然とした事実だ。
 白と黒の絵の具を混ぜると、灰色になるのは知っているだろう?
 いい加減、君のモノクロな妄言には付き合ってられない」

 昨日こんな事を言われて、僕はアイザックを殴りそうになった。
 まさかここまで全否定されるとは思わなかったし、それ以上に、師匠の事を馬鹿にされた気がしたからだ。
 だけど、今日は恥を忍んで、アイザックにお願いをしに来た。

「開いてるから、勝手に入ってくれたまえ」

 研究室のドアをノックすると、アイザックの軽快な声が聞こえた。

「…………」
「どうしたんだい? ヨハン。
 遠慮しないで中に入りたまえ」

 薄暗い研究室に入る。
 どうやら、遮光カーテンを引いて隙間をガムテープで固定し、室内に光が入らないようにしているようだ。

 僕がドアを開けた事で、廊下からの光が差し込み、薄暗い研究室を少しだけ明るくしていた。
 これがアイザックの、暗室を使った実験だ。

 下級生がアイザックを手伝い、カーテンに小さな穴を開けている。
 その穴から太陽の光が差し込み、テーブルの上に固定されたプリズムに当たった。
 その細い太陽の光は、プリズムの中で反射し、暗幕に七色の光を映し出した。
 つまり、アイザックの実験は、成功していたのだ。

「ヨハン、昨日は言いすぎた。
 でも、君は納得してないだろ?」

「……あれだけ言っておきながら、今さらなんだ。
 今日は、そのプリズムを借りに来たんだ。
 先生には許可をもらっているから、借りていくぞ」

「ああ、聞いているよ。
 だから、その前に見せたいものがあるんだ」

 アイザックは七色の光へ近づき、ポケットから凸レンズを出した。
 それを分解された光にかざすと、七色ではなく、普通の太陽の光に戻っていた。

 どういう事だ?

「ヨハン、分かるかい?
 光とは単一のものでは無く、分解すると様々な色に分かれる。
 だからその色を合わせると元に戻るんだ。
 残念だけど、君が師匠と仰ぐ人物が唱えた、白と黒の混合色説は眉唾物だ」

 怒りに身を任せるのを堪え、僕は歯を食いしばりすぎたのか、あごの筋肉がつりそうになっている。
 師匠。あなたの理論は、二千年経ってひっくり返されそうになってます。
 僕はあなたの名誉を守るため、アイザックの理論が間違っていると証明します。

「……アイザック」

「なんだい?」

「とにかく、プリズムを貸してもらおう」

「ああ、いいさ。
 もう君への証明は終わったからね。
 あ、ちょっと待ちたまえ」

 僕がその場を立ち去ろうとすると、アイザックに呼び止められた。
 僕の顔を見て、納得していないとでも思ったのだろう。

 アイザックと下級生は、ガムテープを剥がし、カーテンを開けた。

「ヨハン、そこにあるフルーツを見てくれるかな?」
「……」

 此の期に及んで、何を話すというのか。
 さっさとここを出て、僕なりの実験をしたいのに。

「カゴの中のリンゴは赤。
 バナナは黄色。
 ブドウは紫」

 何を当たり前の事を言っているのだ?

「どうしたんだい?
 はとが豆鉄砲を食らったような顔をして。
 分かりやすく言おうか?
 色は光の反射なんだ。
 リンゴは赤を反射し、ほかの色を吸収する。
 バナナは黄色を反射。
 ブドウは紫」

「ああ、ご丁寧にありがとう
 ご高説を拝聴する機会に恵まれ、僕は幸運でしたっ!」

 嘲るような言い方をするアイザックに我慢できなかった。
 プリズムを引ったくるように掴み、僕は研究室を後にした。


 あれから三日経った。
 僕の実験はアイザックの理論を崩せず、行き詰まっていた。
 気分転換の散歩も、虚しく感じる。

 大学に入学した当初、僕はアイザックがいい奴だと思っていた。
 いや、本当はいい奴だと思う。

 アイザックの自己紹介を思い出す。

 あいつは生まれる前に父親を亡くし、その三年後に母親が再婚して家を出た。
 それ以降、引きこもりになり、窓から差す太陽の光で、日時計を作っていた。
 家の近くにあるコルスターワース教会では、そんなアイザックを馬鹿にする者も多くいたそうだ。

 その頃から、光がなければ色は生まれない、という考えを持ち、それを実験で証明するために、このトリニティカレッジへ進学したのだという。

 これまでアイザックは苦労してきたのだ。
 多少捻くれていても、僕はあいつの友人として、師匠の名誉を守るため、アイザックが間違っていると証明する。

 石畳は夕日で赤く染まり、建物の影が長くなっていた。
 ずいぶんと長い時間、散歩をしていたようだ。

「――――っ!?」

 何だあの色彩を帯びた影は。

 本来なら、夕日によって作られた影は黒いはずだが、青い影になっている。

 僕は周囲を見渡し、何か原因となるものを探した。
 だけど、それらしいものは何もない。
 いつもの夕焼けだが、僕はこの色の付いた影をこれまで見逃していたのか。

 うっすらと青い影を見て思う。
 これは目の錯覚かもしれない。しかし、実際に見えているものを見逃すわけにはいかない。

 アイザックは、光とは何か、を追求しているが、僕は色とは何かを追求しよう。



 翌日、僕は実験を行っていた。
 まずは、アイザックと同じ結果が出るのかと考え、見よう見まねで暗室を造り、太陽の光をプリズムに当てた。

「ふむ……あのイカサマ野郎」

 アイザックは細い光を当てていたが、僕がカーテンに開けた穴は大きくなってしまい、太い光がプリズムに当たっていた。
 すると、暗幕に写った光は横に長く、中心部分は太陽の光と変わらないではないか。

 そして、暗い場所と明るい場所の境目に、色相が見えていた。
 上から順に、黒、青、太陽の明かり、赤、黒、となっており、僕の師匠が唱えた、白と黒から色が生まれるという考え方の証明となった。

 やはり、色相を生じさせるためには、白と黒の境界が必要なのだ。
 光と闇。これが真理だ。

 アイザック。君は科学的な見地から、色とは光によって導かれる現象の一つ、と導き出した。
 光が無ければ、色は存在しない。科学が求めているのは不変の真理。
 そう言いたいのだろうが、間違っている。

 昨日見たような、色彩を帯びた影は自然の中にある。
 人間の目を通して景色を見るとき、そこに色が立ち現れるのだ。
 それは、暗室の中の実験では気づけない。

「アイザック・ニュートン、君の光学理論はまちがっている」

「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、君は何を言っているのだね。
 僕は間違っていないさ。
 君は執筆で忙しいのだろう?
 せっかく新作を楽しみにしているのだから、科学はもうやめたまえ」

「ああ、忙しいさ。だけど、余計なお世話だ。
 アイザック、君がどう足掻いたところで、光が物質に縛られていることは覆せない。
 実験で解き明かした色と、人の感じる色彩は違うのだよ」

「数値化できない人の感じる色彩なんて、まったく当てにならないだろう?」

「そうかな、アイザック。この独楽を回してみると分かるよ」

「――――っ!? 何だこれは!!」

 それは白と黒の色を塗った、ベンハムの独楽と呼ばれるものだ。
 回転させると、錯視で様々な色が見える。
 これが錯覚であろうと、錯視であろうと、実際に白と黒から色が生まれている。
 そうやって、人が感じる色が真理なのだ。

 友人との争いは、こうして幕を閉じ、師匠であるアリストテレス先生の名誉も守れたのだ。

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