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2-12 Out Of Control

 明日から7月だが、梅雨明けは未だ先の話らしい。そして、2日前の予報は朝から雨。しかも今夜から明日に掛けては、更に大雨になる予報も出ている。
 白いTシャツの上からネイビーのUVカットパーカーを羽織った流雫はバスに乗り、河月駅から列車に乗り換える。1通だけ、恋人からのメッセージに返事を打った後、ブルートゥースのイヤフォンから流れる音楽を聴きながら、特急のシートに身を預け、オッドアイが印象的な目を閉じて、もうすぐトーキョーアタックから1年が経つことを意識する。
 もうあの日から1年……月日が経つのは早い。色々なことが起こり過ぎて、特に今年2024年は半年間、常に慌ただしかった感覚が拭えない。そして、色々思うことが有る。
 ただ、今は気晴らしの突発デートを楽しみたい。そのために、今こうして東京行の特急列車に乗っているのだから。

 特急が新宿に着いたのは10時ちょうどだった。セミロングヘアをなびかせる少女は、特急のプラットホームまで迎えに行き、流雫を微笑みながら待っているのがドアの窓から判る。……そのために40分前、澪がどの車両に乗っているか問うてきたワケか。
 「流雫」
と彼の名を呼ぶ少女に、流雫は
「澪」
と呼び返した。澪は薄めの色のデニムジャケットとミニスカートだが、この組み合わせは彼女のお気に入りだ。
 「あたし、空港って行ったことないから楽しみ。何処かに飛ぶってイメージしか無いから」
「僕も、似たようなものだけどね。フライトの時間が時間だから普段楽しめないし」
流雫は言う。
 パリへのフライトは、到着地の時間の都合で何時も東京を夜中に発つ。空港の店はチェックインの時点でほぼ閉まっている。
 開いているのは、搭乗ゲート付近のコンビニとハンバーガーショップぐらいだ。だから昼間の空港は、或る意味新鮮だろうと流雫は思った。
 2人は列車を乗り継ぐが、流雫が好きなモノレールに乗ることになり、少し遠回りした。京浜運河の高架線を走るモノレールは、スーツケースを持った渡航客が多く座れなかった。
 オフィスビル街から倉庫街、やがてコンテナターミナルへと景色が移り、空港島に入ると飛行機の格納庫が見えてくる。騒がしい車内で2人は言葉を交わさなかったが、澪は初めて見る景色に目を奪われていた。
 澪が住んでいる界隈は、ほぼ埼玉との県境、そして空港は神奈川との県境で、都内とは云え端から端までの移動になる。そして、デートスポットとして紹介されることは有るが、空港とは本来は飛行機で国内外を移動する人向けの施設。近くに商業施設もオープンしたが、それでも飛行機に乗る予定でも無ければ、なかなか行こうと思い立たない。
 だから澪が、この景色が初めてでも不思議ではない。そして流雫は、その澪を微笑ましく見つめていた。

 東京中央国際空港。東アジアのハブ空港の地位こそ韓国ソウルの仁川国際空港に奪われているものの、それでも世界有数の、そして島国である日本では最大の空港だ。
 ターミナルは3棟が離れて建つが、流雫がパリへ飛ぶ時に使うのは、中央側の国際線専用ターミナル1。かつて国内線用だったが、インバウンド回復に合わせてターミナルの配置を大きく変えた。その東側のターミナル2は国内線と国際線双方の機能を兼ね備える。それと反対の西側に、ターミナル1を挟むように建つターミナル3は、かつて国際線専用だったが国内線専用に転用された。江戸時代の小径を模した店舗群が有るのが特徴だ。
 軽食を愉しもうと、2人は最初にターミナル3に行くことにした。モノレールの改札前は出発フロアで、その奥のエスカレーターを上がると小径が見えてくる。
 抹茶と甘味の店に入ると、2人は焼き餅と抹茶をオーダーする。BGMは琴だが、頻りに店の外から航空会社のアナウンスが入る。
 どうやら、悪天候で到着と出発に遅延が発生しているらしい。それは何度も飛行機に乗っている流雫からすれば割とよくある話だが、欠航よりはマシだ。
 甘辛いタレが掛かった焼き餅を頬張り、抹茶を啜ると、雨の憂鬱を忘れさせるほどの幸福感が歩み寄ってくる。
「流雫って、和菓子系も好きなんだ」
「基本的には何でもね。甘ったるくても、和洋は系統が違う感じだし、それはそれで」
と澪に答えながら流雫は、次フランスに帰る時……恐らく来年夏頃だ……、その前後で寄ろうと思った。別に早く空港に着くことは苦ではない。
 満足して店を出た2人は、他の店をゆっくり見て回る。特にこれと云って欲しくなるようなものは無いが、見て回るだけで面白い。
 1周して、ふと展望デッキが窓の外に見える。見送りの人は疎らだったが、雨は少しだけ弱くなっている。
「……次、あっち行く?」
澪が問う。流雫は
「行こう」
と答え、無料のターミナル循環バスが出ていたことを思い出した。

 離れているターミナル同士を結ぶ無料循環バスは、1時間に10本走っている。モノレールや列車でも行けるが有料だから、特に急ぐ理由でもない限りバスで十分だ。
 流雫と澪は混雑するバスに最後に乗った。先にターミナル1で降りる。最後にこの場所に立ったのは3ヶ月近く前。その日の夜、渋谷の展望で一線を越え、世界中から掻き集めても足りないほどの、至上の愛と幸福を独り占めしたような感覚に酔い痴れた。
 バスを降りると、2人はターミナルビルに入る。
「此処って確か……最初にトーキョーアタックが起きた……」
澪は言う。エスカレーターの隣に立ち止まった流雫は頷く。
 「この下……、あの金時計が有る辺りで爆発が起きたんだ。あれが事件のモニュメントになってる」
「このエスカレーターに乗ろうとしたけど、下で黒い何かが見えたから、何となくイヤな予感がして引き返して、その直後に爆発して。誰かが、走れと叫んだ、だから必死に走って」
と続けた流雫は顔を上げると、後ろの手荷物返却場と書かれた自動ドアに目を向けて、更に続ける。
「あのドアで助けを求めたんだ。殆ど言葉になってなかったけど」
 淡々と語っているように見えても、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が曇っていることを、澪は見逃さなかった。
 彼にとって、トーキョーアタックと云う言葉は否応なしに美桜を思い出させる引き金だった。だからと云って、避けては通れない。そして、何度吹っ切ろうと決めたところで、そう簡単なことではないことは、澪にも容易に想像できた。
 吹っ切ろうとして苦しむ流雫を見てきた澪は、流雫は美桜を忘れてはいけないし、寧ろ吹っ切らなくていいと思った。そして、顔も知らない少女を記憶に焼き付けようとした。彼から聞いた限りのことを。彼女の死が2人を引き寄せたことは、偽りようがない現実なのだから。
「そっか……此処から、何もかもが始まったんだ……」
澪は言い、流雫は頷く。その表情は険しいままだった。

 エスカレーターで地階に下りると、2人は金時計の前に立つ。あれから10ヶ月、金時計は何事も無かったように足早に過ぎる人々をただ見守っているだけだった。
 このターミナルは全体的に、少し高級そうな店が並んでいる。見て回る分にはよいが、何か買い物をすることは無い。2人はそのまま、列車の改札への動線の脇に逸れ、ターミナル1とターミナル2を結ぶ地下歩道へと消えることにした。
 ターミナル2は、他のターミナルと同様に搭乗客で混んでいるが、大きな出発案内のディスプレイに遅延と搭乗手続き中断の文字が並ぶ。
 その影響からか航空会社のカウンターに成していた長蛇の列を尻目に、2人は最上階の展望デッキに向かった。
 展望デッキは屋内と屋外に分かれているが、その屋内は雨の影響で混んでいた。幸い、雨足は弱くなっていて、2人は屋外に出ることにした。
 傘を差して出たデッキは木のタイルが張られている。その南側には、アマチュアの航空写真家らしき数人が、各々の顔ほどの大きさのカメラにバズーカ砲さながらのレンズを取り付けている。フランスへの渡航記念にスマートフォンのカメラで撮るだけの流雫には、到底判らない世界だと思った。
 そのうちの1人が、ベルトから無線機を提げていた。航空管制官と操縦士の間で交わされる航空無線は、その中身を第三者に洩らさなければ、つまり受信機で聞き取るだけなら問題は無いらしい。そして、次にどの飛行機が滑走路に現れるか把握して、カメラを構えるのだろう。常に発着順が一定しない飛行機相手ならではの光景だ。
 白い大型機が車輪を地面に着けると、それまで比較的静かだったジェットエンジンが突然吠えた。逆噴射と呼ばれる、着陸直後のその音に澪は驚く。
「こんなに音凄いの?」
「うん。乗ってても割と聞こえるけど、やっぱり外の方が凄……」
流雫の言葉を遮るように、傘を打つ雨音が激しくなり、同時に強風がデッキを襲った。
 ダークブラウンのセミロングヘアをなびかせる澪は、思わずスカートを押さえた。
「きゃっ!」
その隣にいた流雫は彼女の後ろに回り、下着が周囲から見えないようにガードする。同時に、外ハネショートのシルバーヘアを風に泳がせる少年には、今この空港上空で何が起きているのか判った。
「ダウンバースト……?」

 ダウンバースト。上空の積乱雲が生む下降気流のうち、地上に災害をもたらすものを指す。日本では大雨の時にウェット・ダウンバーストとして発生することが多い。
 飛行機は着陸時、低い高度を失速しない程度の低速で飛ぶが、この時の速度には、車や鉄道では使われない対気速度と呼ばれるものを使う。大雑把に言えば、秒速100メートル……時速360キロの風が、止まっている飛行機に当たれば、飛行機の時速は360キロになると云うものだ。そして、向かい風になると対気速度は増し、追い風になると減る。
 ダウンバーストに遭遇すると、最初は強い向かい風になるため、地面に向かって押されると同時に対気速度が増す。パイロットはそれに対応すべく、エンジン出力を落とす。
 しかし、途中で急に機体が地面に向かって押され、今度は強い追い風に襲われ、対気速度は急低下して失速する。
 エンジン出力を上げればよいのだが、ジェットエンジンは操作からエンジンが呼応するまでタイムラグが有る。そのため、リカバリーを試みてもエンジン出力が上がる前に地面に接触し、結果として着陸に失敗する……その可能性が高くなる。
 つまり、今着陸するのはリスキーだ。流雫も2年前、これが原因で東京への着陸が遅れる事態に見舞われた。

 流雫と澪の目の前に走る滑走路に、東京湾側から1機の小型機が近付いてくるのが見える。その大きさから、旅客機と云うよりはビジネスジェットのようだ。乗れても十数人ほどか。エンジンは旅客機のような主翼下ではなく、T字の尾翼の下に取り付けられている。
 地表にぶつかり、全方位に散る強風に襲われる胴体を軸に主翼を揺らし、同時に縦揺れに見舞われるビジネスジェット。しかし、着陸を止めて高度を上げる様子は無い。
「下りる気か、あれ……」
流雫は呟く。澪は風で飛ばされそうな傘を握りながら
「えっ?」
と流雫に顔を向ける。しかし、薄手のパーカーを風に激しくなびかせ、無言で険しい目を滑走路に向けたままの彼に、澪は目を滑走路に戻す。
 一瞬、上から押し付けられたように機体が急降下した。滑走路に車輪が叩き付けられる寸前で、先刻から聞こえてきた誰かの受信機から、最大の音量でゴーアラウンドと聞こえた。着陸をやり直す意味の言葉で、それは遅くも賢明な判断に思えた。
 それと同時に、上下左右にふらつきながら黒い何かが小さな機体の目の前を横切り、同時にけたたましく吼え始めた尾翼下の左エンジンが火を噴き、爆発音を上げる。
「えっ!?」
澪が声を上げる。流雫は咄嗟に傘を閉じて足下に投げ捨て、暴れる傘と格闘する澪の顔を掌で覆う。彼女は突然のことに声を上げる。
「流雫!?」
 ……ダメだ。声に出さなかったが、風に泳ぐ澪のダークブラウンのセミロングヘアを顔に浴びながら、流雫は直感した。
 澪の顔を覆ったのは、この数秒の間に起きるだろう結末を見ないようにとの、彼なりの優しさだった。
 機首を一瞬だけ上げた機体は、唸りを上げながら左に傾きつつ高度を落とし、主翼を滑走路に擦り付ける。周囲から悲鳴が上がり、目当ての飛行機ではなかったためファインダーから目を離していた連中が慌ててカメラに手を伸ばす。
 その瞬間、シャッターチャンスを与えないとばかりに主翼は折れ、更に左に機体が傾き、ついに尾翼を破壊しながら裏返しになる。流雫は澪の顔を押さえたままその耳の穴に親指を挿れた。
「ちょっ……流雫っ!?」
澪が口元を痛みで歪め、更に声を上げるが彼は無視していた。悲鳴と衝突音が大きくなる中、流雫は破壊された尾翼に見えたマークに目を見開いた。
 その瞬間、ビジネスジェットは爆発し、ジェット燃料が大きな炎と黒煙に化ける。無防備な流雫の耳を襲う轟音に、遠くの受信機から、数秒前まで着陸しようとしていた飛行機に対する管制官の声が僅かに重なっていた。
 「何なのっ!?流雫っ!!」
澪は叫ぶ。視界を奪われ、耳を塞がれていても聞こえる爆発音、そしてジェット燃料の臭い。パニックを起こしそうだ。
 ……何が起きているのか、それは流雫の方が知りたい。雨に濡れる流雫には、今目の前で起きていることを整理するだけの冷静さは無い。ただ炎と黒煙に包まれる、ビジネスジェットの残骸を見つめていた。屋内に戻る、それすらも本能が拒絶していた。

 突然視界を遮った流雫の掌、そして何かが衝突するような音と悲鳴。何かが起きている、しかし何も見えない。
 そして耳の穴に指を挿れられ、澪がその痛みに顔を歪めた、と同時に爆発音が聞こえる。耳を塞がれていても、お構いなしだった。
 ……絶対、予想外のことが起きている。例えば、墜落……。
「何なのっ!?流雫っ!!」
澪の叫び声の問いに、彼は何も答えない。やがてサイレンの音が幾重にも重なって、大きくなるのが判る。
 「まさか……墜落したの……?」
澪は呟くように問う。しかし、返事は無い。
「……そう、なの……?」
澪は戦慄に怯えながら再度問うた。
 「……澪、振り向くなよ?」
そう言って流雫は、澪の身体を180度ターンさせて、顔から手を離すと傘を拾い、澪の手を強く引いてターミナルへと戻る。
 ……それは、レインコートを着た警備員が展望デッキを閉鎖すると言ったからだった。

 展望デッキは混んでいた屋内も閉鎖され、入口には警備員が立っている。外が見通せる窓には、駆け付けた別の警備員や職員によって、慌てて青いビニールシートが張られた。事故は見世物ではない、と言わんばかりに。それは正しいのだが、好奇心は人の性なのか、その周囲から誰も動こうとはしなかった。
 流雫はネイビーのパーカーが変色するほどに濡れたまま、唇を噛みながらエレベーターホールの壁にもたれていた。脇の下を抱き締めるように腕を組み、眉間に皺を寄せたまま、ただ俯いているだけだ。
 「風邪引くよ……?」
澪は言い、タオルハンカチを流雫の肩に乗せる。自分も濡れているが、全身が濡れている彼よりは断然マシだ。
「あ……、……サンキュ……」
と流雫は言ったが、表情は変わらない。ショルダーバッグから自分のタオルハンカチも出すが、澪のを使っても2枚だけでは足りないが、無いよりはマシだった。
 「……墜落、したの……?」
澪は震える声で問う。タオルハンカチで頭を押さえるように拭いていく流雫は、言葉無く頷きながら、ビニールシートが張られたデッキに目を向ける。
 「……乗ってる人は……」
「判らないけど、多分……」
澪の言葉に流雫はそれだけ被せ、続けようとしなかった。
 しかし澪には、その続きが判る。何人乗っているのかは判らないけど、全員絶望的なのだと。
「……一体、何が……」
澪は呟く。
 流雫に視界を塞がれる直前、最後に見たのは火を噴くジェットエンジンだった。
「……機体が裏返しになってた。……エンジンに何かが入って、エンジンが壊れて、それがダウンバーストに抗う、最後の力を奪って……」
雨を限界まで吸った2枚のタオルハンカチを握った流雫は、そう言って一度溜め息をつき、弱い声のまま続けた。
「……その何かが、もし意図的に飛ばされたものなら……」
「でもどうして……」
澪は無意識に問い詰めていた。
 完全に予想外のことばかりで、脳が混乱している少女には、流雫は何か躊躇っているように見えていた。

 少しの沈黙の後、流雫は言った。
「……あの飛行機、前に見たことが有って……」
「えっ……?」
澪が上げた声に、流雫は答える。
「……前話した、昨年東京に帰ってきた時に」
「流雫の飛行機が遅れた原因って言ってた……?」
澪の問いに、流雫は頷く。澪はその偶然に目を見開き、脳を殴られた感覚がした。
 「尾翼に、小さいマークが付いていたんだ。緑の十字を模したようなマークで。去年、僕の飛行機が遅れた時は、ただあれが無ければもっと早く着いたのに、としか思ってなくて、そこまで気にはしてなかったんだけど……」
と言うと同時に、流雫はスマートフォンを取り出し、ブラウザを開く。アドレスバーを兼ねる検索ボックスに、JA01JAと入力した。
 車のライセンスプレートの飛行機版で、世界中の全ての飛行機は登録と機体への表記が義務付けられている。日本はJAから始まる6桁の英数字だ。そして、あのビジネスジェットのエンジン前にそう記されていた。
 検索結果のページでは、この十数年で台頭してきたブラジルの新興メーカー製の最新型ビジネスジェットで、機体完成から2年も経っていないらしい。
 所有者はプライベートオーナーとだけ表記されている。流石に航空会社や官公庁の所有でもなければ、誰が持ち主か判らないか。
 誰かが撮影した写真も表示されたが、緑の十字を模したようなマークが尾翼を飾っているのが鮮明に判る。
「プライベート機、それだけしか判らないか……」
「個人の飛行機が、狙われたってこと……?」
流雫の言葉に、澪は呟くように問う。
 あの黒い何かが、流雫が言ったように意図的飛ばされたものなら、そう思えるのは寧ろ自然だ。
 流雫はそれには何も答えなかったが、つまりはそれがほぼ正しいと思っていた。
「何のために……」
澪は呟く。
 ダウンバーストは気象がもたらす自然現象故に、そのタイミングをピンポイントで狙うのは無理が有る。それは単なる偶然だったとしても、問題は標的だ。
 航空会社の定期便とは異なり、飛ぶ日も時間帯も発着地も定まっていない、完全に不定期、言い方を変えれば神出鬼没のビジネスジェットを狙う。それは最初から、何時何処に着陸するか、などの予定を把握していた、としか流雫には思えない。
 「……何て日だ……」
流雫は片手でシルバーヘアの頭を抱えながら呟く。何故デートの日にこんなことばかり起きる?何かに呪われているのか?
 いや、そもそも今日はデートの予定ではなくだった。それに澪がついてくると言ったからデートになっただけだ。……こんなことになると判っているなら、断って1人で動けばよかった。そうすれば、澪だけは事故現場に居合わせること無く済んだのに。

 苛立ちと悲しみを交わらせ、自分の頭を抱える流雫は
「……何て日だ……」
と声を漏らした。その意味は、澪には容易に想像がつく。
 流雫は、ただ空港に行きたいだけだった。澪は1人の予定だった流雫についていくと、自分から言い出した。そして、あの飛行機事故は偶然だった。
 全ては、2人の運が悪かっただけだ。流雫は何も悪くない。なのに、澪とのデートに水を差された、そして澪に一部だけとは云え事故の瞬間を見せることになったことに苛まれていた。結果論とは云え仕方ない、その一言で片付けられるほど、流雫は器用じゃない。
 「流雫……」
澪は少年の名を呼ぶ。腕時計の針は、正午過ぎを指している。……今日と云う日は、未だ半日近くも残っている。
 2人のスマートフォンが同時に鳴る。この飛行機事故のニュース速報だろう。澪は通知を放置して、流雫を見つめて言った。
「……行こう、まだ時間は残ってるから」

 澪の言葉に、流雫は顔を向ける。
「今日は折角のデートだから」
そう続けた澪は、少し無理に微笑みを浮かべてみせる。
 初めて顔を合わせたアフロディーテキャッスルの時も、そうだった。朝からテロに遭遇して、デートは昼過ぎどころか夕方前からしかできなかった。それでも、何だかんだで楽しかったし、流雫にとって澪は味方なのだと判った。
 ……そう、澪となら、今からでも十分この悪夢を払拭できるハズで、全ては流雫次第だった。何のために、今大切にしたい恋人が隣にいるのか。
 「……何処、行く?」
流雫は問うた。ただ澪といられるなら、何処でもよかった。

 空港のアナウンスは、欠航を知らせるものが急激に増えた。事故の影響で滑走路が1本閉鎖され、悪天候は未だ続いている。流雫が思っている以上に、影響が多方面に波及していた。
 2人は、モノレール経由で都心に出ようとした。モノレールはまたしても混雑して座れず、2人はドア近くに立っていた。モノレールが地下から地上に出ると、空港の敷地が窓の奥に見える。
 更にその奥では、赤い空港用の消防車が集まっているのが、建物の陰から少しだけ見える。墜落から既に数十分経っていて、その間の消火作業で既に炎や黒煙はほぼ見えなくなっていた。
 ……どうしても気になる。あの黒い物体の正体が何なのか。東京中央国際空港は東京湾に面した立地だけに鳥が多く、バードストライクが多発すると云われている。しかし、それにしたってピンポイントで狙い過ぎているように見えた。
 例えば、あれが鳥類ではなく、人間が操縦できる人工物だとするならば……、そう例えばドローンのような……。
 「ドローン……?」
流雫は呟く。
「えっ?」
澪はその一言に反応する。
 どうしても気にするのが流雫の悪いクセだと澪は思っているが、しかしその一言が妙に引っ掛かる。
「もし、あのエンジンが吸ったのが、誰かが飛ばしたドローンなら……」
流雫は澪の耳元で小声で言う。
「意図的に飛ばして、狙える……」
澪はそれに続ける。
 「ただ、本当に狙ったのなら、ダウンバーストは予想外だったと思う。それでも狙い通りなら、結果的にはよかったんだろうけど……」
「でも誰が……」
流雫の言葉に澪が続く。
「それまでは……。ただ、飛行機を墜落させてでも葬りたかった奴がいる……。ただそれだけじゃ、わざわざ飛行機ごとって理由が無い」
と言った流雫に、澪は
「警察も大変そうね……」
と言った。
 今は臨海署の配属だが、最近はトーキョーアタック関連と思しき事件に駆り出されている澪の父、常願は更に忙しくなるだろう。しかし、何処か他人事のように聞こえなくもなかったが。

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