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28 手紙の君

 キャロルは短い思案の後で、結局オルドナーの名前を借りて、執務室からアデリシアを呼び出した。

 案の定、ディレクトア側の武官達に、表門の騒ぎが目撃されて、話が漏れかけていた為、侍医室に向かうに当たって、アデリシアが、キャロルが頼む前に、フォーサイスを同行させた。

 副長(サウル)は、周囲の警戒にあたっているのか、戻る気配を見せない。オルドナーは素早く場の空気を察し、隣室へと席を外した。

「…昨夜亡くなった侍従武官が、傷を負っていたという時点で、予測しておくべき事態だったよ。私の失態だ。深い傷が、心に残らねば良いが」

 短い、だが深刻な沈黙のあと、アデリシアがぽつりと呟いた。

「そんな…ことは…っ」 
「殿下………」

 声をあげようとするキャロルやフォーサイスを、静かにアデリシアは制した。

「責任問題の論争なら不要だ。この国で起きる事の責任は、宰相たる私が負ってしかるべきだ。それ以上も以下もない。それよりも、今論じるべきは、今後の事だ」

「今後、とおっしゃいますと?」

「計画したのは、恐らく第二皇子派。魂胆も見えていますよ、フォーサイス将軍。この事件の話が広まれば、ルフトヴェーク国内での叛乱(クーデター)騒ぎは一気に鎮火する。代わって出てくるのは、凶行を防げなかったカーヴィアルと、駐在軍もある、第一の友好国であるディレクトアへの制裁論。状況確認目的での兵を出すと言われれば、こちらからは拒めない。そして行軍途中で、()()()()、逃亡中の第一皇子を捉えたとする事が出来、その後は実行犯を第一皇子の一派に押しつけて、内外の世論を最後は第二皇子の下にまとめれば、ルフトヴェークの王室問題は、表面上カタがついた事になる。全ては国家の礎石(いしずえ)、尊い犠牲と言えば、それで終わりです」

「……っ」

 キャロルの肩が無言で揺れたのを、アデリシアは敢えて見て見ぬ振りをした。
 フォーサイスも、アデリシアの予測に異を唱えようもなかったのか、目を見開いている。

「マルメラーデ国の王妃は、もともとルフトヴェークの方と聞くし、リューゲは言うまでもなく、自治領だ。機に乗じて色気を出す可能性があると見られるのは、ディレクトアか、カーヴィアルかという話になる。向こうも先んじて、こちらの動きを封じておきたいのだろうが……おかげでこちらは、結果的に二択しか()がなくなってしまった」

 付き合いの長いキャロルには、言葉とは裏腹に、アデリシアの表情(かお)には『愚かだな』と書かれているようにしか見えない。

 フォーサイスは、それには気付かず「二択ですか?」と、首を傾げている。

「大使館員殺害の汚名を一時的に被って、ルフトヴェークの政情安定まで事態を静観するか、いっそ第一皇子の味方をして、ルフトヴェークの政変に関わるか……ですよ、将軍。いずれにしても、無条件に第二皇子を支持する選択肢がなくなってしまった訳です。逆にね」

 フォーサイスへの説明の(てい)を取りながらも、アデリシアが見ているのは、キャロルだ。キャロルの方も、それは分かっていて、敢えて口を閉ざしている。

「殿下、それはもはや王権代理としての私が出来る範疇を遥かに越えています。こうなった以上は、私は帰国して、王にお目にかからなけば――」

「殿下」

 フォーサイスが帰国の意思を垣間見せたその瞬間、それまで黙って唇を噛みしめていたキャロルが、弾かれたように顔を上げた。

 近衛隊の職務以上の事を暗に求めているアデリシアに、無意識とは言え、必死に喰らいついてくるキャロルを咎めるつもりは、アデリシアにはない。むしろ、推奨さえしたい程である。

 何を考え、何を決断するのか。

 そしてそれはアデリシアの期待通り、彼やフォーサイスの意表を見事に突くものだった。

「お願いがあります」
「……聞こうか」
「今回の件、対外的には全て『なかった事』として頂けませんか」
「⁉」

 何を言わんや、とフォーサイスはギョッとしたようにキャロルを振り返ったが、キャロルの言いたい事を半ば察したアデリシアは、僅かに片眉を動かしただけだった。

「大使館は血の海だと、言ったのは君自身だ。さすがに何も起きていないと主張して、ルフトヴェークからの兵の派遣を突っぱねるのには、無理があるね。それに、このまま黙っていても、いずれルフトヴェークの側から『大使館職員と連絡が取れない』云々騒ぎたててくるだろう。時間稼ぎにしても、そうは保たないよ?」

「いえ…時間稼ぎの方法が、一つだけあるんです」

「ふうん?」

「大使館職員がいればいいんです」

 思わぬキャロルの言葉に、フォーサイスは息をのみ、アデリシアは「続けて」とだけ、口を開いた。

「大使の決裁が望めまない今は、大使代理としての誰かを立てる形にはなりますが…そうしてある程度、簡単な業務を遂行させておけば、大使館で何かあったと騒ぎ立てる事が、表面上出来なくなります。その『代理』が偽者だと主張したければ、その根拠を示さねばならず、第二皇子側としても、藪蛇になります。しばらくは、手をこまねいているしかなくなる筈なんです」

「……君の『お願い』はもしかして、その『大使館職員』への立候補かな」

 一を聞いて十を知るアデリシアが、冷ややかな空気を纏わせて、目を(すが)めている。

「はい」

 だが、キャロルの返答には迷いも澱みもないため、さすがのアデリシアも、すぐには答えを返せずにいるようだった。

 キャロルはなおも、言葉を紡ぐ。

「それに、今回の実行犯をカーヴィアル国内に留める、最も効果的な方法だと思います。実行犯達の目的は、ルフトヴェーク公国大使館が機能しなくなったと言う、派兵の言いがかりのきっかけを作る事。騒ぎが起きなければ、役目を果した事は立証出来ないんですから、恐らくその者たちは大使館へと様子を見に戻って来る筈です。そうなったら、その者たちを捉える事が出来て、なおかつルフトヴェーク語での事情聴取に不自由しない人間となれば、限りがあると思います。それに……」

「それに?」

副長(サウル)に言われました。近衛隊長(わたし)が、第一皇子の一派と繋がっていて、今回の叛乱においても、第一皇子側に味方をした。それは殿下の指示でもあり、カーヴィアルはルフトヴェークに敵対の意志がある――と、言われかねない状況に、今はあると。その揚げ足を取られないためにも、私は『大使館職員』であるべきでは、と思いました」

 馬鹿な!と思わず声を荒げたのはフォーサイスだったが、アデリシアは、その可能性にも気が付いていたのだろう。小さく息をついて、僅かに目を伏せた。

「君が、ルフトヴェーク公国の〝首席監察官〟と定期的に手紙のやりとりをしているのは、典礼省や近衛の中では、かなり知られていたようだからね……」

 先ほどの執務室で、リンデやクルツが言ったのだ。

 キャロル・ローレンスは、本人の知らぬ間に〝帝王学〟――人の上に立つ者が、身につけておくべき教育――を施されたのだと。

 良家の貴族子女であれば、学ぶ学問は宮廷教育あるいは皇妃教育。

 だが、皇太子に仕える事を決めた、平民であるキャロルの為に、この監察官は〝皇太子と同じ目線で物事が見られるようになるための知識〟と言う、およそ余人を以って代え難くなる武器を身に付けさせたのだ、と彼らは言ったのだ。

 単語の訳について質問を受けた際、最初は16歳への手紙にしては異常だと、リンデもクルツも唖然としたのだが、ある時、聞かれた単語を繋げた結果が『今から天才にはなれないけれど、()()()()()なら、誰にでもチャンスはあるし、上手くいけば代えのきかない存在になれるから』となる事に気が付いた時に、この監察官の隠された意図に気付いて、見方が180度変わったのだ、とも。

 実際、それまではアデリシアの意図が正確に伝わらずに、業務に支障をきたしていた所が、キャロルが間に入った事で、噛み砕かれてスムーズになった事も一再ではない。

『ローレンス隊長もそうですが、あの〝手紙の君〟――皆はそう呼んでいますがね、彼とのやりとりにおいて、国家機密に関するような情報が漏らされたりしていた事は、我々が訳の手助けをした範囲が全てではないにしろ、ただの一度もありませんな。そこは、(わし)とクルツの名でも保証出来ますから、もし会談の中で雲行きが怪しくなるようでしたら、我々の名前を持ち出して下さっても構いませんよ、殿下。〝手紙の君〟はむしろ、素晴らしい教導者だ。可能であれば、外遊に同行いただいて、ぜひ話を聞いてみたいくらいですな』

 年寄りの暇つぶしとして聞いて下さい、と言われたアデリシアだったが、普段は談笑する事のないクルツまでが頷いていたところから言っても、本当に典礼省の中では、高く評価されているのだと分かった。

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