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1-3 Bloody Monday

 2024年2月、それも折返しに差し掛かった。あのトーキョーアタックから半年が過ぎようとしていた。
 月曜の朝、ペンションのキッチンでガレットを焼く少年、宇奈月流雫。モーニングとして宿泊客に提供するのだ。本来は注文が有れば焼く程度なのだが、宿泊客のお勧めとして隠れた名物らしく、ほぼ毎日オーダーが有る。
 流雫が幼少期を過ごした故郷のフランス北西部、ブルターニュ地方の郷土料理として知られる蕎麦粉のクレープは、モーニングだけでなく軽食などとしても多用される。特にコンプレットと呼ばれるハムエッグを乗せる、または包んだものが有名で、彼もそれが得意だ。
 流雫は2枚だけ多く焼いた生地を自分のモーニングとして頬張り、宿泊客の褒め言葉に微笑みながら頭を下げると、慌ててコートを羽織り、靴を履いてドアを開けた。
 昨日の夜に降り始めた雪は朝になっても降っていた。道理で何時もより少し寒いハズだ。幸い雪は積もってはいないが、夕方また降るらしく、自転車に乗る気にはならない。その学校までは、歩くと40分程度。だから少し早めに出ようとしたのだ。
 悉く信号に引っ掛かったために途中小走りしたが、どうにか間に合った。しかし、未だ月曜……今週も始まったばかりだ。先が思いやられる。流雫は校門前で溜め息をついた。

 山梨県東部の中都市、河月。大都会東京の中心から在来線特急で1時間半と比較的近い。
 人口15万人の都市の中心部は、特急停車駅の河月駅。その周囲は駅ビルも含めてそこそこ栄えているものの、郊外は緑と湖に恵まれている。
 列車自体、東京と山梨や長野方面を結ぶ幹線を走り、それなりに本数は多く、都心への移動にも困らない。それが近場の保養地として人気で、都内を含む比較的近場から来ているのにわざわざ宿泊する人も少なくない。また、そう云う立地故にペンションやコテージでリラックスしながら働くと云う、ワーケーション需要も高い。
 流雫が居候している親戚のペンションも例外ではなく、それなりに忙しい生活を送っている。ただ、その手伝いと云う目の前のタスクに追われることで、あの日から常に覆っている靄を一時的にだが晴らすことができて、彼にとっても好都合なのだ。

 4階建ての校舎、その4階の最も端の教室に入った流雫は、しかし誰と目を合わせること無く、挨拶をすることすら無く、窓際の席に座る。同級生も、彼の存在など無いかのように振る舞っていた。
 ……あの日から、教室の片隅に空席が1箇所だけ残されている。流雫の真後ろだ。それについて、今では誰も触れようとしなかった。流雫は同級生に一度だけ
「僕のことなら、気にしなくていいよ」
と言って微笑んでみせたが、眼は笑っていなかった。
 そしてまた、誰もが全てを知っていたし、彼の本音も見透かしていた。それ以上触れないのは、せめてもの同級生からの親切だと思いたいが、それだけではなかった。
 それと同時に、彼の存在は無いかのように扱われるようになった。ただ流雫にとっては、不意に突き付けられた孤独など別にどうでもよかった。あの日突き刺さった現実に比べれば、些細なことですらなかった。

 朝から眠くなるような授業が続く。昨夜、何となく眠れなかった流雫は、その空席の1つ前の席に座ったまま、眠そうな目で窓の外を眺める。時刻は12時過ぎ。この時間の英語は退屈に思える。昼休みはとにかく寝よう、とシルバーヘアの少年は思っていた。
 時々、祖国フランスが恋しくなるが、日本も好きだ。そう思いながら眺める何時もの光景……に、彼は小さな違和感を覚えた。
「……?」
 この学校、私立河月創成高校は河月駅から1駅先の西河月駅が最寄り駅だ。その周囲は住宅地として栄えている。それ故に低層ながらも建物が並ぶが、1つだけ目立つ建物が目の前に有った。
 その近くには、4階の流雫から見える位置にロゴも無く地味なドライバンが止まっていた。30分は動いていない。やがて、2人の男が降りて荷台を開けた。
 何か梱包物を下ろしている。遠目からはネット通販で購入した家具に、見えなくもない。台車も使わず、2人で抱えて持ち運んだ先は、小さな教会だった。
 見る限りは、中東の宗教のもののようだが、地理の授業中に写真で見たイスラム教のモスクよりは小さく、地味だ。しかし時々下校中に、教徒らしき集団が入っていくのをよく見る。
 普通に見れば、家具が納品されているようには見える。しかし、入口前の辺りに置くと受取のサインも求めなければ、そもそもドアを開けた様子も無い。普通家具を置き配することは無いだろうが、何だろう?
 2人は走ってドライバンに戻る。その瞬間、男と遠目に一瞬だけ目が合った気がした。そして何の変哲も無いドライバンは、ディーゼルエンジンを吼えさせ、ドラッグレースでも始めるかのように走り出した。
 「まさか……いや、流石にそれは……」
彼は誰にも聞こえないように呟く。ただ、そのまさかか?いや、有り得ないと思いたいが、流雫が起こしたフラッシュバックは明確に、その思いを否定した。
「宇奈月!何処を見ている?」
教壇に立つ英語教師の注意は、流雫には届いていない。近付いてくる男教師が、今度は名前を張り上げようとするのを遮って、流雫は叫んだ。
「伏せて!!」
彼は咄嗟に机の下に隠れ、丸く蹲る。
 突然のことに呆然とする、同級生と教師。中には気でも狂ったかと嘲笑を始める連中もいた。しかし彼は
「早く!!」
と急かす。
 しかし、その声を掻き消すように教会から爆発音が聞こえた。小さくもマッシュルームのような火の玉と黒煙が上がり、教室の窓ガラスは一瞬だけ震え、一気に砕けた。
 悲鳴が至る所から聞こえ、何に反応したか火災報知器がけたたましく鳴る。数秒前まで平和そのものだった学校は、文字通り一瞬で大混乱に陥った。
 あの東京中央国際空港での1件から、こうした違和感に過剰気味に反応するようになったことは、流雫自身に自覚は無い。全て無意識だ。
 あの時も、階下の男が開いたバックパックが偶然見えて、その中身に些細な違和感を覚えたことがきっかけで、エスカレーターに乗るのを止めた。もし、あそこで乗っていれば、爆発で飛ばされただろうし、飛ばされていなくても機銃掃射の餌食になっていただろう。
 それだけに、無意識に過剰反応を示すようになったのは、或る意味では仕方ないことだったと、流雫は今になって思う。
 「ひっ……!!」
机に窓ガラスの破片が降り注ぐ。足下に落ちて砕け、跳ね返った破片が眼に入らないように、流雫は手で顔を覆った。幸い、この少年は無傷だった。
 放送室もこの影響で機能していないのか、避難に関する指示は無かった。ただ、その場合は年1回の避難訓練と同じように、校舎裏のグラウンドへ集まるように決められていた。それは火災発生時の対応だったが、近隣の建物の爆発に遭遇した際もそうなのだろうか。否、その疑問自体今は愚問だ。
 床には血が散っていた。それも無数に。自分以外、全員負傷しているのではないか。そう思いながら流雫は、机の下に伏せたまま顔だけを上げた。その惨状に顔を歪め
「あ、あ……あ……」
と声を上げる。
 寸分遅れれば命を落としていた、あの日空港で見た恐怖をフラッシュバックさせつつ、早く教室から出なければ、と流雫は思った。既に他の生徒は、傷口を押さえつつ避難を始めていた。
 凝固し始めた高い粘性の血液が、それが僅かながらも足取りを重くしかねない。しかし、避けることは難しい。既に教室から廊下に至るまで、固まり始めた血が上靴の靴跡を象っている。
 流雫は鞄から銃を取り出した。

 改正銃刀法の施行日は日曜日だったから、流雫はその日に早速所持するための資格を手にし、その日のうちに銃を手にした。
 持てる銃は1人1丁のみ。データベースで使用者と銃を紐付け、それ以外を使うと銃刀法違反となる。予備の弾倉を持つことは禁止で、そのための対策も施されてある。
 海外の複数メーカーが日本専用に生産した銃は、共通仕様として6発のオートマチック。違いはサイズと重量、口径だけだ。本来、オートマチック銃は8発以上は入るようだが、日本では用途が用途のために6発まで減らしてある。警察官のリボルバー銃との格差が出ないように、とのことだろうか。

 本来、学校へ銃の持込は禁止なのだが、これまで持ち物検査は行われたことが無い。それは好都合だったが、褒められた話でもない。しかし、これがこんな形で奏功するとは……皮肉以外の何者でもない。
 流雫は、次の爆発は無いだろうと思いながらも、改めて周囲を見回して机の下から出る。外を見る一瞬の間も惜しい。
 アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳は、爆風で椅子や机などの備品が散乱した教室を捉える。流雫は動線を瞬間的にチェックし、なるべく血を踏まないように小走りで教室を後にした。
 避難の時の鉄則として、走らないと云うものが有る。避難訓練の時は特に、行進するように歩いて移動する。しかし、流石に近くの爆発事件の影響を受けた避難と云うものは想定されていないし、非常事態にそれが通じるワケがない。
 また爆発が起きるのではないか。その不安から、パニックを起こしたように混乱が全体に伝播するのは、当然と言えば当然のことだったのだ。そしてそれは、流雫も同じだった。
 流雫は銃をズボンの前ポケットに隠すと、最後尾の生徒から更に数メートル遅れて小走りになる。
 10時前に雪は止んだが、再び降りそうな2月。爆風で窓は割れ、寒気が容赦なく襲ってくると云うのに、更には上着を取る時間も無く、カッターシャツとジャケットのみなのに、冷たいグリップに触れる掌には汗が滲んでいた。
 足も軽く震えているが、それは寒いからではない。それは、流雫自身がよく判っていた。
 流雫は唇を噛む。……何故、こんな事態に陥ったのか。教会に爆弾、その意図は何なのか。……大凡の察しは付く。
 いくら海からの不法入国も相次ぎ、それと国内の支援組織も絡み、その宗教問題を起因とする摩擦も起きている。しかし、だからと云って無差別殺傷を狙った攻撃は教会だろうと何だろうと、絶対してはいけない。尤もそれ自体、あの夏の日までテロ事件とほぼ無縁だった、日本特有の平和ボケなのかもしれないが。
 日本にいる限り、宗教を巡る問題は宗派同士の対立を除いてほぼ無縁だが、海外ではよく起きる。幼い頃に起きたパリ同時テロ事件も、流雫は強烈に覚えている。それだけに、宗教問題と領土問題が同時に絡むイスラエル・パレスチナ問題なども、対岸の火事とは思えないのだ。
 本当に、日本は平和……だったのだと、この数ヶ月で何度思い知られたことだろう。とにかく、既に平和でなくなったどころか、警察でも手に負えなくなった結果が、あの銃刀法改正だ。銃を使用しての護身が認められている以上は、どうやってでも生き残るしかない。

 次の爆発の可能性はかなり低い、と流雫は思った。教会だけが標的ならば、次の標的となりそうな施設は見当たらないのだ。あくまでも、かなり低いだけであってゼロではないが、それだけが、この瞬間の救いだった。
 外から聞こえるのは怒号と、悲鳴と、幾重もの緊急車両のサイレンの音、そして上空に群がるヘリの音。それは、恐らくあの日の渋谷の中心と似ていた。
「……」
流雫は足を止める。唇を少しだけ開くが、声は出なかった。呼びたかったのは、この地球にいない人の名前だった。
 ……東京中央国際空港でのテロ事件で、警察に保護され状況説明を求められた流雫。目の前で何が起きたか全て話した。
 警察署の前で、連続してスマートフォンが鳴る。その最後の着信は、同級生からの一報だった。
 あの日のことは、空港の件も含めて忘れたい。これが全て、フランスからのフライト中に寝ている間に見た夢であってほしい、と何度願ったか。しかし忘れると、初めて好意を寄せた人との記憶まで手放しそうで。
 今この瞬間、流雫は誰よりも怖がっていた。この瞬間にも、可能性はかなり低いとは云え次の爆発でも起きて、自分の体が引き裂かれるのではないか、と。
 現に、窓ガラスの破片などが飛散し、また机や椅子も飛ばされては他の生徒に多数直撃した。壁に叩き付けられた生徒もいるようで、両肩を担がれたまま避難していた。
 怖いが、避難しなければどうにもならない。自分に怪我が無いことが唯一の救いだった。

 避難場所は、校舎の裏のグラウンドだった。こんな状態では、避難場所など何処にも無いようなものだ。しかし、例えば体育館などは校舎の影に隠れているとは云え、やはり建物自体に何らかのダメージを負っている可能性は高い。次爆発でも起た時に例えば天井の崩落などが起きることなどへの懸念も有り、その意味では屋外の方が安全なのだ。そして全員が集合可能なのは、グラウンドしか無い。
 階段を下りようとした時点で、最後尾の生徒に追いついた。しかし、こう云う時に追い越すのは禁物で、その後に続くことになった。1階まで下りると、後は校舎の入り口を突っ切って、生徒用の通用口から外に出ることになる。あと少しだ。
 その時、数発の銃声が鳴り響いた。前を行く生徒が、一際大きな悲鳴を上げ、パニックを起こしながら走り出す。
「機関銃……?」
流雫は呟く。
 銃を所持するには、警察署で講習を受けた後に銃所持者のデータベースに登録する手続きが必要になる。それで初めて資格証が手に入る。その講習の際に触ったオートマチック型の銃でも、連続発射してもそこまで早くなかった。だとすれば、映画で見るような機関銃しか思いつかない。
 開き直った、吹っ切れたワケではない。しかし、流雫はそれに怯まなかった。生き残りたいなら、其処を通るしかない。そして……。

 壁が途切れると、ふと右に目を向ける。……防護用ヘルメットを被り、ジャケットとズボンを纏った大柄の男が、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳に映る。その服の色は……間違いない、教会前から立ち去った男の1人と同じだった。
 そして、手には機関銃が見える。その銃口が流雫に向くのが判った。
「あ……!」
流雫は声を上げ、咄嗟にズボンのポケットから銃を取り出す。
 6発のオートマチック銃は、掌から少しはみ出る程度で比較的小さめだった。汗で濡れた手で握り締めると、左手の人差し指でセーフティロックのレバーに触れる。そして、後ろのレバーを引く。その間に、機関銃の銃口は流雫の胴体を捉えた。
 「殺される……!」
と思った流雫は、トリガーをその中心に仕組まれた最後のセーフティロックごと一気に引いた。
 薬莢の中で火薬が爆ぜ、小さめの銃声が6発、規則正しい間隔で鳴る。流雫が選んだフランス製の銃は、口径が最も小さく、銃弾の火薬量も最も少ない。威力は他の銃に比べれば弱いが、その分音や反動が小さく扱いやすい。
 弾切れになるまで引き金を引き続けた。全て腹部を狙ったが、少し震えながら撃ったものの1発も外さなかった。それはただのビギナーズラックでしかない、と思う間も無く、ジャケットに血を滲ませ
「お……ぉっ……っ!」
と呻き、前屈みになる男から逃げるように、前の生徒に追いつこうとした。

 外に出た生徒は、グラウンドのクラス別に分けられた列まで全力で走る。流雫もズボンのポケットに銃を仕舞って外に出ると、自分のクラスの列まで走った。
 校舎に遮られてはいるものの、黒い煙が遠くに見える。上空を4機のヘリコプターが飛び、またサイレンも止む気配は無い。避難した生徒や教師も、無傷だったのは少数で、殆どが多少なり負傷していた。死人が出ていないだけ幸い、としか言えない。
 砂の地面に救急車が乗り付け、重傷者を乗せる。軽傷者に対しては、流雫を含む無傷の人がグラウンドで処置を施すことになった。
 幸い、救護室は1階の奥で比較的損壊は少なかった。消毒液なども無事だ。手分けして有りっ丈の消毒剤や衛生用具を持ち出し、それぞれが処置を始めた。
 名前も知らない生徒の傷口を、ピンセットで摘まんだ綿に含ませた消毒液で洗うのが、流雫の役割だった。別の生徒が、カットされたガーゼを傷口に当てていく。
 何故こんなことになったのか。流雫は、赤く染まった綿をゴミ袋に捨てながら、思った。当然、何故他人の消毒をしているか、ではなく、何故あの男が学校にいたのか、だ。その理由は何となく判るが、否定したい。
 そして今も、あの冷たいグリップの触感と銃声、銃の反動……全てが少年に纏わり付いている。
 著名なフランス人映画監督の映画が好きな流雫は、その都合でアクション映画を観る事が多い。最近は専らスマートフォンでの配信で、それは特に飛行機の中では暇潰しに最適なのだが、よくガンアクションが出てくる。
 ただ、そう云う活劇は、あくまでフィクションだ。一応銃を持ってはいるものの、死ぬまで使うことは無いだろう、と流雫は常々思っていた。尤も、使わないまま持ち腐れとなることが、本来は好ましいのだが。
 しかし、まさか自分が人を撃つことになるとは。講習こそ受けてはいるものの、あの咄嗟の動きは、それこそ映画の見様見真似に過ぎない。しかも、相手の銃口は完全に自分に向いていた。撃たれなかったのは、単に幸運だっただけだ。一瞬でも遅れていれば、撃たれていただろう。
 ……紙一重。まさにその言葉が当て嵌まる。

 負傷した生徒の手当が全て終わると同時に、消毒液が尽きた。
「ふぅ……っ」
流雫は深い溜め息をつく。砂が敷かれたグラウンドには、負傷しながら避難してきた生徒や教師たちの血痕が、無数に散っている。その光景に何人かが、気を失って介抱されていた。
 流雫はそれから目を逸らすように、薄暗い冬の空をただ見上げていた。
 ……何処を見ても、あの8月最後の日曜日を思い出す。だから、空を見上げるしかなかった。
 遠い故郷フランスから、トリコロールの飛行機に乗って日本に戻ってきたあの日。映画を観ながら、2時間後に全てが変わることを知らないまま、数日後に始まる2学期への準備をしなければならない焦りと、同時にとある少女にまた会える、日本を離れる7月下旬までと同じ生活に戻ることへの嬉しさを、フランスへの名残惜しさを感じながらも交錯させていた。
 ……それから半年。今日初めて、人に銃を向けた。そして、引き金を引いた。テロや凶悪犯罪への護身のためならば、法的に問題は無い。何より、あの時引き金を引かなければ、今この瞬間この場にいないだろう。
 だから、何も間違っていない。……間違っていないと、思っていたかった。

 学校の敷地外への移動が解禁になったのは、教会の爆発から2時間後のことだった。昼休憩は何も口にすることができず、瓦礫の山と化した教会と、延焼した他の建物も鎮火し、一応の安全が確保された。
 しかし、校舎自体は修復工事を行う必要が有り、一度別の学校を間借りするなどの措置が必要だった。そのため、当面はこの校舎とは別れることになる。
 安全のため集団下校となったが、流雫だけは足止めされた。武装した男を撃った件での事情聴取だ。特に損傷も無かった、校舎の奥まった所に有る学校の応接室には、警察官2人と流雫の3人がいた。
 流雫は、警察官に求められるままに話した。
「教会の前に車が止まってて、そこから荷物らしきものを運び出して、その入口近くに置いて、逃げるように走って車に乗って走り去って。引っ越しのトラックみたいなやつで、でもロゴとか何も無いような」
「ただ、何かイヤな予感だけはして、机の下に隠れようとした。だから伏せろと言って隠れて、その瞬間に爆発音がして……」
 その間、警察官は流雫が見たドライバンと荷物を運び、教会の入口に置き去りにした男の特徴を聞き出そうとした。ただ、流雫も服装しか答えられなかった。
 「避難中に、銃声が聞こえてそっちを向くと、機関銃を持った男がいた。何故かは知らないけどいて、撃たれると思って、咄嗟に構えて撃った。何処を狙うなんてのも頭に無くて、ただ自分が助かればそれでよかった」
「運よく当たったのが判ると、その隙に逃げようと走った」
流雫はそこまで言って、この日何度目かの溜め息をつく。

 あの自分が撃った男は何者なのか、何故そもそもあの教会を狙ったのか。疑問が絶えない。
 授業中の余所見は褒められたものではないが、窓の外を見ていたから、あの異変を察知して自分だけ無傷だった。しかし、それでも、だ。
 フランスでは、10年近く前からほぼ毎年、宗教に起因する教会襲撃やテロが起きている。しかし、日本はそれとは無縁で、問題と云ってもカルト教団の組織と信者の間の金銭問題がクローズアップされる、ワイドショーのネタのような中身ばかりだ。
 だが、仮にフランスで起きているような宗教問題が原因だとすると厄介だ、と流雫は思った。尤も、それも世界史で学んだだけだが。ただ、今は無事だったことに安堵したい。……しかし、安堵できるのか。

 流雫が学校から解放され、昼休みに頬張る予定だったサンドイッチを寄り道した公園で平らげてペンションに戻ると、親戚はニュースで知っていた上に学校からも連絡を受けていたようで、何が有ったか問うてくる。
 流雫は淡々と答えながら手伝いをこなして過ごしたが、その間言葉を交わすことは無かったし、気を紛らわせることさえできなかった。
 それが終わると、夜は部屋に閉じ籠もる。机と椅子とローテーブル、ベッドとタブレットPCだけの部屋は静かだった。
 流雫はスマートフォンを手にした。

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