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第4話 罪の滲出

秋窪はいつもの貼り付いたようなにやけヅラをやめて、その時ばかりは象嵌されたような大きな瞳をぱちくりとさせていた。

「本当にそんなこと言うかなぁ。あの、いつも瑞羽ちゃんに相槌を打つ機械みたいなオソノイちゃんが?」
なんてことをいうのだ。

確かにオソノイは大の仲良しである私と話しているというときですらあまり率先して話したがらないが、それは彼女の考えがちょっと浮世離れしているからで、退屈な人間だというわけでは全くないのだ。

この前も女子高生なのに名画座まで自転車で行った彼女の、よく分からないポルノみたいな映画の感想を聞いた私が言うんだから間違いない。

「オソノイにもお茶目な一面があるということです。私も最初は、青葵とふざけて茶化していました」
いちいち秋窪なんかにオソノイの良いところを教えてなんかあげない。私は当時の話をそのまま続けた。
私が語り始めると、秋窪は肘をついて脚を崩しながらも、音を立てないようにして話を聞く体勢を作った。

そこからはあまり面白い話でもない。結局私は『メトロトレミー』のメインヒロインである亜萌天子として、沖宮青葵は『メトロトレミー』の主要キャラで唯一男である|阿古照樹《あこしょうき》としてチャットルームに加わり、毎日数時間を過ごすようになったというだけだ。

私がオソノイの前で話すときの口調には、キャラクター亜萌天子の要素が多分に含まれている。くじらの小部屋の頃のオソノイは、キャラクター造形に非常に厳格で、口調が乱れると「どうした、今日はいつもと様子が違わないか?」とすぐさまメッセージを送ってきた。その頃の調教が生きている。

「あの頃は、楽しかったです」
私は今でもときたま当時のチャットルームを眺めている。今の、なりきりを辞めたオソノイのLINEと、当時のチャットの共通点を見つけると、にやにやして写真を撮るのが私のナイトルーティンの一つである。

「その楽しい時間も、私が辻凛花の向こう側にいた誰かに恋、というか依存して、無茶苦茶してしまったせいで、全ては終わりました」

「ふむ。そこまで自覚しておきながら、なぜオソノイちゃんと出会ったんだい?」
尋問、といった風ではなく、秋窪はあくまで相談役に徹していた。

「オソノイと出会った理由は偶然です。一生会うこともないと思っていましたけど、引っ越した先の高校にたまたまいたんです。彼女が。出会ったときは本当に驚きましたよ」

「そりゃまた、すごい偶然だ」
「在野恵実の、母校ですから」知っている癖に。

『メトロトレミー』ファンにとって、聖地と呼べる高校は2つある。作中で主人公等が通っている共学のモデルになったであろう高校と、カリスマ作家である在野恵実の母校、我らが甘王寺高校だ。当たり前だが、作者の出身校だからと通う人間は相当少ない。私もオソノイしか見たことはなかった。

はた、と気づく。そういえば秋窪は『メトロトレミー』のファンなのだろうか。
「秋窪さんは、どうして甘王寺なんですか?」
「私は11月に愛弓が脅迫されたからね。そこから進路転換して甘王寺に来たんだよ。何か手がかりがあるかもと思ってね」
「それはまた…すごいフットワークですね」
自分が脅迫されたわけでもないというのに、そこまでできる彼女は尊敬に値するのだろうが、脅迫と愛の告白の両方を彼女から受けた身としては、ただただその行動力が怖かった。

「愛弓は芸能人育成に特化した、共学に入ったんだけどね」
彼女は憎々しげにいう。中田愛弓と会う機会がなくなって長いとの事だったが、彼女への執着はまだ断ち切れていないようだった。

秋窪は普段の飄々とした態度を崩し、恋バナをする女子のようにカップを両手で掴んで、ちゃぶ台に身を乗り出してきた。
「最後に、まだ解けてない謎があるよね?どうしてオソノイちゃんがくじらの小部屋の辻凜花だと気づいたの?」
彼女は私の語りで長年の疑問が氷解していく感覚が気に入ったようで、まるで安楽椅子探偵になったような口調で尋ねる。楽しそうで何よりだ。

「彼女が自分で言っていたからです」
ただ、真実はいつもしょうもないものだ。そもそも私がオソノイに接触した理由は、くじらの小部屋の危うさを知らずに、彼女がやたらと口外していたからだ。

「…そう」秋窪は溜息をついた。「そこから情報が漏れてしまったんだろうね」

……そりゃそうだろう。

私は出来る限りオソノイがくじらの小部屋での話をしないようにつきまとっていたが、あまりに禁止してしまえば彼女が不要な勘繰りを抱く可能性があったため、ちゃんとした口止めは出来ていない。どこかで彼女が話してしまった可能性は十分にある。

今思えば、彼女は私を怪しんだりしないし、もっときちんと口止めをすればよかった。

語りが一段落した私は、改めて秋窪に向き直る。
「だから、脅迫事件は完全に私のせいなんです。でも何もかも話してしまえば、オソノイに迷惑がかかるし…」秋窪が遮っていった。
「オソノイちゃんが、自らが大好きな『メトロトレミー』崩壊に関わっていると知る恐れがあると」

「そういうことです」
気づけば時刻は午後5時を指していた。計4時間も一緒にいたことになる。アイスミルクは氷が溶けて分離した水が層を作っている。喉もカラカラで手が伸びそうになったが、今ここで飲んでしまえば彼女を信頼したと示してしまうようで癪に思い、ぐっと堪える。

「新しいの持ってこようか?」よく気がつく秋窪が訊いてくる。
「結構です」失敗した。と思う、飲み物は持参するべきだった。

すると秋窪は、私のアイスミルクを突然半分飲んで差し出した。「どくみ」と一言を添えて。
私は何かを言おうとも思ったが、やっぱり何も言えずに、ただ新しいグラスとシロップを要求したのだった。

ここで飲み物を求めてしまったのは、正直私が安堵していたからだろう。話を聞いて復讐心を燃やした秋窪紅葉が激昂する可能性も、ゼロではないと考えていた。

そしてその場合、私は罪の意識が先行してしまって何もやり返せないだろう。私は強迫行為の愚かさに気づいたときから、他人に対して攻撃的な態度を取ることに恐怖を覚えるようになっていた。

そろそろ時間も遅く、私は言いたいことだけを言って帰ることにした。
「これまでの話を踏まえた上で改めて言いますが、この暴露ショウには乗れません」
私の犠牲が『メトロトレミー』のためや、中田愛弓のためになるというのであれば、贖罪のためこの身を捧げる覚悟がある。だが、事件の真相が広まれば、その毒は必ずオソノイの元まで届くだろう。

「子役脅迫事件」が個人的感情によって引き起こされたもので、更にはそれが|女《・》|性《・》|間《・》|の《・》|恋《・》|愛《・》|感《・》|情《・》によるものだと知れれば、必ずや心無いことをいうものが出てくる。そしてそれを、今やTwitterやYoutubeを使いこなしているオソノイは必ず受け取ってしまうだろう。

ショウをしようがしまいが、暴露されてしまう、というのであればもう作者である在野さんを説得するしか道はない。今回の会合で秋窪が少なくとも「話の分かる人間」だと考えていた私は、縋るような気持ちで秋窪に頼んだ。

「その、秋窪さんの方からお願いして、在野さんとお話させて頂けませんか。本当にオソノイは悪くないんです」私の懇願に、彼女は短く答えた。
「無駄だと思うよ」彼女は目を伏せて、けれども声量は変えない。

「在野さん曰く、この舞台を君が拒んだり、抵抗するようなそぶりを見せるなら、沖宮青葵が自殺したうえでオソノイちゃんに対して事実を暴露するつもりとのことだ」

XXX

八方塞がりという言葉がぴったりな状況になった私は、ひとまずオソノイとの携帯での連絡を控えるようになった。私は沖宮青葵という人間の事はよく知っている。彼女は自殺まで試みているというのであれば、恐らく私の生活は全て彼女に筒抜けになっているということだろう。

あの臆病な少女にとってSNSアカウントに張り付くといったことなんかはお茶の子さいさいだろうし、盗聴も当然しているこったろう。もし気づけたとしても彼女を訴えることは出来ないしね。恐らく好き放題して、最後まで私の前には出てくることなく復讐を終えるつもりだろう。

それ以降、私は放課後は秋窪と連絡して情報を集めつつ、その分学校でオソノイにひっつく事にしていた。焦燥を感じていた私にとって、その時間は唯一の休息だった。

オソノイはすごい。世間に一切影響されないし、周りのことなんてあまり気にしていないんだけど、いつも何かについて考えている。哲学とかってよくわかんないんだけど、アリストテレスとかって多分オソノイみたいな人だったんじゃないかと思う。たまに口が悪いけど。

でも、口が悪い、正直者の彼女から言われたからこそ、聞き慣れた「可愛い」でさえ、あんなに胸が高鳴るのだろうか。なんてのろけてみたり。彼女は、私を可愛いと思ったらどんな状況でも必ず伝えてくれるのだ。

その反面、唯一頼ってもよいと思えた秋窪はだんだんとその本性を顕にしてきていた。その日は再び彼女の家で作戦会議をしていたのだが、そこでも彼女は、|い《・》|つ《・》|も《・》|の《・》話をしてくる。

「私はこの舞台には反対だし、君に協力している。でも、オソノイちゃんと一緒にいる限り、いつか真実を話さなきゃいけないときが来るんだよ」
「今しなきゃダメですか。その話」
彼女の言い分はこうだ。舞台という暴露ショウで全員が傷つくような舞台は避けたい。だが、今の私とオソノイの関係は断ち切るべきだ。

言っていることは、これ以上ないくらい真っ当だろう。だが、彼女の目的が|私《・》|の《・》|獲《・》|得《・》にある以上、そのアドバイスはただの横恋慕によるもののようにも思えた。どうして彼女は、印象が最悪の段階で告白をしてきたんだろうか。

彼女は、私の説得を続けた。
「ああ、もちろんさ。君が彼女のために苦労をする度、君とオソノイちゃんの心の差は広がってしまうんだよ。そして真実は二人共々、傷つけるだろうさ」
秋窪はまるで、安っぽい劇のように言葉を連ねた。

「この苦労を乗り越えた先にだって何もないんだよ。だというのに、君は間違いなくそれを期待している。オソノイちゃんが気づかず過去の話を漏らしてしまうことが心配だっていうんなら、本来は君以外が傍にいればいいんだからね」

彼女の言っていることはごもっともで、私はオソノイと一緒にいたいという単なる|我儘《わがまま》で彼女との日々を過ごしている。今までは彼女が外で「くじらの小部屋」という単語をバラさないようにするという使命もあったが、バレてしまっている今、それは通用しない。

私は、|オ《・》|ソ《・》|ノ《・》|イ《・》|と《・》、|共《・》|に《・》|い《・》|て《・》|は《・》|い《・》|け《・》|な《・》|い《・》。

「でもさ、オソノイちゃんと離れるったって、引っ越しでもしなきゃダメだろ?私と一緒に住めばいいんだよ」

そして決まって彼女は、この誘いをしてきたのだが、理屈はよく分からなかった。何が悲しくて脅迫してきた人間と一緒に住まなければならないのか。彼女の好意的な視線を感じないほど私は鈍感でもなかったが、何故ほとんど会話もしたことのない私をここまで執拗に誘ってくるのか、善意だとしても、何故そこまでするのかも、全て分からなかった。

「私も女性に振られて、瑞羽ちゃんも、まあ、振られてはないんだろうけどさ。オソノイちゃんとはいられなくなったわけじゃないか。仲良くなれるんじゃないかと思うんだよね。振られた者同士、傷心シェアハウス。」
私が訝しんでいることが伝わったのか、彼女はこんなことを言い出した。ここまで惹かれない誘いも初めてだ。

私はアイスミルクをストローで飲み干すと、言い返した。
「私は女性という事が理由で、オソノイを好きなわけじゃありません」これは本当。

「そりゃ皆そうさ。私だって女だからって愛弓が好きだったわけじゃない」やはりというべきか、どうやら彼女は中田愛弓のことが好きだったらしい。
あれ?と思い出した。「結構女の子と遊んでたイメージがあるんですけど」インスタの投稿で、お似合いの女性と秋窪が一緒にいる姿を何度も見たことがある。
「ああ。私は君と違ってちゃんと振られたからね。愛弓を忘れようと次の恋を探してたんだよ、でもご察しの通り私は愛弓に囚われ続けている」
私は彼女の部屋一面に飾られた中田愛弓のポスターを見た。以前気づいてから黙っていたが、ページの切り取られた同じ雑誌が見つかったこともあった。

彼女はおどけて言う。
「ただ一つ弁明できることといえば、遊んではない事くらいだね。自分が失恋で落ち込んでるときにそんな遊びする余裕、ないってば」
確かに、秋窪紅葉について悪い噂を聞いたことはなかった。彼女の知名度を考えると、遊んでいたら私の耳に確実に入っているだろう。

「…。愛弓さんとはどうなっているんですか」私は、彼女に対して質問をすることにいつの間にか緊張を感じないようになっていた。反面秋窪は、中田愛弓のことを思い出すとまだ身体が少しこわばるようだった。

それでも彼女は、竦んだ肩を下げると共に、落ち着きを取り戻していった。
「愛弓の事を好きだってことは中学一年の時には自覚していたんだけどさ。その時の愛弓は舞台の仕事が増え始めたばかりで忙しくて、仕事をずっと支えられればいいなってことだけ思ってた」
彼女はカップを眺めながら語る。

「でもそんなとき脅しの事件があって、泣いてる彼女を見てさ。私感極まって脈絡もなく告白しちゃって。そっから怖くなったのか愛弓は、何も言わずに私の知らない高校に行っちゃってさ」
彼女は自分の失敗が照れくさいようで、後半になるにつれ早口になっていった。

「それは…告白するタイミングを|尽《ことごと》く間違えていますね」こんなださい過去があるとは思わなかった。「あはは…そうだろ」と彼女は笑って、私も少し笑った。

「私みたいにさ。こじらせる前に、オソノイちゃんから離れなよ。いいじゃん失恋した者同士でさ、最近甘王寺高校にも飽きたし、横浜とか行こうかなって思ってるんだけど」
「いやですよ、そんな余り物の、寄せ集めみたいな」私は笑っていた。失敗談を聞いて、気を許してしまったのかもしれない。

ひとしきり昔話に花を咲かせたあと、帰り支度を始めた。その日は時間が遅く、彼女が送ると言い出した。でもよくよく考えると一つしか年の変わらない同性に送ってもらう意味も分からなかったので、玄関でさよならをすることにした。

「今日はさ、離れろってばっか言っちゃったけどさ。今回の件で方針が決まるまでは、今まで以上にくっついておくといいさ。私も、瑞羽ちゃん自身はオソノイちゃんの横にいるときが一番幸せそうだと思うしさ」
玄関で彼女は、いかにも聖母のような笑みを浮かべ、老婆心満々ですといった口調で話し始めた。

「ええ、そうします」私は靴を履きながら答えた。と、そこで思いつき「それと、横浜もいいですね」と言ってみた。秋窪紅葉は少し悲しい顔をして「でしょ」といって笑顔を作った。お前の口説き文句で落ちてやったのに何凹んでんだ。馬鹿。

扉を開けると、自転車にまたがった。そうか。秋窪紅葉は、もう中田愛弓と会えないと思っているんだろうな。オソノイのいない生活。望んでももう、オソノイと会うことは叶わない生活。そんな生活がもう、近づいているんだろうか。

夜の帰り道の空気はいつも以上に澄んでいて、そこで始めて私は、自分が今日失恋を認めたことに気づいたのだった。

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