バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

最期

 木々をなぎ倒し、地を這う黒い流体は星の大釜へ吸い込まれるようになだれ込む。その異様な光景は物見矢倉の上から望遠鏡を通さなくてもはっきりと見えた。

 物見矢倉からはどよめきが起こり、それまでの高揚が嘘のように不安な空気が立ち込める。ドゥーセンは何も聞かず、その異様な光景をただ黙って見つめていた。

「ここからが我々の踏ん張りどころです。力を尽くしましょう」

 マレイそう言うと、すっと右手を真上に掲げ前方に振り下ろす。するとその動作に呼応して甲高い音と共に光の帯が空に昇って行った。その後には赤い煙が残り風に流れる。その煙をクロノワとレイノスは見上げていた。

「詠唱、始め!詠唱、始め!」

 煙を確認したクロノワとレイノスの二人はお互い離れた場所で同じ号令をかける。その声は繰り返し伝えられ魔術槍を構える団員、隊員に届いた。

 そして個々が言葉を紡ぎ始める。それぞれの魔術槍の先端がぽつぽつと光をともし始めた。



 ユウトは星の大釜に流れ込んで迫りくる黒い膨大な粘液を見上げる。

「ユウトさん!早くここから離れないと!引き抜くの手伝います。急いで」
「ッ!すまない。手伝ってくれ」

 セブルの声にハッとしてユウトは掲げた大魔剣と共にロードを地面へ慎重に降ろした。

 セブルはユウトの身体から離れるとロードの身体にまとわり付き、地面に四肢を伸ばして固定させる。ユウトロードの身体に深く貫かれた大魔剣を素早く精確に真っすぐと引き抜いた。セブルはそれを確認して素早くユウトの身体に戻り、残されたロードは膝まづくような態勢で残される。ユウトを見上げてロードは力なく深く頷いた。

 ユウトも小さく素早く頷いて答える。そして振り返ろうとして、ふと地面に転がっている柄のついた鉱石に目が留まった。それを無意識に拾い上げると急いでその場を後にする。大釜の底でロードは急速に遠ざかりはためく深紅のマントを眺め空を仰いだ。



 中央最前線の混成護衛部隊は事態を静観している。誰もがただ黙ってユウトとロードを見つめていた。大魔獣が木々をなぎ倒す音と地響きが伝わってきても焦りを見せるものはいない。しかし唯一、異変を感じ取り不安を抑えきれなくなった者たちがいた。

 ヴァルの身体となり荷台だけとなった鉄の箱の中で、四姉妹はうずくまり、身を寄せ合って震えている。そして耐え切れなくなったように全員が一斉に薄暗い箱の中から飛び出した。

 飛び出してすぐに姉妹達はあたりを見回す。同じ方向を向いた者たちの中からすぐにリナを見つけると次々に駆け寄り抱き着いた。

「ええっ!みんなどうしたの?ちゃんと中で大人しく・・・」

 リナは驚いて見下ろすと怯えるように顔をうずめる姉妹達を見る。普通ではない様子にすぐにしゃがみ込んで優しく抱き寄せる。

「変なのっ!おかしいの」「ちくちくしてる」
「なんだかかなしい」「ここがきゅーって・・・」

 それぞれが変化を必死に伝えようとする。そして最後に声を合わせるよに全員が「ロードは?」と尋ねた。

「あっ・・・えっと」

 姉妹達の視線を集めるリナは言葉を詰まらせ、答えられない。じっと姉妹達は待っていたがふと全員の意識が吸い寄せられるようにリナから離れた。リナにしがみついた手をほどきおそるおそるといった様子で歩きだす。

「みんなっ!ちょっと待って!」

 リナの声にも反応を示さず鎮座した巨石の縁を回る姉妹達。巨石の陰から大釜の底が見通せるところまで来たとき、四肢を踏ん張らせ、そびえ立つ黒い獣の顎が真下に噛みつこうとしている瞬間だった。



 手を振り下ろしたマレイは振り向くと背後に控えていた工房守備隊員から槍と一本手渡される。隊員は手渡した後、マレイの周りの人々に注意喚起を始め、空間を作った。

 マレイは右手に槍を担ぎ、左手を前方に伸ばす。脚を広げて腰を落とし大きく息を吸い込んだ。
 星の大釜に流れ込んだ黒い濁流は釜の底で盛り上がりだし、次第に四肢が分かれ、尾と首が成形されていく。その輪郭はぼやけて定まらず、日の光を浴びながらソレは漆黒だった。

「術式展開。装填魔力圧縮開始。魔力波強度最大」

 マレイは言葉を紡ぎ槍は穂先から青く発効し、柄に複雑な光の模様を浮かび上がらせる。物見矢倉を取り巻く不安と緊張の一切を無視してマレイの瞳の先には獣の大口を広げて形を現した大魔獣とただ見上げるロードの姿だけがあった。



 草原を駆け、巨石まで戻ろうとしているユウトは次第に足の運びを緩め、ついに立ち止まる。

「ユウトさん急いで!もっと離れないと!」
「そうっス!もう時間がないっス!」

 セブルとラトムから急かす声が聞こえながらもユウト振り返り、遠くロードのいる大釜の底を見つめた。

「ここでいい。せめて・・・せめて一番近いところから見送ってやりたい」

 ユウトから見る大魔獣の姿は大きい。間近で見る大魔獣の身体に制止する部位はなく常に脈打ち、崩れ落ちては修復を繰り返しながら巨体を維持していた。

 歪で過剰に広げられた大魔獣の大あごが遠目にゆっくりと降ろしながら閉じられていく。地面ごと食らいつき大釜に穴を空けんばかりの大あごの先が小さな最期のゴブリンを捉えた。

しおり