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変わる世界

(消えた?!)

 ミオは突然現れた魔王の手下が急にまた消えて戸惑っていた。
 更にそれまで微動もしなかった魔王が急にやる気を持って、戦斧を構えたので、反射的に彼女も身構えた。

「あんた、日本人でしょう?殺し合うなんて馬鹿なことやめようよ!ほら、一緒に日本に帰ろう?魔王をやめれば多分帰れるはずだから」

 自分が帰れることもまだしっかり確定していないのに、ミオは斧を振り上げた魔王に話しかける。

「元の世界なんかに未練はない!」

 魔王のぐぐもった声。
 けれども言い方は子供っぽい。
 
(……なんだろう。聞いたような声)

「……あんた、もしかして私の知り合い?」

 ミオがそう問いかけると、魔王の動きが止まった。

「やっぱりそうなの?誰だろう?」

 同じ年の同級生を思い浮かべるが、誰一人として当てはまらなかった。

「……覚えてないのか。所詮そんなもんか」
「やっぱり知り合いなのね。名前教えてよ」

 髑髏の仮面をはぎ取って、誰が確認したい。
 その気持ちを押し殺して、彼女は尋ねる。

「思い出せないなら、それでいい。お前はここで俺に殺されるんだから!」

 知り合いなら殺し合いなんて馬鹿馬鹿しいと、ミオは動かなかった。勇者の鎧を身に着けているのでその効果に対して驕りもあった。
 
「かっ!」

 攻撃の手が届くと思っていたら、突然魔王が苦しみだした。
 胸のあたりから剣が生えている。

「やったぞ!」
「やりましたわ」
「これで終わりましたね」

戦士タルカンが魔王の体から剣を抜き取り、聖女が歓声を上げる。その後ろで満足そうに頷いているのは魔法使いのシルダだ。

「な、なんで」
「勇者様が魔王の注意を引いてくださったので、見事に魔王を倒すことができました!」
「おい、あんた!」

 ミオはソフィアの言葉を無視して、血を噴き出して倒れた魔王に駆け寄る。
 血の海の中に沈む髑髏の仮面の男。
 血は止めどもなく流れ続けている。

「……!」

 不意にそれまでなかった記憶が脳裏に浮かぶ。いや、なぜか忘れていた記憶がよみがえったのだ。

「海部野(あまの)……。なんで、私は彼のことを忘れていたんだ。……そうだよ。確かに、人づてに神隠しに遭ったって!」

 ミオは魔王の近くに跪くと、その髑髏の仮面をはぎ取る。
 血に濡れた顔が露わになる。
 最後に彼を見たのは6年前の小学6年生の時。
 少し大人びていたが、その顔は彼に間違いはなかった。

「なんてこと、なんで!」

 ユキトの意識はすでになく、肌に触れるとまだ暖かさが残っているのが救いだった。
 首元を触ると、かすかにだが脈拍を感じることができた。

「そこの聖女。今すぐ癒しの力を使って!」

 敬語などそういう意識もぶっ飛んで、ミオはソフィアに向かって叫ぶ。

「ぶ、無礼な。ソフィア様に向かってなんて口の利き方をするのですか!」
「うるさい。それどころじゃないんから。ソフィア、今すぐ海部野(あまの)に癒しの魔法を使って!」
「アマノ?魔王に?そんなこととんでもありませんわ!」
「そうだぞ。勇者殿!魔王を折角倒したのだ。なぜ回復させないといけないのだ!」
「海部野(あまの)は人間だ。多分、好きで魔王になったわけじゃないんだ!」
「人間?確かにそう見えますが。魔王であることには変わりありません」

 聖女ソフィアは汚いものを見るように、ちらりとユキトを見下ろす。
 その態度は彼を馬鹿にしたクラスメートのことを思い出させて、彼女の堪忍袋の緒を切ることになる。

「癒しの魔法を使わない?だったら、私が新しい魔王になる!そしてカレンディアをぶっ潰す。それでもいいか?」
「な、なんてこと!」
「それは大歓迎です」
 
 不意に会話に加わったものがいた。
 振り向くとそこにいたのはユキトに話しかけていた魔物ガタカだった。

「あんた!海部野(あまの)……、魔王が死にそうになってるんだ。助けるとか思わないの?」
「私に回復魔法が使えません」

 ミオが怒鳴りつけるがガタカは飄々と答える。

「本当!ソフィア、お願い。癒しの魔法を使って!今すぐ、じゃないと死んでしまう!」
「勇者様。私にはできませんわ。魔王を癒すなど」
「じゃあ!こうする!」
「勇者様!何をされますの?」
「勇者殿!」

 癒しの魔法はソフィアの特権だった。けれども、()()の魔法使いであるシルダも回復魔法は使えたはずで、ミオはソフィアを人質にすることで、回復魔法を使わせるつもりだった。

「シルダ。この剣で海部野(あまの)がされたようにソフィアの胸を刺そうか?」
「なんてことを!」
「勇者!狂ったか!」
「私はマトモだ。ただ友達を見殺しにできない。あの時、多分、海部野は聞いていたんだ。私は否定もせずにただ一緒に笑っていた。ひどい奴だ」
「何のことがわかりませんわ。勇者様、放してくださいませ!」
「放さないよ。シルダ。早く回復魔法をかけて!あんたが使えることは知ってる!」
「仕方ありません」
「シルダ!」

 泣きそうな声をソフィアが出しても、ミオは拘束した手を緩めなかった。
 ユキトの怪我を直して、あの時のことを謝りたい。
 そんな気持ちが意識を支配していて、ほかのことはどうでもよかった。

「ヒール!」

 シルダがそうつぶやくと、ユキトの胸に傷がふさがる。けれどもその目は閉じられたままだ。

「間に合わなかった?!」
「間に合わなかったようですね。勇者、魔王になってこいつらを殺してしまいましょう」
「貴様!」

 それまで黙っていたガタカが冷たく言い放ち、戦士タルカンが咆哮を上げる。

「あんたたちが遅いから。海部野(あまの)が、私のせいで!」

 もっと早く思い出していれば、仲間がユキトを襲う前にそれを防ぐことができたはずだった。
 それにユキトはミオが彼のことを思い出せないことに酷く傷ついた様子を見せていた。

「私のせいで」
「あなたのせいではありません。この人間たちのせいなのです」
「勇者様、聞いてはなりません。戯言など」
「戯言?本当のことでしょう?」
「勇者様!放してください。私が癒しの魔法を使って死の淵から彼を救いましょう」
「ソフィア様!」
「それは本当?」
「本当ですわ。恋する気持ちが痛いほど伝わってきました。それにあなたに魔王になられたら困りますもの」

 あれほどウザイと思っていたソフィアの笑顔、それがとても輝いて見える。
 恋という言葉には首をかしげたくなったが、彼を救うのが先だと、ミオはソフィアの体から手を放す。

「パーフェクトヒール!」

聖女ソフィアが目を閉じてそう唱えると、ユキトの体が光を帯びた。
 まるで時間が巻き戻ったように彼の体にこびりついていた血が消えていき、擦り切れたマントや切り裂かれた鎧が修復されていく。
 髑髏の仮面が外された顔から傷がなくなり、血色が元に戻った。
 するとミオの脳裏に新たな記憶が生まれる。
 どうやら、過去がどんどん変更されて行っている様子で、ミオは戸惑いながらも変わっていく記憶を追っていく。

「ガタカ?だっけ。海部野(あまの)を元の世界に戻して。お願い」
「突然ですね」
「海部野がこの世界に来なかったことにすれば、全部が元に戻る。あなたには都合が悪いかもしれないけど」
「そういうことですね。あなたには何かが見えているんですね。……いいですよ。陛下が、ユキトがいなくなっても私がどうにかしましょう。この5年で色々わかったこともあるので」
「勇者様。どういうことですか?勝手に話を進めないでくださいませ」
「ソフィア。すべてが元通りになるんだ。海部野が元の世界、日本に帰れば。魔界に少年は現れず、人の国も魔界から侵攻されない」
「そんなことが……。」
「ソフィア、信じて。お願い」

 6年前、人づてに彼の気持ちを知って、くすぐったいような不思議な気持ちに陥った。だけど、今思えばミオも彼のことが好きだったんだとわかる。
 ミオの新しい記憶、それは日本でユキトと再会する記憶だった。
 虐めのことが明らかになって、彼はミオの中学校へ転校してくる。それからなんとなく二人は付き合うようになって……。
 新しい記憶は甘くて、悶えそうになりながらも、彼女は自制する。

「なんだからわかりませんが、信じます」
「ソフィア様!」

 ソフィアが納得すればあとの2人は不満があっても従うしかない。

「では彼を元の世界に戻しましょう。勇者、彼にありがとうと伝えてください」
「うん。わかった」

 新しい記憶が部分的に曖昧で混乱している部分もあり、いつ伝えられるかわからなかった。でも必ず伝えようと頷く。
 ガタカが宙に魔法陣を描くと、黄金色に輝く。
 魔法陣の中心から光が伸びて、地面に横たわっているユキトを包むと、そのまま魔法陣へ吸い込んだ。

「お、終わり?」

 あまりにも呆気なくてそう聞いてしまった。
 しかしガタガが返事をする前に異変が起きた。
 すべてがゆがんで、立っていられなくなる。

「リセット、されたようですね」

 淡々としたガタカの声が聞こえた後、急に場面が展開した。

「……ミオ」

 明るい場所にミオたちはいた。
 目の前にいるのは、日本に戻ったはずのユキトだった。
 
「いったい」

 体を起こして周りを見渡すと、そこは家の近くの公園だった。
 目の前のユキトは6年前の彼ではなく、先ほど異世界で見た彼だった。

「……もしかして……?」

 彼の言葉と同時に新しい記憶が上書きされた。
 高校生になり晴れて恋人同士になった二人は学校帰り公園に立ち寄り、ブランコに座って他愛もない話をしていたはずだった。

「うん。記憶が戻った。今、異世界から戻ってきたんだ。本当に、よかった」

 ユキトがミオの中学校に転校してきてから、一緒に過ごしてきた。けれどもミオには「記憶」がなかった。時折、彼が不思議なことを質問してくると思っていたけど、今なら理解できた。

「やっと、あの世界のことを話せる。嬉しい」
「ごめん。遅くなった」
「遅くなんかない。ミオ、いや、多智川(たちかわ)。本当にありがとう。俺は日本に戻ってきてよかったよ」
「つらかったよね。力になれなくてごめん」
「大丈夫。あの異世界での5年の記憶。ミオ、いや多智川(たちかわ)のおかげで、どうにか乗り越えることができた」
「ミオでいいよ。ずっとそう呼んできたでしょう?」
「うん。なんか違うミオみたいで、新鮮だな」
「違うって、確かに、私も不思議な気持ち。海部野(あまの)と付き合ってるなんて!」
「いや?」
「そんなことない!ただちょっと恥ずかしい」
「そういわれると俺も恥ずかしいよ。ずっと何も知らないミオをだましている気にもなってたし」
「そうだね。説明してほしかったかも」
「説明しても信じてくれたかわからないだろう?」
「確かに、未だにちょっと不思議だもん」
「……俺はあの世界で確かに魔王だった。人殺しもした」

 ユキトは目を細めて、口を歪める。

「だけど、すべて元に戻ったはずだよ。安心していいよ」
「そうだよな」
「うん。あ、そうだ。ガタカがありがとうって伝えてって」
「そうか。ありがとうか。変な感じだな。俺こそありがとうって言いたいよ」
「ね、もしガタカが現れたらどうする?」
「うーん」
「異世界に戻りたい?」
「……正直言うとYESだ。だけど、人殺しはしたくないな。あと魔物も。魔法とかは使いまくりたいけど」
「そうだね。楽しかったよね。無双しまくりだったし、」

 ミオがブランコから飛び降りて、軽快な笑い声をあげたところで、急に周りが暗くなった。
 まだ日が落ちるには早すぎる時間だった。

「魔王になりませんか?」

 地面が光り、そこに現れたのは蛇のような肌に赤い瞳をもつ男だった。

「ガタカ!」
「お二人ともおそろいで」

 ガタカは二人の姿を認めると口元を歪めて笑う。

「魔王にはなりたくないけど、異世界には戻りたい!」
「それは無理な注文ですね」
「やっぱりそうか」
「ええ」
 
 ガタカは頷き、懐かしそうに目を細めた。

「ユキト。あなたが元気そうでよかった。元の世界はあなたにとって居心地のいい場所になったようですね」
「ああ。お前とミオのおかげだ」
「私は何もしてませんけどね」
「お前は俺の味方でいてくれた。色々教えてくれただろう?」
「あなたは何も知らなかったですからね。まあ、私も楽しかったです。おかげで今無事に魔王として過ごしてますよ」
「ガタカ。お前、魔王になったのか?!」
「柄じゃないですか?」
「似合ってるよ。海部野(あまの)より全然!」
「ひどいな」
「だって、あの髑髏の仮面とかちょっと趣味悪いよ」
「あれはなあ。ガタカが」
「え?」

 ミオは思わずガタカの顔色をうかがうが、彼は無表情のままだ。

「世界は元に戻りましたよ。人も魔物も小競り合いはありますが、大きな戦争は起きていません」
「そうか」
「よかった!」

 現魔王の言葉に二人は胸をなでおろす。

「さて、報告もしましたし、私は帰ります。妻が待っているので」
「妻?結婚したのか?」
「びっくりなんだけど」
「妻はお二人によろしくと言ってましたよ」
「よろしく?知り合い?まさか」
「ソフィア?」

 ミオの問いにガタカは答えなかったが、答えは明白だった。

「まさか」
「え?信じられないんだけど」
「それでは戻ります。さようなら」

 余韻も残さないほどあっさりとガタカは別れを告げ、あっという間に魔法陣に吸い込まれて消えてしまった。

「あっけないな。本当」
「なんていうか、ソフィアと」

 それぞれの感想をぼやいた後、ユキトがブランコから飛び降りた。

「まあ、ガタカが幸せそうでよかったよ」
「そうだね。あのソフィアと……っていうのが意外すぎるんだけど」

 空はオレンジ色に染め上げられていた。
 異世界で魔王だった少年は、勇者だった少女に手を差し出す。
 少女は少年の手を取り、二人は手をつないで歩き出した。

 

しおり