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第三十五話『勇者の輝きとルインの願い』※ルイン視点

 吹き荒れる雪の夜空の中で、ルインとミクルは戦い続けていた。
 互いの実力差には圧倒的な開きがあり、ルインは常に劣勢を強いられる。残された手札はあと少しで、勝ち目は薄い。だが、それでもとルインは諦めずに立ち向かい続けた。
 (――――絶対に誰にも頼らない。だってこれは、ルインがやらなきゃいけないんだ!)
 ミクルの魔槍から発せられる魔力の一撃をかいくぐり、ルインは魔力で構成した翼を羽ばたかせ、雪夜の中を飛び続けた。そして雪に混じる魔力をかき集めていき、それを球状の弾へと形成した。

 「……狙いは、そこ!」
 ルインはわずかな隙で体勢を立て直し、照準を定め魔力球を連続発射していった。
 厚い岩盤でも砕く威力の攻撃だが、ミクルは避けようともしない。魔王の鎧に漆黒の魔力をまとわせ、退屈そうな表情で魔弾を真正面から受け止めた。

 「……まだ続けるつもりです? 始めと比較してだいぶ威力が落ちてますし、もうこれ以上は時間の無駄だと思いますよ?」
 「これで終わりと思われるのは心外。ルインにも、まだ奥の手はある」
 「へぇ、興味深いですね。だったら特別にチャンスをあげます」
 余裕そうな笑みを浮かべ、ミクルは両腕を大きく広げて無抵抗をアピールした。ルインは何かの罠かと距離を取り、警戒を解かずにミクルを睨んだ。

 「それは何のつもり?」
 「次の攻撃に対して私は、『魔王の力』を一切使わないことを約束します。好きに時間を使って、私を倒しに来てください」
 「……正気?」
 「解釈はご自由にどうぞ。尻尾を巻いて帰るというなら、特別に追いはしません。ただ戦いを続けるというなら、それなりに覚悟はしてもらいます」
 そう言ってミクルは微笑み、目を閉じて動きを止めた。

 鎧に纏わせていた魔力も消えていて、防御魔法の類も発動していない。何かしらの奥の手が控えているのは明白だったが、ルインは引かず戦うことを選んだ。
 ルインは両手から魔力で形成した糸を伸ばし、ミクルの身体をがんじがらめに固定した。そして畳みかけるように魔法の詠唱をし、夜空を覆うほどの数の氷槍を作り出した。さらに足元に魔法陣を出現させ、残された切り札の準備を進めた。

 「――――原初の雷よ、今その力を解放し、眼前にいる敵を撃ち滅ぼせ」
 一つ二つと魔法陣を増やし、最終的に五つの魔法陣が周囲に展開された。さらにそれらを融合させ、威力を膨大に高めていく。術式が進むごとに大気が荒れ始め、雪雲の中に赤い雷がゴロゴロと音を鳴らしながら走っていった。
 この魔法は魔王ガイウスの愛用していたもので、ルインにとっての切り札だ。その威力は眼下に広がる町一つなら、一瞬で焦土に帰すことができる。

 (ここが地上だったらこの魔法は使えなかった。戦闘区域を空に移したことを後悔して、無残に死ね。魔王ガイウス!)
 糸の拘束をさらに強固にし、ルインは練り上げた術式を解放した。空中に固定していた氷槍が雨のように降り注ぎ、ミクルの身体を潰す勢いで衝突し始める。続けて詠唱を紡いでいき、夜空から赤い雷撃をミクルへと喰らわせた。

 二種の攻撃は凄まじい轟音を立て、辺り一帯には爆発と衝撃波が巻き起こった。一瞬だが周囲の雪が無くなるほどの熱と風で、ルインの視界は白煙で覆われた。
 「はぁ……はぁ……これで」
 すべての手札を使い切り、その反動と疲労でルインは荒く息をつく。風に流されていく煙を睨みながら、ミクルがどうなったのかを確かめた。倒すまではいかなくても、せめて深手ぐらいはと淡い期待を抱いた。――――その時のことである。

 突如煙の中心地点付近から、七色の強い光が発生した。その輝きは立ち込める煙を吹き飛ばし、夜の町を真昼のように照らした。
 姿を現したのは無傷のミクルで、その身には見覚えがある鎧と剣が装備されていた。
 「……それは、その力はまさか」
 アルヴァリエに住む者ならば、誰しも一度はその光を目にする。あれは世界の理と秩序を乱す存在を滅し、人の世に安定をもたらす『勇者の力』だ。

 女神の領域での会話に参加していなかったルインにとって、ミクルが勇者の力を持っているのはまったくの予想外だ。勝ち目など最初から存在せず、だからこそミクルは終始余裕な態度を保っていた。
 「なんであなたが、その力を持っているの? それは……」
 「なんでって、私が勇者として選ばれたからに決まってるからですよ。約束通り魔王の力は使わなかったので、そろそろ終わりにします」
 「……っ」
 何か打開策はと思考を巡らせるが、もう戦いに使える魔力は残っていない。一旦引くべきとルインが考えると、一瞬で間を詰めて目の前にミクルが現れた。

 「――――さようなら。私と同じ、家無き子」
 その言葉と共に振り下ろされた刃を、ルインは残った魔力すべて使って受け止めた。だが相殺しきれずに腹を切られ、そのまま夜の町へと落ちていった。

 ふと目を覚ますと、ルインはどこかの建物の中に倒れていた。辺りには瓦礫が無数に散乱していて、天井は焼け焦げたように壊れ無くなっていた。重い身体を強引に起こすと、腹に受けた深手がズキリと痛んだ。
 (……追ってこない? それとも、様子見でもしてるのかな……)
 出せる手札をすべて切り、ルインはミクルに完敗した。
 事前に勇者の力の存在を知っていたところで、結果は変わらなかっただろう。魔王を倒すと手紙を二人に残したのに、手傷一つすら負わせられないなど悪い冗談だ。

 「これから……、どうしようかな」
 もし魔王を倒せたなら、異界の門を通ってアルヴァリエへと帰るつもりだった。そして反魔族連合軍に出頭し、魔王ガイウスが起こした罪を償うつもりだった。当然死罪は確実で、それで魔族全体の罪が緩和されるなら安いものだとルインは考えていた。

 (今となっては、ただの妄言でしかないけど……)
 身体を引きずって歩き、ルインは焼けた建物の外に出た。辺りには相変わらず雪が降っていて、視界の中に人影はない。敷地の駐車場付近まで歩き後ろを見てみると、さっきまでいた建物にどこか見覚えがあった。

 「ここって確か、パパ…………レンタが働いてところだ」
 あの時は今日ほどではないが雪が降っていて、二人と手を繋いで町を歩いた。今となっては懐かしい記憶で、もうあの場所には戻れないと現実を突きつけられた。
 胸いっぱいに切なさと虚しさが湧き上がり、寒さ混じりに口元が震えた。

 「二人は……元気かな。そうだったら、嬉しいな……」
 建物の敷地内から出ていき、ルインはフラフラと無人の通りを歩いた。厚く積もった雪のせいで中々前に進まないが、ルインにはまだやることが残っていた。
 それはガイウスに肉体を利用されないために死ぬことだ。この状態でも自分の身を焼いて魔族としての痕跡を消すぐらいはできる。

 「せめて……、道の真ん中では死なないようにしなきゃ……ね。関係ない人に……必要ない迷惑をかけちゃうだろうし……」
 もうろうとした意識でいると、道の途中に見覚えのある物を見つけた。それは以前レンタが使い方を教えてくれた公衆電話だ。ルインは導かれるようにしてそこを目指し、倒れ込むようにして中へと入った。
 (どうせ死ぬなら……、せめて…………最期に)
 二人の声が聞きたいとルインは願った。ポケットに入っていた百円玉を電話機に入れ、もらったメモ書きを見ながら震える指で番号を打ち込んでいった。


 ルルルと単調な機械音が鳴り、電話はすぐにつながった。
 『――――ルイン⁉ 今、どこにいるんだ!』
 聞こえたレンタの声は必死そのもので、ルインは思わず微笑んだ。別れてからだいぶ時間が経ったのに、未だ身を案じてくれているという事実が嬉しかった。

 「……ごめん。手紙で約束したのに、ルインは……ガイウスを倒せなかった」
 『倒せなかったって、ルインは無事なのか?』
 「……うん、無事だよ。運良く……、逃げることができたの。だから、安心して……」
 無意識にパパと呼びそうになったが、すんでのところでこらえた。もしその繋がりの名を口にしたら、ため込んだ思いを吐き出してしまいそうだったからだ。

 「もういいから……、レンタはあの人の元に帰って………」
 家族愛に触れてこなかったルインにとって、二人と過ごした時間は本当の宝物だ。あの短い日々は宝石のように輝いていて、許されるならもう一度そこに戻りたかった。
 「魔王を……追っちゃだめだよ。あれはもう……、手が付けられない。この世界ですら……倒すのは不可能になったから」
 『……ルインは、俺たちの元に戻ってくる気はないのか?』
 「ルインはこれから……、遠くへ旅に行くの。だからもう、会うことは……ないよ」
 わき腹の深手に触れ、ルインはもう自分が長くないと理解した。徐々に立っているのも億劫になり、無意識のうちに受話器を持ったまま床に倒れ込んだ。

 すぐにレンタは安否を聞いてくるが、ルインは大丈夫だと強がった。そして最期にさようならを言おうとすると、受話器の向こう側からレンタが優しく言い聞かせるように言った。
 『ルイン、最期だって言うなら教えてくれ。本心では俺たちのことをどう考えてたんだ?』 
 「それ……は……」
 『――――ルインは俺たちと、一緒に居たくはないのか?』
 二人を悲しませたくなくて、本心は死の瞬間まで隠しておくつもりだった。
 けれど孤独と痛みによる辛さが限界で、耐えていた感情が溢れ出す寸前だった。ここで本音を言ってはならないと心を律し、平静に突き放したことを言おうとした。

 しかしルインの口から紡がれた言葉は、嘘偽りのない本心だった。
 「……ルインは、ずっと二人と一緒にいたい。もう……独りは、嫌だよぉ……」
 情けなく涙を流し、受話器を抱えて「助けて」とルインは言った。どうせ間に合うはずもなく、レンタを危険な目に会わせてしまうだけなのに、一度溢れた感情は止まらない。

 もうやめなきゃとルインは考える。けれど意思に反してまた、「助けて」と救いを求めた。二人に会いたいと、ひたすら願い続けた。
 『そうか、なら――――……』
 そうレンタが言った瞬間、突然通話が途切れ公衆電話のガラスがバリンと割れた。

 「――――きゃ⁉」
 降り注ぐガラスに耐え、ルインは驚き顔を上げる。すると緑色の電話機の中心に、魔王の槍が深々と突き刺さっていた。さらに足音が聞こえ目を向けると、そこには瀕死のルインに近寄るミクルの姿があった。

 『安心しろ。お前ほどの利用価値がある者を、みすみす死なせることはない。我が眷属ルインよ、特別にその身を有効活用してやる』
 また精神を乗っ取ったようで、ミクルの意識は完全にガイウスとなっていた。
 余裕な足取りで近づいてくるガイウスに背を向け、ルインは割れた電話ボックスから這い出た。レンタが買ったダウンジャケットがガラスで裂け、積もった雪に身体が埋まってしまう。逃げれるはずなどないのに、ルインは必死にあがき続けた。

 「帰る……、帰るんだ……」
 レンタが言おうとした言葉の続きをルインは聞きたかった。それが辛いものだったとしても、ちゃんと聞いてからすべてを終わらせたかった。
 「二人の……、パパとママの元へ…………!」
 雪でかじかみ真っ赤になった手を伸ばし、ちょっとずつでも前へ進み続けた。背後からはガイウスの足音が近づくが、無理だと諦めることはしなかった。

 『……無様だな。その往生際の悪さは、同じ魔族として見るに堪えん』
 「はぁ……はぁ……。お前になんか、ルインは屈しない……!」
 『ふん、もういい。邪魔な四肢を切断し、必要な部分だけ持って帰るとしよう』
 ガイウスはミクルが持つ勇者の力を使い、七色の魔力を発する聖剣を取り出した。それを軽々と振るい、切っ先をルインの右腕へと定めた。

 『――――ではな、我が眷属よ。二度と覚めることなき夢へと堕ちていけ』
 無情な声と共に聖剣はルインへと振り下ろされた。切り裂かれる恐怖で目を閉じるが、いつまで経っても痛みは訪れなかった。

 「……え」
 恐る恐る目を見開き、ルインは驚愕した。何故なら目の前には思い焦がれたレンタの姿があり、ガイウスが振り下ろした剣を腕に纏わせた黄金の光で受け止めていたのだ。

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