inning:10 大会への試練
……ゴールデンウィークが終わり、あっという間に5月に別れを告げて、遂に勝負が始まる6月を迎えた。
「しゃー！来いやー！」
「セカンセカン！」
「あうとーー！」
夏大に向けて、練習を重ねていく鋼汰達。6月に入り、生徒らの制服が夏服へと変わった彼女らは、暑さも試合も、本格的な夏に突入していく。
近づく夏大。昨年西塔の活躍で準々決勝まで進んだとのことだが、現代の東京は超が付くほどの激戦区。
白蘭は東東京地区に席を置く。そしてその東東京地区は、「四天王」と呼ばれる強豪が顔を揃えているのだ。
昨年の夏大優勝校である黒揚羽女子高校。今年春の選抜でベスト4に入り、特にエースの時枝は高い完成度を誇るドラ1候補左腕。更に準優勝校の関東女学院は歴代最強とも言われるほどの攻撃力を持ち、その他にも二桁回数の甲子園に出場経験を持つ精錬学園、早稲田総合。そんな甲子園に出場する怪物チーム達を倒さねばならない。
毎年のようにプロ野球選手を輩出するような超強豪と呼ばれるこの東京地区は、「関東の甲子園」と呼ばれ高校野球ファンの間で話題。
だが県内には中堅高や名門に手が届かんとする高校も多く、四天王を差し引いてもそのレベルは非常に高いのだ。
じりじりと照り付ける暑さの中、白球を追う。
温暖化や過密日程などの事情を考慮し、今月に迫った本番に気迫と情熱が昂る……。
……はずなのだが。
「盗塁阻止ー！」
「はーい！」
セカンドの神干潟先輩に向けて、聖川が送球。
西塔は最近リハビリでよく休んでおり、メニューを小幡と聖川が聞いて、仲間に共有している。
盗塁阻止の練習。バッターが右打席ならセカンド、左打席ならショート、こういった形でカバーに入るのがセオリー……なのだが。
神干潟先輩と駒田先輩がお見合いする形でセンターに抜けていく。それを見て、ランナー役の鋼汰は一気に三塁へ。
センターの小幡先輩が三塁に送球するが、彼方の方向に飛んで行った。
「わりい！」
「送球、正確にー！」
「平気でス！マリー！」
「マリー！」
「うるせえ！やめろ！」
聖川から声が飛ぶ…が、誰も反応を見せず。
そしてもう一度、そのまたもう一度。同じプレーで、同じミスを連続させた。
「……どうなっている……？」
急に選手らの動きが鈍くなった。……否、急激に、注意力と集中力に欠けたプレーが頻発している。それに、聖川は驚きを隠せない。
ここ最近……それも、ゴールデンウィークが終わった1ヶ月前から。こういうプレーが散見されている。
ブルペンでネットを相手にピッチング練習をする響子と畠山は、それを傍目で捉えていた。
「なんか、先輩達……おかしい」
「緊張の糸が、切れたみたいっす」
緊張の糸が切れた…。正にその言葉が正しい。
言葉通りに、2年生の選手らはミスをしても笑い飛ばし、どこか動きが鈍重でキレが無い。
疲労か、と聖川はその言葉を脳裏によぎらせる。しかし、メニューは西塔が組んでいるはずだ。オーバーワークにより自身が怪我をしたのに、仲間に怪我をさせるようなメニューを組むわけがない。
「……やっぱり、西塔先輩が居なくなってからみんな覇気が無い……それが、プレーにも現れている……」
「おわ！やべ！おら！」
「ちょいマリー！どこなげてんねん！」
「おーい浴衣ー！もっかい頼む！」
「……」
聖川は、足元に転がってきたボールを睨み付け……右手に怒りを浮かべた。
「浴衣ーー！」
「聖川はーん！はよー！」
「ユカタ！」
3人の声が響く。そしてその時、聖川はどこか呆れた、いや諦めたような息を吐いて、マスクを外しながらそのボールを拾う。
そして聖川は何も言わず、ブルペンの方へと歩いていく……。
「……馬鹿馬鹿しい……」
その呟きに神干潟は反応し、動きを止めて聖川に歩み寄る。
「どうしたん？聖川はん」
「……これ以上練習すると怪我をします。もうやめた方がいい」
「ああ？何言ってんだよ、浴衣」
「ユカタ、ボールプリーズ？」
その場に、小幡とソディアもやってきた。
しかし、聖川は3人を睨み見上げる。
「これ以上練習をするのは無駄だと申し上げているのです」
「何でそないなこと言うん？」
「ほんまやで！」
「小幡はん、関西弁下手くそや」
そんな小芝居を始める2人、笑うソディア。その光景を見て、聖川は遂に舌を鳴らした。
その反応に小幡らが怪訝な顔をし、聖川は3人に怒気を孕んだ視線で睨みつける。
「……黙って見ていればダラダラダラダラ……普段ならセオリー通りにやれるプレーはできない、送球もノックも雑、走塁は手を抜く……最近の先輩方の体たらくは一体何ですか？私をおちょくっているのか」
「……ああ？」
小幡が、聖川に詰め寄る。
睨む両者。一歩も引こうとしない2人に、神干潟とソディアは少し後ずさってしまう。
しかしそんな2人を放って、2人は唾を飛ばし合う……
「さっきから聞いてりゃ、なんなんだ？あ？調子乗ってんのか？結果出してるからってよ」
「西塔先輩が居なければ練習も満足にできないのですか？更に自分のことも見えていないとなると……まさか貴女、誰かが見ていなければ野球ができない小学生だったのでしょうか」
「何だとてめえ！」
小幡は聖川の胸ぐらを掴み、それを見た響子と畠山、そして志絵と鋼汰が駆け寄る。
「お、おちついて浴衣ちゃん！」
「浴衣、今練習中だし……」
響子と志絵が必死に宥めようとするが、聖川はそれに聞く耳持たず、胸ぐらを掴んで鼻息の荒い小幡を睨む。
「今までのあの野球に従順な態度は西塔先輩の前だけだったんですか？答えてください。小幡先輩」
「……調子乗ってんじゃねえぞてめえ！」
「そもそも、ゴールデンウィークで中堅校に勝てたからといって、夏にもまた勝てるという保証は無いでしょう。私達に負け、悔しい思いをした中堅校は更に練習を重ねて来る。いつまでも同じ場所では燻っていない。成長しなくとも、成長しようともがいている……さて、今の貴女方を見て、そんな人達はどう思うでしょうか？お答えください？小幡先輩、神干潟先輩、山内先輩」
「うちにも言うんかいそれ！？」
「ユカタ……ワタシ、そんなに下手なことをしていましたカ……？」
「小幡先輩、ゴールデンウィークから西塔先輩が定期的に部活をお休みされていますが、あれから何か成長したことはありますか？」
「てめえはあんのかよ」
「フレーミングが上達しました。というより、質問に質問で返すのはやましい証拠なのでは？」
「そないなこと言うたって、聖川はんもミスはしてるはずや」
「はい。当然私も人間なので……ただ、論点をずらさないでくれませんか？」
「ズレてねえよ」
「ズレてますよ。そもそも小幡先輩、何回同じボールに引っかかるんです？外角低めの変化球。相手もそれを分かって、最後はそこ以外ボールを投げなかったではありませんか。ホームランの時とて、同じミスをしようとした」
「なんだと……？あたしのホームランにケチ付ける気か！？」
「そりゃあ言いたくもなりますよ。同じミスを、目の前で、ヘラヘラと！何度も何度も同じことをされて、こちらが迷惑を被っていることに気も付かない！そんな先輩が先輩だと、迷惑だと叫びたくもなる！！」
「てめえ……舐めた口聞いたんじゃねえぞ……？」
「お互い様です」
「す、ストップ！2人とも！」
これ以上ヒートアップしたら聖川が危険だ、とさすがに見かねた鋼汰と響子が止めに入る。
「きょ、今日はもう終わりましょう！今月には夏大がありますし、ちょ、調整！」
「離せ山田！こいつにはあたしから言ってやらないも気が済まねえ！」
「西塔先輩が居なくなって野球ができなくなる、と？」
「聖川さん！」
鋼汰を振り払おうと暴れる小幡。しかし2人の視線はまだ睨み合い、それに気付いて鋼汰は小幡の目の前に立って目を逸らさせた。
「浴衣も、ちょっと抑えて…」
「何故抑える必要がある？事実だろう。先輩が相手だからと忖度する意味は無い」
「てめえ！良い加減にしろや！」
「こちらのセリフです」
「小幡先輩！聖川さん！落ち着いて！響子、志絵、聖川さんをお願い」
「わ、分かった」
「うん！」
騒然とするグラウンド。
小幡を鋼汰がなんとか宥め、ソディア、神干潟、駒田らと共にグラウンドの外へと向かわせた。
対する聖川は冷静な表情で息を吐き、そのまま響子と畠山にブルペンに行くように諭し、その後ブルペンから轟音が鳴り響いていた。
全体練習はその時点で終了となり、できるだけ2人を近付けさせないようにしながら、その日の練習は解散となった……。
「……ケッ！」
「聖川はんも言い過ぎやわ……確かに、ちょっと気は抜けてたけど」
と、2人は部室で着替えながらそう話す。
小幡の怒気が神干潟にも移ったのか、2人ともどこかピリついているようだ。
「ユカタ……ワタシ、申し訳ないことヲ……」
「……今更反省しても遅いわよ……山内さん……信用は態度で取り返す……それは、日本もアメリカも変わらないわ……」
「そうですネ……ワタシ、ユカタに謝りまス」
「あんな奴に謝る必要はねえ！あいつらに、あたしらの何が分かるってんだ」
「ほんまに！所詮1年やろ！何考えてんねん！」
と、小幡と神干潟はそのまま部室のドアを荒々しく閉め、部室を後にする。
「……マリー、シノノメ……」
「……」
ソディアと駒田も着替えを済ませる。そしてその場に、相変わらず冷静な聖川を宥める、着替えを済ませた1年生ズが集まっていた。
「ゆ、ユカタ……ミナサン」
「……どうかされましたか？山内先輩」
1年生ズは、ソディアを見つめる。しかし聖川は、冷たく、そしてどこか突き放すように。彼女は、ソディアを睨み付けている。
ソディアはその冷たい視線に背中を凍らせる。だが、彼女はゆっくりと歩み寄り、聖川を見据えた。
「……嫌な気持ちにさせテ、あんなプレーばかりシテ……ごめんなさイ……謝りまス、ユカタ……」
「……何故、謝るのです？謝るなら最初からやらなければよかったのに」
再び、聖川の冷たい言葉。
鋼汰が宥めるが、聖川は鋼汰に何故？といった視線を向ける。しかし、ソディアは止めない。
「……言い訳に過ぎませン……ワタシ、日本に来たばかりなのデ……日本の人間関係に慣れてなくテ……」
「それとこれと何の関係が？」
「……日本ハ、みんなに合わせないト……いじめられまス。だから……」
「……ニュアンスは分かります。ただ、それとこれとは話が別。今更謝られても」
「信用ハ！プレーで取り戻しまス！だから明日かラ！見ていてくださイ！」
ソディアは聖川の冷たい視線にそう言い返し、聖川はどこか驚いたような表情を浮かべるが、やがて息を吐いた。
「……謝る相手を分かっている時点で、山内先輩はまともな方だと分かっています。有言実行、お願いします」
「YES！任せてくださイ！」
「……良かったわね……山内さん……」
「YES！ワタシハ、同じことでの反省は一回しかしませン！」
「……駒田先輩」
と、聖川は駒田に声を掛ける。
「……何かしら……？」
「……小幡先輩の態度に、少し気になる点があります。西塔先輩が居ないと……と言った時……何故、あそこまで怒りを露わにしたのでしょう？」
「……？普通ニ、怒っタ……？」
「……そうね、去年までアメリカの学校にいた山内さんと……1年生は、知らないこと……ある意味それは、私達に生み付けられた……コンプレックスのようなものだから……」
「コンプレックス？」
「そう……話は、去年にまで遡るわ」
そう言って、駒田は呟くように語り始めた……。
⚾︎⚾︎
……2021年、7月某日。
昨年。まだ、鋼汰らが中学生だった時。
夏の高校野球・東東京予選準々決勝第3試合。学生野球の聖地・明治神宮野球場で、白蘭高校のマウンドにはエースの西塔。
2年生ながらエースに君臨した彼女は、躍動していた……。
「ストライク！バッターアウト！」
得意なカットボールで空振り三振。
これで試合を折り返し、0-0。西塔はここまで8奪三振の見事なピッチングを見せ、対戦相手である今大会の大本命、四天王の一角・黒揚羽女子高校打線を0に抑える活躍を見せていた。
当時、黒揚羽女子高校は春夏連覇がかかった大事な大一番。
そして白蘭高校は、黒揚羽女子高校相手に西塔のピッチングで互角の闘いを見せていたのだった。
「しゃあ！ナイス西塔さん！」
「ええ」
笑顔を見せる西塔。
1年生ながら、1番・ファーストでレギュラーとして出場している小幡は、その頼もしい姿に貫禄さえ感じていた。
西塔を援護したい白蘭。しかし、3年生で固めるクリーンナップが、黒揚羽女子の2年生エース左腕・時枝の前に、ヒットすら放たない状況。8番9番が凡退し、時枝のノーヒットピッチングが続いている。
時枝は、片方だけ自分の胸まで伸ばした黒髪を振り乱し、オッドアイを現す。
《１番、ファースト、小幡さん》
左に対し、有利な右打席の小幡。しかし、時枝の前にボールがバットに当たらない。
時枝の荒れ気味のストレート、そして「消える」と評されるほど変化の大きいスライダー、そしてフォークにツーシーム。
小幡はツーシームで追い込まれると、4球目を捉えた。
「しゃあ！」
「ナイスや小幡はん！」
「ナイスバッティング！小幡さん！」
打球は三遊間を抜け、西塔の選んだ四球以来久しぶりの出塁。小幡は一塁でストップ。
三塁側ベンチは黒揚羽女子高校の応援団。対し、白蘭の方には誰もいない。しかし、西塔達の声が聞こえるだけで……小幡は、その心に勇気と言う名の炎を灯していた。
《２番、ショート、駒田さん》
小幡と共に1年生ながらレギュラーに抜擢された駒田の、その初球。
「ストライク！」
小幡はその俊足で、二塁を陥れる。
自信に満ちたその表情、プレー。それが黒揚羽女子高校バッテリーを撹乱し、この試合初の得点圏にランナーを進めた。
「しゃあ！」
「ナイスラン！」
そして2球目、小幡は三塁に向かう……。
「セーフ！」
キャッチャーの送球は完璧。しかし、小幡の脚が勝った。ツーアウトながらランナーを三塁に進め、黒揚羽女子バッテリーがマウンドに集まる……。
「（おーおー、困ってやがる困ってやがる）」
「（……小幡さん、あまりニヤニヤしない）」
「（分かってるよ）」
黒揚羽女子ナインがグラウンドに散り、試合が再開される。3球目、駒田が見逃してワンボールツーストライク。2番打者を天職とする駒田の前に、時枝は髪を払って汗を拭った。
4球目。駒田はボールを見逃して、並行カウント……
「（春香）」
「（ええ）」
2人は視線を合わせず、小幡は駒田に指示を送った。
左の時枝が三塁ランナー・俊足の小幡を警戒する中。
駒田への、5球目……。
「！」
時枝は、小幡の行動に気付く。
時枝が投げ始めた瞬間。小幡はホームベースに向かって駆け出している。駒田はそれでもヒッティングの構えをしており、時枝は思わず思考の中に迷いが生まれた。
しかしボールカウントに余裕がある。それを刹那の中で思い出し、時枝は高めに大きくウエストする。しかし、駒田はそれに反応。バットを引き、小幡のスライディングの為に打席を外した。
キャッチャーにボールが届き、タッチをするタイミングと、小幡のホームスチールは同じタイミング。
審判の判定に、注目が集まる……。
「アウト！スリーアウトチェンジ！」
小幡の決死のプレーも実らず。得点は阻止され、時枝は表情を変える事なくベンチに戻る。
小幡は牙を鳴らすように息を吐き、駒田に手を借りてベンチに戻った。
「ナイスラン、小幡さん」
「すんません、得点できませんでした」
「謝らない。あっちが一枚上手だっただけよ。それより、守備。頼むわね」
「はいっす！」
6回の裏。西塔は、黒揚羽女子打線をシャットアウト。
しかし時枝も、白蘭の追随を許さない。
そして7回の裏。黒揚羽女子のクリーンナップから始まるこの攻撃で、試合は動く……。
《7回の裏、黒揚羽女子高校の攻撃は、
3番、ピッチャー、時枝さん》
左の時枝から始まるこの回。西塔は疲労が色濃く顔を現れる……しかし、投げるボールは勢いを失っていない。
「ストライク！」
西塔のストレートが、145km/hを計測する。2球目。時枝はカットボールをカットするが、これでツーストライクナッシング。
追い込んだ。そう安堵した西塔は、3球目にカットボールを外角低めにバックドア。しかしこれが外れ、ワンボールツーストライクとなる。
ここまで時枝は2打数ノーヒット。西塔の前に、そのバットは湿っている様子。
西塔は4球目。フォークで空振り三振を狙うが見切られ、並行カウントとなった。
「（……ここでストレートを投げても良いけど、黒揚羽の4番と5番はストレートに合い始めてる。迂闊にストレートは見せたくない。ここで確実にアウトを取るには）」
今日、4番と5番からそれぞれ安打を浴びている。それを警戒し、ボールを人差し指と中指で挟み、西塔は投球動作へ。
そして西塔の指はそのボールをしっかりと弾き飛ばし、そのボールはミットに向かって真っ直ぐに向かっていく……。
「……！」
そのフォークを引っ掛け、平凡な打球はファーストへ……。
「ファースト！」
正面の打球に小幡が反応し、打球を捕球……
……が、打球はファーストミットに収まらず、小幡の股下を通り抜けてライト方向へと転がっていった。
「……！」
小幡は慌てて打球を追う。
しかし深い場所でセカンドの神干潟が素早くカバーに入る。小幡は慌てて一塁に戻ろうとするが、時枝は既に一塁に到達。
小幡のエラーで時枝が出塁し、黒揚羽女子サイドは大盛り上がり。西塔はそれでも苦しさを顔に出さず、気丈に投げ続ける。
「ファースト！」
……だが、萎縮した小幡を黒揚羽女子の4番は狙う。
小幡はその強い打球に反応できず、打球は体でファンブルを起こしてライトファールグラウンドへ。
時枝が二塁を蹴り、ライトを守る選手が急いで神干潟に中継させる。
「……」
しかし、ノーアウトランナー一、三塁。西塔は小幡の連続エラーでピンチを背負い、相手は今日安打を放っている5番……。
西塔はそれでも表情を変えず、息を吐いてボールを投じる。エースとしての責任が、彼女を崩れさせないと言わんばかりに。そのストレートは、冴え渡る……。
「ストライク！バッターアウト！」
「……」
表情を変えず。西塔は、ボールを受け取った。
黒揚羽女子は2年生右腕・西塔の前にここまで無得点。そのフラストレーションをぶつけたいと盛り上がり、それを背負ったバッターは打席に立つごとにその風格を高めている。
しかし、それでも西塔は臆さない。自慢のカットボールが冴え渡り、2球目を自らフライ捕球してツーアウト。
「ツーアウト！」
西塔が、マウンドからバックに向かって叫ぶ。最後に彼女は、ファーストの小幡に向かってツーアウトのジェスチャーを見せた。
「……」
そんな彼女の姿が、今の小幡は悲しいほどに眩しく見える。
いつだって気丈で、弱みを見せない完璧な選手。彼女の足を引っ張る自分は、一体どう見えているのだろう？
ふと、小幡はそんな呵責に心と思考を支配される。
ミットの音が響いても、小幡はあまり反応しない。7番打者を追い込んだ西塔は、バッターにプレッシャーをかける為に吼えた。
「……」
さっきまで自分を支配していたものは、もうどこにも見えない。
西塔のボールが、レフト方向にファールとされる。彼女のボールに疲れが見え始め、黒揚羽女子は後ほんの一押しを待っていた。
「（……やらせない。みんなの為に、私が……！）」
西塔は、ボールを握り締める。
ここまで1人で投げ抜いてきた彼女の総球数は、1回戦からここまで、今の段階で500。
西塔はとうに限界を超えている。だが、彼女は強靭な精神力でそれを堪えているのだ。
「……」
投球動作に入る西塔。ランナーは駆け出す。
バッターはバントの構えを見せ、小幡と西塔は駆け出した。
「……」
打球は小フライ。西塔が向かおうとするが、彼女はグラウンドに足を取られる。
それに反応したのは小幡。その俊足を飛ばして打球に飛び付き、グラブをはめた右手を差し出した……。
⚾︎⚾︎
「……その回に1点を失った西塔先輩は崩れて4失点。卒業した先輩に代わったけれど……そこから2点を奪われて、私達はそのまま敗北したわ」
「……小幡先輩は、その敗北に責任を感じていると？」
「……そうね……それから……チーム事情もあって小幡さんはその俊足を生かす為に外野手に転向したわ……ああいう性格だけれどかなり繊細で、練習には誰よりも真面目に取り組む姿は私達も刺激を受けた……けれど」
「けれど……？」
「……あくまで、それは西塔先輩がいるからこそ。今年西塔先輩が怪我をしたのが分かった時、熱を帯びていた彼女の表情は……どこか、冷めきっていたわ」
「……」
「西塔先輩は、チームの柱。小幡さんは、チームの精神的支柱。その２つが崩れた、今のチームは」
「……崩れる」
「……マリー……ユー……」
「…… 」
「ゆ、浴衣……」
「ここまでの話を聞いて、お前達はどう思う？あの体たらくを」
「……それは……」
「良くないっすけど、だからってあんな挑発するみたいな言い方は」
「……確かに、あの発言は私も大人げなかった。しかし……言いたくもなるだろう。後輩を、チームを引っ張る主力の2年が、西塔先輩が投げられるか分からないという現実だけで手を抜き始めるなど」
「……確かに、ウチもあれは嫌かな」
「……私も、先輩があれではやり辛い」
「……山田も同じ気持ちのはずだ。しかし、今それをどうにかする手段を持っているのは西塔先輩のみ。良い意味でも悪い意味でも、我々の根底にあるものは西塔先輩頼りのワンマンチームだったわけだ」
「……」
鋼汰は、駒田を見据える。
「……駒田先輩は、まだ……諦めていませんか？」
「……ええ……」
「……ソディアさんは……」
「No problem！never give up！」
「……なら、十分でしょう。……まだ、このチームは終わっていない」
聖川は鋼汰の声に頷き、
「……私は、勝ちたい。このチームで、見返したい」
「うん。ウチもそう思う！」
「あたいもっす」
「私も！」
「僕も、同じ気持ちだ」
「……力を貸してくれないか」
「「「「もちろん！」」」」
聖川は、駒田とソディアを見やる。
「……ええ、私も力を貸すわ。小幡さんがあのままだと……こちらもやりづらいもの」
「ワタシモ！信用を取り戻しまス！」
「決まりだ」
「うん！」
決意を新たに、彼らは覚悟を固める。
西塔、小幡。チームの柱が崩れ始め、崩壊直前である中。
鋼汰の目の色が、変わった……。
⚾︎⚾︎
鋼汰ら1年生ズが帰路に就き、目の前の整形外科病院から出て来たのは西塔先輩。しっかり調整ができているためか、歩き方が前よりスムーズになっているようだ。
「西塔先輩～」
響子が呼びかけると、西塔先輩は振り向いて笑顔を向けてくれた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です！」
「山田君も、お疲れ様」
「お疲れ様です、西塔先輩」
聖川さんが前に出て、
「……西塔先輩、夏大……間に合いますか？」
「……」
「ゆ、浴衣……」
「……いいの。……骨はくっついたけど、まだ投げられるかは分からないわ。まだドクターストップ状態」
「……そうですか」
「でも、必ず夏大には間に合わせるから！」
「期待しています、ですが……無理はなさらず」
「ええ。響子ちゃんと畠山さんには負担をかけるけど……お願いね」
「はいっす！」
「はい！任せてください！」
「…山田」
「何かな」
「……肩の強い山田を見込んで頼む。一応、ピッチャーの練習もしておいてくれ。不確定要素を作戦に組み込むわけにはいかないからな」
「……分かった」
そしてその日は鋼汰らと別れ、1人帰路を行く西塔。
骨はくっついたが、まだまだ予断を許さない状況だ。
「……必ず、私はプロになる」
すると、電話が鳴り響く。
「はい、西塔です」
《あ、西塔さん？松山だけど》
「あ、プロデューサーさん。お疲れ様です」
《モデルの仕事来てるんだけどさ。今週の土曜日の16時開けといてくれる？》
「分かりました。ありがとうございます」
《あいよ、腰痛いならあんまり無茶しちゃだめだよ》
「はい、失礼します」
電話を切り、西塔は再び道を歩いていく。
段々と暑くなり、怪我も癒え始めた。
モデルに学業、そして野球……3足の草鞋を履く彼女の負担は計り知れない。
「……お母さん」
しかし彼女を突き動かすのは、今は亡き元セミプロ野球選手の母。自身の小さな頃の写真を待ち受けにして、変えた事は無い。
何故なら、母親と唯一写っている数少ない写真だから。それを眺め、彼女は横断歩道を渡る。
「……お母さん。私、必ずプロになるから……」
そう呟いて、彼女は決心を強くしたのだった。
⚾︎⚾︎
選手名鑑No.4 聖川浴衣
白蘭高校1年 捕手 身長150cm 右投右打
強肩と慎重かつ大胆なリードを持ち味とする、響子の女房役。冷静でリアリストな一面を持つが、野球に対しては熱い心を持っている。
バッターとしても選球眼が高く、キャッチャー故に配球を読み取ることができるという武器があるものの、小柄な為か長打力に乏しく、また俊敏性に欠け、打った後の走りだしが遅いが走塁は上手い。
生真面目な性格な為かセオリーや思惑通りの配球が多く、ピッチャーの気持ちを上手く理解できず、それが思考を止めるきっかけになったこともあった。
そして生真面目な部分が仲間と対立したり衝突したりする原因となる部分が見られるが、それはチームの為を思っての行動であり、仲間を想う気持ちは誰よりも強い。
猪突猛進な響子を支える女房役として、鋼汰は彼女に絶大な信頼を置いている。
能力詳細
（SABCDEFGの8段階、Sが1番高くGが1番低い）
右ミート E
左ミート D
長打力 F
・パワー G
走力F
・走塁力E
守備力
捕手E
・捕球 D
・送球 F
・肩力 C
・打球判断 D
・守備範囲 捕手E
・リード C
良得能
選球眼 走塁C リード◯
悪得能
内野安打× ショートバウンド×
