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一章第六節

 朝起きて、テレビをつけると。どこもかしこも昨日フリアージが現れた場所の映像が流れて。同じようなことを言っていた。十年ぶりにフリアージが現実世界に現れたと。
 あと、新しいヒーローが現れたとも取り上げてる。世界教会からの発表はなく、とかいろいろ言ってるが。そりゃあ、そうだろうよ。世界教会に見つからないために逃げたからな。
「おはようございます」
「おはよう」
 起きてきたジャンヌが、テレビを見て足を止めた。
「わー、地面ボロボロですね。枝垂さんのせいで」
「最初はジャンヌもやっただろう」
 テレビに映る、地面はタイルがはがれてボロボロになってるところが多い。幸いにも、建物には被害がないから修繕に時間がかからないらしい。
「でもほとんど枝垂さんじゃないですか」
「まあな」
 とはいえ、人守るためには仕方ないんだ。
「今日も仕事ですか」
「仕事というか、社長が来なきゃ仕事にならないからな。昼には帰ってくるから、弁当はいらない」
「わかりました。お昼ご飯のリクエストとかあります?」
「いや、ジャンヌが食べたいの作ってくれ」
「了解です」

 朝飯を食って会社に行く途中、浅野から電話がかかって来た。
「なんだ」
「先輩俺今日休むことになっちゃって」
「そうか」
 電話を切った
 なんてことない電話だったか。まあ、今日も社長は来ないだろうから問題はない。会社にいるだけで休みみたいなものだからな。
 昔、浅野に「なんで来ないってわかるんすか」ってきかれたことがあったが。今まで次の仕事が来るまでに最低でも二日は社長が来たことがない。
 っていうことを話した。これは今までも変わらない。だから今日も社長は来ないはずだ。
 スマホをしまってまた歩こうとしたら、電話がかかって来た。また浅野から。
「今度は何だ」
「なんだじゃなくて、理由も聞かないで電話切らないでくださいよ」
「別に聞く必要ないだろ、休みなんだから」
「いやそうっすけど。どうしたんだ、とか思ってほしかったっす。可愛い可愛い後輩のことを少しは心配してほしいっすよ」
「つまりは、お前が理由を話したいから聞けってことか」
「いやただ心配してほしかっただけなんすっけどね。理由、話していいっすか」
「聞いてやるから早くしろ、まだこっちは会社についてないんだ」
「社長は知ってるんすっけど、実は俺ヒーローなんすよ」
「そうか、病院行くのか。いい結果が出るといいな」
「俺の頭は正常っす!」
「なんだ、頭がおかしくなったんじゃないのか」
 誰だって急にヒーローなんだと言われたら、相手の頭の心配をするだろう。
「違います。ほんとにヒーローなんすよ。ほら、昨日の空間震で対応したのも俺っすし」
「まて、お前あのアーサーなのか」
「そうっすよ、すごいでしょう」
 まさかこいつが本当にあのアーサーだっていうのか。いや、聞いてみればわかるか。こいつが本当にアーサーなら、昨日のことを聞けばいい。
「じゃあお前、新しいヒーロー見たのか」
「見たっていうか、なんていうか。そのこともあって今日いけないんすけどね。確かにあれはヒーローだったっす」
「そうか、わかった。でもなんで俺に話した」
 そう、別に俺に話す必要はなかった。社長が知ってるならそれでいいだろうし。わざわざ電話で休むって伝えなくてもよかっただろうし。何がしたいんだこいつ。
 ヒーローの正体は秘密になってる事がほとんどだ、面倒ごとを避けるためにもな。なのに俺に話すとか、こいつ馬鹿なんじゃないだろうな。
 だいぶ馬鹿っぽい所はあったが、馬鹿にプログラミングはできないからふざけてるだけだと思ってたが。
「昨日、仲良くなりたいって言ったじゃないっすか俺。これから先輩と仲よくしようってのに嘘ついてるのも嫌だったんで。休みの電話ついでに言おうかなって」
「お前な、俺が誰かに話すとか思わなかったのか」
「え、先輩はそんなことしないじゃないっすか」
 こいつ、この。なんだってこんなに無条件に俺のことを信頼できるんだ。人を疑うってことをしないのかこいつは。
「どうしたんすか先輩黙っちゃって」
「お前が底なしのお人よしの馬鹿なことに呆れてるんだよ」
「なんか褒められてる気がしないっす」
「褒めてないからな、どちらかというと貶してる」
「ひどいっすよ先輩」
 だが、昨日のアーサーがこいつなら。ここまでお人好しなのもわかるか。二回も殺しかけたっていうのに、話しかけて。二回しかあったことのない人を、救おうとまでする。
 どこまでも優しく、人を信じようとする。誰もが憧れるヒーローっていう存在を体現しているんだ。
「それで、話はこれで終わりか」
「あっはい、そうっすね。もしかしたら明日も休むかもっすけど」
「その時はまた明日電話しろ」
「わかりました。それじゃあ失礼するっす」
 最後までふざけたやつだったな。でもこのふざけたやつがヒーローなんだよな。
 アーサーの時の浅野だだいぶ真面目に見えた。どっちが素なのかわからないが、まあ真面目な一面もあるなら安心できるか。何に対する安心なのかは自分で思ってもわからないが。

 会社に着けば、社長は来ていなかった。つまり、昨日と同じくほとんど休みというわけだ。
 他の社員が、寝たりゲームしたりしているなか。俺はネットニュースを見ていた。
 もちろん見ている記事は昨日の空間震に関するものばかり。
 連続して発生したのは、十数年ぶりだという記事や。新しいヒーローは一体どんなヒーローなのかという記事。あの場に三人目のヒーローが居たなんて言う記事もあるな。
 ただ、どの記事も推測されるだとか、曖昧な表現が多い。世界教会が公式発表をしてないからだな。
 空間震の後は必ず、世界教会が規模なんかを公式発表しているが。三日前、そして昨日の空間震に関しては公式発表してない。
 現在調査中っていうのが今のところ世界教会は発表している唯一のことだ。原因は、俺とジャンヌなんだろうがな。
 血眼になって探してるんだろうよ、少なからず、浅野が今日呼ばれたのもそれ関連だって言っていたしな。
 少なからず、聖遺物は世界教会に保管されてたんだろう。「聖遺物が向かっている」って聖遺物が俺の目の前に来た時にアーサーが言っていたからな。
 だから、あれがジャンヌダルクの使っていた聖遺物だって知っているはずだ。そして、浅野は家に来た時にジャンヌの名前を知っている。
 もしかしたら、今頃家に来てるかもしれないが。ジャンヌから連絡がないんだ、来てはいないんだろうな。
 見れるだけのニュース記事に目を通していると、いつの間にか昼になっていたらしい。社長からの電話が来てた。
「明日から仕事らしいが、今日は帰っていいそうだ。解散」
 いつものパターンだな。あとは納期が近いか余裕があるかだが明日のお楽しみか。いや、全く楽しみではないな。
 帰り道には何もなく、家についても何もなく。
 と、平和に家に帰れるはずだったのに。そうはならなかった。
 それは朝、浅野から電話がかかってきた場所のほど近くだった。昼になって、昼食を食べようと人がたくさん歩いていた。
   その人ごみの中を歩いていると、後ろから服を捉まれ足を止めなくてはいけなかった。
 自分から、足を止めたんじゃない。服を捉まれて、それ以上前に進めなくなった。
 こんなことがあり得るだろうか、後ろから服を捉まれて動けなくなるなんて。確実にありえない状況に遭遇している気がするが。どこか落ち着いている自分がいる。最近色々ありすぎて慣れたのか。
「ねえおにーさん」
「そんな年じゃない。なんだ」
 後ろから聞こえてきた声は女性、というより少女の声だった。
「おかしーなー。おにーさんって呼べば喜ばれるって聞いてたんだけど。ねえねえ、なんでこっち向かないの?」
「後ろを向いたら面倒ごとに巻き込まれる気がしてな」
 道を歩いていく人は、誰もこちらを見ていない。まるで俺と後ろにいる誰かがいないように避けていく。
 やはり後ろにいる誰かは普通じゃないらしい。どうにか逃げることはできないだろうか。
「面倒ごとじゃないよ。一緒に遊んでほしいだーけ」
「ならほかの奴にしろ。俺は忙しいんだ」
「やーだ。おにーさんから懐かしい感じがするんだもん。おにーさんがいい」
 逃げることはできないらしい。この状況で逃げた後の方がひどい目にあいそうだ。
「わかった。遊んでやるから服を離してくれ」
「にげない?」
「逃げないよ」
「じゃあいいよ」
 言葉と同時に動けるようになって、後ろを振り向いてみた。後ろに居たのは絵の中から出てきたようなかわいらしい子供だった。
 真っ赤な髪と目をした女の子。どこか、見覚えがあるような気もするが。きっと気のせいだろう、子供は大体同じ顔をしているからな。
「どうしたの?」
「いやなんでもない。それで何したいんだ」
「んーわかんない。おにーさん何処かいいところ知ってる?」
「どこでもいいのか?」
「うん。楽しそうなとこならどこでもいいよ」
 家に帰れそうにないし、行く所は一つしかないか。
「いらっしゃい。って枝垂じゃないか。平日の昼に来るなんて珍しいな」
「昼で仕事が終わったからな」
 向かったのはバーシュだった。何かと言い訳がしやすいからな。よくわからない、普通じゃない人をつれていくのは気が引けたが。
 他に昼飯が食べれそうな場所がここしかなかった。家に連れて行くのは論外だしな。ああ、ジャンヌに電話しないとな。
 店の中には、客が居なかった。ちょうどいいと思うべきか。
「へー、ここって何するところなの?」
「食事処だよ、食べたいの食べていいぞ」
「枝垂、お前まさか」
 峰の視線は後ろから入って来た少女に釘付けになっていた。ここまで歩いてくるときは、誰にも注目されることはなかったが。見ることができる条件が何かあるのかもな。
 さて、なんて言い訳するか。いや、この流れからして先にすることがあるか。
「源氏物語よろしく、自分好みの女の子を育てようと少女誘拐を‼」
「馬鹿なこと言うな」
「そうだよ、おにーさんは私が遊んでって誘ったからー。誘拐したのは私かも?」
「まあ間違ってないな」
 逆らったら何されるかわからない状況でここに来たわけだし。
「少女に誘拐されるとかうらやましいな」
「なら今すぐ変わってくれ」
「だーめ、私はおにーさんのことが気にってるの。こんなおじさんいやよ」
「なんで俺がオジサンで、枝垂がお兄さんなんだ。くっっこれが誘拐された人間の強みか。んで、なんか食ってくんだろ」
「お前がそれで納得したならいいか。ランチメニューくれ」
「あいよ、そっちのお嬢ちゃんはなにがいい?」
「おじさんにお任せ」
「じゃあ少し待っててくれ」
 峰が店の奥に引っ込むと、少女が体を寄せてくっついて来た。
「なんだ」
「おにーさんがお気に入りって言いうの本当なんだよ?」
「名前も知らないの子に気に入られてもな」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォートよ」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォートってどっちが名前なんだ」
「おにーさんすごい!」
「おい引っ付くな」
 名前を呼んだだけで腕に抱き着かれて。引き離そうにも力が強すぎて引きはがせない。腕を抱きつぶされてないだけましと思うべきか。
「私の名前聞いただけで言えるの、おにーさんが二人目よ。ママもパパも自分たちでつけておきながら途中でかんじゃうし」
「名前を付けた親が、子供の名前をかむのか」
「そうよ。噛むくらいならもっと言いやすい名前にすればいいと思わない。この名前のせいで私、名前全部覚えてもらえないのよ。だからみんなヴィオって呼ぶの。おにーさんもヴィオってよんで。私の名前長いから」
「じゃあヴィオ、一人目は誰なんだ?」
「一人目はお姉ちゃんよ。だいぶ前に居なくなっちゃって、探してるけど何処にもいないの」
 そう言うヴィオとても悲しそうにしていた。
「でもこっちに来れるようになったからこっちでも探すつもり。おにーさんも暇なら手伝ってね」
「暇ならな」
 人に見えて人ではない力を持つヴィオだが、そのうちに秘める心は見た目そのままの少女だ。少しくらいはヴィオのお姉さんを探すのに協力してもいいかと思った。
「はいよ、お待ちどうさまって。枝垂貴様」
「不可抗力だ、そんなにうらやましいならさっさと子供作るんだな」
「くっ確かにその通りだが、なかなかそうもいかないんだよ。こんちくしょう」
 峰は会った時には結婚していているが、いまだに子供ができないらしい。
「とりあえず、ランチのエビカツサンドとお嬢ちゃんの方はフルーツサンドな。あとオレンジジュースも」
「美味しそー」
 美味しそうに食べているヴィオを横目に峰に聞いた。
「フルーツサンドなんてメニューになかっただろ」
「試作してる最中だからな。まだメニューには載せてないんだが。小っちゃい子でも食べれるなら、そろそろメニューに追加してもいいかもな」
「そうか、いくらだ」
「ランチの分だけでいいぜ。試作のメニューだからな。オレンジジュースはサービスだ」
「ありがとよ」
「何、気にすんなって。長い付き合いだからな、誘拐ってのも冗談なんだろ。いろいろ事情がありそうなのは見え見えだ」
 誘拐はあながち間違ってもいなかったんだが、まあ訂正しなくてもいいだろう。事情があるのは本当だしな。
「そんで次どこ行くか決めてるのか」
「いや、決めてない」
「んじゃ、これやるよ」
「なんだこれ」
 手渡してきたのは二枚のチケットだった。
「水族館のチケットだ常連さんがくれたんだけどな、俺も嫁も忙しくて行けそうにないからやるよ。あのお嬢ちゃんと行ってこい」
「水族館なんて近くにできたのか」
「規模は小規模らしいけどな、町中の水族館だってそれなりに人気があるらしいぞ」
「そうか、助かる」
「なに、チケット使わないままだと常連さんに悪いからな。楽しんで来いよ。今度来た時に話聞かせてくれ」
「わかった」
 そのうちまた来ないとな。
「ヴィオ」
「なにおにーさん」
「水族館に行ってみようと思うんだが、行くか?」
「水族館楽しそう、行く!」
「なら食べたら行こう」

 水族館はそんなに遠くなかった。どうやらビルの中にある水族館らしい。ここに来るまでにはやはり誰もこちらを見ることはなかった。
 そして中に入って受付の前に行っても、それは変わらず。仕方なく声をかけた。
「すみません」
「えっ!あっはい、なんでしょうか」
 受付嬢には、急に俺たちが現れた様に見えたんだろう。とても驚きながらも、受付してくれた。
「へー、小さいのがいる。あれはなに?」
「カクレクマノミらしいな」
「魚?」
「そりゃあ魚だろ」
「そっか。可愛い魚がこっちにはいるんだね。あっちの大きいのは」
「エイだな」
「じゃあ、あっちは……」
 水族館に入ったヴィオは目につくものすべてが新しく、そして新鮮だったらしい。あれは、これは、と質問が絶えなかったが答えるととても嬉しそうにしていた。
 会って間もない、それこそ数時間しかたってないのに。ヴィオがいることが普通であるように思えてしまう。
 それが不思議でならない。最初は脅されるように一緒に居たが、こうやって水族館に誘った俺がいる。たった数時間一緒に居ただけで、ヴィオのことを気にかけている俺がいる。
 どの行動も普通の俺の行動じゃない。少なくともここ十年はな。だからこそ、こうなっている原因がわかるんだが。
 確実に、ここ数日の出来事が確実に影響している。死にかけた、ヒーローになった。どれがこうなった原因なのかはわからないがな。
 いや考え方を変えれば、普通に戻っているとも考えられるか。どちらにしろ、変わってきているということに、変わりはないか。
 それが俺にとっていいことなのか悪いことなのか、俺にもわからないが。

 一通り水族館を見て回って出口というか、入口の土産物屋にヴィオが入りたがったので入ったが。ぬいぐるみを見ると買っていきたくなる。今買っていたって、誰も居ない……。
 居るな、ジャンヌが。昼に帰れなかったし、お詫びに買っていくならありか。なんて、理由を付けたところで。由衣のために買おうと思ったことには変わりがないか。ジャンヌを理由に買い物をするなんて、最低な奴だな俺は。
 でも、ジャンヌのためという理由ができてしまった。だから、ぬいぐるみを買おうとすることは止まらない。
 とりあえずヴィオが商品を見てる間に、電話をするか。
「あ、枝垂さんどうしたんですか。帰ってこないかお昼一人で食べちゃいましたよ」
「ちょっと帰れない用事が出来てなすまん。夜には帰る」
「わかりました。待ってますね」
「おにーさん」
 ジャンヌとの電話が終わってすぐ後ろからヴィオの声がした。いつから後ろに居たのか、それすらもわからなかった。
「なんだ」
「これほしいんだけど、駄目?」
 ヴィオの手の中にあるのは、サメのぬいぐるみだった。そこまで大きくないはずだが、小さいヴィオが持つと見た目より大きく見える。
「いいぞ。それだけでいいのか」
「うん、沢山は持っていけないから」
「そうか。なら買おう」
 レジに行く途中にあった、ぬいぐるみの中から。ジャンヌが好きそうなぬいぐるみを一体買った。

 水族館を出て。行く当てもなくなった俺は、近くにあった公園にヴィオを誘った。
「アイスか、ヴィオ食べるか」
「食べる、えーとねストロベリーっていうのがいいな。赤くて私と同じだし」
「じゃあベンチで待ってろ、買ったら行くから」
「うん、待ってるね。おにーさん」
 ぬいぐるみを抱きしめたまま、ヴィオはベンチに座って足をぶらぶらさせていた。早く買っていくか。
「ストロベリーとバニラを」
「四百八十円です」
 ヴィオと一緒にいないときは普通に気づかれる。やっぱりヴィオが何かしているのか。
「ほらヴィオ」
「ありがと、おにーさん」
 ぬいぐるみを隣において、美味しそうにアイスを食べている今なら。ヴィオに色々聞けるかもしれない。
「なあヴィオ、君はどこから来たんだ。普通の人間じゃないんだろ」
「んー、おにーさんなら教えてもいいかな。ヴィオはね、向こう側から来たの」
「向こう側って」
「おにーさん達がフリアージって呼んでる化け物がいる世界。どこもかしこも争いばっかりで。海にいるのも可愛い魚じゃなくて、もっと大きい、凶暴な魚。おにーさんからしたら地獄みたいな世界かな。びっくりした?」
「いや、納得した。ヴィオが普通じゃない理由に」
「ヴィオの世界にも普通の人はいるよ」
「そうなのか?」
「うん。争いが多いって言っても。この世界よりはってくらいだし。皆怒っりぽいから、喧嘩が多いけど。勝ち負けが決まったら大人しくなるし。弱肉強食の世界なの」
 ヴィオみたいな小さな子が弱肉強食っていうような世界ってどれだけ過酷な世界なんだろうな。フリアージが住んでる世界だから仕方ないかもしれないが。
「弱肉強食か、俺には想像もつかない世界だ」
「なら来てみる? おにーさんならいいよ、連れて行っても。そろそろ時間だし」
「時間って」
 残っていた、アイスを一口に食べたヴィオは。片手にぬいぐるみを抱えて、もう片方の手で俺の手をつかんだ。
 そしていつの間にかヴィオの服が変わっていた。女の子らしい恰好から、赤と黒で彩られたドレスへと。ひらひらしたドレスはヴィオを少女から女性へと変身させていた。
 ヴィオは空に昇っていく。手を握られている俺も、一緒に空に昇っていく。腕を引っ張られている感じはなく、無重力状態で浮いているだけのような。そんな感じだった。
「時は満ちた、門は今開かれる」
 澄んだ空に透き通ったヴィオの声が響く。そしてうるさい程にサイレンも鳴り響く。
「憎悪の果てに終わりなき闘争を」
 ヴィオの言葉に呼応するように頭上に一本の黒い線が走っていく。
「さあ、宴を始めましょう」
 空に走っていた一本の線は、瞼が開くようにゆっくりと開いていく。
 ああ、空間震が真上で発生している。そして、その空間震を発生させたのはヴィオなのだろう。もはや異空間などというものはない。今いる多くの人が生きているこの場所に、直接空間震が発生している。
 眼下にいる人々は、逃げ出した。昨日の事件は人々の記憶に新しい。それに、俺と同じ年の人間はフリアージの恐怖をその身で知っている人間も多い。
 空にある亀裂を目にし、その後の光景を予測しては逃げたのだ。その判断は正しかった。
 亀裂からは次々とフリアージが落ちてくる。それも小さいものだけではない。ヒーローになった時に見た大きさのフリアージまでもが出てこようとしている。
 この場にはまだヒーローは来ていない。人々の希望たるヒーローは来ていないのだ。
「ヴィオ」
「なにおにーさん。高い所怖くなった?」
「なんでこんなことするんだ」
「理由が知りたいの?」
「ああ」
「生き残るためだよ。私たちの世界は、ゆっくりと滅びようとしてる。考えれば簡単なことなんだよ、争ってばかりいれば、そのうち世界も滅ぶことなんて。だから、こっちの世界を侵略する。この世界を手に入れて、私たちは生きるの」
「弱肉強食か」
「うん。そういうこと。私たちが負けたら大人しく世界と一緒に滅びを待つよ。これは生きるか死ぬかの戦いなんだよ」
「そうか。避けられない戦いか」
「うん。でもたぶん私たちが勝つと思うの。だからおにーさん私と一緒に居よ。おにーさんのこと気に入ったから、おにーさんは助けてあげる。大丈夫、私が守るから安全だよ」
 服こそ変わったが、俺の目を見て話すヴィオは少女のままらしい。確かに、ヴィオと一緒に行くのも悪くはないかもしれない。もうこの世界に由衣はいないんだ。
 一度は死のうとしたことだってある。だからこの世界に未練はなかったと言えた。四日前ならな。
「ヴィオ、俺はまだこの世界で生きる理由がある。今はまだヴィオとは一緒に行けない」
「そっか。でもおにーさんどうやって私から逃げるの?」
「俺は一般人だから無理だろうな」
「そうでしょ?」
 遠くに、建物の上を飛ぶ何かが見える。
「でもなヴィオ、この世界にはヴィオみたいな強い奴がいるんだよ」
「知ってる。確かヒーローっていうんだっけ。でも無理だよ、ヴィオは強いんだから」
「そうか。でもあいつは強いだけじゃ諦めないらしいぞ」
「その人を、離せー‼」

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