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女難

なんだこれ?
 俺の手のひらにちょこんと乗るサイズほどの小さな、人の形をした木彫りのそれ。
「もう、ほんと鈍感だなあ……チビちゃんの手、よく見てよ」
 そうトガリに言われて見ると……チビの指、いたるところにすり傷切り傷が付いている。って、もしや……
「これ、俺……かって痛ぇ!」
 突然頭の上から鉄拳が落ちてきた、ラザトだ。
「けなげじゃねえかオイ。チビはな、わざわざ俺んトコに習いに来たんだぞ。 木彫り細工の作り方をな」
「こいつが……あんたにわざわざ……って痛え!」
「親方って言えボケ犬! チビはお前の誕生日ってことを知ってアップルパイから木彫りの作り方から毎日熱心に勉強してたんだ。ここまで勉強熱心な子供は初めて見たぞ。つーかお前も見習え!」
 一度ならともかく二度も殴るかよ普通……でも、チビが俺のためにこれほどまで。いままで俺にしがみついているだけの存在だったのに。
「ラッシュの見てないところで、チビちゃんは少しずつ成長してるんだよ」
「そーゆーことだ。お前も親父ならきちんと勉強しろ」
 そう2人に言われても……だな。
 とりあえず言うことあるでしょ。とトガリに言われてハッと気付いた。
 人形を手に取り、見てみる。一応頭と手足は付いてるが、頭にツノが生えてるわ目の位置がちぐはぐだわで酷い出来だ。

 でも……

 そう。鼻のところの傷跡だけは、大きくきっちりと彫られていた。
 大きすぎて顔面が凄いことになってはいるが、まちがいなくこれは……俺だ。
「にてる?」
 なんか怒られそうでおびえた目で見つめている。ダメだな俺。こいつを笑顔にすることをずっと忘れていた。
「ああ、そっくりだな、俺に」
 その言葉に、チビの顔からまた、花が咲くみたいに笑顔が浮かんだ。
「ありがとな。大事にするぜ……うーんと……首から下げとくのがいいかな、それとも……」チビを抱こうとしたその時だった。

「うわ、ラッシュ! ストーップ!!」
「え……?」突然トガリに止められた。なんなんだよいったい⁉︎
「そんな身体でチビちゃん抱いちゃダメ! 身体洗ってきなよ!」
 言われて分かった。よく見たら……俺の着ている革鎧から何から、返り血まみれだった。
「あぶねえあぶねえ、そんな格好で抱っこするか普通」ラザトの言う通りだ。危うくチビまであの気色悪い人間モドキの血に濡らしてしまうところだった。
「仕方ねえな……」

 ということで俺は駆け足で、離れにある来客用の浴室へと向かった。
 後ろでトガリが呼び止める声が聞こえたが今はいい。恐らく石鹸を忘れてるよって言いたかったんだろう。
 浴室の前で、俺は数回深呼吸をした。
 何年もの間、風呂はおろか、身体すら洗ったことがなかったことを思い出しながら。
 そうだ、すべては川に投げ込まれて水恐怖症にさせた親方が悪いんだ。
 でもその、やっぱり怖い。
 なもので俺は何も考えずに、どうせ服きたまま風呂に入っちまえば全部洗い落せるだろう、洗濯といっしょだと思いながら浴室のドアをバン! と開けた。

「え」

「な……ちょ、ラッシュ⁉︎」

 そこには、湯気に包まれたジールの細い身体が。
よく見ると何も着てない。あいつも風呂してたのか……まあいいや。

「悪いジール、身体洗いてえんだけど、俺も入っていいか?」

 直後、街中に聞こえるくらいの甲高い悲鳴が俺の耳をつんざく。

 そこから先は……言うまでもない。

……………
………
……

「盛大に引っかかれたねラッシュ」苦笑しながらトガリは俺専用の巨大なハンバーグを持ってきてくれた。
 その向かいでは、チビが俺の顔をじろじろ見ながらパイを食っている。
 そしてチビの後ろのテーブルでは、ジールが背中を向けながら黙々とメシを食っていた。
「だから言ったじゃない。お風呂はジールが入ってるってさ」
「ンなの聞こえてねーよ」
 かく言う俺の顔面には、無数の鋭いひっかき傷が刻まれていた。そう、ジールのだ。
 だが今の俺にはすべてが理解できなかった。風呂に入ってたジールを見ることが何で悪いのかってことを。
「あー、そっか、ラッシュって女性っていうものを全然知らなかったんだね」そう言ってトガリは説明してくれた。

 人間や獣人に限らず、俺たち男性は女性がお風呂に入っているところを見てはいけないことを。いや、そういうプライベートなところは許可なく見てはいけないんだということを。
「考えてごらんよ。お風呂中に突然血だらけのラッシュが飛び込んできて、しかもジールの身体を見て平然としているだなんて。チビちゃんだってそれくらい分かってるのに」
「おやっさんがそういう教育一切やってこなかったのも原因だけどね。まあ戦場に女性なんてほとんどいないからしょうがないとは言え、次やったら本気で殺すからね。覚えときなさいよラッシュ!」

 先に飯を食い終えたジールが去っていった。まだ口調からは怒りがこもっている。
「後できちんと謝るんだよ」こっそりトガリが言うものの、俺はまだまだ解せなかった。
 なんなんだ今日は。ロレンタの件といい、ジールに引っかかれるといい、やたらと女絡みのトラブルばかりだ。
 おまけに……そのあと川に入って身体を洗ったおかげで、びしょぬれですげえ寒いわで。
 いま一度身体を乾かさなきゃと、食い終えた俺はチビと一緒に裏庭へと出て行った。

 手入れなんてしていない草ぼうぼうの庭。ゴロンと寝転ぶと、ひときわ大きな青空が目に飛び込んできた。
「おとうたん、ねてるの?」チビが心配そうな顔で俺の顔をのぞき込んできた。
 お前も一緒に寝るかというと、あいつも俺のマネをしてとなりに寄り添ってきた。
 ……なんか、こうやって寝るの久しぶりだな、なんて思いながら、仕事の疲れもあってか、俺はそのまま眠ろうか……
 と思ったものの、急にゲイルの言葉が気になってきた。
 あの時、奴の話に乗って俺も人間になっていたら……なんて。
 でもそんな姿を見て、チビは喜ぶだろうか、とも。
 複雑な気分がもやもやと頭の中を覆う。

 当分は、この悩みは俺の頭から離れないだろうな……
 すうすうと寝息を立てているチビの肩を抱きながら、俺は無理やり目を閉じた。



 これから、俺の毎日が、いや運命そのものが変わるとも知らずに。

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