バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

五、道の始まり

 窓を開けると少しだけ煙が入ってくる。その煙に乗って運ばれてくる熱も、今となっては妙に心地いい。椅子に座って目を閉じているだけで今にも寝てしまいそうなほど、身体は疲れているが、充足感も一入だ。
「……終わっちゃった、ね」
 声に目を開けば、いつからそこにいたのか、同じように椅子に座り込む北斗の姿があった。真弘はそれに短く答えながら、横目で外を見やった。キャンプファイヤーは、まだまだ終わりそうにない。
「楽しい二日間、だった」
 感慨深いものでもあるのか、北斗が弾んだ声で言う。こいつは元気だなと、思わず苦笑が漏れた。それを見て、北斗が不思議そうに首を傾げた。
「真弘くんは、どうだった?」
「……さぁねぇ」
「答え、はぐらかさないでよ」
 口ではそう言いつつも、北斗の顔にはなお笑顔が浮かんでいる。真弘が答えてくれるのをちゃんと知っている、という顔。思わず苦笑しつつも、緩められた口からは言葉が漏れる。
「楽しかったよ。やりたいこともちゃんと出来たし。それに、何よりお前らとも良くやれたしな」
 そう答えて北斗に目をやると、北斗は少しだけ驚いたように目を見張っていた。
「……よく、平気でそんなこと、言えるなぁ……」
「うるせぇよ」
「真弘くん、酔ってる?」
「さぁな」
 場の空気に酔っていると言うならば、確かに真弘は酔っている。言葉通りの意味ではないにせよ、きっと。
 北斗は小さく溜息を吐くと、それからへへっと笑って見せた。
「……おれも、真弘くんらと劇やれて、嬉しかった。各務くんとか、槻柳くんとか、いっぱい助けてもらったけど、やっぱり真弘くんに、一番、お世話になったね」
 ありがとう。北斗はそう言って、もう一度はにかんで。そのままキャンプファイヤーに目を戻す。そのまま、会話は途切れる。真弘も、視線を戻した。
(……楽しかった、か)
 それは真弘も感じた、本当のこと。始まる前は期待すら抱いていなかった感情だ。それがいつしか、周りに仲間が増え、気付けば時間が過ぎていた。それは、思えばあっという間で。楽しい時間は終わりを告げるのだと、無情にも伝えるようで。
(……ま、それでも)
 思い出は形を変えない。自分たちの心の中で、きっとこの思い出は残り続ける。いつか再び出会った時に笑い話として盛り上がれるような、そんな記憶として、残り続けることだろう。
 時は過ぎる。祖父の映画館も順調に取り壊され、北斗の家にも新たな父親が来るようになったという。確実に時間は進んでいる。その分だけきっと、前に進んで来たのだと。
今なら信じられる気がした。
(……だけど今は、そうだな)
 今はまだ、この余韻にもう少しだけ浸っていようと思う。キャンプファイヤーのその火が、消えてなくなるまでの、短い間だけは。
「……今を輝かせるように、か」
「うん?」
「いや、何でもない」
 はぐらかしてみればまた聞かれるものかと思ったが、今度は何も聞かれなかった。代わりに北斗はまた笑って見せて、そうして視線を窓の外に送る。
「……綺麗、だ」
 嬉しそうな北斗の声に、小さく相槌を打つ。その横顔を一瞥して、真弘もまた揺らめく火を見つめた。そこに今までの日を重ねながら、ゆらゆら揺れる炎を眺めていた。
(最初は、諦めるつもりだったんだけどな)
 今となってはもう、そんな過去すらどうでも良くなった。ただ、こんな日々が続けばいいと、真剣に思っていた。
(まぁ、それは無理だとしても)
 もう少しくらい頑張ってみるのも、きっと悪くはないのだろうと。そんな風に思う。
 もう一度、北斗の顔を眺めた。少しだけ眠そうな、だけど満足げな表情をしている。
 思わず、笑みが溢れた。
「……きっと、俺たちの未来でも、照らしてくれてるんだろうな」
 道の始まりを暗示するように。
 そう言うと、北斗がおかしそうに、笑った。

   *

「どうして、台詞変えたりしたんだよ」
 こちらに背を向けている陽介にそう投げかけると、陽介は気のない返事をするだけで振り向こうともしない。外の景色に魅入ってるのだろうなというのが、容易に想像できた。勘直は苦笑を漏らすと、鉄柵にもたれ掛かる陽介の隣に並んだ。
「……キャンプファイヤー、今年も綺麗だな」
 そう言うと、陽介が小さく頷いた。屋上から見下ろすその火は、灯火のように明るい。文化祭の終わりを締めくくる、後夜祭名物のキャンプファイヤー。屋上で見ているのは勘直と陽介だけだ。皆はきっと、傍からその火を見ているか、あるいは教室からでも覗いているのだろう。大きな薪のそばには、マイムマイムでも踊っているのか人だかりが出来ている。
 陽介が、それを見つめながらほぅと息を漏らした。
「答える前に、おれからも質問」
「うん?」
「どうして、日比野さんの告白断ったの」
 その問いに、思わず言葉が詰まった。どうしてそれをと聞くよりも早く、陽介が「告られてるとこ、見ちゃって」と言った。何か言おうとしたが、上手い言葉は見つからなかった。
 そんな勘直を見てか、陽介が大きく溜息を吐く。
「……あんないい子、そんなにいないと思うんだけどな。おれ、ずっと一緒に劇やってたけど、日比野さんいつも一生懸命だった。あんまし出番ないっていっても、役作りに励んでた」
 だから、あんなに可愛かったんだよ、姫様。陽介はそう漏らして、勘直を一瞥した。そのまま、何も言わない勘直に代わってか、言葉を続ける。
「それに答えてくれない間は、おれも理由言わない」
 そこまで話すと、再びキャンプファイヤーへと目を落とす。勘直も口を開こうとして、そうして止めて。どう言葉にすればいいか迷っている間に、タイミングを失ってしまった。沈黙が流れた。
 それでも。理由は、確かにあった。言わないつもりだったのになと思いながらも、やむなく答えることにした。
「……夏休みに、母さんの仕事の手伝いで、保育所に行ったんだけど」
 陽介が頬杖をつきながらこちらを見やった。勘直は逆に、視線を少し反らしてしまいながら続ける。
「二、三日だけだったけど、子どもたちと触れ合う時間がすごく楽しくってさ。そん時に、思ったことがあった。将来、子どもたちの成長に寄り添える職に就きたいなって、朧気だけど、感じて」
 それが、今の勘直にとっては、一つの導になっている。
「子どもを護れる先生になりたいと、そん時に強く思った」
 陽介は何も言わずに聞いている。こちらをじっと見据えて、勘直の言葉を待っている。
 少しだけ自己嫌悪を滲ませながら、続ける。
「……実を言うと、陽介が主役やるって言い出した時、何となく焦った。俺はその時までずっと何も考えずに生きてきたんだなって思い知らされて、この先どうなるんだろうって不安に思った。陽介が頑張ろうとしている、自分は何ができるんだろうって、迷って」
 そうして、その答えを見つけたのが、夏休みの母の手伝いでのこと、だった。
「……結局、俺は大それたことはできない。今の自分で精一杯だ。そんで今俺は、ようやくやりたいことを見つけて、それに向かって頑張ることを決めた。だから俺には、今誰かのためを思う余裕がない。きっと、日比野さんの告白を受けたところで、俺は彼女に何もしてあげられない。そう思って、今回は――」
 断った、と言い終わるか終わらないかの内に、勘直の身体に衝撃がかかった。すぐに、陽介が抱きついてきたのだと気づいた。困惑しつつ、横目で陽介を見やる。陽介の身体は、小刻みに震えていた。
「ど、どした……?」
 聞き返す。陽介が身体を震わせながら「勘直さぁ」と漏らした。「うん」と応えると、
陽介が、大声で笑った。
「相っ変わらず、クソ真面目だね!」
「――は?」
 思わず、間の抜けた声を上げた。陽介は変わらず身体を小刻みに震わせている。それが笑いから来るものなのだと気づき、勘直は思わず陽介の頭を殴った。
「いった! 何すんだよいきなり!」
「うるっせぇ! 人がせっかく真面目な話してんのに、お前は……お前は……っ」
 顔が熱かった。さっきまで真剣に語っていたのが馬鹿らしく思えて、また笑う陽介を何度も叩いた。陽介は「ごめんごめん」と言いながらも、笑うのをやめない。それでもやがて落ち着いたのか、砕けた笑顔を浮かべてもう一度ごめん、と言った。「すごいね、勘直は」と言った。いきなり陽介が穏やかな笑みを浮かべるので、調子が狂って勘直も手を止める。それでも、顔の熱は暫く引かなかった。
 その合間に、陽介は乱れた呼吸を整え、勘直に向き直った。
「……すごいね、勘直は。そんなこと、考えてたんだ」
 頷く。少しだけ恥ずかしさは残るが、本心には違いない。
 陽介がはにかむように破顔した。
「それじゃあ、おれも教えてあげるよ。台詞変えた理由だっけね、ちょっと言いづらいんだけどさ」
 そう言って、陽介は勘直に耳を貸すよう促した。怪訝に思いつつも従い、耳を貸す。小さな声で、陽介が言った。
「おれも、ね――」
 
 ――すぐに消えると思った熱は、暫く冷めてくれなかった。

しおり