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同日

 暖かな日差しが縦に長い窓を通して部屋の床を輝かせる。多数の段差と光沢を持った執務机にレイノスは向かって紙にペンを滑らせていた。机の上には様々な厚さに重ねられた書類達が広い執務机の上を占領し、何かを書き終わったレイノスの書類の一枚がさらに積み重ねられる。

 レイノスは筆を一度置き執務机に似合った椅子の大きな背もたれに深く座るとひじ掛けに置いた腕で頭を支える。そして無表情で呼吸に集中した。

 疲れた頭を休ませながらレイノスは今まとめている報告書について浅く思いをはせる。人の敵ゴブリン。殲滅のためのこれまでの努力は確実に実りつつある。徹底的に増殖を防ぎながらゴブリンを探しだして見つけては積極的に駆除してきた。悲願がようやく達成される。その期待感はゴブリンによって領地を失った苦い過去も連なって思い出されそうになったが、レイノスは押し込めた。

 だがレイノスは感覚のどこかに引っかかるものがある。ゴブリン殲滅ギルドは十分にその役目をはたしてきた。しかしここ数年の間で努力以上の成果を生んでいる。ゴブリンの数は想定以上に少なくなっていると感じられた。現に前回の遠征で駆除したゴブリンは数体。ここ数年では魔物と遭遇する機会の方が多くなりつつあった。

 何か別の要因の可能性をレイノスは無視できないでいる。それはユウトという特殊な存在の出現も大きく後押ししていた。

 次第に深く沈み込みそうになっていくレイノスの思考。それをドアをノックする音が引き上げる。

「何だ?」

 レイノスは背筋を伸ばしノックの要件をドアの向こうに尋ねた。

「はい。ガラルド卿より小包が届けられております」
「わかった。持ってきてくれ」

 レイノスが答えてドアが開かれる。小包を抱えた黒地の服に白いエプロンの栗色の髪をした女性が一礼して入室し、執務机の正面に立った。小包を両手で持ち直して執務机の空いた空間にそっと置く。紙と紐で入念に梱包された小包は送り主の几帳面さが表れていた。女性は空いた手を組んで一礼するとその場から立ち去ろうとした。

「メル、遠征の疲れはもうないのか。無理をしなくてもいいんだぞ」

 声を掛けられ慌ててメルはレイノスに正対する。

「ありがとうございます。激しい戦闘もありませんでしたし疲れは取れました。今回もご指名いただきありがとうございました」

 メルは今度は大きく頭を下げ三つ編みが揺れる。

「君の十分な裁縫の腕と織物の知識は評判が良い。採用したかいがある。
 それに君も職人ギルドの加盟に資金は必要だろうからちょうどよかった。また頼むよ」
「はっはい!よろしくお願いいたします!」

 頭を下げたままメルは答え勢いよく上げた顔は気持ちのいい笑顔だった。メルは足取り軽く部屋を出て一礼してドアを閉める。

 レイノスはメルを見送ってそれまで温和だった表情を厳しくさせて小包に手を付ける。梱包をほどいて出てきた紙の山をレイノスは丁寧に読み進み始めた。 



 流れる雲は早く、合間に見える青空は絶え間なくその形を変えていく。広い空を望む小高い丘の頂上に調査騎士団団長クロノワとディゼルは立っていた。

 二人は静かに眼下へ視線を向けている。強く不規則な風は二人の身体を小さく揺らしたが二人は気にする様子もなく、ただうっそうとした森と草原のまだら模様を描いた景色に集中し続けた。

 見つめる景色に変化が起こる。それはほんの些細な違和感。気づいたのはディゼルだった。

「あそこです!不自然な木の揺れを確認しました」

 そう言いながらディゼルは腕を伸ばして指し示す。それに答えてクロノワは単眼鏡を目に当て示された方角を注視した。

 鳥が一斉に飛び立つ様子が見える。風に揺れる木の枝葉の中で大きく揺れる木が浮いて見えた。根元に圧力がかかったような一本丸ごとしなるような揺れ。クロノワはさらに注意深く木々の間の奥を観察した。

「いるな。姿はよく見えないがこれはまた大きいぞ」

 クロノワは落ち着きはらった声で語るが焦りの色は隠せない。

「森を一旦抜けますね」

 ディゼルが言うのとほぼ同時に木々を抜けた何かが草原の空き地に姿を現した。

 それは黒々とした何か。

 四つ足に頭と尾を持つ黒々とした生き物。しかしそれを生き物と呼べるか二人に不安を抱かせるほど遠目に見てもその体躯は巨大だった。頭をもたげ重たそうに太い足をゆっくりと進めている。黒々としたからはどこか不安定にうねり波打って見えた。

「進行方向に迷いが見えないな。目的地があるらしい」

 クロノワが気づいた点を語る。

「ええ。ただ一直線に向かっているとも思えませんからどこに向かっているのか見当がつきませんね」
「そうだな。しかしこれが都市に向かっているとするなら大仕事になる」
「はい。私たちでは手に負えません」

 クロノワは面倒くさそうに息を吐く。クロノワとディゼルの間に立ち込める重たい空気は吹き荒れる風でもかき消せなかった。

 それから二人はその場で記録を取ると丘を下る。少し歩くと風がよけられる谷間へ入った。

 そこには調査騎士団の団員十数人が待機しておりその中にはカーレンの姿もある。そして戻ってきたクロノワとディゼルに注目する。視線を集めたことを確認したクロノワは全員に向かって語り始めた。

「魔物の姿を確認した。超大型、四足の獣だ。全身が黒く波打つ様子から見かけられる機会の多いネコ型の魔獣と考えられる。 
 この人員での即時撃破は不可能だ。まずはその動向の観察と準備を進めなければならない。今回は我々以外の兵力も必要になるが前線に立つのは我々だ。死力戦になることが予想される。覚悟をしておいて欲しい」

 クロノワの言葉を団員たちは誰も驚かない。ただじっと真剣に聞いていた。

「これからしばらく目標を監視する。数人は最も近い都市へ向かい状況を知らせて補給を行え。振り分けはディゼルに任せる。以上だ」

 指示を聞いてそれまでクロノワの斜め後ろにいたディゼルは折りたたまれた紙を広げながら前に出る。

「今から名を読み上げられた者は一旦分かれて補給に向かってもらう。街道に出て最も近い場所は・・・大工房だ」

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