11th:a place to come back B
驚愕する俺の表情を見て、ふふっと彼女は苦笑した。困惑する俺の表情を見てしたり笑ってすらいる。
こっちの世界に来てから誰ひとりとして本名を明かしたことはない。それがたとえルカであっても、お互い敢えて名乗ることはしなかった。なのに、なぜだ?
「言いたいことはわかるよね?君にはない権利を私は持ってる」
ぱさ、ぱさと頭上から水滴が落ちてくる。程なくしてぱらぱら降ってきた小雨は俺たちが沈黙を貫く間にも勢いを増していって、大降りになっていく。
「幸せになってね。カノー」
「待て、そいつこそアンフェアだろ」
距離を詰めて、彼女の前まで進んだ俺はぎいっとにらみつける。雨に被さり、垂らした前髪で目を覆うルカの表情は窺《うかが》い知れない。
「大好きな人と、明日を話せる奴の方が相応《ふさわ》しいと俺は思う」
「どういう……こと?」
「その時の思いが忘れられないからロケットにあの写真を入れたんだろ?好きで好きでしょうがない人間がどんな姿で、どんな声してるか知ってるだろ。今すぐにでもそいつの笑顔が見たくてしょうがないんだろ?」
本能のままに俺は思いの丈を叫んだ。言葉を繕う余裕なんてなかった。そんな俺の思いを知ってか知らずか、唇を引いてルカは押し黙っている。
雨はとどまるところを知らない。まるで本音を吐かせるように、俺たちの髪も、服も濡らしていく。
「ありがと」
ルカの頬をひとしずくが垂れ落ちる。雨によるものか、ルカの感情なのかはわからない。
「それでも、私はカノーに戻ってほしいんだ」
なんでみすみす自分のチャンスを潰すんだよ。要領を得ない俺を置いて、ルカは続ける。
「そのまっすぐなところ、割と好きだったよ。こんな私とコンビ組んでくれて、さんざんわがままに付き合ってくれて。馬鹿みたいに人が良いんだから。そういう人間を置き去りするほど私は薄情になれない」
感情を込めながらも、ルカの口調は落ち着き払っている。こういう時の彼女はてこでも動かないし、説得しても聞き入れないだろう。
けれど。
俺だって思いは同じなんだよ。相棒。
しっかり者の面構えをしてるくせに、君は存外おっちょこちょいだ。悪いけど今日だけは俺が利用させてもらう。
「お手上げ、俺の負けだ。だからせめてギブアップぐらい自分で言わせてくれ」
ぽかんと口を開けたルカは我を取り戻すと、躊躇しながら宝玉を差し出してきた。伏し目になりながら俺が受け取るのを待っている。
「使う人間を特定できればいいだけなら、名前なんて知らなくてもいいんだよ」
「え?」と呆然とするルカへにかっと笑うと、俺は宝玉に告げる。
「宝玉に願う。宝玉を握りし者を元の世界へと戻せ」
-承った。
宝玉の言葉と共に、ルカの全身に光が灯る。
「カナタ!」
錯乱しながらルカは俺の胸倉をつかみかかってきた。
「なんでそこまで!」
「そういうタチだから」
「バカ!ほんとにバカ!」
まだなにかを言おうとして、でも言葉に詰まって。胸に顔をうずめるその姿が徐々に透過していく。
マッ、テ、ル、カラ?
ろくに声も出せない彼女に微笑むと、天を仰ぎながら俺は言葉を送ることにした。
「勝ち気でわがままな振りしてても、根っこのやさしさはいつだって本物だった。いつの間にか、そんな君が好きだった」
全身を震わせるルカは、頭から足元まで粒子と化して。
そして「さよなら」の言葉も交わさずに消えていった。