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支えてくれる人

 メニューを開いたまま、過去の苦々しい記憶をさかのぼる。思い出したくないのに、思い出してしまう。それは私が、ちゃんとこの出来事と向き合えていないからだ。
 古関君は今も、大学で研究をしているのだろう。そしておそらく、このカフェでアルバイトをしている。同級生のあの子とはうまくいったのだろうか、それとも新しい彼女を見つけたのだ。どっちにしろ、私には関係ないことだ。それなのに、どうしても心が落ち着かない。こんなときはメニューを見るに限る。さて、何を頼もうか。
 「すみません」
 「少々お待ちください」
 色々魅力的なメニューはあるはずなのに、なぜか頭に入ってこない。このままでは選べる気がしないので、ひとまず定番のスイーツセットを注文することにした。
 「スイーツセット1つ。ショートケーキにコーヒーでお願いします」
 「かしこまりました。少々お待ちください」
 つつがなく注文をとる古関君。大学時代よりも少しふっくらしたように見えるが、それでも当時の面影はしっかり残っていた。
 別れてから、もう三年が経つのだ。古関君は、今の私を見てどう思ったのだろう。当時はすっぴんに私服もいい加減だった。古関君と付き合い始めてから、急いでファッション雑誌を読み漁り、何とか世間の平均値くらいにはなれるよう、自分なりに努力をしてきた。それでも、古関君にとってはまだまだちんちくりんかもしれないが。
 「元カレを見返してぎゃふんと言わせた」。世の中にはそんなエピソードがいくつもあるが、私にはきっと不可能だ。だってあれから、本当に仕事しかしてきていない。自分磨きも、趣味を楽しむこともできたけれど、本気で私には仕事しかないと思ってきたのだ。
 とはいえ、仕事の知識がプライベートでも通じるわけではなく。プライベートの自分はまったく成長していない、古関君と別れた当時の子供のままだった。
 それが、よりによって今日会っちゃうなんて……。確かに昨日、ちゃんと向き合わなきゃいけないとは思ったけど、だからってその翌日に親玉に会うってどういうこと!?
 顔も見たくないのに、会話なんてしたくないのに。どうして目で追ってしまうんだろう?良い意味も、そうじゃない意味も、全部含めて……気になるのかも。こんな思い、どこかに消し去ってしまいたい。恋って本当に厄介で、苦手だ……。

 「お待たせいたしました。スイーツセット、ショートケーキとコーヒーになります」
 そうこうしているうちに、古関君がスイーツセットを持ってくる。他の店員さん……は、違うお客さんの接客にあたっている。
 「りおなちゃんがこういうカフェ来るなんて、めずらしいね」
 「そう?何となく、歩いていたらおしゃれなお店があったから、入ってみたんだけど」
 「そうなんだ。いい店だから、ゆっくりしていってよ」 
 古関君はそう言うと、キッチンの方へと入っていった。確かに、外観も内装もとってもおしゃれなんだけどさ……。古関君がいるなら、ゆっくりしたいとは思えないよね……。
 とはいえ、おしゃれなカフェに罪はない。しばらくは、届いたスイーツセットを大人しくいただくことにした。
 久しぶりに食べたショートケーキは、思ったよりも甘くなかった。なるほど、大人も美味しく食べきれそうな、控えめな甘さだ。
 ふと入ったカフェで、古関君と最悪の再会をして。昔のことを思い出したら心が落ち着かなくなって、美味しいスイーツセットだけが心のよりどころで。
 それで、一体自分とどんなふうに向き合えばいいんだろう? 古関君に「今の私は幸せだから」ってメンチを切るのが克服? 古関君にまったくなびかないのが克服?
 復讐とか、恨みとか、そういう感情を持ちたいわけじゃない。それに、向き合うべきは古関君じゃなくて自分の気持ちだ。
 誰かを恨むことでそれが解決するなら、今頃私は古関君のことをめちゃめちゃ恨んでいると思う。それで済むなら、それが良かった。でも、古関君は根源であって、トラウマの本質じゃない。私は何に向き合えばいい?
 当時は絶対に恋なんかしてやるもんかと思っていたが、今更ながら、この三年間、自分の気持ちとまともに向き合ってこなかったことに後悔し始めていた。
 この気持ちは、どうやったら消せるんだろう?
 ぐるぐるぐるぐる、答えの見えないループに陥りそうだった、その時。
 「あれ?もしかして神崎さん?」
 「ま、牧村さん!?」
 突然名前を呼ばれ、驚いて声の方を振り向く。そこには、私服姿の牧村がいた。
 「ど、どうされたんですか!?」
 「僕、結構カフェ好きでね。新店舗オープンの情報はこまめにチェックしてるんだ。それで、ここに。神崎さんは?」
 「あ、私は街を歩いていたらおしゃれそうなカフェを見つけたので、何となく入ってみたって感じです」
 「いいねぇ。お散歩かい?」
 「はい、そんな感じです!」
 休日の完全プライベートでも、牧村さんはいつもと変わらず優しい笑顔で話しかけてくれた。それと同時に、突然の緊張と驚きで、古関君のことはどこまで考えたのかすっかり忘れてしまった。
 「牧村さんは今日、お一人なんですか?」
 「そうだよ。僕の周りにこういう趣味の友達はいなくてね。基本、一人なんだ。神崎さんも一人かい?」
 「あ、はい一人です」
 「それじゃ、良かったら一緒にお茶でもどうだい? ……って、これだと何だか僕がナンパしているみたいに見えちゃうね」
 「ふふ、牧村さんにナンパされたら、どんな女性もついていきたくなっちゃいますよ」
 「ハハハ、神崎さんは人を乗せるのがうまいね。それじゃ、何でも好きなものを頼んで……って、もう注文は済んでいるみたいだね。とりあえず、座席移動できるか聞いてみようか。すみません」
 「はい」
 牧村さんに呼ばれて、古関君がこちらの席へとやってくる。
 「知り合いがいたので、こちらの席に移動させてもらってもいいでしょうか?」
 「はい、かしこまりました」
 古関君が牧村さんの顔を見て頷いた後、私の方をチラッと見てきた。何やら意味ありげな視線を感じるが、牧村さんとは本当に同じ会社の知り合いだ。……といっても私は入社したての平社員で、牧村さんは副社長。立場が違いすぎるのだが。
 座席移動の許可を得たところで、牧村さんがテーブルの向かい側に腰掛ける。牧村さんと向き合って食事をするのは初めてで、少しだけ緊張する。
 「神崎さんもカフェによく行くのかい?」
 「あ、ええと……。実はそんなに、行ったことがなくて。おしゃれなお店には興味があるのですが、一人だと入りにくくて」
 「確かに、僕も最初の頃は勇気がいったな。男一人で可愛らしいカフェなんて、どう考えても浮いてしまうから」
 「そんなことないですよ。最近はカフェや甘いものが好きな男性も多いって聞きますし、きっと仲間はたくさんいるはずです!」
 「そうだと嬉しいんだけどねぇ。俊……あ、社長のことだけど、仕事以外では俊って呼んでいてね。俊は落ち着いた場所が好きだから、あまりこういう場所は好まないんだ」
 「え、そうなんですか? カフェもすごく落ち着きますけど……」
 「何というか、人が多い場所が苦手なんだよね。だから、カフェも一組限定とか、個室の場所がいいらしいんだ」
 「な、なるほど……。確かに個室のカフェとかありますもんね」
 「個室のカフェももちろんいいお店がたくさんあるんだけどね。ただ、僕はこういうスタイルのカフェが好きなんだ。色んな人の話を盗み聞きしていると、面白いだろう?」
 「盗み聞きって……。でも確かに、気にはなりますね」
 「そうそう。周りの会話に耳を澄ませながら、淹れたてのコーヒーとケーキを楽しむ。これがカフェの醍醐味だと思うんだけどねぇ」
 うーむ、と考え込むような仕草をする牧村さん。それにしても、浜崎さんがカフェに行かないのは何となく想像がつくなあ。
 「そういえば、浜崎さんと牧村さんって、普段から遊んだりされているんですか?」
 「え? 俊と? 遊びというか、ご飯はたまに仕事終わりに行くかな。あとは話があれば会社でしているし……そんな感じだよ」
 「そうなんですね。お二人でご飯って、何だか想像できるような、できないような……」
 「ハハハ、よく言われる。凸凹コンビだって」
 牧村さんはそう言って、嬉しそうに笑った。寡黙な浜崎さんと、穏やかで気さくな牧村さん。一見性格が真逆のように見えるけれど、実はとても仲良しだということは、二人の間の空気感で何となく理解できた。
 「凸凹コンビ、というか夫婦のような感じに見えます」
 「ぶっ、夫婦!? 神崎さんて、突然面白いこと言うね」
 「えっ!? あ、いや変な意味じゃなくて!息ピッタリだから、夫婦漫才みたいというか……。ボケとツッコミじゃないですけど、浜崎さんのことをさりげなく支える牧村さんと言うか。私にはそんな風に見えます」
 「へーっ、そうなのか。それは初めて言われた。夫婦漫才ねえ」
 「本当に漫才をやったら……って、それはちょっと想像つかないですけど」
 「俊と漫才……。スベる未来しか見えないなぁ」
 「そんなことないですよ!」
 「それに実際は二人とも独身だしね」
 「そうだったんですか?牧村さんも独身だって、初めてお伺いしました」
 「あ、そうそう。僕はまだ結婚願望があるからいいけど、俊は仕事一筋って感じで、これっぽっちもないみたいなんだよね」
 「そうだったんですね」
 「確かに今は社長業で忙しいけど、幼なじみとしては、俊に幸せになってほしい」
 しみじみと語る牧村さんを見て、こういう関係の友達がいたらよかったのに、と思った。二人は幼なじみだけれど、友達のようでいて、切磋琢磨し合うライバル的存在でもあって、中までもあって。二人は、色々な関係性で確かに結ばれている。
  「それはもちろん、私もそう思います。浜崎さんって今、彼女いるんでしょうか」
 「え、神崎さんと付き合ってるんじゃないの?」
 「えっ!?」
自分が予想していた声のざっと10倍はするであろう声。周りの視線が痛いが、ここは鋼のメンタルで乗り切ることにする。
 「どうしたの、急に驚くからビックリしちゃったよ」
 「え、いや、言われた言葉がまさかすぎまして……」
 「ふうん、当の本人からしたらそんなものなのかな」
 「ええと、まったくそのつもりはありませんでした」
 「そうんなんだ。俊の方はまんざらでもなさそうだけど、神崎さんはそれほど興味がなさそうな感じだね」
 「いや、興味がないというわけでもないんですけど……うーん、なんというか……」
 「気になってはいるってところ?」
 「気になって……。いやいや、社長に対して、そんなそんな」
 「気にはなっているんだ」
 「う……」
 「神崎さんはわかりやすいね」 
 牧村には何でもお見通しのようだ。そう、恋愛なんてもうしないなんて意地を張っておいて、何だかんだ浜崎さんのことが気になっているのだ。
 「きっと俊、神崎さんのこと気に入ってると思うんだよね。神崎さんがうちの会社に来てくれる前から、俊が言ってたんだ。『取引先に面白いやつがいる』って」
 「面白いやつ……?」
 「そう。でも詳しくは教えてくれなくてね。それでも俊、その取引先に行く日はすごく楽しそうにしているんだ。本当は少年みたいなやつだからね、あいつは。そのときは、僕も相手が男女かも聞いてすらいなかったからそれほど気には留めなかったんだけど、神崎さんを自分の秘書に配属させたときにピンときたというか。すべての辻褄が合ったんだ」
 「そう、だったんですね……」
 「うん。それからは僕の良そう通り。神崎さんがうちに来てくれてまだ一週間だけど、だいぶ俊の雰囲気が丸くなったんだ。それでも昔よりは少し丸くなったんだけど、ここのところ、さらにね。それは神崎さんのおかげなんだよ」
 そういって、嬉しそうに微笑む牧村さん。
 浜崎さんって、昔からあんな感じの人なのかと思ってたけど、それ以前はもっとさらにクールな感じだったのかな……。
 「はたから見ても、二人、すごく息が合っているというか、相性が良さそうなんだよね。あいつって、冷静沈着に見えるけど本当は熱いやつなんだよ。それでいて、神崎さんは落ち着いているから静と動っていう感じでさ」
 「静と動、ですか……」
 「社長と秘書の関係性として、ある種理想的なんじゃないかと思ってる。あ、まだ一週間目なのにハードル上げるようなこと言ってごめんね。でも本当に、俊にとって神崎さんは必要な存在だと思うんだ。それに、神崎さんにとっても、俊が必要なんじゃないかって思うよ」
 「そう、ですね……」
 確かに、前の会社のことで心が不安定だったとき、浜崎さんに助けられた。それまでは、色々怖いなとか思ってたけど、優しい部分に触れて、見方が変わっていった。
 社長として部下に指示を与えている凛々しい横顔、何があっても受け止めてくれそうな包容力。
 おまけにイケメン、高身長ときたらモテないはずがないだろう。よく考えなくても、浜崎さんはかなり魅力的な男性なのだ。
 「必要……」
 「何だかいろいろ話しすぎちゃって、困らせちゃったね、ごめん。いつか神崎さんに言おう言おうと思ってたんだけど、俊もいるから社内でこういう話がしにくくて」
 「そ、そんなことないです。ありがとうございます」
 「ところで神崎さんは今、彼氏や好きな人はいるの?」
 「あ、いない、です……」
 「それなら良かった。神崎さんにいい人がいる、なんて俊が知ったらとんでもないことになりそうだからね」
 「ええ、そうでしょうか……?」
 「うん。おそらく『どこのどいつだ』って言って、内心焦りながら彼氏の情報探ってると思うよ~。生い立ちから職歴まで何でも調べ上げそう」
 「そ、そこまで……」
 「神崎さんも気付いているかもしれないけど、俊、神崎さん一筋じゃない。今はクールな雰囲気だから女性も近寄りがたい感じだけど、社長を継いだころはもう少し熱血漢だったというか、あえて外交的に振る舞っていたところがあるから、変な女性を寄せ付けやすかったんだよね」
 牧村さんの話によると、浜崎さんが社長業を継いだのは今から4年前、24歳のときだったという。それまでファッションロジック社の初代社長をつとめていた浜崎さんのお父様が病に倒れ、急きょ代理社長として会社をまとめることになったのがきっかけらしい。
ただし当時は、「親の七光り」だの「コネ」だの、陰で色々言われていたらしい。特に次期社長の座を狙う役員クラスのベテランたちには、挨拶を無視されたり、指示に従ってくれなかったりとなかなか苦労していたようだ。
 けれども浜崎さんは、逆境に負けず努力し続けた。その結果、今の会社で一定の信頼を得得られるようになっのだと牧村さんは言う。
 「まあ、今でもよく思っていない人はいるだろうけど、俊はやれることを全部やって今の立場に就いている。それは友達としても、同じ会社で切磋琢磨し合うライバルとしてもうれしいことだから」
 浜崎さんは、やっぱり努力の人なんだ。
 「でも、二代目社長として毎日働き続けるうちに、だんだん人への当たりが強くなってしまったんだ。俊自身も、ちょっと疲れていたんじゃないのかな。元々黙っていると、怒っているように見えなくもないじゃない?そういうところが他の人に勘違いされやすいから、余計に周りの女性とかが怖がっちゃってさ。俊自身も多分気付いているとは思うんだけど、どうしたらいいのかまでは分からなそうな感じだった。そんなとき、神崎さんと出会って俊はすごく変わったんだ」
 「俊さんが……」
 「うん。それまでは自分がちゃんとしなきゃって思いがあったんだと思う。でも、神崎さんと出会ってそこまでではなくなったというか……。もう少し、柔らかい雰囲気になったんだよね」
 「それはすごく光栄なのですが、どうして私なんでしょう?前の会社にいた頃から、それっぽい言動はあったのですが、ずっと嘘だと思ってました」
 「ああ、それはね……」
 「?」
 牧村さんが、突然私の顔を覗き込む。
 「やっぱりまだ、教えられないな♪」
 「えー!ちょっと期待しちゃいましたよ!」
 「まあまあ、こういうのは本人の口からきちんと聞いた方がいいだろうしね。あとは俊にお任せしますか!」
 「えー、もう。気になります!」
 「そのうち俊から聞けるから、大丈夫だって!」
 「その話、本当ですか?」
 「うん、多分。そう遠くないうちにね」
 そう言うと、牧村さんはとっくに届いていたケーキを美味しそうに頬張る。そういえば、前に浜崎さんにも「どうしてなのか」を聞いたことがあった。そのときは私がうやむやにしてしまったけれど、もし私が考えていることが合っているのなら、どうしてそう思ってくれたのか、その理由を聞いてみたかった。
 「でも、俊がどんなに神崎さんのことを気に入っていても、神崎さんが『NO』と思えば、あいつはいったん引き下がるよ。ちゃんと待つし、その間ほかに浮気したりもしない」
 「……」
 「あとは、神崎さんの気持ち次第じゃないかな。あ、もちろん俊のことが苦手だったら無理に答える必要はないけれど」
 私の、気持ち。私は、浜崎さんの誠意にきちんと答えたい。私次第なのは、ほんのちょっぴりプレッシャーでもあるけれど、浜崎さんはきちんと気持ちを伝えてくれている。だから、私もちゃんと答えなくちゃと思うんだ。
 「私……ちゃんと自分自身と向き合って、自分なりの答えを出したいと思っています」
 「……そっか。それを聞いて安心したよ。でも、あまり一人で深く悩みすぎるのは禁物だよ。それこそ俊もいるし、頼りないかもしれないけれど、僕だっているんだから。俊のことで困ったらいつでも相談してね」
 「ありがとうございます……! 牧村さんは本当に浜崎さんのことを大切に思っているんですね……」
 私なら、幼なじみや友達のためにこんな風に言うことができるだろうか。きっとおそらく、ここまではできないだろう。これも牧村さんが思いやりにあふれた優しい人だからなんだと思う。
 「まあね。幼なじみっていうか、もう家族みたいなものだし」
 「子どもの頃からずっと一緒に過ごされていたんですか?」
 「そうそう。私立だったけど、幼稚舎から大学まで一緒。就職先は違ったけど、俊のお父さん……おじさんにもよくしてもらっていたんだよ。だから倒れたと聞いたときは、自分の父親のように心配したし、あの会社を存続させないとと思った。だから、俊の家族に頼み込んで入社させてもらったんだ」
 「そんな経緯があったんですね……」
 「そうそう。僕、友情に厚い男でしょ?」 
 そう言って、いたずらっぽく笑う牧村さん。冗談のようなテンションで話しているから当然のように思えてしまいがちだけど、牧村さんがやっていることは誰にでもできることじゃない。それをさも当たり前のように思わせてしまうのが、牧村さんのすごさだ。 
 「それと、さっきから気になっていたんだけど……。神崎さんとあのウエイターさんって知り合いなの?」
 牧村さんの視線が、レジで接客中の古関君の方に向けられる。
 「ええ、まあ知り合いというか……元彼です……」
 「えっ、そうなの? 元彼がここで働いているの知っていて来たの?」
 「いえ、そういうわけじゃないんです。ここに来たのは今日が初めてで、本当に歩いていたらたまたまた見つけたお店なので……。だから正直、とても気まずいです」
 「そうだったんだ。気まずいってことは、ちょっと訳ありってことかい?」
 「はい、そんなところです……」
 「なるほどねぇ……。まあ、彼の様子を見た感じだと、まだ神崎さんに未練がありそうな感じがするな」
 「えっ、そうですか?」
 「うん。さっきからこっちの様子をちょくちょく気にしているし、おそらくだけど、神崎さんと僕の関係が気になっているんじゃないかな」 
 会話の内容を古関君に悟られないそうにするためか、牧村さんは声のトーンを落として話し始めた。
 「そうなんですね、全然気づかなかったです……」
 「まぁ、男の勘ってやつかな? 女性の勘があるように、恋する男にもそういうのがあるんだよ」
 「へぇ……。そういえば、牧村さんは彼女とかいらっしゃるんですか?」
 「お、ストレートに聞くね」
 「あっすみません!恋する男っておっしゃっていたので、もしかして牧村さんにも気になっている方がいらっしゃるのかと思って……」
 「ふふ、なかなか良い線いってるね。でも、僕には大切な奥さんがいるからね」
 そう言って、左手に光る薬指をなでる。
 「あっ、すみません! 気付いていなくて……」
 「ああ、いいのいいの。ちょっと面白かったから」
 「そういうの本当に気付くのが遅くて……」
 本当に昔から恋愛事には疎く、クラスのほとんどが気付いているようなカップルにも、まったく気づいていないほどの鈍感っぷりだ。
 「あ、確かに。言っちゃなんだけど神崎さん、そういうことに興味がなさそうだもんね」
 「はい、お恥ずかしながら……」
 「いや、そういうところが良いんじゃないかな。きっと俊も、そうだと思うから」
 「浜崎さんがですか?」
 「そうそう。僕たちって若くてそれなりにシュッとしていて、お金も持っているじゃない。その分、色んな女性が寄ってきやすいというかさ。もちろん悪い人ばかりじゃないと思うんだけど、とにかく見てくれだけで近づいて来るような人も残念ながら少なくないんだ。でも、神崎さんはそうじゃないでしょ? むしろまったく興味なさそう(笑)」
 「うーん、いやぁ、そんなことは……」
 すっかりお見通しなだけに、ちゃんと否定できないのが切ないところだ。
 「でも確かに、外見とか条件ってそれほど重要視しないですね。中身が合うのが大事というか、やっぱり恋人とか、結婚って外見だけじゃやっていけないと思うので」
 「うん、やっぱりそういう考え方だと思った。僕たちは、どんなに相手の外見が良くて、素敵な人だったとしてもそれだけじゃ惹かれない。神崎さんの言う通り、最後に選ぶのはやっぱり中身なんだよ」  
 そう、力強く牧村さんは言う。浜崎さんや牧村さんのように、女性に困らなさそうな人たちでも、そんな風に感じるものなのか……。きっと、牧村さんの奥様は内面も外見も素敵な方なんだろうな。何となく、いや、絶対にそんな気がする。
 「だから、神崎さんは俊と合ってる。俊は、自分の立場や条件に関係なく、ほかの人と変わらない態度で接してくれる神崎さんだから、良いと思ったんじゃないかな。僕は俊と幼なじみで、小さい頃から俊と一緒にいたけれど、俊があそこまで熱を入れているのは神崎さんが初めてなんだ。だから、過去に負けないで、今の俊と向き合ってほしい」
 「……!」
 牧村さんは、まるで私の心を見透かしているかのように、そう言った。
 「過去に負けないで、浜崎さんと向き合う」。それを私自身もやれたらどんなにいいか……。そうなりたいとは思うものの、どうしても自信が持てずに自然と顔が俯く。
 「大丈夫。神崎さんならきっと、乗り越えられるよ。もっと良い未来にたどり着きたいと思ったら、それは必ず乗り越えるべきプロセスなんだ。僕も俊も、たくさんの壁があったけど、一つ一つそうやって乗り越えてきた。だから、今の神崎さんを見ていると、まるで当時の自分を見ているようで……。何だかおせっかいになってしまうんだ」
 色々うるさいことを言ってごめんね、と牧村さんはすなさそうに言った。そんな、逃げているのは私の方なのに。浜崎さんに何一つお返しできていないのは私の方なのに。それでも牧村さんは、私を優しく励ましてくれる。
 恋愛って、私一人だけの問題じゃない。私が逃げていればいいってものでもないんだ。大切な人のために、自分と向き合いたい。初めて、そう前向きに思えた。
 「牧村さん、私……」
 「どうやら覚悟ができたみたいだね。過去の相手なんて、今の神崎さんにはもうどうでも良くなっているんじゃない?」 
 牧村さんはそう言うと、キッチン前で店内を見回す古関君に目をやった。古関君とのことも、この三年ずっと苦しかったけど、今日たまたま会って、牧村さんと話をして気持ちがスッキリした。自分の中ではずっとくすぶり続けていた思いが、自然と消えていくのを感じた。
 自信があるってわけじゃないけれど、私なんだか、もう大丈夫な気がする。きっと100%の自信が持てるまで待っていたら、それこそいつになるのかわからない。
 自信がなくたって、走りだして良いんだ。不安があっても、前に進んで良いんだ。だって私が、それを願っているんだもの。気持ちに答えたいって思う人がいるんだもの。
 決めた。月曜日、浜崎さんに気持ちを伝えよう。
 そう決意した後の行動は早かった。牧村さんも何かを察したのか、早めにお茶を切り上げお会計を済ませる。レジ担当は古関君で、なんだかソワソワした様子でレジを打ってくれた。牧村さんの言う通り、余裕そうな笑顔こそいつもの古関君だが、どことなく落ち着かない様子が感じられた。もしかして、もしかしなくても動揺しているのだろうか。
 付き合っていた当時から、いつも古関君は余裕そうな立ち振る舞いで、すぐにテンパってしまう自分のあこがれでもあった。そんな古関君が今、私と牧村さんを見て焦っている。勘違いをさせて何だか申し訳ない気持ちと、私が悩み苦しんだ分、少しは焦ったらいいという気持ちが自分の中でないまぜになって気持ちが悪くなった。牧村さんには不審がられたが「胃もたれです」ということにしておいた。
 「すみません、私の分までごちそうになってしまって……ありがとうございます!」
 「いやいや、こちらこそお礼を言いたいくらいだよ。それにしても、今日は神崎さんに会えて本当に良かった」
 「私もです。まさか偶然会えるなんて思ってなかったから……」 
 牧村さんと話をすることで、自分の気持ちに気付けた。今までずっと一人で抱え込んでいたけれど、誰かに話してみるものだな。自分で考えていると、いつしかネガティブループに陥ってしまうが、客観的な目線でアドバイスをくれる人の存在はとても貴重だ。もう少し、周りの人に心を開いてみるのも良いかもしれない。これは自分にとって、新しい気付きだった。
 牧村さんと別れ、来た道を歩いて自宅に帰ろうかと思ったが、家までは結構な距離があることに気付いた。何せ、あてもなく歩き続けて隣町まで来てしまったのだ。
 行きと同じ距離をまた歩くのもしんどいし、ここは電車で帰ろう。最寄り駅までの電車に揺られながら、私は明日のプランを考えていた。
 明日は朝一番に会議の予定があって、その後も一日中タイトなスケジュールだ。それならば、夜に少しでも時間を作ってもらって、自分の気持ちを話そう。私は、私のことを受け入れてくれた浜崎さんと、少しずつ関係を築いていきたい。今日、牧村さんと話して自分自身が前向きな気持ちになれた。もちろん、浜崎さんの気持ちあってのことだから、どうなるかは分からないが。
 それでも、今自分が抱いたこの気持ちを、嘘にはしたくない。三年ぶりに抱いたこの気持ちは紛れもなく本物の、恋心だ。
 そんなことを考えている間に、最寄り駅に電車が到着する。うっかり折り遅れそうになりながらも、何とか改札を抜け、出口へと向かう。駅を出ると、カフェまでの道のりとは全く違う、見慣れた風景が広がった。古関君や牧村さんに会って、非日常な気持ちになったからだろうか。最寄り駅から外に出た瞬間、ほっと安堵した。
 それじゃ、自宅に帰ろうかと交差点の赤信号で立ち止まったとき、こちらの方に向かってゆっくり進んできた。
 「あの車って……」
 どこかで見覚えのある車だ、と思い何となくぼんやりと見ていたら、運転席に見覚えのある顔がチラついた。
 「えっ」
 浜崎さん!?
 どうしよう、どうしよう。心の中で名前を叫んだものの、緊張で足が震えて動けない。
 早くしないと、車が行っちゃうかもしれない!そんな焦りに駆られていた、そのとき。
 「遅れてごめんなさい!」
 そう言って、助手席に乗り込む一人の女性。ツヤのあるミルクティー色の髪の毛が綺麗な……川上さん!? 川上さんと浜崎さんが、どうしてこんなところに……。
 何も言えないまま、すぐに浜崎さんの車は出発してしまった。休日に、浜崎さんの車でわざわざ会うってことは……もしかして、デート……?
 「……彼女、いたんだ」
 牧村さんは「私と付き合っているじゃないか」と言っていたけれど、本当の彼女は、川上さんだったみたい。浜崎さんと川上さん、確かにお似合いだもんなあ。
 ……。なんだか、決意を固めた自分がバカらしくなってきた。最初から彼女がいたんじゃない。それなのに自分の気持ちなんて伝えたら、迷惑極まりない女だよ。
 明日話すのはやめよう。浜崎さんへの気持ちも、最初からなかったことにする。

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