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(5) 大人の思春期

 今どきの若者よりは音声通話に慣れ親しんだ世代とはいえ、やはり電話などできるわけがない。そもそも電話をくれとも言われていない。またねと言われただけだ。それも社交辞令に決まっている。

 いや、まてよ——。

 名刺の裏に番号を書いて寄越したということは、架けてくれということに他ならないのではないか。客観的、一般的には絶対にそうだ。独身の部下から相談を受けたとしたら、すぐに架けろ、この場で架けろと(けしか)けるだろう。

 しかし一般論というものは得てして自分自身のことには当て()められない。客観が主観に勝ることも稀だ。客観的な意見を採用したつもりでも、それを選んだのは主観に過ぎない。だとすれば、人が自分自身のことについて客観的な判断を下すことなど(はな)から無理だということになる。

 明後日の方向に向かい始めていた思考にブレーキをかけてくれたのは、女将の(ほが)らかな声だった。

「はい。鰆の西京焼き。お待たせしました」
 
 女将がビールの瓶を手に取って、わずかに残っていたビールを注ぎ切ってくれる。

「今日はビールの進みが早いんじゃありません?」

「え。そうかな?」

「名刺一枚でそんなにお酒が進むのなら、わたしも名刺を配ることにしようかしら」

 女将は少女のように顔をほころばせた。
 その表情だけでも酒が進みそうだと思いつつ、日本酒を注文する。

「ちょうど各務さんが好きそうなのが入っていますよ」

「じゃあそれで」

 銘柄を確認する必要もない。日本酒に対する自分の生半可な知識よりも、客の好みをしっかり把握してくれている女将の方が格段に信頼がおけるのだから。
 思考が振り子のように女将と尋深の間を行ったり来たりして、また尋深の方へ揺り戻す。

 とにかく電話は無理だ。せいぜいメールかLINEだろう。LINEのやりとりをしたこともないけれど、電話番号から友達登録だけはされている。だが、それにしたところで何と送るべきか。
 
 今日は会えて嬉しかった——
 それじゃまるで口説きにかかろうとしているみたいじゃないか。

 元気そうで何より——
 それで済むなら悩みはしない。

 いつから——。いつから、この街に——。
 そうだ。彼女がこの街にいることは知らなかった。

 この十五年、惰性に近い年賀状のやり取りは続いていた。卒業後は彼女の出身地で就職して、結婚を機に転居して以降はずっと同じ住所だったように記憶している。

 いつこっちに引っ越してきたのだろうか。
 いや。考えるまでもなくヒントは目の前にあった。名刺だ。
 勤務先の住所はこの街ではなく、彼女が住んでいるはずの地方のものだった。
 ということは、出張だったという可能性が高い。だとすれば、今頃は新幹線か飛行機の中か。あるいは宿泊先のホテルだろうか。

 いずれにせよ昼間出会ったのはすごい確率だ。どちらかの歩みがほんの数秒ずれただけで出会うことはなかっただろう。そんなことに運命を感じるほどに若くはない。若くはないが、何かしらの感慨は感じざるを得ない。
 学生時代、彼女との偶然の出会いを演出しようとして何度も失敗したことを思い出した。

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