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「そういえば髪染めた?」

正広の家に入ってしばらくした頃にやっと私の髪の変化に気づいたようだ。横に座りながら頭のてっぺんから毛先まで面倒くさそうに視線を動かす。

「ああ、うん。少し明るくしてみたんだ」

「いいんじゃない? 似合ってる」

無表情だけれど正広から似合っていると言ってくれたことが嬉しくて、無意識に髪を撫でた。山本さんや武藤さんにも似合っていると言われた以上に正広に言われると心から嬉しい。受け取り方が全然違う。同僚のお世辞の混じった褒め言葉よりも、恋人の正広なら本音で言ってくれる。

「あ」

カーペットに寝転んだ正広が急に起きて玄関に置いてあるカバンから包装紙に包まれた箱を出した。

「はい、ホワイトデー」

そう言って私の目の前に箱を差し出す。思いがけないプレゼントに顔がにやける。「ありがとう」と言って受け取り赤いリボンを解いて開けると、中にはマシュマロが入っていた。

「嬉しい!」

笑顔を正広に向けて手の中のマシュマロを見た。定番のマシュマロだろうと忘れずにお礼をしてくれた正広の気持ちは嬉しい。これは私のことを思ってくれたプレゼントだから。

「正広はホワイトデーなんて忘れてると思ってた」

「忘れないだろ普通は」

「はは……そうだね……」

忘れたこともあったよ、なんて言葉は飲み込んだ。過去私の誕生日だって数か月後に思い出したことがあったのだ。だからホワイトデーのお返しをくれるなんて正広にしては珍しい。2人の関係の修復を期待してもいいということだ。
でもお返しのマシュマロに込められた意味をきっと正広は知らないだろう。定番すぎていつの間にかお返しの品の意味を考えて贈る男性も増えたようだし、ネットでも検索すればすぐに分かってしまう。マシュマロにはいい意味も悪い意味も両方ある。これをくれた正広の気持ちを気にしたりはしない。きっと深く考えずに定番だからとマシュマロにしたに違いない。そうは思っても素直に嬉しいと思えなかった。マシュマロを介して本当は『あなたが嫌い』と遠回しに言われているように感じた。
そうして武藤さんからもホワイトデーのプレゼントをもらったことを思い出した。
カバンから出したそれは正広からのマシュマロと同じ赤いリボンがかけられたピンクの包み。正広の箱よりも大きくて重さもあった。中を開けると色とりどりのマカロンが箱に詰められていた。まるで武藤さんはマカロンの意味を調べて贈ってくれたのではないかと思ってしまう。だから余計に武藤さんの気持ちに申し訳なさがついて回る。

「なにそれ?」

正広は私が持っている箱の中を覗き込んできた。

「あ……今日先輩にホワイトデーのお返しをもらったの。私が義理であげた人から」

正広に変に思われないように『義理で』を強調した。

「ふーん。うまそ」

「食べる?」

「いいの? さんきゅー」

正広は箱の中から黄色のマカロンを1つ取って口に入れた。

「………」

私はマカロンを味わう正広を複雑な思いで見つめた。
ねぇ正広、それはさっき私を好きだって言った男の人からもらったんだよ。
そう言ったら正広はどんな反応をするだろうかと口を開きかけた。
怒るかな? 焦るかな? 「物好きな男だな」なんて言いながらも嫉妬してくれるかな?

「正広」

「ん?」

正広は視線をテレビに向けながらマカロンを頬張る口で返事をする。

「今日泊まってもいい?」

「……いいよ」

返事をしてくれるまで間があったのが引っ掛かるけれど、正広は今日も私がベッドに入るのを許してくれる。

「ありがとう」

武藤さんのことは言えない。今の順調な関係を乱したくないから。大事にしよう。私がそばにいることを許してくれるこの恋人を。私はそう決心した。





正広の部屋の使い慣れたお風呂に入り、見慣れた柄のバスタオルで体と髪を拭く。私が持ち込んだドライヤーを洗面台の引き出しから出して、いつものように髪を乾かした。置きっぱなしの歯ブラシで歯を磨いて、入念に鏡をチェックする。
正広の家に泊まるときの、寝る前の私のいつもの行動を全てこなす。
そうして先にベッドに入って正広の横に潜り、掛け布団を肩までかける。いつものように私に背中を向けてスマートフォンを弄っているかと思ったのだけど、今夜は早くも寝息を立てていた。

「正広? 寝ちゃった?」

呼んでも動く気配がなく規則的な呼吸を繰り返す。どうやら本当に寝てしまったようだ。
また今夜も私は放っておかれるんだ。
先日久しぶりに身体を繋げたというのに、以前のような関係に戻ってしまったようで悲しくなる。私も正広も性欲が旺盛というわけじゃない。私も疲れているけれど、もちろん正広も疲れている。
明日も仕事なのだから早く寝なければいけないのだけれど、この間のようにお互いの身体を貪るようなセックスが忘れられない。正広との恋人関係が再熱したと実感できたのに。だからもう一度愛されているのだと感じさせてほしかった。

ベッドに横になりながら薄暗い部屋のテレビの横に置かれたゴミ箱に視線を向けた。ゴミ箱の中には正広と武藤さんからそれぞれ貰ったホワイトデーの包み紙が捨てられている。ゴミ箱から覗くピンクの布に武藤さんの顔が頭に浮かんだ。『特別な人』という意味をもつマカロンに、どうしてこれが正広から贈られたものじゃないのだろうと理不尽な怒りを覚えながら目を閉じた。

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