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私もうまく言えなくて歯がゆい。キスをされたのだと私から言うのも恥ずかしくて悔しい。けれどそれで理解したのだろう武藤さんは落ち込んだのか下を向いた。自分の足元を見ている武藤さんがどんな顔をしているかは見えないけれど、本当に反省しているように感じられる。

「誠に申し訳ありませんでした!」

私に向かって本当に土下座してしまいそうなほど深く謝る武藤さんの姿に通りすぎていく周りの人は好奇の目で見つめてくる。それに居心地の悪くなった私は必死な武藤さんを見て吹っ切れた。

「顔を上げてください」

「でも……」

「もういいですから」

詳細を覚えていない武藤さんをこれ以上責めてもお互い疲れるだけだ。

「それに、私も武藤さんに謝らないと」

「え?」

「あのとき武藤さんをひっぱたいちゃいました……すみません」

正当防衛とはいえ私も謝罪をしなければ。

「それは気にしないでください。僕への罰です。すみませんでした……」

何度も私に向かって謝る武藤さんの姿に笑った。心が軽くなり久しぶりに笑えた気がした。私も怪我をさせたわけだし、このままお互い何もなかったことにしてもいいかと思い始めた。私の笑顔を見て武藤さんもほっとしたのか同じく笑った。

「僕、戸田さんが好きです」

「え?」

思いがけない突然の言葉に耳を疑い、笑顔のまま固まった。

「あ、いや、その……」

武藤さんも自分自身の発言に驚いたのか口に手を当て再び焦り出した。

「酔っていて覚えていないのは申し訳ないのですけど、だからこそ戸田さんに失礼なことをしてしまったのだと思います……」

「どういうことですか?」

「僕はずっと戸田さんが好きでした」

「はあ……そうですか……」

口からは間抜けな音しか出てこない。

「食事に誘ってくれていたのはそういうことですか?」

「はい」

武藤さんは自棄になったのか勢いを増して話しだした。

「さり気なく気遣いができるところとか、他の課の仕事もフォローしてくれる姿勢とか、もっとありますけど……素敵だなって思っていて……」

「………」

「気づいたら好きでした。戸田さんのことが」

もう何も言えなくなってしまった。これまでの武藤さんとのやり取り全てが後ろめたい。私を好きになってくれた気持ちは嬉しい。でも突然のことでその想いを受け止めることができない。
私を好きだから酔った無意識のときにキスをしたなんて滅茶苦茶だ。だって今までは避けていたじゃないか。あの態度からこの展開には頭がついていかない。

「私……武藤さんに嫌われているとばかり思ってました。ずっと無視されてきたので……」

少なくとも数ヶ月悩んできた。挨拶もしてくれない、目も合わせてくれない。気分がいいものではなかった。

「それは自分の気持ちを戸田さんに知られたくなかったのです」

武藤さんはまた困ったような複雑な顔で私を見返す。

「僕は以前女性を傷つけて傷つけられるような恋愛をしていました。もうそんな経験をしたくはない。だから好きになった人には極力近づかないようにしてきました」

私はポカンと口を開けた。

「よくわかりません……」

「ですよね」

武藤さんは悲しそうに「はは……」と笑った。

「怖かったんです。戸田さんに近づきたいけど、距離を縮めて傷ついたり傷つけてしまうのが。恋愛に臆病になっていました」

「………」

「でも戸田さんにもっと思ったことを素直に出した方がいいと言われたことだけは酔っていても覚えていました。その言葉に僕は吹っ切れたんです。もう戸田さんには気持ちを隠したくない」

そう言うと私に向かってまっすぐ微笑んだ。

「僕は戸田さんが好きです」

武藤さんのストレートな想いは今の私には突然で重すぎた。

「あの、私には彼氏が……」

「知っています。だから付き合ってくださいとは言いません。ただ僕の気持ちだけ伝えたかったです」

顔を赤くした武藤さんはより一層かっこよくて素敵に見えた。いつも以上に力強い目をしている。
私への曇りのない想いをはっきり感じた。それが余計に武藤さんに対して申し訳ないと思わされた。ただ気持ちを伝えたいだけだと言われても困ってしまう。
普通の女性なら武藤さんに告白されたら舞い上がるのだろう。だってイケメンで優しくて将来有望な自慢できる素敵な彼氏。本来は誠実な人だ。絶対に私を大事にしてくれるだろう。告白の返事を断る理由がない。
それでも私には正広がいる。

「すみません、私武藤さんとはお付き合いできませんし、彼氏とも別れるつもりがありません……」

そう言った瞬間武藤さんは笑った。

「はい、それでいいんです」

明るく言う声は私の返事を本当に気にしていないようだ。想いを告げられた私が落ち込んで、振られた武藤さんの方が笑顔だ。

「僕が好きでいる分には構いませんか?」

「え?」

「戸田さんに恋人がいたら僕は戸田さんを好きな気持ちを消した方がいいですか?」

「それは……」

答えることができず下を向いた。自分を好きになってくれた気持ちは嬉しい。応えられないのが申し訳ないほどに。

「いいです……」

「どっちのいいですか? 好きでいてもいいのか、だめなのか」

「こ、こんな私でよければ……」

思わず了承する言葉が口から出た。すると即「ありがとうございます」と武藤さんが言った。その顔は晴々としていて、数分前まで落ち込んでいた男とは別人のようだ。
彼氏がいる人を好きでい続けていいのだろうか。私から私を諦めてなんて厚かましいことは言えない。でも武藤さんは気持ちが一方通行のままで辛くはないのか。

「ホワイトデーのそのプレゼントはもらってください」

「はい……」

気まずいと感じていた武藤さんとの今後の関係は今までよりはましになった。けれど自分を振った相手と今後も仕事をするのは武藤さんは気にならないのだろうか。

「じゃあお気をつけて」

「はい。お疲れ様でした……」

「お疲れ様でした」

暗い表情の私と違い武藤さんは穏やかな顔だ。そんな武藤さんに背を向けて足を踏み出した。早くこの場から逃げてしまいたいけれど、平静を装ってできるだけ普段どおりの歩幅とスピードで歩く。後ろを振り返ることはできないし、振り返ろうとも思わない。

私には正広がいる。武藤さんのことはどうやったって同僚としか思えない。
まさか告白されるとは思っていなかった。気まずい関係の修復だけで十分だったのに。こんなことなら私への気持ちを隠してくれていた方が楽だったのだ。来週からどんな顔をして接したらいいのだろう。



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