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毎年2月の下旬には社員旅行が計画されている。楽しみにしている社員がいるとは思えないこの会社行事に毎年私もうんざりしている。
土曜日の朝会社のビルの前に集合して大型バスで移動する。今年は植物園に行き工場でガラス細工作りをやった。
「ほんと、専務こういうの好きだよね」
特別興味もあるわけじゃない旅行の内容に先輩が溜め息混じりに呟く。
「そうですね」
私も同意した。
毎年社員旅行の行き先と観光内容は専務が決めている。退屈なわけではないけれど会社の同僚とわざわざ土日の休みを潰してまでも行きたいところではない。
前もって今夜泊まる旅館が温泉は最高だとは社員みんなが知っていた。でも食事がいまいちだと知っているのは同期の総務の子に聞いていた私だけだ。先輩にはそのことを黙っておいた方がいいかもしれないと思い、売店で先輩とお揃いのガラスの置物を買った。
旅館に到着して温泉に入った。聞いていた通り温泉は浴場もお洒落で眺めも最高だった。
浴衣に着替え宴会会場に移動し、宴会の前に幹部の挨拶を終えると静かだった会場が徐々に盛り上がってくる。その中で人一倍大声で盛り上がっているのは私とコンビを組んでいる山本さんだ。瓶ビール片手にテーブルをあっちこっち移動し、先々で盛り上がる山本さんに私は呆れた。
「もう……」
あれだけノリが良くて仕事もできてルックスも良いのだから彼の周りには常に人がいた。今日の旅行もサボりそうなところをちゃんと出席して盛り上げている。
「山本さん、ほんと軽いですよね」
田中さんと隣同士で座りながらはしゃぐ山本さんを見ていた。
「山本さんって大学生の彼女がいるって本当ですか?」
私にそう聞くから「いるけどもう学生じゃないよ」と答えた。
「駅にカフェあるでしょ? そこでバイトしてた子だよ。去年か一昨年卒業してもう社会人になったんじゃないかな?」
山本さんが仕事の合間に頻繁にカフェに行っては店員の女の子を口説いていたことは知っていた。山本さんのようなチャライケメンに口説かれるなんて彼女が羨ましいような可哀想なような。
すでに酔っているだろう山本さんを見て私は複雑な気持ちになる。武藤さんが次長になるかもしれないと知っているのは恐らく私だけだ。武藤さんは山本さんの上司になる。同期の武藤さんに先に出世されたらショックかもしれない。あの2人はどちらもイケメンで仕事ができて何かと比べられることが多かった。一方は不真面目そうな真面目さんで、もう一方は超がつくほど真面目なのだ。
「あ、武藤さんだ」
田中さんの声に思わず入り口を見た。仕事で遅れて到着する予定だった武藤さんがキョロキョロと会場中を見回している。
私も田中さんも、他の社員のほとんどが旅館の浴衣を着ている。仕事をしていた武藤さんだけがスーツのままで浮いていた。乱れた髪が整った武藤さんの顔を引き立たせている。
武藤さんとは今まで以上に気まずくなってしまった。私が食事を断っているのがいけないのだけど、私は武藤さんに気がないのだからしょうがない。
「こっちですよー」
田中さんが無邪気に武藤さんを呼んだ。その親切さが彼女の良いところだけれど今は迷惑だ。どうか武藤さんがこっちに来ませんように。田中さんの声にこっちを見た武藤さんは私と目が合って一瞬眉が下がった。そして他のテーブルに座ってしまった。その態度にやっぱり武藤さんも私と関わるのは気まずいと思っているのだと確信する。
「もう、武藤さんマイペースなんだから」
田中さんがやれやれと瓶ビールを持って立ち上がった。
「武藤さんのところに行ってきます」
「え?」
「今日ここに来る前に現場に行ってたんです。労ってあげないと」
「じゃあ行ってらっしゃい」
「美優さんも行くんです!」
「え!?」
田中さんの言葉に驚いた。武藤さんのそばに行くなんて無理だ。私はこのテーブルでのんびり飲んでいるから田中さんだけで行ってほしい。
「私が退職したら武藤さんと美優さんが組むんですよ。今から打ち解けておかないと」
「でも……ちょっと……」
渋る私を無理矢理立たせて田中さんは武藤さんが座るテーブルまで引っ張っていった。
田中さんは入社してからずっと武藤さんの下で仕事をしてきたから彼の性格や行動を理解しているのだろう。けれど私には距離を縮めるつもりはないのだ。
田中さんの退職が発表され、私が後任になることが通達されたばかりだ。私は渋々引き受けたけれど、武藤さんはどう思っただろう。きっと同じく最悪だと思ったに違いない。一緒に仕事をするなんてとんでもない事態だ。
その事を武藤さんと話したことはない。いずれ引き継ぎをしなければいけないのだけれど、私も武藤さんもお互いを避けている。
「武藤さんお疲れ様です」
明るく武藤さんに話しかけ隣に座った田中さんは自分でグラスにビールを注ごうとしている武藤さんの手から瓶ビールを奪ってグラスに注いだ。
「あ……」
口をぽかんと開けたまま武藤さんは固まった。ビールを奪った田中さんに唖然としたのか、私がテーブルを挟んで武藤さんの前に座ってきたことに困惑したのかはわからない。
「すみません、お先にもう盛り上がっちゃってます……」
何か話さなくてはと「こんな日に仕事でお疲れ様です」などと頭に浮かんだ言葉を適当に発した。私の作り笑顔に武藤さんは視線を逸らし田中さんの注いだビールを飲んだ。
ほらね、武藤さんの近くに来たことは間違いだ。
「どうぞ……」
私は震える手で精一杯気を遣って武藤さんに向かって瓶ビールを掲げた。
「ああ、すみません」
私の前に武藤さんは空のグラスを差し出したからグラスの縁ギリギリまでビールを注いだ。武藤さんも落ち着かないのかグラスの中身を一気に飲み乾した。そんな武藤さんに私は「どうぞ」と再び瓶ビールを掲げた。
「ありがとうございます……」
武藤さんは複雑そうな顔でビールを口に含んだ。
「そうそう、来月から引き継ぎよろしくお願いします」
田中さんが武藤さんと私に頭を下げた。いつの間にか田中さんの顔は赤くなっていた。既に相当酔っているようだ。
「まあ僕はほとんど何もできないのですけど……大変なのはやっぱ戸田さんですね」
武藤さんが私にそう言った。私は山本さんの後任の人への引き継ぎもある。確かに1番忙しくなるのは私なのだ。
「山本さんは大雑把なので細かいことは少ないから案外楽なんですよ。武藤さんの方が大口顧客が多いから今から不安です……」
私は本心でそう言った。武藤さんと山本さんはそれぞれ優秀な営業マンだ。山本さんは数が多くて武藤さんの顧客は少ないけれどどれも大手ばかりだ。
「美優さんなら大丈夫です!」
どこか抜けたところのある田中さんの力強い言葉に武藤さんは私の前で珍しく笑った。
「田中さんが人妻かぁ……」
私は小さく呟いた。
「いいなあ……結婚」
つい羨ましい気持ちを言葉に出してしまった。私も酔い始めているようだ。
「美優さんも彼氏と付き合って長いですよね?」
田中さんだけでなく社員のほとんどが正広と付き合って長いことを知っている。そういえば、そのことを武藤さんも知っているのかもしれない。武藤さんがまたグラスを空にした。
「もう付き合って5年になるかな」
私は武藤さんのグラスにビールを並々と注ぎならそう言った。
「5年かー。長いですね。じゃあ美優さんも結婚を考えますよね」
「うーん……そうなんだけど……」
ここ最近の正広との関係を思い出した。
「向こうも仕事が忙しいみたいだし、ここのところあんまり会ってないからね……」
苦笑いという言葉がぴったりくるほど私は不自然に笑う。「マンネリかな」と小さく言った。武藤さんはまたグラスを空にしたから自然な流れで私はビールを注いだ。