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【皇帝ニコライの思惑】

【皇帝ニコライの思惑】



 ―――あなたのためならば、人間など幾らでも殺してやる。



『この国は、とても寒い国だからね。南に領土を広げたいというシーシキンの意見は、間違ってはいないだろう』



 ニコライは、思い出す。



 かつてオーブルチェフ帝国の皇帝であるイワンは、憂うように瞳を細め、自分に言った。

 オーブルチェフ帝国は寒い。他国よりも広大な領土を持っていても、乾いた大地では作物は育たない。



 最も最北である土地、シベリにいたっては、罪人が入る監獄くらいしか作ることができないでいる。だが彼は、そのシベリを開拓すると宣言した。



 宰相であるシーシキンは、イワン皇帝の愚行だと貴族達に言っているようだ。



『領土を広げるより、今ある土地を開拓する方が建設的だよ』



 南に領土を広げるという、帝国の悲願。自分だって、この寒いオーブルチェフ帝国で生まれ、寒さを疎んだ。



(イワン様は、素晴らしい。皇室の正当な血筋ゆえか)



 自分は彼のことを妄信していた。先の皇帝も優秀だったが、正当な血筋が引き継がれて、正しい判断をされていると、ニコライは固く信じていた。



 雪の中、初老の男性――イワン皇帝は淡く微笑んだ。



 白銀の髪に、碧眼。広大なオーブルチェフ帝国で皇帝の姿を、ニコライは忘れることなどできない。 



『申し上げますっ!イワン皇帝陛下、皇后陛下、皇子や皇女までもが殺されましたっ!』



 また、皇宮にいたニコライに、部下が憔悴の面持ちで報告をしてきた時のことも、まるで昨日のことのように思い出すことができる。



(シーシキン)



 ニコライは、すぐに彼の仕業であるとわかった。

 皇帝と宰相の間柄ながら、2人の間には政策の方針の違いで、軋轢が生まれていた。



(どうしてくれよう)



 ニコライの頭には、最も忠誠を誓っていたイワンの柔らかい笑みが、離れない。

 自分が強く忠誠を誓った、オーブルチェフ帝国で最も賢い皇帝陛下。



(奴を、どうしてくれよう)



 イワン皇帝だけでなく、その直系である子供達をも殺してしまった男を、許せるはずがない。罪人である彼には最も重い処罰が必要だ。



 ニコライは執念でシーシキンを捕えた。シーシキンの娘を殺害し、シーシキンに遺体の一部を送りつければ、シーシキンを捕えることができた。



『ニコライ・オルロフ様、次の皇帝陛下はニコライ様が相応しいと考えます』



 皇后殿下の出身家であるマスロフスキーが、言ってきた。

 イワン皇帝の嫡子がいない今、イワンと従兄妹関係にあたるニコライが皇帝の座に座ることは、自然である。

 ニコライは、皇帝が皇帝たり得るのは、血筋こそが正しいからこそと考えている。



『······アデリナ皇女···』



 寡黙なニコライは、言葉少なに言った。

 シーシキンは確かにオルロフ皇帝一家を殺したと言っていたが、アデリナ皇女の遺体だけが見つからなかった。



 1歳になろうとしていた幼子のことを、ニコライは覚えている。イワンの第3子であるため、皇位継承権は第3位になる。しかし序列を考えると、ニコライよりは彼女の方が序列は上である。



『あの方の···血筋を継ぐお方こそが···皇位を継ぐべき···』

『しかしニコライ様、アデリナ皇女は見つかりません。それに見つかったとしても、幼子です。皇帝には···』

『······あくまで、自分が皇帝になるのは、暫定···。···アデリナ皇女が見つかったら···私は、皇位を譲る』



 アデリナの遺体が見つからない以上、ニコライは自身の皇帝即位は暫定的な処置であると考えている。



(アデリナ皇女の遺体だけを、悪戯に隠す訳がない。きっと、ご存命でいらっしゃる)



 何者かの手によって、アデリナは生きている。

 ニコライは彼女の遺体が見つからない以上、そう確信していた。

 しかしシーシキンがいなくなった後でも、どうしてアデリナは姿を現さないのか。



(シーシキンの派閥を一掃する。皇女殿下が皇宮にお戻りになるために、揺るがぬ地盤を築いておかなければ)

 ニコライはアデリナが姿を現さない原因を考え、シーシキンの派閥に所属していた貴族達を時には殺し、時には爵位を奪い、時には爵位を降格させた。

 数年に渡って皇宮の政治家達を片づけたが、それでもアデリナは姿を現さない。



(あの方の、ご息女。オーブルチェフ帝国の女帝となりえるお方)



 ニコライは、自分が座る玉座は、彼女のためのものだと考える。



(あの方のご息女を女帝にする。そのためなら、人間など幾らでも殺してやる)



 正しい血統が、皇帝になることが正しい。

 アデリナ皇女がご存命なら、年は18歳になるだろう。

 皇后陛下に似ていた子供の顔を見れば、ニコライはすぐに気が付くはずだ。





(アデリナ皇女)





 イワン皇帝の柔らかい笑みと、麗しい皇后殿下の顔を思い出し、ニコライは懸想する。

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