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「あのう」飛びながら私はユエホワにたずねた。「イボイノシシ界ってもしかして、地母神界のこと?」
「たぶんな」ユエホワはまっすぐ前を見て飛びながら答えた。「あいつらがさらに新しい世界とか国とかをつくってるんでなければな」
 私はそれ以上なにもいわなかった。
「それにしても、あいつら陛下の目を盗んで好き勝手やってくれてるってことだな」ユエホワはにがにがしげに言った。「まさかとは思うが、あいつらに寝返る鬼魔が出ないうちにつぶしといた方がいいな」
「つぶす?」私はぎくっとした。「闘うってこと?」
 ユエホワはなにも答えなかった。
「ちょっとちょっと」私はくいさがった。「まさかまたあたしにやれっていうんじゃないでしょうね」
「いつ性悪鬼魔が現れるかわからないからね」ユエホワが声をうら返して私のまねをする。「このキャビッチがあればだいじょうぶ!」背中のリュックをたたくまねまでする。
「いー」私は思い切り眉をしかめた。

 少し飛んだところで川に出た。
 川、というのか……やはりそれも黒味がかっていて、ぜったいにその中に入りたくもないし、たぶん魚なんかも一匹たりともすんでいないと思われた。
 その上を横切って飛んでいるとき、また
「あっ、ユエホワ」
と声がかかった。
 下を見ると、なんと川の黒味がかった水面から、ワニ型鬼魔のキュリアノ類が顔をのぞかせていた。
「どうした、ボーロ」ユエホワが空中で立ち止まる。
「さっき、アポピス類が来たぞ」ボーロと呼ばれた鬼魔は大きな口をぱくぱくと動かして話した。「血欲しいかいとかなんとかきかれた」
「えっ」私は眉をひそめた。
「そうか。五人ぐらいいたか」ユエホワはまたふつうに受け答えした。
「いや、一人だけだった。血はいらないけど食い物が欲しいって答えたら、またくるっていってた」
「そうか。もしまたそいつが来たら、ユエホワが探してたって伝えてくれ」ユエホワはそう言い残してまた飛び始めた。
 私はもう、なんのことかとはきかずにいた。
「一人だけってことは、あいつら手分けして鬼魔たちを勧誘して回ってるんだろうな」ユエホワは飛びながらひとりごとのようにそう言っていた。「やっかいだな」
 私は、早く帰りたいなあ、と思いながら、箒の柄にぶらさげたバスケットからプィプリプクッキーを取り出してほおばった。

 しばらく行くと今度は林の中に入った。
「あっ、ユエホワ」また地上から声がかかる。
 見るとまた人型に化けているものだったが、何の鬼魔なのかはわからなかった。
「アポピス類が来たぞ」やっぱりその鬼魔もそう言った。「目ぼしい貝があるっていってた。貝は食べにくいから他のものがいいっていったら、ため息をついてまた来るっていってた」
 ユエホワは前とおなじようなことを言って、私たちは飛び去った。

 つぎは山の中に入った。
「あっ、ユエホワ」こんどはワシ型鬼魔ディーダ類で、高く黒味がかった針葉樹の枝の上から呼んできた。「アポピス類が来て、貧乏神会に来いっていわれたけど、貧乏な神さまのパーティなのかってきいたらなにも言わずに帰っていった」

「アポピス類のやつらも、だんだんわかってきたようだな」山から飛び去りながら、ユエホワがつぶやく。
「なにが?」私はきき返した。
「鬼魔にむずかしい話をしようなんて、どだい無理だってことがさ」
「ああ……」私はうなずいた。
「まあとにかく、さっさとつかまえてあのいまわしい裁きの陣とやらへたたきこんじまおう」
「でも、どこにいるのかな」私はまわりを見回した。「もうあきらめて帰っちゃったんじゃない?」
「――また来るっていってたっていうから、最初のトスティのところにもどって待ってみるか」
「えー」私はうんざりの顔をした。「もう帰ろうよ」
「もうちょっと我慢しろ」ユエホワはえらそうに言った。「ここではっきりさせとかないと、今後めんどうなことになる」
「めんどうって?」
「また俺をさらおうとするだろ」
「おばあちゃんのとこにいればいいじゃん」私はテイゲンした。
 ユエホワはものすごく長いため息をついたあと「いやだ」と答えた。
「なんで」私は口をとがらせた。
「お前、さっきの鬼魔城にずっと住めって言われたらできるか?」ユエホワがきき返してきた。
「いやだ」私はソクトウした。
「だろー」ユエホワはうんざりしたような声で言った。
「えーっ」私は目を見ひらいた。「おばあちゃんちが鬼魔のお城と同じだっていうの? 言ってやろーおばあちゃんに!」
「ばかお前」ユエホワは一瞬あせったけれど「――まあ、別にいいか。もうあそこに行くこともないし」と言いなおした。
「えっ、なんで?」私はつい目をまるくしてきき返した。
「必要ないしね」ユエホワは飛びながら肩をすくめる。「いちばん知りたかったクドゥールグ様との闘いの話も聞けたし、伝説の魔女のキャビッチスローもじかに見ることができたし、まあいろいろ参考にはなったよ」
「えー、もう来ないの?」
「なに」ユエホワは半眼で私を見た。「俺がいないとさびしいの」
「いや、全然」私はソクトウした。「でもおばあちゃんとパパがさびしがると思うよ」
「知るか」ユエホワはぷいっと前を向いた。「人間のおもちゃじゃねえぞ俺は」
「なにその言い方」私は怒った。「さんざん世話になっときながら。そういうの、恩知らずっていうんだよ」
「感謝はしてるよ。でも馴れ合いにはならねえ」ユエホワは指を立てて宣言した。「だからお前から、ありがとうございました、さようなら、って伝えとけ」
「なに命令してんの。自分で言いなよ」私はぷいっとそっぽを向いた。

「いたな、ユエホワ」

 呼ぶ声がまた聞こえた。
 私は反射的に下を見た。
 けれどそこは野原の上で、鬼魔はだれもいなかった。
「ん?」私は首をつき出してよく下を見た。「だれ?」
「止まれポピー」ユエホワが私を呼び止める。「やつらだ」
 それを聞くのと同時に私はリュックをたたいていた。
 キャビッチが手の上にころがり出た瞬間、私の口はかってに
「マハドゥーラファドゥークァスキルヌゥヤ」
とさけんでいた。
 なんでかってにそうさけんだのかはわからない。自分の中にそういう、決まりのような、動きのパターンのようなものができあがっていたのかも。ルーティンっていうんだっけ?
「ディガム」直後にアポピス類のさけぶ声がした。
 姿は見えない。
「あれ」ユエホワがぽかんとした声で言う。「俺、動けるけど」
「ほんと?」私はとなりの黒味がかり緑髪を見た。
「二人がけ?」ユエホワが赤い目をまるくして私を見る。
「ん?」私は首をつき出してきき返したけど、その直後に
「ゼアム」
とアポピス類のつづけてさけぶ声がしたので、はっと前を向いた。
 とくに何も起きない。
「わかりにくいな」ユエホワがつぶやいたので、なにがわかりにくいのかときこうとした時「ポピー、キャビッチにあの緑の薬かけて、俺にかしてくれ」と早口で私に言った。
「えっ」私はわけがわからないまま、とにかく言われたとおりにして小さなキャビッチをユエホワに渡した。
「ピトゥイ」ユエホワがさけぶなり、なんとキャビッチがしゅるんと消えた。
 私が息をのむのと、五人のアポピス類の姿が現れるのとが同時に起こった。

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