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貴女の名は?

 新たに人が流れ着いてきた。しかし、流れ着くモノを選べないというのは面倒なものだ。特に下等な相手ほど面倒なものは無いだろう。
「へへっ、つまりここには、あの面倒な連中は居ないって訳だ」
 管理者の説明を聞いて品の無い笑みを浮かべるのは、新しく流れ着いた五人組のリーダーだと思われる男。
 流れ着いた五人組は全員身なりはそこそこ良いようだが、品の無さが外ににじみ出ているので、まともな相手ではないのだろう。
 管理者に対しても品定めするような遠慮のない視線を向けてくる。その瞳に灯るのは淀んだ欲望。ここが元居た世界とは違う世界だと聞いて全員嬉々としている辺り、まともな生き方をしていた者達ではないのだろう。まぁ、管理者としては警告さえ護るのであれば、相手がなんであれどうでもいいのだが。
 もっとも、こういった手合いは取り締まっていた側が居なくなると直ぐに暴れ出すのだが。そう思うと、小物の見本のようにも思えてくる。
 案の定、説明と警告を終えて居住区画へと案内するべく管理者が背を向けた瞬間、男達が襲い掛かってきた。手には刃物を握っているので、世界から放り出される際に身に付けていたのだろう。
 とはいえ、警告を無視して管理者へと害意を向けた時点で全ては終わっている。五人組など最初から居なかったかのように、その場には居住区画へと向かう管理者の姿しかないのだから。
 相手を選べないというのは残念だ。管理者はそう思う。折角新しい素材が流れ着いてきたというのに、この地に何某かの変化を起こす前に愚かしくも消えてしまった。もう少し知性が欲しいとは思うが、やはり相手は選べないのだからしょうがない。
 管理者の都合がいいように相手を改造するというのも一つの手ではあるが、それはそれで意味がない。漂流物を受け入れるという面倒な事案を強制的に押しつけられたのだから、その法則無視の無秩序さを活かした変化というのを楽しまなければ、こんなつまらない作業を行うやる気を維持するのは難しい。管理者としては、創造主の不手際のツケを押しつけられた事は今でも不満なのだから。
 そのまま居住区画へと入った管理者は、折角だからと見回りをしていく。
 相変わらず建物は奇麗に管理されている。この地にも天候の変化はあるのだが、それを全く感じさせない。
 管理者はそろそろ季節でも導入しようかとも思っている。雨の素である水や空気と違って、大きな気温の変化は流石に漂着してこないのだから。
 その辺りも徐々に導入していくとして、あの少年少女はここの生活にも慣れただろうかと、管理者は居住区画を歩きながら考える。一応二人の動向は把握しているが、心の変化までは個々に調べていかなければ判断は難しい。
 人数が少ないので、今であればそれほど手間ではないが、今後増えていく可能性を考えればいちいち気にする必要性もない気がした。
 ある程度居住区画を歩いたところで、管理者は二人の住居の方へと足を向ける。管理補佐には途中で会ったが、報告を聞く限り問題はなさそうだった。
 二人の住居に到着する。こじんまりした一軒家だ。それでも二人で暮らすには十分過ぎるほどに大きい。
 その住居が在るのは、管理者が入ってきた方角とは反対側の一角。居住区画の端の方で、比較的最近流れ着いてきた建物。
 家の前に到着したところで、管理者は玄関扉を叩く。呼び鈴とかノッカーのような気の利いたものはこの建物には無い。
 程なくして、窺うような気配の後にそっと扉が開いた。扉の隙間から顔を出したのは、少女の方だった。
「な、何か御用でしょうか?」
 可愛らしい声を震わせて、少女が問い掛けてくる。
「そう怯えずとも、様子を見に来ただけです」
 背丈がやや低めの管理者よりも更に背の低い少女に視線を合わせるように膝を曲げると、管理者はそう告げる。実際、居住区画に来たついでに様子を見に来ただけで、本当に用事はなかった。
「そ、そうなのですか?」
 怯えながらも、少女は不安げに問い返す。少女にとって管理者は上位者であるし、そもそも少女は強さで言えば、この世界での最下層とも言える立ち位置だ。
 それに加えて、管理者のこの世のものとは思えない美貌に無表情さが合わさり、酷く冷淡な印象を他者に与えてしまう。声音も淡々としたものなので、慣れていないと不機嫌なのだろうと思えてしまうほど。
「ええ。それで早速ですが、この世界には慣れましたか? まだ居住区画から出ていないようですが」
「え、あ、はい。ここに住むのには慣れました。ですが、お外は恐いので……」
 言い淀む少女に、管理者はしっかりと頷く。
「それでよいのです。外では貴方達は生き残れない。外に出たいのであれば、まずは鍛える事からお勧めします。ここの管理補佐に言えば鍛えてもくれるでしょう」
 そこまで言ったところで、管理者は少し首を傾げる。
「……そうですね。中央の広場、いえ外の方が気兼ねなく出来るでしょうから、居住区画から少し離れた場所に訓練場を創っておきましょう。ただし、貴方達は弱いので、そこ行くにはここの管理補佐と共に居る時だけにしておきます。彼にはこちらから話を通しておきますので」
「あ、ありがとうございます」
 未だに怯えは抜けないが、それでも少し言葉を交わしたからか多少は収まったように思う。
 管理者がそんな事を考えていると、少女が何か言いたげに管理者を見詰めているのに気が付いた。
「何か訊きたい事でも?」
 少女の性格から訊き難いだろうと考えた管理者は、促すようにそう問い掛ける。
 それに少女は迷うように視線を揺らす。その様子を眺めながら、管理者は少女が口を開くのを待った。
 しばらくすると、覚悟を決めたのかおずおずと少女は言葉を発する。
「えっと、あの、そういえば、貴女のお名前は何というのでしょうか?」
「名前ですか?」
「は、はい」
「名前は無いですね」
「えっと?」
 予想外の答えに驚いているのか、「ないさんですか?」と少女は小声で呟く。それを耳にして、管理者は首を横に振った。
「いいえ。私には名前が無いのです。それで今まで不便もありませんでしたし」
「そう、なんですか?」
「ええ。こうして目の前で話しているのです。そもそも名前は必要ですか? 私は貴方の名前を知りませんし、それで不便だとは今のところ思わないのですが?」
 こうして様子を見に来てはいるが、それは気紛れでしかない。今後もほとんど交流はないだろうから、管理者も少女の名前を知ろうとは思わない。無論、少年の方も同様だ。
 自身の名前とて、ペットの名前を決める時に考えた方がいいかと少し考えはしたが、あれからかなりの歳月が過ぎたというのに、必要になった場面は未だにただの一度もない。
 それでも、いい機会だから今決めてもいいのだが、という考えもあった。このままいけば、ずるずると決めずにまた時を過ごすだろうから。
「名前は必要だと、思います」
 おどおどとしながらも、その言葉には何か固い意志のようなものが感じられた。もしかしたら少女にとって名前は大事なものなのかもしれない。
「そうでしょうか?」
 もっとも、そう感じたからといってそれを尊重するかといえば、それはまた別の話ではあるが。
「そう、です」
「ふむ……まぁいいでしょう」
 あまり興味の無い話なので、管理者は少女の話を流す。しかし、それでもそろそろ名前でも決めておくかなとは思った。
「とりあえず、慣れたのならいいでしょう。力をつければ食事の幅も広がるでしょうから、頑張るといいでしょう」
 管理者はそう言うも、少女の姿は始めて会った時の骨と皮だけのような姿から幾分肉がついたように思える。管理者が用意した果実は栄養価としては十分という事だ。味の方はそれなりだが。
 それでも少女は食事に不満を抱いていない様子なのは、それだけ元居た世界での食生活が酷かったという事なのだろう。
「は、はい」
 管理者の言葉に頷いた少女だが、いまいちよく分かっていないようなのは、おそらくそういった背景があるから。
 ただ、管理者としてはその辺りは興味がないので、用事も済んだ事だし別の場所に行くことにする。
「それでは」
「え、あ、はい。わざわざありがとうございます」
 離れていく管理者に、少女は頭を下げる。わざわざ様子見に来てくれた事への感謝を添えて。
 少女の言葉を背に受けながら、管理者は自身の名前について思案する。
 その間に管理補佐に先程の話を通した後、忘れない内に居住区画から少し離れた場所に訓練場を追加しておいた。

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