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 翌日、私は父と母といっしょに――父はけっきょく、母の箒のうしろに乗っていくことになった――聖堂へと向かった。
 大工と、聖職者と、キャビッチスロワーを百人ずつ――フュロワ神のいいつけどおりに、たくさんの人びとが集まってきていた。
 もちろん全員が聖堂の庭に入れるわけもなく、その周囲の道の上、つまりキューナン通りに、集められた人びとはあふれかえっていた。
 それにしても、すごいなあと思う。
 たった一日――いや、半日で、みんななにもうたがうことなく、神の思し召しのままに、こうやって集まってきて、そしてこれから世界壁を抜け、こことはちがう異世界へ向かう気持ちでいるのだ。
 しかもそれは、アポピス類――鬼魔の世界だというのに!
 みんなは、なにひとつ恐れても心配してもいないようすで、にこやかに言葉をかわしあい、笑いあいながら、祭司さまの――神さまのお言葉を、待っているのだ。
「ああ、いたわ」母が私の前を箒で飛びながら、下の方に向けて腕をのばし指さした。
 なにがいたんだろう、と思いつつ私は少し体をかたむけて、母の指さした方向を見た。
 そこには、とっても楽しそうににこにこと笑いながら私たちに向かって大きく手をふる、祖母の姿があった。
「えっ、おばあちゃん?」私は箒で飛びながらすっとんきょうな声をあげた。「おばあちゃんも行くの?」
「そうよ」母が私にふり向いて答える。「ひさしぶりね、みんなでお出かけするの」
「いや」私は首をふった。お出かけ、とは違うと、思う。
「うふふ、来たわね」私たちが地面に降り立つと、祖母はますます楽しそうに笑いながら声をかけてきた。「準備はいい?」
「もちろんよ」母はツィックル箒を頭上にかかげながら明るく答えた。「私もひさしぶりに思いっきり投げられるから、楽しみだわ」
「おばあちゃんも、祭司さまから呼び出されたの?」私は祖母にきいた。
「ええ、そうよ。私と、それから」祖母は肩からななめにかけていた小さなバッグの口をあけた。
「私も、来ちゃった」中からふわりと飛び出したのは――よくよく見ないとわからないほどほのかな光に包まれた、ハピアンフェルだった。
「あ」私は目をまるくした。
「まあ」母も目をまるくし、
「おお」父も目をまるくした。
「うふふ、しいー、ね」祖母とハピアンフェルはにこにこしながら口に指をあてた。「こんなにたくさんの人がいちどに大さわぎになると、あぶないからね」
「ああ、ええ、でも」母は声をふるわせた。「すごい……すごいわ。はじめて見たわ」声をひそめる。「妖精さん」
「本当は、畑の野菜やお花の世話があるから無理だって、いちどことわったんだけれどね」祖母は肩をすくめた。「どうしても、って……まあ昔なじみのルドルフからのたってのお願いとあらばきかないわけにもいかなくて」
「ガーベランティはやさしいのよね」ハピアンフェルがふわふわと小さく飛びながらつづける。「畑の野菜やお花は、私がお世話をすればいいのだろうけれど、一人で残っていても心配で気がかりでしょうがないだろうから、いっしょについて来ちゃったの」
「そうなんだ」私はうなずいた。「じゃあ、畑のお世話はだれがやるの?」
「ツィックルよ」祖母はなにも迷わずに答えた。
「ツィックル?」私はおどろいた。
「ええ。ツィッカマハドゥルで」
「すごい」父が声をふるわせる。
「ツィッカマハドゥルで?」私はくりかえした。
「そう。川のお水を吸い上げてほかの植物たちにも分配して、肥料や薬がいるときは森の中の生きものや薬草なんかを適当に使うようにってね」
「えっ」私はまたおどろいた。「生きものって、ツィックルが動物をつかまえるの?」
「いいえ、排泄物よ。あと虫の死骸とか」ほほほ、と祖母は笑う。
「へえー……」私は、ツィックルの木が枝をのばしてそのようなことをしているところを想像しようとしたが、それはとてもむずかしかった。
「でも世界壁の外、ていうか他の世界の中からでも、魔法行使は維持できるの?」母が空を指さしながらきく。
「うーん、わからないわ。今までやったことがないから」祖母は首をかしげる。「もしだめなら、また一から土の作りなおしね」
「ごめんなさい」ハピアンフェルが飛び上がってあやまる。「私が無理をいって」
「なにをいっているの、ハピアンフェル」祖母は肩をすくめる。「畑の持ち主の私がそう決めたのだから、あなたにはなんの責任もないわ。大丈夫、畑をだめにするなんてしょっちゅうやっているのよ、私」ほほほ、と笑う。
「なにいばって言ってるの、もう」母が苦笑する。
 私と父は、あまり大きな声では笑えずにいた。
 こういうのって、ジゲンがちがう、っていうんだよね。

「皆のもの、よくぞここへ集ってくれた」祭司さまが聖堂の屋根の近くから、箒にまたがって皆に声をかけた。「今から向かうは、きのう説明したとおり地母神界。鬼魔アポピス類たちが新しくつくりあげた別世界じゃ」
 皆はしずかに耳をかたむけた。
「鬼魔の世界といっても恐れるにはおよばぬ。なんとなれば、われわれにはこのたび、菜園界のフュロワ神と、地母神界のラギリス神の加護が約束されておる」
 おお、と人びとは声をあげた。
「われわれは何も恐れることなく、聖堂を建て、神の崇め方を伝え、悪行には制裁が下されるということを伝えてゆこう。皆のもの、地母神界にて存分に力を果たされよ」
 おおお、とひときわ大きな声があがり、聖堂のまわりに集まった人びとはそれぞれの箒を片手ににぎりしめ頭上にかかげた。
「では参ろう」祭司さまはすうっと上空高く飛び上がった。「神がわれわれをお導きくださる。それにしたがうのだ」
「行こう」
「行きます」
「よし」
「おお」
 人びとはつぎつぎに、箒にまたがり飛び上がった。
 上空をめざし、全員が飛びはじめる。
「ユエホワはどこにいるのかな」母の箒の後ろで、父がきょろきょろとまわりを見回した。
 緑髪も、アポピス類魔法大生たちも姿が見えなかった。
 私は飛び上がりながら、本当にだいじょうぶなのかな、と、先の見えない旅立ちにたいして少し心配していた。
 祖母は母の箒の前を、とくに急ぐわけでもなくゆるゆると飛んでいく。
 ときどき振り返って、母と話をしては、ほほほ、と笑ったりもする。
 まるで、ピクニックに行くみたいだよなあ……だいじょうぶなのかな?

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