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第12話 巨竜の先触れ

「さぁて、そろそろ巨大な怪物とやらがいたというあたりじゃのう」
 レオたちが街を出て二日目。
 途中、宿場町を一つ経て、一行を乗せた竜車はさらに街道を進む。

 その生い立ちのせいもあり、レオはあまり他人と話をするのが得意ではない。
 同行したジュリアとリチャードも、口数は少ない方だ。

 よって、普段の授業と同じように、教授がほとんど一人で話し続けるような形となっていた。
 さらには、普段から教授の教えを受けているというジュリアは、授業には興味はないとばかりに眠ってしまっている。
 生真面目なリチャードは、まだ熱心に教授の話に耳を傾けているものの、レオの方は竜車の揺れもあって、睡魔に襲われて意識朦朧といった状況だった。

「来たぞ!」
 突如、教授は何の前触れもなく話を止めて叫ぶと、窓の外へと目をやる。

『ピィ! ピィー!』
「うぇっ!? 何だ何だ!?」

 その直後、竜車の中まで飛び込んできた甲高い声が、レオの意識を夢の世界から引き戻す。
 前触れはなかったのではなく、レオが意識していなかっただけなのかもしれない。

 そして教授は竜車の天窓を開き、空を見上げる。
「見えるか? あれが導竜鳥(サウロノータ)じゃ」
 その指差した先――雲は少ないが、少し霞のかかる薄い色をした春の空を背景に、一羽の鳥が翼を広げたまま浮かんでいるのが見えた。

 灰色の羽毛に、黒い頭と赤い|嘴《くちばし》。上空を飛んでいるため、はっきりとした大きさは不明だが、街でよく見かける小鳥よりははるかに大きい。翼を広げた差し渡しは、人が両手を広げた位はあるのではないか。
 時おり羽ばたくだけで、広げたままの翼に風を一杯に受け、ゆっくりと空を滑る。

『ピィッ! ピィッ! ピィーーーー!』
 その鳥は、鳴き声を上げながら竜車の上空を通り過ぎると、見慣れぬ存在を探るかのように旋回を始めた。

「なんか前のと、鳴き声違わねえ?」
 レオは目を擦りながらなんとか意識を取り戻し、浮かんだ疑問を教授に伝える。

「人の声に比べれば非常に単純じゃが、鳴き声は一つだけではないぞ。今のは警戒や威嚇の時の声じゃ」
「じゃあ、あの時の悲鳴みたいな声は?」

「別種の生物が、間近で暮らし、少なくともその一方が他方から利益を得る。このような関係を『共生(きょうせい)』と呼ぶ」
 一瞬、何の関係もないことをしゃべりだしたと思ったが、少し考えるとレオにもその理由が分かった。

「つまり、その共生の相手ってのが、教授の探してる奴なのか」
「その可能性が高いのう。例の声は、その相手を呼ぶためのものじゃ」

 サウロノータはしばらく竜車の上空を、こちらを監視するように旋回していたが、やがて方向を変えると真っすぐにこちらから遠ざかってゆく。
 その向かう先には、鬱蒼(うっそう)と広がる森が見えた。

「シャカル、あの森じゃ! ここからそう遠くはあるまい」
「了解!」
 御者から返事が飛び、竜車は森を目指して街道を離れる。
 だが、地を走る竜では空を往く鳥に追いすがるすべもない。人を乗せた車を牽《ひ》き、整地されていない原野を駆けるならなおさらだ。

 しばらくして、御者は済まさなそうな声を上げた。
「面目なイ。目標を見失いましタ」
「大丈夫じゃ。本命はでかいからすぐに見つかるじゃろう」

 地上に点在する障害物をよけながら、なおも竜車は森を目指す。

 ドオォォン……!

 窓の外、視界の中で徐々に大きくなり始めた森から、大気を震わせる轟音が響いてきた。
「まさか、攻撃か!?」
 レオが顔色を変え、背中の斬竜刀の柄に手を伸ばす。まだ少し眠気は残っていたが、今の音で完全に覚醒した。

「落ち着くんじゃ。別にわしらが攻撃されたわけではないぞ」

 竜車の窓から外を除きつつ、教授はぽつりとつぶやく。
「ふむ。やはりあれか……」
「教授?」
「ほれ、見えたぞ」
 広大な森の縁、まばらな木々の向こうに、『何か』が垣間見えた。

「何だありゃ? 蛇か!?」
 それは、レオから見れば、最初は巨大な蛇に見えた。
 森に並ぶ木々に匹敵する大きさの蛇が、鎌首をもたげてこちらを覗きこんでいると。

 だが、その獣が蛇に見えたのは、長く伸びた首と、体に比してかなり小さい頭ゆえ。
 それは、獣の全体像の半分にも満たないものだ。
 森を回り込むと、やがてその姿が明らかになる。獣の方も、四本の足をゆっくりと動かし、森の中から歩み出してきた。

 全身からみれば、中央に位置する胴体は小さく見えた。
 距離が開いているため、はっきりした大きさが掴みづらい。

 だが、巨体を支える短い四本の足には、森の木々に匹敵する太さがあった。そこから推測するならば、胴体だけで二階建ての家屋並みの巨大さだ。
 斜め前へと伸ばされた首は、長さは胴体よりも少し長い程度。最初に蛇と見誤ったように、一見細く見えるが、実際にはその足よりも太く、まるで巨木のようだった。
 尻尾は首や足に比べるとかなり細いが、首と胴体を合わせた位に長い。

 体はやや緑色をおびた灰色で、その表面は皮膚なのか、毛皮なのか、鱗で覆われているのか……遠目には判別することもできなかった。
 目立った角や棘などはなく、光沢は鈍いものの全体的につるりとした印象を受ける。
 
「街に住んでいれば、滅多に見る機会もあるまい。学院で学ぶ気ならば、この機にとくと観察しておくがよい」
 速度を落とした竜車の中で獣の方をじっと見つめながら、教授はいつものように解説を始める。

雷電竜(ヴォルトサウルス)。最大で全長約25メートル、体高約15メートル。そして推定体重は約30トン。大型古竜の生き残りにして、このソール大陸における、最大級の生き物じゃ。古代には他の古竜たちと共に、まさにこの大陸を支配していたとされておるが、今では南部の平原で、細々と命を繋ぐのみ」
 滅びゆく古竜のことを想ってか、教授の声には少し寂しげな響きが混じっていた。

「ちなみに、その名に付けられた『ヴォルト』とは、古代文明において雷の秘めた力の強さを表す単位であったらしい」
「雷の強さ? そんなもん、何に使うんだ?」
「まあ、今の時代のわしらにはもはや必要のないものじゃがな。雷の力を利用していたといわれる古代の道具など、もはや使い物になりはせん。それに、雷に打たれてしまえば、もはやそれが強い弱いどころの騒ぎでもあるまいて」
「……そして、サウルスはトカゲを意味する古代語」
 いつの間にか、眠っていたはずのジュリアも起き出してきて、教授の話にさらに解説を付け加えた。

「……そういえば、あの仲間の古竜を雷竜(かみなりりゅう)と呼ぶそうですが、別に雷の吐息(ブレス)を吐くわけでもないですよね」
 リチャードの方は、それほど興味がないのか、窓の外を見るでもなく、まっすぐ椅子に腰を下ろしたまま教授に問い掛ける。

「まさか。真龍類(ドラゴン)でもあるまいし、奴ら|爬虫類《レプタイル》にそんな厄介な能力はないぞ」
「……それではなぜ、雷などという呼称が付けられたのですか?」
 その問いに、教授は渋い顔になる。
「今回の騒ぎもそれに近いものがあるが……巨体から起こる足音を雷と間違えた奴がいたのかもしれんなあ。いや、足音を雷に見立てたというべきか」

『ブオオオオオォォォーーーーーン!!』
 そんな人間たちの話を遮るかのように、ヴォルトサウルスはこちらを見据えつつ咆哮を上げた。

「うわっ!?」
「ふむ。警戒されておるな」
 レオは思わず、叫び声を上げていた。そこには驚きだけでなく、確かに恐怖も含まれている。
 だが、他の三人は平然としていた。
 そして教授は、竜車の前の窓から御者に指示を出す。
「もう少し、離れるとするかのう」

   ◇

 竜車とともに離れたところに移動し、しばらく雷電竜(ヴォルトサウルス)の様子を窺う。

 やがて……自分に危害を与える意思はないと悟ったか、あるいは危害を加える力はないと見切ったか。
 ヴォルトサウルスは人間たちを警戒するように高く上げていた首を下ろし、餌である木の葉を食べ始めた。

「で、これからどうすんだ?」
「私は、スケッチをしておく」
 ジュリアはいつの間にか、竜車から画架と紙、そして椅子を持ち出して来ていた。
 紙の上に木炭を走らせ、まずは竜の形を大まかに描き出してゆく。

 そんなジュリアの横で三人の男たちは、これからの動きについて話し合いを始めた。
「わしが受けた依頼の件じゃが……まず、巨大な怪物とやらはこのヴォルトサウルスの可能性が非常に高い。他に別のものがおらんか、もう少し調べる必要があるがな」
「それと、後は地震とか言ってたな。まさか、あれが地震を起こしたりするのか?」
「……我々から見ると巨大とはいえ、さすがにそれはないでしょう。一体の獣に地震が起こせるならば、人間の集団にもそれができるはずです」
「まあ、そうなるじゃろうな。とはいえ、首都(ヴェルリーフ)や宿場町で聞いたところでは、町で地震を感じたものはいなさそうじゃった。この辺りに何かあるということになるんじゃろうな」
「……それで、どうなさるのです?」
「ひとまず、ヴォルトサウルスの観察を続けながら、様子を見ることにするか。地震発生を期待するのも何じゃが、起こってもらわんことには、こちらも手が打てん」
「おれは何をすればいい?」
「まずは竜車から椅子を出すとしよう。あとは、何か気付いたことがあれば言ってくれ」
「おう、わかった」
 今のレオにできることはほとんどなさそうだ。言われた通り、レオはヴォルトサウルスをじっと眺めることにした。

 巨竜は人間たちのことなど忘れてしまったかのように、ゆっくりと首を動かし、周囲の木の葉をひたすら食べ続けている。

 しばらくして、同じように竜の様子を窺っていたリチャードが口を開いた。
「……教授、一つ質問があります」
「うむ。答えよう」
「……先ほど共生と(おっしゃ)っていましたが、あれほど体の大きさが違えば、助け合うことも困難かと思えます。具体的には、どのようなことをしているのでしょうか」
「ふむ……。せっかく目の前にいるんじゃから、まずは自分の目で確かめるべきかのう」
 そう言うと教授は、竜車へと戻り、黒い筒を並べたような器具を二つ探し出して来た。それぞれをレオとリチャードに手渡す。
 
「ほれ、これを使って見てみるがいい」
「……これは、遠眼鏡(とおめがね)ですか」
「正確には、双眼鏡というべきじゃが……それはさておき、奴らが何をしておるかわかるかのう」

 レオはそれが何であるがよく知らなかったが、リチャードの真似をして円筒の端を目に当ててみる。
 しかしその視界には、何やら真っ白な光景が広がるだけだ。

「待てレオ。それは前後が反対じゃ」
 リチャードを真似たつもりが、そうではなかったらしい。

 方向を変えて覗き込めば、灰色の壁が眼前に見えた。少し双眼鏡を動かしてみると、遠くにあるはずの森の木々が、手が届きそうなほど近く感じられる。

「おお、こりゃすげえな…………で、あの鳥は?」
「……これが、保護色(ほごしょく)というものですか。うまくヴォルトサウルスの上で、溶け込むように隠れていますね」
「とは言っても、頭の黒と(くちばし)の赤かは目立つからのう。それでわかるはずじゃ」
「……眠るときは、頭を羽の下に隠していますね。これでは、見つけるのも困難かと」
「どこだ? 見えねえぞ」
「……胴体の上の方です。何羽か羽を休めているようですが」
「上のほう……上のほう……お、これか?」
 双眼鏡をゆっくりと動かすレオの視界に、小さな赤と黒が飛び込んできた。さらに目を凝らせば、竜の肌と似た色をした鳥の姿が浮かんでくる。
 その鳥は垂直に近い竜の体に止まり、嘴で竜の体をつついていた。

「なあ……あの鳥、何とかサウルスの体を食べてねえか?」
「その倍率ではよく見えんか。それは恐らく、竜の皮膚に付いた寄生虫を食べとるんじゃろう」
「……要するに、自身を棲みかとして提供する代わりに、自身を害する敵を廃除してもらっている、というわけですね」
 うむ、と一つうなずくと、観察はこれくらいでいいじゃろうと言わんばかりに教授は解説に移る。

「まとめると、雷電竜(ヴォルトサウルス)から導竜鳥(サウロノータ)に提供されるのは、安全な住み処と餌場じゃな。ヴォルトサウルスの寄生虫だけではなく、あの竜が動くことにより木々や草むらから飛び出してくる虫もまた、餌としておる」
「……では逆に、サウロノータからは寄生虫の駆除と……先ほどの様子から推測するに、周囲の警戒……ですか」
 そんなリチャードの答えに、教授は満足そうな笑みを浮かべる。

「そうじゃな。それに、新たな住み処へヴォルトサウルスを誘導する、という報告もある」
「……誘導、ですか?」
「うむ。例えば、小さな森を食べつくしたとか、その他気象条件などにより状況が悪化した時じゃな。周囲を探索したサウロノータが、例の声でヴォルトサウルスを呼び、竜の方もそれに従うように移動するんじゃ」
「……言葉を交わしたわけでもないのに、そこまでの連携が」
 そんな槍使いの言葉には、教授の言うこととはいえ信じがたいという雰囲気があった。

「ヴォルトサウルスにとって好適な環境は、サウロノータにとっても良い環境である。そのような関係を、両種は数万年の時を掛けて築いてきたのじゃ」
「…………」
 悠久の時間と、人がまだ生まれていなかった時代に思いを馳せるかのように、リチャードは、そしてレオは黙り込む。

「それから、近くにいる別のヴォルトサウルスのもとに合流させた、という話もあるんじゃが……これは観察例が少なくて何とも言えんな」

 そんな教授の視線の先では、ヴォルトサウルスが首を持ち上げ、新たな餌を探すかのように辺りを見回していた。

しおり