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第五章 夏祭り

 シェレラとフィオは、会うのは初めてだ。アンファンハに向かう途中のジザの上で、お互いを紹介する。
 そして、これまでのことを簡単に説明した。
 ただ、銃のことを言ってはいけない。だから、ピンチだったところをシェレラに回復してもらって戦い続けて勝った、とごまかした。エマルーリのことも、隠したままだ。
 話をしているうちに、アンファンハが近づいてきた。
 上空からアンファンハの街を見下ろすと、大通りや海岸に人がたくさんいるのがわかる。ユスフィエが言った通り、今がちょうどお祭りの時期のようだ。
 街の外側には畑が広がっている。収穫した後なのだろうか、土が見えるだけだ。
 いくら土だけとはいえ、ジザを畑に着地させる訳にはいかないから、場所を探す。なんとか池のほとりにスペースを見つけて、着地することができた。
 街の中心部に近づくにつれ、人通りが多くなっていく。食べ物を売る屋台も、ちらほらと見えてきた。
 シェレラの足が止まった。
 焼き鳥のような食べ物を売っている屋台だ。ただ、よく知っている焼き鳥とは違って、だいぶ長い。五十センチくらいはある。なぜかわからないけど、シェレラの手が、お店の人が串に肉を刺す手つきとリンクして動いていた。
「シェレラ、これ、食べるの?」
「うん、食べる」
 とは言ったものの、返事をしたあと僕をじっと見ているだけで、買う気配はない。
 あっ、そうか。
「ごめん、シェレラ、お金持ってなかったんだっけ」
「うん」
 こっちの生活が長くなってしまって、『リュンタル・ワールド』のお金は使えないんだということをすっかり忘れてしまっていた。
 僕も食べることにしたので、二本分のお金を払って焼き鳥を受け取る。
 一口食べる。焼く前に肉に味を染み込ませているようで、何もつけなくても濃いタレの味がする。
「おいしいね、シェレラ」
「……………………」
 何も言わず、まさに黙々と食べている。あっという間に半分くらい食べてしまった。
「また何か食べたくなったら、これ使って」
 どうせまたいろいろと食べたがるだろうから、お金を渡しておく。
「兄さま! わたしたちも何か食べましょう!」
「そうだな。今日まだ何も食べてないしな」
 リノラナとヴェンクーが、きょろきょろと辺りの屋台を見回す。
「あ、リッキ、あれ、リッキの家で食べた……うーん、名前、なんだったっけ……」
 ヴェンクーが指差す先の屋台には、同じように長い串に刺さった何かを売っている。
 二人で近くまで行ってみた。
「これ、唐揚げだよ」
「あーそうだった! カラアゲだ! これ一つ!」
 さっそく買ったヴェンクーが、串刺しになった唐揚げにかぶりつく。
「なんかちょっと違うな……」
「唐揚げは店や地域によって少し味が違うことがあるからな」
「そうなのか? でも、これもうまいぞ」
 ヴェンクーが家に来た時に食べたのは、近所の唐揚げ専門店『からあげ皇帝』の基本のしょうゆ味の唐揚げだった。『からあげ皇帝』はやたらといろんな味の新作を出す店だし、アンファンハにだって独自の味の唐揚げがあってもおかしくない。
「兄さま、私も食べます」
 リノラナもヴェンクーと同じ唐揚げを買って、一口食べる。
「おいしいです! さすが兄さまが選んだだけのことはあります」
 リノラナだったら、唐揚げに限らずヴェンクーが食べたものならなんでもおいしいと言ってしまいそうだけど。
 どうやら屋台の食べ物はなんでも串に刺して売っているようだ。食べ歩きできるようにということなのだろう。フィオとユスフィエはうなぎのような細長い魚に串を刺して炙ったものを食べている。見た目はなんだかグロテスクだけど、おいしいのかな……と思っていたら、いつの間にか焼き鳥を食べ終わったシェレラが両手にその細長い魚の串を持っている。
 右手の一本を、僕に差し出す。左手には、すでに半分くらいまで食べられた魚の串を持っている。
「えっと……僕は、いいよ」
 見た目で味を判断してはいけないけど、やっぱりちょっと食べる気がしない。買う前に言ってほしかったな……。
「そう?」
 シェレラは差し出していた右手を引っ込めると、その魚の尻尾にかぶりついた。途中まで食べると、今度は左右交互に串刺しの魚を食べ始めた。そしてまた次の屋台へと歩いて行く。
「シェレラは見かけによらず結構食べるんだな」
 食べかけの魚の串を持ったフィオが驚いている。
「そうだね、シェレラは僕よりたくさん食べるよ」
「そうなのか……。私にはよくわからないが、きっと魔法も体力を消耗するものなのだろうな」
「う、うん……そうなのかもね」
 本当はそうじゃないけど、そういうことにしておいたほうが都合がよさそうだ。

 食べながら歩いているうちに、大通りに出た。
『花の夏祭り』という名前にふさわしく、多くの女性が体に色鮮やかな花を身に着けて着飾っている。
 いや……着飾っている、と言うべきなのか?
 ほぼ、着ていない。
 この大通りを横切れば、すぐにビーチだ。だから水着の人が多いのはわかる。ただ、その水着が、かなりキワドい。きっと水着とはいえ、泳ぐためのものではないのだろう。もし泳いだら、すぐにはだけてしまいそうだ。
 そしてその水着のわずかな布部分や細い紐の部分に花を付けている。中には腰に細い金や銀の鎖を巻いてそこに花を絡ませたり、ありがちだけど髪に花を挿している人もいる。
 確かに、ヴェンクーにはまだ早い。少なくとも二年前のヴェンクーにはまだ早い。
「……………………」
 ヴェンクーはぽかんと口を開けて、顔を真っ赤にして固まっている。今もまだ早かったようだ。そして、
「コーヤさん、こういうの好きそう」
「…………うん、そうだね」
 シェレラの言うことに、全く反論できない。お父さん、絶対好きに決まっている。
「あたしも水着にならなきゃ」
「え? シェレラ?」
 一瞬で水着の店を見つけ、飛び込んでいった。慌ててついて行く。何事が起きたのかよくわかっていない他のみんなも、僕に遅れてついて来た。
「シェレラ、ちょっと待って。本当に着替えるの?」
「だって、海で遊ぶためにここに来たんだし」
「それはそうだけど、でも、本当にあんな水着に?」
「普通の水着を着るけど?」
「なんだ、普通の水着か……よかった……」
「アンファンハの普通の水着」
「ちょっと待って! それって、みんなが着ているような水着のことじゃん!」
「これ、どうかな」
 掛けられている一着を取って、僕に見せつけた。布地の部分は少なく、紐の部分は多い。
 ちょっと、想像してみる……。
「あのさ、シェレラ、シェレラの胸、とても大きいからさ、それ、合わないと思うんだけど。どうせ買うなら、もっと普通の水着を」
「これアンファンハの普通の水着だから、これにするね」
「シェレラ、僕の話を」
 僕の話を、聞いてなどくれなかった。
 水着を買ったシェレラが、更衣室へ着替えに行く。更衣室は個室がたくさんあって、他人の目を気にする必要はない。
 個室のドアの前に立ったシェレラが、なぜか手招きしている。どうしたのだろう?
「これ、リッキの水着。一緒に買ったから。リッキも着替えて」
「えっ、僕も?」
 差し出された水着は、僕がよく知っているタイプの、本当に普通の水着だった。男性用の水着は、アンファンハでも変わりはないようだ。これなら問題ない。
 個室に入ったシェレラが、また手招きする。
「どうしたの?」
「着替えるから。入って」
「入らないよ!」
「リッキも着替えなきゃ」
「僕はこっちで着替えるから!」
 隣の個室のドアを開け、中に入った。
 相変わらず、シェレラはかなり無茶な方法で僕に迫ってくる。仮想世界のいつものメンバーならともかく、本物のリュンタルの人たちにはシェレラの行動は慣れていないから、僕もなるべく気をつけなきゃ。
 更衣室を出ると、隣からシェレラも同時に出てきた。
 想像通りと言うか、想像以上に、大きな胸がこぼれ落ちそうだ。右からも、左からも、そして下からも。大きいだけでなく柔らかいから、何もしなくても揺れて、危なくなってしまう。
「……もっと見る?」
 ただでさえ少ない布地を、ずらそうとして指をかけた。
「ダメだってシェレラ! そういうことしたら!」
「でもずっと見てた。もっと見たそうだった」
 それは…………否定できない。
「だってさ、一応さ、僕だって男なんだから。どうしても目が行っちゃうだろ。それだけ大きかったら」
「褒めてくれてうれしい!」
「褒めたんじゃなくて! それに、シェレラ、なんて言うか……シェレラのそういう露出した体、あんまり人に見せたくないんだけど」
「独り占めにしたいのね!」
「そういうことじゃなくて!」
「リッキ、シェレラ、準備はできましたか?」
 振り向くと、水着姿のリノラナが立っていた。
 リノラナだけではない。他のみんなも、僕が知らないうちに水着を買って着替えていたようだ。みんなもシェレラと同じく“アンファンハの普通の水着”だ。
 フィオとリノラナは、引き締まった体がとても健康的だ。それに背が高いから、見栄えがいい。ユスフィエは体型的にはアイリーと似たようなもので……まあ普通だ。でも、
「ユスフィエ、その、ちょっと、だ、大胆……すぎじゃないか?」
 ユスフィエと腕を絡め、指も絡めて手を握っているヴェンクーが、ユスフィエの水着姿を見て顔を赤らめている。ヴェンクー自身は、僕と同じように普通の水着姿だ。
「そう? かわいいでしょ?」
「そ、そうだけど、かわいいけど……」
 やっぱりヴェンクーはこういうのに免疫がないようだ。
 その様子を見ていたシェレラが、僕に手を伸ばす。
 伸ばされたその手を握った。
「じゃあ、みんな着替えたし、海へ行こうか」
 シェレラと手をつないだまま、大通りを横切る。露出度の高さは、諦めるしかない。アンファンハではこれが普通なんだから。
 白い砂浜。青く透き通る海。
 アンファンハのビーチに、足を踏み入れた。砂に足を取られて、ちょっと歩きづらい。
 大通り同様、ここもかなり賑わっている。海に入るためか、僕たちのように水着に花を付けていない人も多い。
「シェレラ、海に入ろう」
 つないだ手を引いて、海に入っていく。足首、そして膝の辺りまで、海水に浸かる。
「冷たい! 気持ちいい!」
「リッキ、手を離して」
「え、うん」
 シェレラに言われて手を離すと、
「うわっ!? 冷たっ!」
 すぐにシェレラは両手で海水を掬い、僕に浴びせた。
 僕も負けずに、水を浴びせる。
 シェレラは体をひねって避けようとしたけど、そんなことで水を避けることはできない。
「冷たい!」
 シェレラのそんな言葉はどうでもよかった。
“アンファンハの普通の水着”は、横を向いたシェレラの胸をまるで隠せていない。
 ここではこれが普通なんだ、といくら自分に言い聞かせても、どうしても気になってしまう。
 目を逸らすためにシェレラに背を向け、より深いほうへ泳いで行く。立ってみると、深さはへその上くらいだ。
 シェレラは、ついて来ない。こっちを見ているだけだ。
 近くにいるとつい気になってしまうけど、離れてしまうとそれはそれで気になってしまう。
 仕方がないので、また戻る。すると、
「リッキ、ずるい。あたしが泳げないの、知ってるでしょ」
 シェレラは基本的に運動が全くできない。走るのはとても遅いし、そして泳ぐこともできない。
 それに、この水着で泳ぐのは、やっぱり危ない。
「でもさ、泳がなくても歩けばいいじゃないか」
「あんなところまで深くて行けない。リッキには深くなくても、あたしには深い」
「ごめん。僕が悪かった」
 考えが足りなかった。
 僕のへそが隠れる高さということは、シェレラにとっては胸の高さだ。波が来れば、顔が隠れることだってある。泳げないシェレラには無理だ。
「そういえば、他のみんなはどうしてるのかな……」
 探してみると、四人全員が波打ち際でうろちょろしていた。ということは……。
「おーい、何してるの?」
 シェレラと一緒に、波打ち際まで戻る。
「ひょっとして、みんな、泳げないの?」
 海の中に入っていかないのは、きっと泳げないからだろう。と、思ったんだけど。
「リッキ、海の水って、しょっぱいんだな」
 え?
 ヴェンクー、それ、知らなかったの?
「川や池の水とは全然違うのです。リッキは知っていたのですか?」
 リノラナも?
 確かに、ピレックルには海はないけど、だからってそこまで知らないものか?
「ひょっとして、フィオもユスフィエも、海は初めて?」
「ディポーケに海はない。海には初めて来た」
「シュドゥインも山の中だし……。旅で海辺の街へ行ったことはあるけど、海の中に入ったことはなかったわ」
「なんだ、みんな初めてだったのか。それじゃやっぱり、みんな泳げないの?」
「わたしは泳げます!」
 少ない布地の胸を張って、リノラナが答える。
「騎士団の訓練には水練もあるのです。ですから、川で泳いだことならあります」
「さっき、その話をしていたのだ。この中で泳げるのはリノラナだけだ。私は水練には参加していないからな。ところで、リッキとシェレラは泳げるのか?」
「僕は泳げるけど、シェレラは泳ぎは苦手なんだ」
「あたし泳ぐよりあそこでなんか買ってきたい」
 シェレラが指差した先は……また食べ物の屋台だ。
「じゃあ、何か食べながら、適当に遊ぼうか。海の中に入らなくても、砂浜でも遊べるし」
 周りを見れば、砂浜でやることはたとえリュンタルであろうと違いはそれほど感じられない。日光浴をしたり、シートの上で寝そべったり、ちょっと材質はわからないけどビーチボールのような柔らかい大きなボールで遊んでいる人たちがいたりする。カップルもいるし、家族もいる。十人ぐらいのグループで遊びに来ている人もいる
 シェレラの指が動く。
 取り出したのはビーチパラソル、折り畳みの椅子、レジャーシート。
「シートはともかく、ビーチパラソルまで持ってるなんて準備がいいね……。まさか、最初から海に来るつもりだったの?」
「去年も使ったけど? リッキはいなかったけど」
「あ……そうなんだ」
 去年の僕は受験勉強で忙しかったから……まあ、しょうがない。
 さっそくまたあの長い焼き鳥を買ってきたシェレラが、折り畳み椅子の背もたれに身を預け、焼き鳥を頬張った。他のみんなも食べ物を買ってきて、椅子やシートに座ってのんびりと食べている。
 僕もシートに座って、焼きカンルンにかじりついた。自然な野菜の甘味が口の中に広がり、とてもおいしい。
「リッキ、それ、うまいか?」
 隣に座っていたフィオが、体を寄せてきた。露出した肌が、ぴったりとくっつく。
 顔も近づけたフィオがささやく。
「リッキとシェレラは、ずいぶんと仲がいいのだな」
「うん。家が隣で、ずっと一緒だったからね」
「……本当に、それだけなのか?」
「え? うん、それだけだけど?」
「そうか。ならばよいのだが」
 体を寄せていたフィオが、心なしか離れた。何がいいんだろう?
「ところでリッキ、私に泳ぎ方を教えてくれないか」
「泳ぎ方?」
「うむ。せっかく海に来たのだから、泳げるようになりたいではないか」
「そうだね。じゃあ、どうせだからみんなで……」
 と思ったら、ヴェンクーはシートの上で寝ていた。ジザの手綱を握りながら居眠りしてしまったそうだし、疲れているのだろう。リノラナもその隣で眠っている。
 シェレラとユスフィエはゆったりと椅子に座っておしゃべりしている。いつの間にか用意されたテーブルに、食べ物が山と置かれていた。
「……二人だけで行こうか」
 フィオと二人で、海の中へ入る。
 すぐに、フィオの左手が僕の右手を掴んだ。
「何かに掴まっていないと不安で」
 まだ膝より浅いのに、そんなに不安なものだろうか。でもだんだん慣れてくるかな。
 少しずつ深くなっていき、腰まで海水に浸かった。
「どう? 怖くない?」
「なんとか、大丈夫だ」
「じゃあ、こっちも持って」
 左手を差し出す。フィオが右手で掴んだ。
 自然と、向かい合う形になる。
「一緒に潜ってみようか」
「も、潜る?」
「うん。ちょっとずつでいいから、膝を曲げて、腰を落として……」
 そう言いながら、徐々に体勢を低くする。
「ちょ、ちょっと、リッキ、ちょっと待ってくれ!」
 フィオは掴んでいた僕の手を離してしまった。
「やっぱり無理だ!」
「大丈夫だって。毎朝、顔を洗うだろ? それと同じだよ」
「同じではない!」
 僕を置いて、一人で砂浜へ戻って行ってしまった。
 仕方がないので、僕も戻る。
 フィオはシートの上で、膝を抱えて座っていた。
「私はやはり弱い女なのだ。幼い子供ですら平気で泳いでいるというのに」
 海のほうに目をやると、家族で来ている子供が親と一緒に泳いでいるのが見える。
「まあ、泳げないならそれはそれでいいだろ。無理することはないよ」
「本当に、そう思うか?」
「本当だって。ウソついてどうするんだよ」
「そうか……。なら、よかった」
 フィオの表情が緩み、笑みがこぼれる。
 ヴェンクーとリノラナは相変わらず寝ている。ユスフィエも椅子の背もたれに身を預けて寝てしまっている。シェレラはいない。また食べ物を買いに行ったのだろうか。
「フィオは疲れてない? 大丈夫?」
「うむ。夜通しジザに乗っていたから、ほとんど寝ていなくてな。みんなが寝ているのを見ると、私もちょっと眠くなってきた……」
 フィオは大きなあくびをすると、シートの上で横になった。
「すまぬ。ちょっと寝ることにする。何かあったら起こしてくれ」
「大丈夫。ゆっくり寝てていいよ」
 目を閉じたフィオは、すぐに寝息を立て始めた。

 どこかに行っていたシェレラが戻ってきた。何やらボトルを持っているけど、飲み物ではなさそうな……。
「リッキ、これ、塗って」
「…………は?」
「塗って。これ」
 女の子が砂浜でボトルを持って「これ塗って」と言ったら、決まっている。
「えっと……サンオイル?」
「塗って」
 アンファンハの普通の水着姿のシェレラが、ボトルを突き出す。
 どうしよう。
 僕の手で、シェレラの体中にオイルを塗る。
 ただ、オイルを塗るだけだ。それ以上の意味はない。
「早く」
 わかっている。わかっているけど。
「リッキがしてくれないなら、誰か適当に声を掛けて塗ってもらおうかな~」
「それはダメ!」
「どうして?」
 言ってから、言ったことに気づいた。
 でも、考えるまでもなく言ったのは当然だ。知らない男がシェレラの体をなで回すなんて、ありえない。想像すらしたくない。
「えっと……ほ、ほら! シェレラは日焼けした体よりそのままのほうが綺麗だからだよ!」
「これ、日焼け止めなんだけど?」
 え……日焼け止め?
「リッキが塗ってくれなかったら日焼けしちゃう。でもリッキが塗ってくれないなら、仕方がないから他の誰かに……」
「わかったよ! 僕が塗るよ!」
 はめられた。完全に、シェレラにはめられた。こうなったらもう、塗るしかない。
 新しくシートを出したシェレラが、その上でうつ伏せになる。
「水着のひも、邪魔だったら外していいから」
 シェレラはそう言うけど、ひもは細いから特に邪魔にはならない。もし塗るのがサンオイルなら、日焼けするのにひもの跡がつかないように外すのもいいだろうけど、日焼け止めを塗るのなら外すことはない。
 手のひらに日焼け止めのローションを垂らし、シェレラの白い背中に触る。
「ちゃんと全身に塗ってね。適当に塗ったりしないでね」
「わかってるよ」
 言われなくても、シェレラの体を粗末に扱うなんてできない。首筋から肩、肩甲骨に沿って背中、脇腹、そしてお尻へと、丁寧に、丹念に塗っていく。アンファンハの普通の水着はシェレラのお尻をあまり隠せていないから、必然的にお尻にもしっかりローションを塗ることになる。こんなこと、他の男になんか絶対にさせられない。はめられて塗ることになったとはいえ、これは絶対に僕の役目だ。僕以外はありえない。
「んっ……はぁ」
 シェレラが甘い吐息を漏らす。気持ちいいのだろうか。手の動きが、多少はマッサージの効果も与えているのかもしれない。
 お尻の次は太もも、ふくらはぎ、そして塗る必要があるのかどうかわからないけど、かかと、足の裏にも塗る。
 うつ伏せだったシェレラが、仰向けになった。
「今度はこっち」
「前は自分で塗れるはずだけど」
「塗れない」
「……もし断ったら、また他の男にとか言うんでしょ」
「うん。言う」
「やっぱり」
 思った通りの答えが来たし、僕ももう仕方がないと思っている。また手のひらにローションを垂らし、太もも、すね、足の甲と塗っていく。次は腕だ。肩から指先に向かって、両手で腕を包んで塗る。
 そして、体の正面。
 首筋、肩、鎖骨の辺りにローションを塗る。
 次は…………。
 面積が狭い水着からこぼれそうな、柔らかくて大きな胸。
「シェレラ、胸は自分で塗ろうよ」
「塗れない」
「塗れるでしょ」
「塗れない。リッキしか塗れない」
「……………………」
 横に目をやる。他のみんなは眠ったままだ。
 シェレラの体に目を戻し、手のひらにローションを垂らす。
 その手で、シェレラの胸をそっと包む。
 優しく、丁寧に、全体に均等にローションを塗り込む。
「んっ……リッキ、上手……」
 シェレラの頬が、やや赤みを帯びてきた。そして手がゆっくり動き、僕の手を掴もうとする。
 僕はシェレラの胸から手を離した。
 前にうっかりシェレラの胸を掴んでしまった時、手を払いのけるどころかさらに押し込まれたことを瞬間的に思い出したからだ。
「次はおなかだよ」
 不満そうな顔を見せるシェレラを無視して胸から下に手を滑らせ、へその周りや脇腹にローションを塗る。
 最後に、ビキニショーツのひもの下に手を滑らせた。これでもう塗り漏らしはない。
「はい、終わり」
「もっと奥まで塗ってもよかったのに」
「いくらなんでもダメだろ!」
「むー」
「あのさ……、さすがに、怒るよ?」
「わかった。もう言わない。ありがとうリッキ」
 シェレラは体を起こした。
「これからどうする? 何か食べる?」
 さっきからシェレラは食べてばっかりだ。運動が苦手なのはわかるけど、ちょっと体を動かしたほうがいい。
「それよりさ、ビーチボールある? 二人で遊ぼうよ」
 他のみんなはまだ寝ている。シェレラもビーチボールで遊ぶくらいなら、いくら運動ができなくても大丈夫だろう。
「うん、ある」
 シェレラの指が動き、ビーチボールが出現した。
 それからしばらく、僕はシェレラと二人で砂浜での遊びを楽しんだ。

 夕方近くになって、寝ていたみんなが起き出した。
 パラソルなどの道具をしまい、砂浜から大通りへ戻る。
 お祭りのメインイベントであるパレードが、この大通りであるからだ。
「どうだ? 似合うか?」
 フィオは水着に花を付けていた。新たに腕輪も身に着け、そこにも花が付けられている。それだけではなく、髪にも花を挿していた。
「うん、とても綺麗だよ」
「そうか。リッキにそう言ってもらえるのは、他の誰から言われるのよりうれしいな」
 フィオの顔がほころぶ。
「ヴェンクー! どう? かわいい?」
「兄さま! わたしはどうですか?」
 ユスフィエとリノラナはヴェンクーに花で着飾った姿を見せつけ、意見を求めていた。
「う、うん、いいんじゃないのか?」
 ヴェンクーの視線が泳いでいる。未だに“アンファンハの普通の水着”に慣れていないようだ。
 そして……。
「リッキ、どうかな、これ」
 シェレラも花で着飾っている。わざわざそのために別の水着に着替えていた。ブラのひもの部分には編んだ花を絡ませている。そして大きな胸を隠す布地部分は、アンファンハの普通の水着にしてはちょっと広めだ――。
「シェレラ! その水着、透けてるじゃん!」
 水着の向こうのシェレラの色白な肌が、透けて見えている。肝心な部分は花で隠れてはいるものの、花がなければ見えてしまう。
 花で飾ることを前提とした素材の水着で、面積が少し広めなのもそれが理由なんだろうけど、それにしても……。
「うん。透けてる」
「なんでシェレラがそんなの着るんだよ!」
「売っていたから」
 売っている理由はわかる。こういう、買う人がいるからだ。でも、
「シェレラ、僕は……さっきまで着ていた水着のほうが、似合うと思うんだけどな」
 シェレラにはこんなのを着てほしくない。でも、ただやめろと言っても、聞いてくれないかもしれない。
「そう? じゃ、着替えるね」
 あっさり言うことを聞いてくれた。よかった。
 シェレラの指が動き、一瞬でさっきまで着ていた水着に戻る。
 そうか、装備を変更すればいいのか。すっかりこっちの生活に慣れてしまって、実際に着替えてばかりだったから、装備ウィンドウを操作すればいいってのが頭から抜け落ちてしまっていた。
 だったら、最初に更衣室に僕を連れ込もうとしたのはなんだったんだ……。
 大通りは規制がかけられていて誰もいないけど、沿道は多くの人でごった返している。シェレラの装備変更は、むしろ人が多すぎて誰にも気づかれなかったようだ。
 夕暮れが進んでいく中、大通りに一台の船が現れた。大きな白い帆が、そよ風に揺られている。
 いや、いくら海がすぐそこにあるとはいえ、ここは道路なのだから船が通るはずはない。でも現実には、船が道路をゆっくりと走って来ている。
 近づいて来る船をよく見ると、前後に車輪がついていた。これは船を模した車だ。帆船の形をしているとはいえ、風の力で動いているようには見えない。おそらく魔石の力で動いているのだろう。
 そして、魔石灯の装飾で光り輝く船の上で、楽団が賑やかな音楽を奏でている。演奏者も全員、水着を花で装飾した姿だ。船上で自由に動き回り、時に男女の演奏者が体を寄せ合ったりもしている。
「おおっ! すごいなこれは!」
「こんなに派手で豪華な祭りは見たことがありません!」
 フィオとリノラナが興奮する一方、
「なんだ? どうなっているんだ?」
「あーん、よく見えないよー」
 ヴェンクーとユスフィエは、人混みに埋もれてしまって前がよく見えず、飛び跳ねながら船を見ている。
「シェレラ、見える?」
 僕はもちろんよく見えるけど、シェレラの身長だとあまり見えなさそうだ。
「見えない。肩車して」
「肩車か……できるかな? やったことないけど、ちょっとやってみよっか」
 そう言ってしゃがんでから、気がついた。
 シェレラが僕の上に跨る。小さな水着だけを挟んで、シェレラの股間が僕の後頭部に収まる。露出した太ももが、僕の肩に直接乗り、頭を挟む。
 意外と、密着している。
 でも、ここまで来たらしょうがない。それに、シェレラだけよく見えないのもかわいそうだ。
「立つよ。掴まってて」
 シェレラの足を掴む。頭の上にシェレラの手が乗ったのを確認して、足を広げてぐらつかないようにして、真っ直ぐ立つ。
「どう? よく見える?」
 僕ですらちゃんと見えるのだからそれより高いシェレラがよく見えるのは当然なんだけど、一応訊いてみる。
「うん、よく見える」
 満足そうな答えが返ってきた。
 目の前を、船が通っていく。
 それに合わせて、沿道から一段と大きな歓声が響く。いやが上にも盛り上がってきた。
 船が通り過ぎていく。しかし、すぐにまた新しい車が近づいてきた。
 大きさは先頭の帆船と同じくらいだけど、形はドラゴンだ。巨大なドラゴンの模型の上に、水着を着た女性たちが乗っている。ドラゴンの背中が舞台になっていて、女性たちはそこで観衆に見せつけるように体をくねらせてダンスを披露していた。
 沿道の男性たちが、歓声や指笛を浴びせかける。舞台の上で、女性たちがそれに応えて手を振りながら、また体をくねらせて踊る。
「シェレラ、危ない、動かないで」
 ドラゴンの上の女性たちに合わせて、シェレラまで体を動かしている。頭の上だからちゃんと見ることはできないけど、きっとあんなふうに体をくねらせているのだろう。
「あたし降りる」
 シェレラも危ないと思ったのだろうか。
 僕はゆっくりとしゃがみ、シェレラを降ろした。
 シェレラの指が動く。空間から、タコの足を一本まるごと串焼きにしたものが現れた。
 吸盤がそろったタコの足に、シェレラがかじりつく。どうやら肩車から降りたがったのは、危ないからではなく、串焼きを食べたかったからのようだ。
 次に来たのは、クジラの形の車だ。
 背中の舞台に乗っているのは、全員男だ。鍛え上げられた筋肉の若い男たちに、沿道の女性たちが甲高い歓声を浴びせる。男だというのに、髪に挿した花や肩に掛けた花の帯が結構似合っている。
「おおっ、すごいな!」
「つい見入ってしまいます!」
 フィオとリノラナも、興奮している。二人とも意外と女の子っぽいところがあるんだな……。
「見ろ、あの右の男の上腕の筋肉! あんな腕で剣を振られたら、どんな魔獣も一撃で倒されてしまうぞ!」
「真ん中の男の胸の筋肉も見てください! まさに鋼の肉体です! 鎧いらずです!」
 そっちか!
 顔や華やかさで興奮しているのではなかった。二人が見ているのは、あくまでも筋肉だ。肉体美に惚れ込んで、興奮しているんだ。
 ちょっと、僕の体と比べてみる。僕の強さはゲーム内でレベルを上げた結果であって、肉体を鍛えたからではない。仮想世界を理解しているとはいえない二人から見て、僕の体はやっぱり貧弱に見えているのかな。仮想世界の人間なら、体つきと実力は関係ないとわかってくれるんだけど……。
 右手に感触。シェレラの左手の五本の指が、僕の右手に絡む。
 まるで僕の心を見透かしているかのようだ。不安な気持ちが、一瞬で消え去った。
 僕からも、シェレラの手を握りにいく。シェレラは抵抗せず、僕に手を握らせてくれた。
 日が落ちても、魔石灯の青白い灯りが煌々と大通りを照らしている。
 そんな中、肉体美の男たちが棒の両端に火を付け、バトンのように回し始めた。青白い灯りの中に、赤い炎が鮮やかに舞う。
 沿道の歓声が、一段と大きくなる。
「リノラナ、どうなっているんだ? 全然見えないんだけど」
 ヴェンクーはどうしても前が見えないようだ。
「兄さま! すごいです! とにかくすごいです!」
「それじゃ全然わからないじゃないか! くそう、人間やっぱり身長なのか? 身長がなければならないのか?」
「そんなことないって。私は小さくてもヴェンクーが好きだよ」
「ユスフィエ、ありがとうユスフィエ」
 半泣きのヴェンクーが、ユスフィエに抱きつく。それをユスフィエがしっかりと受け止めた。
「リッキ、オレ、ここにいてもつまんないから、ジザのところに帰ってていいか?」
「ヴェンクーが行くなら、私も行く」
「うーん…………、そうか、わかった。なんかごめんな」
「いいって、別に。リッキが謝ることじゃない」
 ヴェンクーとユスフィエが、人混みを縫って消えていく。
「ああっ、行ってしまう! 次は……女か!」
「ただ色気を振りまくだけの女に用はありません! 強い男が見たいです!」
「私は女でも構わんぞ! 筋肉さえ鍛えられていればな!」
 フィオとリノラナは、二人がいなくなったことにも気づかず、パレードに夢中になっていた。
 僕は……シェレラが見えにくいだろうから、それが気になってあまりパレードに集中できない。
「シェレラ、大丈夫? 見えにくくない?」
「大丈夫」
 シェレラはホタテのような貝がいくつも刺さった串焼きを食べていた。シェレラにとっては、パレードよりもおいしい食べ物があるかどうかのほうが重要なようだ。
 そして、さらにいくつもの車が通り過ぎた頃、突然上から爆発音が聞こえてきた。
 夜空に広がる、光の大輪。
「花火だ!」
 赤や青、白、金や銀の花火が、すっかり夜になった空を彩る。『花の夏祭り』の名にふさわしい、鮮やかな光の花だ。
「綺麗だね」
「うん、綺麗」
 シェレラと一緒に、夜空を見上げる。『リュンタル・ワールド』にも花火はあるけど、本物のリュンタルの本物の花火のほうが、やっぱり見ごたえがある。

 チリリリ チリリリ

 花火の音や歓声に紛れて、かすかに、でも確かに聞こえた。
 一対のベルの片方を取り出す。ベルは勝手に揺れていた。
 ヴェンクーに何かあったのか?
「フィオ! リノラナ! すぐに戻ろう!」
 しかし、こんな大事な時だっていうのに、パレードに夢中になっているうえに騒がしさに声がかき消されて、二人は振り向きもしない。
「フィオ! リノラナ!」
 腕を掴んで、無理矢理気づかせる。ようやく二人は振り向いた。
「何かあったみたいだ。すぐにジザのところに戻るぞ」

「兄さまがいなくなったのに気づかなかったとは不覚です」
「それはいいから急いで」
 アンファンハの普通の水着姿ではさすがに走るのに不便だ。急いでいるとはいえ、着替えが先だ。
 焦りながらも素早く着替え、走ってジザがいる池のほとりに向かった。夜空は相変わらず花火が大きく彩っているけど、それを見ている余裕などない。走るのが苦手なシェレラがついて来られないでいるけど、それもしょうがない。
 甲高い鳴き声が聞こえてきた。ジザの声だ。
 何もないのに無闇にジザが鳴くはずがない。どうしたんだろう。心配だ。
 ようやく池のほとりに着いた。
「ヴェンクー! 何があったんだ!?」
 息を切らせながら、様子を見る。
 ジザは上下に大きく首を振っている。それをヴェンクーが懸命になだめていた。
「リッキ! ジザが花火の音に驚いてしまって」
 花火の音に?
 見上げると、パレード会場にいた時より、花火が大きい。音がかなり大きく聞こえるのも、騒ぎから離れて静かな場所に移動したという理由だけではなさそうだ。
 どうやらこの池から海へつながる川の川岸で、花火を打ち上げているらしい。
「ここから離れたい。みんな、それでいいか?」
 そういう理由なら、仕方ない。それに、祭りはもう十分楽しんだし。
「…………シェレラはどうしたんだ?」
 振り返ると、まだシェレラの姿だけがない。
「シェレラは走るのが遅いから……」
 と思ったけど、ちょっと不安になってきた。途中で買い食いとかしてるんじゃないかな……。
 急いで戻ってみると、シェレラは走るのを諦めてゆっくり歩いていた。
「疲れた」
 それだけ言って、ゆっくり歩き続ける。
 仮想世界と違って疲れがあるから、仕方がない。運動が苦手で走るのが遅いシェレラならなおさらだ。それに、疲れという概念がない仮想世界の魔法では、疲れを回復させられないし。
 歩きながらシェレラに事情を説明しているうちに、池のほとりに着いた。
「ごめん、遅くなった」
 シェレラと一緒に、ジザの背中に乗る。
「もういいか? じゃ、飛ぶぞ」
 手綱を握ったヴェンクーが、ジザに合図を送った。
 激しく羽ばたきすぐに空高く舞い上がったジザが、今度はゆっくりと翼を羽ばたかせる。
「あ、見て! 花火が下にある!」
 ユスフィエが指差したのは、僕たちが飛んでいるのよりも低い位置だ。
 花火を上から見るなんて、初めての経験だ。同じ丸い花火なのに、なんだか不思議だ。
 いつまでも花火を見ていたいけど、ジザは花火が嫌いみたいだから、そうはいかない。
 僕たちはこのままアンファンハを離れて近くの街まで飛んで行き、そこで宿を取った。

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