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第6話 お前はなにに飼われているんだい?・前編

「しばしば私は思うのだ。子供とは、家庭という工房(こうぼう)で作られる大量生産品なのだと。常識や理想というマニュアル通りに組み立てて、人と違うことをすれば()い直し、思い通りになるように(かた)に流し込む。そうして出荷した子供たちが、またマニュアルのままに子を組み立てるのだと。世にはこれほどたくさんの人そして家庭があるのに、誰も彼も見分けがつかないのだ、私には。それならば、生まれてくる必要などあるのだろうか。私である必要があるのだろうか。なぜ意思を持つ必要があるのだろうか。子を成す必要があるのだろうか。無事に生まれてくることを望み、(すこ)やかな成長を望み、安定した将来を送ることを望み。そうして子の本来の姿を殺すのだろう。常識に飼われ、秩序に(えさ)を貰い、理想のままに美しく死ぬ君の死体は、どんな芸術品よりも破壊衝動(はかいしょうどう)()き立てる。なぁ、私は何に飼われなければならない。何故(なぜ)飼われなければならない。何故飼われることを前提で考えなければならない。なぁ、この本を見ている君よ。私の言葉を聴く君よ____君は、何に飼われている?」
「おいおい、小説家にでも転職するつもりか?」


 子供に語って聴かせるような静謐(せいひつ)な声は、割って入った存在に(さえぎ)られた。
 (かた)()だった青年はくるりと軽やかに振り返る。視線の先には見知った姿があった。青年は優しく笑って迎え入れる。
「僕の言葉じゃないよ、ある小説の一節(いっせつ)さ」
「いや、一節って長さじゃ無かったぜ」
 男はすかさずその発言にツッコンでから、青年の隣に座った。
 と言っても、ここは野外(やがい)だ。腰を落ち着ける椅子もテーブルも無い。
 手頃(てごろ)な岩に腰かける青年の横、風が揺らす草原の中にドカリと腰を下ろしただけである。
上仙寺譲治(じょうせんじじょうじ)という冷笑(れいしょう)主義者が、常識とはなにかを()うた話だよ。知らないかい?」
 (おだ)やかに尋ねる青年に、男はハッと粗暴(そぼう)に鼻を鳴らした。
「知らねぇよ。俺はお前と違って(がく)が無いんでね」
「僕も学があるわけじゃないよ」
「このご時世、学校に行って学んだ奴なんて、俺からしたらどんな劣等生も博士様(はかせさま)に見えるっての」
 そう言われてしまえば、青年は黙る。
 男の生い立ちはある程度知っている。あまり触れるものでもないだろうと考えた。決して(あわ)れんだのではない。ただ彼らは、例え仲間だとしても触れてはいけない領域があるのを理解しているだけだ。
 その青年の気遣いを(さと)く察した男は、頭をガシガシと掻いて「あー……」と(うな)ってから付け足した。
「冷笑主義ってなんだ?」
「そうだね……わかりやすく言うと、人間にとって最大の価値であり善とされるのは徳であり、あらゆる欲望から解放された時にのみそれは(たっ)せられるという思想だよ。まぁ、禁欲こそが美、って言えばまとまってるかな?」
「へぇー、俺には無理な思想だわ」
「そうだろうねぇ。お前は酒もギャンブルも大好きだ」
「オイ、それだけだと俺がクズ野郎みたいに聞こえるだろうが」
 (のど)の奥を鳴らして笑う青年に、男は下から睨む。
 青年は「失礼」と、全く悪びれもせず謝罪を入れた。
「んなチンタラ長い文よく覚えられるな。今、なにも見てなかったよな?」
「昔、さんざん読んだからね。まぁ、細かい言い回しやなにやらはもう曖昧(あいまい)だよ。確かめようにも本はもう手元に無いんだ」
「失くしたのか?」
「さぁ、どうだったかな。どこかに置いてきてしまったのだろうね」
「本屋に行けばあるんじゃねぇの?」
「禁書だから本屋には無いよ。いいんだ、(えん)があればまた巡り会うさ」
 まるで子守唄(こもりうた)のような、優しくて穏やかな口調。表情もそれに反することなく柔和(にゅうわ)だ。
 そしてなにより、内側の温厚さが(にじ)み出たような落ち着く声の持ち主だった。
 男は微睡(まどろ)みそうになる。
 空にはゆっくりと流れていく雲。温和な気候。心地よい風。下には布団代わりの草原。
 眠くなるのにこれ以上の好条件があるかと思える世界に、男は欠伸(あくび)を一つ。
 青年もゆったりと(まぶた)を下ろしては上げている。
 肌をじんわりと温める日差しが、青年の髪にキラキラと反射した。
(まぶ)しい野郎だな……)
 比喩ではなく、見たままの意味だ。男は目を細める。
 どこもかしこも白い。
 髪もまつ毛も、肌だって陽に当たるわりには焼けていない。雪から生まれたような存在だった。
 だけど春の日差しのような温かい声。ゆったりした所作(しょさ)。温厚な性格。白い中で唯一色を持つ、()んだ空色の瞳。男の人生で、ここまでチグハグな印象の人間は初めてだった。
 そうして空色が、にこりと笑う。
「これ以上ここにいると、眠ってしまいそうだね」
「お前……自分が犯罪者ってこと忘れんなよ。無防備に外で寝たら刺されんぞ」
「はいはい」
兄貴(あにき)ーーー! カズさーーーん! お待たせしましたーーー!」
 二人だけの空間に、今度は明るい声が割って入る。
 振り返れば、声の印象にそぐう人懐(ひとなつ)っこい笑顔がある。少年が手をめい一杯振りながら駆け寄ってきた。彼の特徴である犬歯(いぬば)も相まって、犬が飼い主に向かってダッシュしてくるように見える。
真昼(まひる)、ご苦労さま」
 青年が優しく笑いかければ、少年は上機嫌にさらに勢いよく手を振る。
 犬種は柴犬かなと男がこっそり考えていると、真昼は二人の前でピタリと止まる。
「兄貴を待たせちゃいけねぇと思って、急いで来ました!」
「いいんだよ、急がなくて。転んで怪我をしたら大変だ」
「も〜、オレもう十六っすよぉ。ガキ扱い禁止!」
 口を(とが)らせる、大人になりたい子供。
 仲間の中で末っ子だということを、周り以上に気にする子供だった。憧れの大人に少しでも近づきたくて、時々無鉄砲なこともする。
 それがかえって子供に見えているのだというのは、彼が大人になった時に気づくことなのだろう。
「んで、ちゃんとやることやってきたんだろうなぁ?」
「もちろんっす!」
 男の問いに、真昼はニカッと歯を見せて笑った。
 それから片手に引きづっていた大きな袋を、ドサリと二人の前に投げる。

領主(りょうしゅ)の屋敷に仕えてる執事(しつじ)、ちゃんと拉致(らち)ってきました!」

 底無しに明るい笑顔で少年は答える。
 白い歯を見せて、褒めてと言わんばかりのしたり顔で。
 男は腰を上げる。モゴモゴと動いている袋の前で屈んで、チャックを開けた。
「……間違いねぇ、コイツだ」
 この地区を統べる領主の屋敷に仕えている執事長。白髪(しらが)がちらほら目立つ、五十代の男だ。
 多少手荒な手段で連れて来られたらしく、頭には少し血が(にじ)んでいる。口はガムテープを何重にも貼られて塞がれ、体はロープでぐるぐる巻きにされていた。
「よくやったね、真昼」
「へへっ」
 青年に褒められて、真昼は照れ臭そうに鼻を搔く。
 子供扱いを嫌がるくせに、褒められると純粋に喜ぶのだから思春期はわからんと、男は内心で肩をすくめる思いだ。
「オレ、もう一人で任務に行けるぜ! もっと兄貴の役に立つんで!」
「おうおう一丁前な口ききやがって。お前はまだまだ半人前だっつの」
「えー! なんでっすかカズさん!」
 不服げに(ほほ)(ふく)らませる真昼に、男は執事を拘束している縄の結び目を片眉を上げて睨む。
「まず、縄の縛り方がメチャクチャだ。なんだこれ、迅速(じんそく)かつ最短のやり方で縛り上げろっつってんだろうが。また特訓だな」
「うげぇ、カズさんの特訓って容赦ないからイヤっす」
「なに言ってやがる。コイツの特訓よりは優しいだろうが」
 男が親指でビシッと差す先には、おっとりと笑う青年がいる。
 青年はニコニコと笑いながら不思議そうに首を傾げた。
「え、僕なにかした?」
「え⁇」
 青年の心からの疑問に、真昼は顔を真っ青にして後ずさる。
 自覚がねぇのが一番ヤベェよなと吐き捨ててから、男は真昼に向かった。
「お前、他の連中呼んで来い。車回すように伝えろよ」
「はーい!」
 指示を受けて、走り出す。
 やっぱり犬だなと再確信していると、男の頭上からくすりと笑い声。
「……なんだよ」
 見上げれば、青年が口元に手を当てて笑っている。そして穏やかな瞳をキョロリと男に向けた。
「やっぱりお前は優しいと思ってね」
「俺がやったほうが早いと思っただけだっつの」
「はいはい、そういうことにしておこう」
「…………チッ」
 なにもかもを見透かすような澄んだ空色から視線を外して、男は立ち上がる。
 そしてスラリと、どこからともなくナイフを取り出した。
 それを見て、執事の男がさらに激しく(もが)く。んーーー! と、音になって響かない声を喉の奥で鳴らしながら。
「大人しくしろ。俺らの質問にちゃんと答えりゃ逃してやるよ」
「ただし、抵抗したり騒いだりしたら爪を一枚ずつ()がすからね」
「一応、テメェの身柄は俺らの作戦が終わるまで拘束する。嘘ついてたらすぐ殺せるようにな」
 男が見せつけるようにナイフを(つめ)でパチパチと弾けば、執事は涙を浮かべながら首を激しく縦に振った。
 それを見て、青年はにこりと笑う。
「領主の屋敷の見取り図が欲しい。執事長のお前なら、隠し部屋や細かいルートまで全て把握(はあく)しているだろう? 見回りの警備員の交代の時間、屋敷に装備している武器も教えてほしいな」
「俺らが用があるのはあくまで領主とそこにたんまり眠ってる金目のものだ。テメェは用が済めば逃す。俺らのことは他言無用で(はか)まで持って行ってくれる約束さえしてくれりゃ、礼金(れいきん)は弾むぜ。悪い話じゃねぇだろ?」
 執事長は何度も何度も頷いた。
 この様子ならあまり手間取らないで済みそうだなと男が考えていると、青年が執事長の前に屈んだ。

「助かるよ、ありがとう」

 どこかの絵画(かいが)のような、完成された微笑(ほほえ)み。まるで天使のようだと比喩するのがしっくりくる。
 全てを(ゆる)して、道を指し示すかのような。
(拉致っといてありがとうもなにも無いだろ……)
 そう、男は心の中で思った。



 ◇◆◇

「やっぱ使えねぇ……」

 柴尾銀臣は、心の底から忌々(いまいま)しげにぼやいた。
 美形の(すご)んだ顔とはやけに恐ろしく見えるもので、廊下ですれ違う軍人たちは皆「ヒッ」と短い悲鳴を上げて道を(ゆず)る。
 銀臣はそれを気にかける余裕もなくズカズカと進んで、ある部屋の扉を乱暴にノックした。
「はいよーん」
 中から聞こえる呑気な声に更に苛立ちを募らせ、ドアノブを回す。
「堤さん、今日こそ首を縦に振ってもらいますよ」
「おっすおっす、今日の大会ガンバッてねシバちゃん」
 全く見当違いのことを言う上司、堤凪沙(つつみなぎさ)。色のついたメガネと真っ赤なシャツがホストにしか見えないともっぱら有名な人である。
 銀臣は堤の激励に「頑張ります、けど」と前置きしてから本題に入る。
「もう我慢なりません。はやくアイツを警察に返品してください」
 ここ最近ずっと聞いている銀臣のそれに、堤は剽軽(ひょうきん)な仕草でやれやれと手のひらを上に向ける。
「だからぁ、オーパーツを使える以上、うちに置かなきゃいけないの」
「使えないじゃないですか!」
「一回でも使ったら『適性者』認定されるのよ」
「一回しか使えなかったら適性者じゃねぇだろ!」
「ちょっとタンマ。この議論は平行線になりそうだからやめよ。ね?」
 手のひらを出してストップをかける堤に、銀臣も一旦落ち着いて気を持ち直す。
「……この数週間、宮本大志をこの目で見てきました。が、体力面も技能面も普通。普通すぎる。グリーン・バッジに相応(ふさわ)しいとは思えない」
 射撃は本人も言うように、壊滅的な腕では無いものの実戦では役に立たないレベル。
 体力も無いわけではないが、グリーン・バッジの厳しい訓練にはついていけてない。警察で町のお巡りさんをしているには申し分ない能力値であるが、反乱軍や危険生物との戦闘を(おも)としているここでは到底使えない部類に入る。
「え〜? でも、みやもっちゃん真面目に働いてるじゃん。就任早々逮捕に貢献だってしたし。なんだっけ、あの、商店街に日本刀持って突っ込んだイカした野郎」
「確かに格闘術に関しては認めますけど」
「そうそう、まさか本当に代表選手になるなんてねぇ〜。いやぁ、掘り出しものだったなぁ」
 満足気に笑う堤を、銀臣はじとりと睨む。
 日本刀を持って暴れた男を逮捕した翌日に開催された、中央地方武術大会代表選出試合。
 なんと大志は、本当に躰道部門の代表者の一人になったのだ。しかも男子60kg級で選出試合優勝までしてしまった。
「チラッと(のぞ)きに行ったけど、みやもっちゃんのあれはスゴイねぇ。俺、あの蹴り食らったらしばらく立てそうにないわ」
「実際、逮捕された男なんて歯が飛んで行きましたよ」
「うへぇ〜コワイ。みやもっちゃんのことは怒らせないようにしよっと」
「って、議題はそこじゃねぇ! とにかくアイツは足手まといです、せめてチームは解体してください!」
「じゃあみやもっちゃんのこと、他に誰が面倒見るの? 俺はダメよ。堤お兄さんはもういろいろと立場あるから、新人くんに()く時間無いよ?」
「アンタじゃなくても他にたくさんいるだろ!」
「その中の一人がシバちゃん、キミで〜す。はいブーメラン返った〜」
「子供かよ⁉︎」
 両手で指差して「うぇ〜い」と(はや)し立てる上司に、銀臣は心底呆れ返った。
 こんなのが二十七歳。こんなのが支部局で一番偉い人。その事実に目眩(めまい)までする。
 銀臣がなんとか説得する言葉を(しぼ)り出していると、堤が先に口を開く。
「体力も技能も、後からついてくるよ。適性者は統計的に身体能力が優れてるって証明されてるし。みやもっちゃんも、訓練すれば十分使える範囲だと思うよ?」
「反乱軍との戦闘はどんどん激化していってます。使えねぇ奴を育てるより即戦力を迎え入れる方がいいですよ」
「あ〜その考えはノンノン。ナンセンスよシバちゃん。即戦力になれる子なんて早々いないんだから」
 とたんに、堤の口調が少し真剣なものになる。
「俺たちのお仕事は敵を(つぶ)していくことだけじゃないのよ? 後続(こうぞく)を育てることも立派な職務。武器持って突進してくる奴に銃ぶっ放すより、ずっと難しくて頭を使う作業なのよ。だからこそ、使えない子を立派に育てれば職場での評価も価値も上がる。今のキミは『自分は無能です』って言ってるのと同じなのよ?」
 堤は、話すのが上手い。
 声の抑揚(よくよう)、間の取り方、距離感、速度、相手の耳に心地良いトーン、それら全てが絶妙なのだ。人の話の隅っこを取って会話を広げたり、何気なく言ったことを覚えていたり。そうして相手に心地良いと思わせる空間をつくる。
 だからこそ、相手のペースを()(さら)って自分のものにしてしまうこともできた。
(ほんと、能力のわりに階級低いよなこの人………)
 堤は同年代の軍人の中でも、相当な実力派だと銀臣は思っている。
 立場上あまり戦場へは出ないが、作戦立案や人心掌握。なにより人柄が優れた人であるのは認めている。本人には言わないが。
 階級だってもっと上でいいはずだし、支部局長などではなく中央本部で手腕(しゅわん)を振るっていてもおかしくない。
 だが、彼はずっと今の椅子に腰掛けている。口には出さないだけで栄転や昇格の話だってあるはずなのにだ。
 彼の性格から考えれば『上に行ったら窮屈(きゅうくつ)で死んじゃう〜』とか言いそうであるが、たんに出世欲がないのか。
 どちらにしろ変わり者だとは、彼を知る全ての人の共通意識だろう。
「みやもっちゃんは、きっと良い軍人になるよ。俺の人を見る目は狂ったことがない」
「………堤さんだって、間違うことくらいありますよ」
「うん、たくさん間違えてきたよ。むしろ正しいことをしてきたのは少ないかも。でもね、無様(ぶざま)に転んで這いつくばって、あぁもうダメだ〜とか、なにもかもやり直したいなぁ〜とか思っても、それでもなんとか立てるのはさ、自分が正しいってどこかでは信じてるからだよ」
「…………」
「だから俺は、キミの判断を握り潰してでも自分の意見を(つらぬ)く。堤お兄さんは大人気ないから」
「……自分で言うなよ」
 堤はそれにニコリと笑って答える。今日の天気を語るような、世間話の口調で。
「自覚ある悪党ってのはね、しぶとく生きれるよ。自分が世間様に顔向けできる立場じゃないってわかってるから慎重に事を進められる。キミも立派な悪党になってみればわかるさ」
「別に悪党とまでは思ってませんって」
「えぇ〜、そうなのぉ? 堤お兄さん嬉しくなっちゃった、今ならなんでも言うこと聞いてあげるよ」
「チーム解体」
「ハイ却下(きゃっか)
「…………………」
「大会、三島チャン()いて応援しに行くからね〜」
「また怒られますよ」
 そして今日も銀臣は敗退し、支部局長室を出る。
「クソッ」
 歩き出すのと同時に、銀臣は小さく吐き捨てた。
 (あせ)りがあった。なんやかんや堤に流され、このままでは大志と本格的にチームになってしまう、と。
(これ以上あんな奴といて(たま)るか……)
 このままではまずい、まずいのだ。
 彼の中の焦りと不安は、時間が経てば経つほど大きな渦を巻いて飲み込もうとしてくる。それを感じたくなくて歩調を早めた。
 別に、何から逃げられるわけでもないのに。

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