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15-1「『仲良く』していただけると大変光栄です」

 時間は少し遡り、宇宙歴3502年1月15日1000時。

 タイラーは月地下都市の中心部にある、行政区中、在月『マーズ共和国』大使館臨時事務所に居た。

 地球連邦政府が正式に承認していないとはいえ、既に『マーズ共和国』は国としての体制を持っているための措置である。

 今回の講和条約が締結されれば、いずれこの事務所は引き払われ、『マーズ共和国』は各主要な地球連邦圏内の都市に大使館と領事館を持つことになる。

 いわばここは『元敵対国家』の外交の足掛かりの場なのだ。

 今、タイラーは別室で実務者協議に臨む『地球連邦政府側』の『外交官役』の付添人としてここに居た。『地球連邦政府』は実質的には『外交機関』を持たない。必要が無いからである。

 だが、ここに来て外交を担う役割の必要が出て来た。そのため、地球連邦政府は内閣府から必要な人材を適時『臨時外交官』として任命し、このような実務者協議に挑ませていた。

 タイラーは言わばそのついでである。本来はここに居る必要もない。

 そのためこの実務者協議が実際に行われている部屋とは別室の応接室でランドル・スチュアート中尉とニコラス・シニョレ伍長を伴って、『待って』いる。

「お待たせしました。タイラー・ジョーン大佐」

 そう言って、赤を基調とした軍服を纏った男が護衛を伴って室内に入室してきた。彼こそが今この瞬間タイラーが待っていた人物である。

 彼はその白銀色の髪を靡かせ、その深いブルーの瞳でタイラーを見つめると、タイラーの近くに寄り、その右手を差し出した。

 タイラーもまた応接室のソファーから腰を上げその握手に応える。

「いやあ、申し訳ない。今そこで丁度『そちら側』の外交官の方と行違いまして、レアンドロ・デル様と申されましたか、ついつい興が乗って話し込んでしまいました。我々軍人とは違い話題も豊富だ、普段から会話に飢えていますとこう言った時に困りますな」

「はは、無理もありません。デル氏は大変博識であられる。さぞ面白い話題をお持ちでしたでしょう。私は彼の付き添いでここに居るに過ぎません。別に待たされたという意識もありませんよ」

 彼は手で丁寧にタイラーにソファーへ座るように促すと、タイラーの着席を見届けてタイラーの正面のソファーへ腰を掛けた。

「ああ、申し遅れました。タイラー・ジョーン大佐。私はスタニスラフ・コルニーロフ。『マーズ共和国』軍にて大佐の階級を拝命しております。情報部の所属なので貴官のお名前もうかがっておりましたから、ついつい『既知』のつもりでお話してしまいました。度重なるご無礼をご容赦頂きたい」

「スタニスラフ大佐。私の事も『タイラー』で結構です。私も貴官の噂はかねがね伺っておりました。先日も貴官の部隊の『ヨエル・マーサロ大尉』が挨拶にお見えになりました。はるばるのご歓迎『ありがとう』ございます」

 これは、憶測などではない。先日の戦闘で鹵獲した『アヴェンジャー』に取り残されていたパイロットの一人が生存しており、タイラーはそれを捕虜とし、尋問していた。

 時間が惜しかったため、その捕虜には強制的に第四世代人類への施術を行い、ユキと同じ600倍のVRを駆使して『ありとあらゆる苦痛』を与え続けた。1時間と持たずに捕虜は口を開いた。

 因みに、『尋問室』はユキが今いる『懲罰房』の隣にある。つまり、今ジェームスはユキの懲罰を行いながら、捕虜への『尋問』を行っていた。

 何しろ絶対に『殺されない』。つまり永遠に苦しみ続ける事になるのだ。自我が崩壊させる事さえ許さない強制的な『生存』の中で、繰り返しあらゆる苦痛を与え続けられるのだ。その事実を体験させ、伝えた瞬間に彼は『折れ』た。

 その証言を聞いても、彼は表面上『地球連邦政府』と敵対する『勢力』の軍人であることを『証明』することが出来ない。そのため、いかなる条約の『捕虜虐待禁止』の項目にも抵触する事がない。何しろ今、『地球連邦』と『マーズ共和国』は『停戦中』である。

 彼に対して興味を無くしたタイラーはジェームスに対して彼にユキと同じ『懲罰』を施すように依頼していた。上記の事を鑑みれば『人道的』とも言える。

 その皮肉交じりのタイラーの言葉を、スタニスラフは微笑して『受け流し』た。

「そうですか、私の部下が。それはそれは失礼をいたしました。『仲良く』していただけると大変光栄です」

 にっこりと、何事も無かったようにである。

 タイラーもまるで世間話のように続ける。

「ああ、それで。今私の艦に『滞在』している貴官の部下なのですが、『講和条約締結会場』でお返しいたします」

「ああ、『ソレ』はありがたい。さぞ有意義な土産話が聞けるでしょう。彼にもよろしくお伝えください」

「ええ、それはもう。丁重に『おもてなし』しております。彼には傷一つつけませんよ」

 この場で彼に対する話題はこれで終わりである。スタニスラフは例えその捕虜を受け渡されたとしても『彼』に対して何の興味も抱かないだろう。彼は今真っすぐに目の前のタイラーに対して挑発するような敵意を向けているのだから。

「いやあ、それにしてもタイラー大佐。貴官は面白い。今日、この場に私を『呼び寄せた』手腕といい、この月での『ロストカルチャー』の争奪戦の着手の早さといい。貴方に興味は尽きません」

 タイラーが、ミツキも含む月の『ロストカルチャー』の身柄の確保に動いたのは、何もその中にミツキが含まれていると知ってからではない。

 タイラーは自身が目覚めて『つくば』の体制を整えた後、ただちに地球圏にある『ロストカルチャー』の発見と確保に動いていた。その中には当然この月での『ロストカルチャー』の争奪戦も含まれていた。それは主に、ルピナスとジェームスが居た研究所に忍ばせた二人の『諜報班員』が実行した。

 その一人が今タイラーの後ろに控えるランドル・スチュアート中尉である。彼は『研究員』として『フォースチャイルド研究所』に潜伏し、その研究所に所属している普通の『研究員』を『諜報員』として教練した。自身と同じレベルまで、である。その結果、『つくば』に協力する『諜報員』はネズミ算式に増えている。

 ランドルは、その『もう一人』の一緒に研究所へ潜入した諜報員と離れ、主に地球の重力下を拠点に活動していた。そして、最終的にオーデル元帥の護衛として身分を偽っていたのだ。

 一方『もう一人』の諜報班員は、ランドルと別れた後、協力者を伴ってこの月へ先に足を延ばし、協力者を増やしながら今は『火星』にまで先行している。

 今、月に『保存』されていた『ロストカルチャー』のおおよそ7割の身柄をタイラーは掌握していた。その中に『ミツキ』が含まれていたのは『幸運』としか言いようがない。地球で『保管』されていた筈のミツキは、『何らか』の事情でこの月の地中深くの『保管庫』に保存されていた。

 他の『ロストカルチャー』とすら隔離されたった一人で、である。

 その事情について、タイラーも思う事が無いではないが、今重要なのは目の前にいるこのスタニスラフ・コルニーロフ大佐と名乗る優男だろう。

 歳の頃はタイラーよりもやや上か、恐らくは20代後半だろう。見た目は銀髪に碧眼。だが、顔の造形はどうだ、彼の顔は『日本人』のそれではなかろうか。

 タイラーは思う。彼も恐らくはタイラーやクロウと同じ『時代』、もしくは『近しい時代』からこの『時代』へと再生された『ロストカルチャー』なのであろうと。

 そして、彼のその存在はあまりにもタイラーと似通っていた。恐らく、このタイラーの目の前の男は、タイラーが目覚めてからこちら、行ってきたような『事』をアプローチさえ違うが『やってきて』いる。

 それは、タイラーのヨエルの奇襲を匂わせた発言に対し、かつ彼がそれを『あえて否定』しなかった事からも明らかだ。

 このタイラーの目の前のスタニスラフ・コルニーロフこそ、今回の『つくば』に対する強襲を命令した指揮官だろう。恐らくは、その実行はヨエルに全指揮権を付与した形で行ったはずだ。

 それは捕虜の証言からも明らかである。捕虜は「ヨエル大尉の命令」で、と証言していたのだ。

「ご謙遜を、地球周回軌道上で我が『つくば』を捉えるその手腕。感服いたしました」

 だからこそ、タイラーは素直に賛辞を贈る。スタニスラフは目を丸くすると肩を吊り上げる動作をした。その敵意も完全に消失していた。

 毒気を抜かれたのだ。

「『止めましょう』腹の探り合いは。ここから先は腹を割って話した方が良さそうだ。我々はもう『敵』では無いのだから。無礼を謝罪します、タイラー大佐」

 その言葉に嘘はあるまい。タイラーは大きく頷いた。

「了解した。スタニスラフ大佐、『捕虜』に対する扱いも、『来賓』のそれとさせて頂く。流石に艦内を自由に歩かせる事は出来ないが、それでも不当な苦痛は与えない事を約束するし清潔な居室も用意させよう」

「すまない、助かる。正直、今回の作戦は賭けだった。『貴方』をあそこで仕留められなければ、『本当』に全面戦争になるかもしれないと構えていたのだ。だが、作戦は失敗したが予想は裏切られ、貴方とオーデル閣下は『交渉』のテーブルを用意して下さった」

 スタニスラフがそう思っても無理は無いだろう。

 事実、地球連邦軍はその宇宙戦力のほとんどをこの月に集結させている格好である。しかも『人型兵器』である『MAA』を大量に量産し、それらを艦隊に組み込んで、である。

 仮に、タイラーがスタニスラフの立場であったとすれば『似たような作戦』を立案していただろう。あの瞬間あの場所でタイラーとオーデルを押さえれば戦局は一気に『マーズ共和国』に寄る。

 タイラーは後ろに控えたニコラスにジェームスに『捕虜』に対する全ての処置を中止し、彼に対する処遇を、先ほどタイラーがスタニスラフに言ったものに変えるようにと伝えるよう指示した。

「大佐……」

 それを聞いたニコラスがリスコンを操作してすぐである、彼はリスコンから『大した事がなかったように』タイラーに自身のリスコンの表示を見せた。

 そこには文章化された『つくば型』の通信のやり取りと、今まさに『けいはんな』が『つくば』に対して模擬弾を発射した事実が表示されていた。

「あっはっはっはっは! これはいい、『運動会』を始めたのか。ニコラス、ついでにブリッジクルーに私の名前でこう送れ。『やるなら、とことんやれ』だ」

 聞いたニコラスはニヤリと笑うと再びリスコンを操作し、すぐに休めの姿勢に戻った。

「おや、タイラー大佐。何か面白い事でもありましたか?」

 スタニスラフは突然笑い出したタイラーに場の空気が和らいだのを感じ、自身も口元を緩めながら問う。

「いえね、これが傑作なのです。私の子供たちはこの『状況』で『運動会』を始めたのですよ。どうせ実務者会談が終わるまではお互いやる事もありますまい。よろしければ一緒に観戦しませんか?」

 言いながらタイラーはリスコンを操作し、『つくば』観測室からのリアルタイム映像をいくつか空中に表示させて見せた。

「ははは! 貴官の部下たちはどうやらかなりユーモラスなようだ。部下の帰りの土産話が楽しみですね!」

 それを一瞬見たスタニスラフはタイラーの言う『運動会』という名をタイラーが与えた『つくば型』全艦の乱痴気騒ぎをタイラーと共に目撃することになる。

 そこから先、二人は自身の護衛も含め和気藹々と、今後の太陽系における『新たな秩序』について意見交換を交わすのだった。

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