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3-1「今日から戦友だ。お前と一緒に笑って、泣いて、死んでやる」

 艦長室を出たクロウは、シドに連れられて広大な『つくば』艦内を歩いていた。

 クロウは最初に連れられて来たコンテナのあった格納庫から、艦長室までの間も相当歩いたのだが、手紙を読んだショックで、どれほど歩いたのか、どの通路を通ったのかなどは覚えている余裕が無かった。

「嫌でも覚えるから、無理して道順を覚えなくてもいいぜ」

 言いながらシドはクロウの前を歩く。艦長室を出る際にタイラーのコートを返してしまったため、クロウは入院着のままだった。

 そのため嫌でも目を引くらしく、時折行違うクルーたちから好奇の目で見られたが、シドはその度に「ほらほら、見せもんじゃねえよ行った行った」とか、「お披露目はもう少し後だ、楽しみは後に取っておくもんだぜ」と声を掛けながらクルーたちの目をクロウから引き離していた。

「さあ、ここから先が居住区だ。ここは士官用居住区で、この下に下士官用居住区、その下に兵卒用居住区がある。んで、俺はこのフロアーだ」

 あれ、と。クロウは思った。シドは軍曹である。

 軍隊の階級とは一般的に、帥・将・佐・尉と呼ばれる士官と、曹長・軍曹・伍長からなる下士官、兵長・上等兵・一等兵・二等兵などからなる兵卒で構成される。この艦もこの階級で並んでいるのであれば、シドは下士官の立場であるはずだった。

「ああ、俺は特務軍曹でな、本当はお前より一個上の中尉なんだが、階級章貰うの断り続けたらこうなっちまった。俺はこんななりで技術屋だからな。前線で戦う訳じゃない。実際に戦うやつらの方が偉くあるべきだって艦長には言ってるんだがな」

 つまり、シドの扱いはやはり士官扱いなのだとクロウは思う。

「ま、単なる俺のわがままだよ。いずれ階級も受け取らなくちゃならない時も来るだろう」

 言いながら、シドは左右にドアが並ぶ一角で止まった。

「ここだ」

 シドはドアに埋め込まれているコンソールパネルに手をかざす。ドアは自動的に開いた。

「後でお前の生体情報も入力しておいてやるから、こうやって手をかざせば開くようになるぜ」

 部屋の中にはベッドが二つ、机が二つ、クローゼットが二つと、全ての家具が二つずつ左右対称に並んでおり、その内右側は小物や雑貨などがあり生活感があるが、左側はベッドの上に布団と毛布とシーツが畳まれたまま置かれているだけだった。

 つまり向かって右側が既にシドが使用している生活空間であり、左側は空きで、クロウにこれからあてがわれる空間という事なのだろう。

 部屋は綺麗に整頓され、こまめに掃除もされているようで男一人が生活しているとは思えないほど清潔感があった。

「シド軍曹。一人部屋だったのに、僕のせいですみません」

 シドはこの部屋を一人で使っていたという事だ。クロウさえ来なければ。

「逆だクロウ、軍人ってのは寂しがりやでな。ともかく本能的に群れたがる。一人部屋ってのは気楽なようで存外寂しいもんなんだぜ、あと、室内で階級は禁止だ。先任命令だぜ楽にしろ」

 言いながら、シドはシドの生活圏内にある扉を指さす。

「便所とシャワールームは共用だ。俺が籠っててどうしても我慢できそうに無かったら部屋出て右に行け。突き当りに男子便所がある。湯船にゆっくり漬かりたい気分の時は階段一つ降りて、下士官のフロアに階級関係なしの大浴場がある。たまに艦長も来るぞ、仮面付けたままでな」

 げらげらと笑うシドにつられてクロウも笑った。

「よしよし、ようやく笑いやがったな。クロウ、俺はお前の兄貴の代わりにはなれねえかもしれねえが……」

 シドはじっとクロウの目を見て言う。

「今日から戦友だ。お前と一緒に笑って、泣いて、死んでやる」

 クロウは訳も分からずこの時代に放り出されて、初めてここで軍人ではなく『人間』に出会った気がした。

「シド、先輩」

 シドはにっかり歯を見せて笑うと、クロウに机に備え付けてある椅子に座るように促した。椅子は簡素的な事務机ではなく、床としっかり固定されたリクライニング出来るような作りになっていた。

「悪くねえ響きだ。しばらくはそれでいこう。ゆくゆくは呼び捨てでいいぜ」

 クロウが椅子に座った事を確認すると、シドは机の奥の壁に備え付けられているコードリールから巻かれていた端子を引っ張り出した。

「慣れない内は、よく椅子からひっくり返ったりするんだ。あと、艦が急に動くときは警報が鳴るから、そんな時はこの椅子に座ってシートベルトを締めるんだぜ?」
 言いながら、シドはクロウと椅子をシートベルトで固定した。

「おっと、便所に行くなら今の内だ。タイラーカフェでコーヒー飲んだだろ? 大丈夫か?」

 少しだけ、このシドと言う男の人となりがクロウにはわかってきた。基本的に世話好きで過保護なようである。クロウが「大丈夫です」と言うと、シドは短く「そうか」と返し、クロウの左腕の例のコネクターを指さした。

「艦長からこのコネクターの使い方は聞いているか?」

 言いながらシドが差し出す端子は、先ほどクロウがタイラーに促されて開けてみた腕の中のコネクターにぴったり刺さりそうだ。

「いえ、体内のナノマシーンの制御に使うとかなんとか言っていた気がしますが」

 クロウが答えると、シドは「んー 間違ってはいねぇが」と言いながら、クロウの腕のコネクターと端子を接続した。

「百聞は一見にしかず、という。クロウは日系だろうから意味はわかるよな?」

「はあ、とりあえず使えばわかると?」

「然り」

 短く答えると、今度は机の奥にあるコードリール上の端末をシドは操作しだした。操作はクロウから見るとクロウの時代にもあったスマートフォンなどの画面タッチに近そうだ。実際にはシドは画面に触れてはいないが。

「今からコイツを使ってお前さんにこの時代の一般常識と、軍隊における知識、ついでにこの艦の構造と、搭載してある兵器の使い方、個人火器の使い方、その他諸々を『インストール』するぜ」

「ええっと、このコネクターを介して映像か何かが僕に見えるって事ですか?」

 クロウの問いを聞いたシドは、難しい顔をする。

「あー、そうか。お前さんの認識だとそうなるのか。もっとシンプルだぜ。こいつは知識をお前さんの脳内に『焼き付けて』記憶させる装置だ」

 と、クロウに取って何やら恐ろしい単語が含まれていた。

「あの……、何か凄く嫌な予感がするというか。とても遠慮したい気分になってきたのですが先輩」

 クロウな不安げな顔を見たシドは、どこか満足げにニッカリと笑った。

「多分、お前さんの想像と大差ないぜ。俺も初めてやった時、電気椅子かなんかの拷問器具かと思ったし、こんなバカみたいな情報量は普通一気にやらねえ」

「や、ちょ、落ち着いて話し合いませんか、先輩!」

 慌てて立ち上がろうとするクロウを、シドは左手でがっしり頭を掴んで押さえつけた。

「お前面白いな! 大丈夫だって! こんだけ突っ込んでも10分くらいで終わるって画面に書いてある!!」

「絶対それ大丈夫じゃないですよね? 大丈夫じゃないやつですよね!?」

 クロウの悲痛な叫びを他所に、シドは心から楽しそうだ。

「あっはっはっは、南無三だ! そーれ、ぽちっとな!」

 あっ、と言う間もなく、クロウの意識はブラックアウトした。

 それからどれほどの時間が経ったのであろうか、クロウの耳に遠く電子音が響いていた。まるで目覚ましのアラームのような音だった。

「おっといけねぇ、忘れかけてた。おい、クロウ生きてるか?」

 自分でクロウを電気椅子にかけておいてひどい話だ、と思いながらクロウは静かに意識を覚醒させていった。

「せん、ぱい?」

「おお、生きてる生きてる。スイッチ入れた瞬間バチッとか言ってよ。本気で死んだかと思ったけど画面が進んでたんでとりあえず続けといたわ。気持ち悪かったり、頭痛かったりするかぁ?」

「この人でなし!! いい人だと思ったけど、とんだ天然野郎だ!!」

 あまりに適当な物言いに腹を立てたクロウは、思わず本音を口走る。

「あっはっはっは、その悪態つけるなら大丈夫だぁ!! 『本番』はここからだからな!」

 と、クロウは自分の両手が椅子の手すりに粘着テープでぐるぐる巻きに固定されている事に気が付いた。

「ちょ、おまっ何してくれちゃってんの。おいこら! これ外せよ!!」

「元気いいなぁー クロウちゃーんっと。本番はこれからだって言ってるだろ、『VR』起動するから舌噛むなよ? 痛いぞ?」

 言われて、クロウは『インストール』がこれなら『VR』は何だろうと考えを巡らせる。クロウの知っている『VR』は、ヴァーチャルリアリティーの略語である筈だった。

 インストールが知識を脳内に直接書き込む事であるのであれば、ヴァーチャルリアリティーがクロウの知っているスクリーンゴーグルを付けて仮想空間を体験するような代物でないことだけは確かだった。

「絶対無理! お願い止めて先輩!!」

「や、こっちも仕事なんでな。往生しろよ後輩。あ、始まるぞ3・2・1!」

 ゼロ、と聞こえるはずの声は聞こえなかった。クロウは再び意識が暗転したのを感じた。

 遠くクロウを呼ぶ声が聞こえる。

「おーい、クロウそろそろ起きろー」

 今まさにクロウの意識を吹っ飛ばしたシドの声であった。

「おっかしいな、めんどくせぇから電気ショックとかで起こすか……」

「おいやめろっ!」

 これ以上災難はこりごりであったクロウは、慌てて上半身を起こして辺りを見渡した。

「なんだ、起きてんじゃん」

 あっけらかんと言ってのけるシドは先ほどのツナギではなく、道着と袴姿という出で立ちだった。

「え?」

 変化はそれに止まらなかった。椅子に粘着テープで固定されていた筈のクロウの体は今、仰向けに倒れて上半身を起こした状態であり、服装も入院着ではなくシドと同じ道着に着替えられていた。

 床は固い板敷きでぐるりと辺りを見渡せば、クロウがよく知る剣道場に似通った建物の中らしかった。

 簀子になっている天窓から日の光が差し込んで道場内は明るく照らされていた。

「先輩が運んで着替えさせたって訳じゃ無いんですよね?」

「お、思ったより冷静だな。まあ胡坐でいいから座れよ、説明すっから。これがこの時代のVRだよ」

 それはヴァーチャルリアリティーと呼ぶには、あまりにも現実感のある光景だった。視界に広がる道場にも、目の前に何事も無かったかかのように正座で座るシドも、視覚的な違和感は一切ない。

 耳を澄ませば風に木々がなびき葉を揺らす音や、鳥がさえずる声さえ聞こえた。

 鼻孔からは道場特有の木材の香りがかすかに感じ取れ、手を付いた床の感触は冷たく木の板の手触りまである。

「お前にはこのステージが落ち着くだろうと思って、お前がインストールしている間いい感じの道場のステージを探していたんだぜ?」

 静かにシドは語り掛ける。その呼吸音さえも聞こえるこの空間が現実以外のものであるとはにわかには信じがたかった。

 ためしにほほをつねってみるが痛覚さえも再現されていた。

「で、インストールは済んだはずなんだが、落ち着いて『この時代の一般常識』について思い浮かべてくれ」

 言われて、クロウは単純に一般常識を思い浮かべようとした。一瞬ジリッと頭痛を感じたが、それ以降はスムーズに『思い出す』ことができた。

「今は宇宙歴3502年1月11日。この時代に曜日と言う概念は薄く、一般的に使用されていない。『第一世代人類』は何ら人工的な措置を受けていない人類の総称であり、現在においてその数はほとんど存在しない。宇宙に進出する際無重力に適応するため人体に機械的な改造を施した人類を『第二世代人類』と呼ぶ。宇宙歴初期はこれらの『第二世代人類』が主流であったが、過度な人体改造は人類から人間性を失わせ、軍事的に兵器を人体に搭載されたものが犯罪を起こした際に未曽有の被害を生むなど社会的な問題を引き起こした。宇宙歴100年から300年にかけ、段階的に『第三世代人類』へと移行が政府として実行され、現代では『第二世代人類』のような人体に武器・火器を装備することは法的に禁止されている」

 知りもしない知識が、自然とクロウの口から流れるように声に出た。

「『第三世代人類』はその人体内にナノマシーンとそれを制御・生成するための人工臓器を持つ人類である。『第一世代人類』として誕生した人間に対し、人工臓器を移植することによって容易に施術が可能であり、通常二次成長期途中の人体に移植され、特に成長には影響しない」

 脈略もなく話しているクロウに対してシドは「いい感じだ」と笑う。

「『第四世代人類』についてはどこまでわかる?」

「『第四世代型人類』は、ナノマシーンを生成するための人工臓器を遺伝子的に有する人類である。現在の地球連邦の主流は『第三世代型人類』であり、『第四世代型人類』は大きく2つの方法で生成された。一つは『第三世代型』から後天的に施術を受け『第四世代型人類』となったもの、もう一つは元より『第四世代型人類』となるために遺伝子からデザインされて誕生した『フォースチャイルド』と呼ばれるもの達である」

 シドはにっこりと笑う。

「正解だ。そしてその『フォースチャイルド』達を人工的に誕生させ、育成させる過程で生まれたのが、この『インストール』と『VR』という技術だ」

 フォースチャイルドは、現在つくば型学園都市型超弩級宇宙戦闘艦にのみ存在が確認されている。遺伝子から人為的に誕生させた言わば両親を持たない人造人間だ。

 その総数は連邦政府により秘匿とされており、軍属であっても確認できる総数は『つくば型』の3艦に配属されている約1万人である。『つくば型』3艦を建造する決定がなされた3490年、つくば型乗組員とする目的で『フォースチャイルド』を製造する『フォースチャイルドプロジェクト』は始動した。

 つくば型が完成し、就航した3499年までその存在は連邦軍上層部にも秘匿とされ、『フォースチャイルド』を知る者と、そうでない者の間で『つくば型』乗組員に対する齟齬が生じた。第三世代人類から第四世代人類に改造手術を受けた士官候補の学生を乗艦させる案と、当初の計画通り『フォースチャイルド』を乗艦させる案である。

 『フォースチャイルド』達は専用の培養槽で育つため、その実年齢が5歳にも関わらず通常の人類の15~16歳の肉体的成熟を見せていた。その肉体的成長に合わせて知識、経験を効率的に学習させる目的で『インストール』と『VR』の技術は誕生した。

 結果的に、つくば型乗組員には通常の第四世代人類と『フォースチャイルド』を均等に乗船させることとなり現在のような形となった。

 第四世代人類の保有するナノマシーンと『フォースチャイルド』が保有するナノマシーンは全く同一のものである。従って、第四世代人類が先ではなく、『フォースチャイルド』が先なのである。

 そのため、第三世代人類から第四世代人類への改造手術を受けた者であってもインストールとVR技術は使用可能であった。

「じゃあ、今度はインストールとVRの違いは何だかわかるかクロウ?」

 頭を振るクロウにシドは質問を続ける。

「インストールは知識を習得させる技術で、VRは経験を疑似体験させる技術ってことですか?」

 次々と流れる関連する知識の中から、クロウは自分の言葉で説明する。

「お、慣れてきたか、そうだ。その通り」

 『フォースチャイルド』の肉体がいくら早く成長するとは言っても、その肉体年齢に合わせた経験をさせていたのでは、知識はあっても、情緒や精神的な成長が伴わない。

 そのためVR技術では通常の時間経過よりも脳内で早く経験を認識させる事で、短期での圧縮教育を可能とした。

「今、この空間では、通常の1秒が1分に感じられるようになっている」

 シドのそんな言葉を聞いて、昔、そんな不思議な部屋が存在する少年漫画を読んだことがあるな、とクロウは思い出していた。

「つまり、この空間は60倍の速さで現実を仮想する世界ってことですね」

 先ほど艦長室でタイラーが言っていた60倍とは、このことだったのだ。とクロウは理解した。

「呑み込みが早くて助かるぜ、今時計を表示してやる」

 と、シドは腕を振って空中に現れたアイコンを操作しだした。

 少し間があって、クロウの視界の右上端にデジタル表示の時計が表示された。まるでテレビの報道番組が放送されている間に表示されている時刻表示のようだ、とクロウは思った。違うのは自分の視覚の中に直接表示され、何処を向いても時刻を知覚できるという点だった。

「現在時刻は15時32分11秒。これから19時まで付き合ってやる。さて、どれくらいの長さかわかるか?」

 1秒が1分になるという事は、1時間が60時間になるという事だった。おおよそ3.5時間あるので60倍であるこの空間での体感時間は210時間。日数に換算すれば丸8日以上だった。

「この空間では寝る必要も、食事をとる必要も、排せつする必要もない。『フォースチャイルド』の培養液に漬かってる訳じゃあないから無限は無理だが、こうやって訓練時間を60倍に出来るって訳だ」

「血反吐を吐くっていうのはこういう意味だったんですね」
 ようやく、クロウは理解した。この空間から脱出するには、この目の前の男の指示する通りにこの時間感覚の中で彼の指定する訓練をするしかないのだ。

「安心しろ。疲労もない、痛覚はあるが殺されたって死にはしない。死ぬほど痛いがな」

 さあ、と声を掛けながら、シドはすくっと立ち上がる。

「さあ、立て。最初の体感時間24時間はみっちり軍隊における『集団行動』だ! 楽しいぞぅ! 敬礼の仕方からみっちり仕込んでやる!!」

 時計を見ると、この空間の時間の外にこの空間の時計が追加された。時刻は0時0分0秒からいつも感じる通りの体感時間で進行している。外の時刻は15時32分13秒になったところだ。クロウは意を決して立ち上がった。

「よ、よろしくお願いします!!」

しおり