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10話 ダッキング&ウィービング

「うおおおおおっ! ジョーンさんっ! そこだああっ! どつきまわせえっ!」

 号泣しながら拳を振り上げて絶叫する俺は今、ジョーンさんの試合を見にきている。

 検定試験に向けて、実際の拳闘試合を肌で感じる為と、闘技場に連れて来られたのだ。
 もちろん、教官の引率付きである。

 メンバーは、俺にカトルにトール。
 シタールはと言うと、実はあいつは俺達よりも一つ年下の11歳だったりするのでお留守番だ。

 ジョーンさんの相手は16歳の新人拳闘士であった。

 序盤は経験で勝るジョーンさんが相手を圧倒していた。
 緊張する新人に対して、いぶし銀の戦い方を見せるのだが、中盤から徐々にスタミナの勝る新人が盛り返してくる。
 終盤には足を止めての殴り合いになり、お互いボロボロのフラフラになりながら拳を振り回し合っていた。

 そして、最終的に膝を突いたのは新人の方であった。

 ジョーンさんが雄叫びを上げながら右拳を天に突き上げ勝ち名乗りを上げると、観客達はスタンディングオベーションで拍手喝采。
 やはり、手数の多い殴り合いの試合になると観客達も沸くというわけだ。

 俺がジョーンさんの拳闘士としての生き様、戦い振りに感涙し嗚咽を漏らしていると、呆れ顔でカトルが話しかけてきた。

「そ、そんなに感動したのロイム?」
「あったりめえじゃねえか。おまえらはジョーンさんのあの姿を見て胸を打たれなかったのか?」
「ま、まあ確かに、すごい試合だったと思うけど」

 ちっ、これだから女ってのはわかってねえぜ。

 肉体的にはもう限界の来ているジョーンさんが、精神力だけで立ち続けて最後までパンチを出し続けた。
 そんな姿を見てボクサーである俺は、ジョーンさんに対し憧れを越えて崇拝の念すら覚えたよ。

 きっとジョーンさんも、目の事は薄々気づいていたんだと思う。
 網膜剥離という病名を知らなかったとしても、いずれ視力が落ちてしまえば引退するしかないこともわかった上で、拳闘士を続けていたんだ。

 実はジョーンさんは、一度解放奴隷になったらしい。
 しかし、ジョーンさんは再びこの舞台に、闘技場と言うリングに舞い戻って来た。

 現代でも一度引退を決意したボクサーが、再びリングの上に戻って来ると言う話はよくあることであった。
 それだけ、ボクシングと言う競技、そして勝利という美酒は、麻薬のような中毒性があるのだ。

 一度でも、ボクサーとしてそれを味わってしまったら、そうそうそれを諦めることが出来なくなってしまう気持ちは、タイトル戦を中途半端に終わってしまった俺には痛い程わかる思いであった。


 というわけで。



「おまえらには、ちゃんとした防御(ディフェンス)を教えたいと思う」

 施設に戻った次の日、俺はジュニア組を集めてそう告げる。

 皆は、「でぃふぇんすぅ?」といった具合に、また俺がわけのわからないことを言いだしたと眉を顰めた。

「俺は昨日、ジョーンさんの試合を見て確かに、ノーガードで殴りあう試合というのは、観客から見ればそれは楽しい試合であるのは間違いないと思った」
「そりゃそうだ。拳闘の試合を見に行っているのに殴り合いをしなかったら、賭け金を返せって言われるぞ」
「おまえの言う通りだシタール。正式に拳闘士になれば俺らもプロだ。だから当然、ある程度は観客を楽しませる義務ってのも発生してくる」

 しかし、それはあくまでルールの範囲内で試合を滞りなく行う中で、と言う意味である。

 選手だって生活がかかっている。
 試合を盛り上げる為に毎回ボロボロになって、その所為で選手生命を縮めてしまっては本末転倒だ。

 だからこそのディフェンスである。
 少しでも長く現役を続けたいのであれば、なるべく相手の攻撃は貰わずに自分の攻撃を当てられるに越したことはない。

 俺は、ジョーンさんの戦いを見てそれを痛感したのだ。


 と言うわけで、さっそく思いついた訓練を実施する。


 3メートル間隔で木の棒を3本立てると俺はその間にロープを張った。

「よーし、じゃあ全員集合~」

 俺が手を上げながらそう言うと、ジュニア組の皆が集まってくる。

「今日は、拳闘における基本的な防御動作。ダッキングとウィービングを教えます」

 もう皆、俺が聞き慣れない言葉を使うことへの突っ込みは意味がないと思ったらしく、大人しく説明を聞いている。

 ダッキングとは、上体を落とし相手のパンチを避ける、ボクシングの基本的な回避動作のことだ。
 要するに屈んでパンチを避けると言う動作であるが、ボディブローやアッパーへも繋げることのできる動作なので、これが使えなければお話しにならないと言ってもいいだろう。

 
 次にウィービングである。

 これは上体を、上下左右に揺らして相手に的を絞らせないと言う防御技術である。
 ウィービングはダッキングに足の動きを加えるようなイメージだとわかりやすいかもしれない。

「いいか、上体を低くするときには腰を曲げるんじゃなくて膝を落とすように、そして絶対に下を見ないようにすること! ちゃんと前を向いて相手を見据えるんだ」

 俺の言う通りに練習を始める皆。
 ピーカブースタイルのまま、膝を曲げて上体を低くしては元に戻ると言う動作を繰り返す。

「なあ、これなんの意味があるんだ?」

 適当にやっているシタールが不満を漏らし始めたので、俺は無言でジャブをシタールの顔面にぶち込んでやった。

「てめっ! なにすんだいきなり!」

 次に俺はカトルに向かってジャブを放つのだが、ダッキングでそれを躱された。

「これが、防御だ」

 シタールは振り上げた拳を下ろすと、渋々と練習を続けるのであった。

「よーし、次に教えるのはウィービングだ。今から俺が手本を見せるからよく見るように」

 そう言うと俺は、先程張ったロープの前に立つ。

 そして身体を左右に振りながら前へ進むと、Uの字を描くようにロープの下を潜り抜けて進んだ。
 我ながら非常に練度の低いウィービングである。
 何度か頭をロープに擦ってしまった。

「いいか、これをやりながら走り抜けられるようになるくらい、繰り返し繰り返し同じ動作を行って身につけるように」

 全員が目を丸くして、俺のことを見ている。
 やっぱり実践してやるのが一番だと改めて思う。


 2時間程、ダッキングとウィービングの練習をすると、皆もう膝がガクガクになっていた。
 それでもこんだけ続けられるのは、毎日の走り込みの成果でもあるだろう。

 しかーし! 防御訓練はこれだけではない。

「最後に、皆にはこれをやってもらう!」

 俺は1メートルくらいの縄を一人一本ずつ配ると、俺も自分の分を手に持ち縄跳びを始めた。

「な、なにやってんだおまえ? 遊んでんのか?」

 今度こそ、シタールは呆れ顔で尋ねて来るのだが、俺は真面目な顔で答えてやった。

「縄跳びはリズムとフットワーク、そして手首(リスト)を鍛えるのに最適な訓練なんだぞ! 見よう見まねでいいからやりなさいっ!」


 そして俺達は、皆でぴょんぴょん仲良く縄跳びをするのであった。

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