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11話 森の王者①

 俺が転生してから150日が経っていた。
 元居た世界の暦で言えば、約5ヶ月である。

 暑さも和らいできて季節はすっかり秋めいてきているが、実際のところはよくわからない。
 このまま冬が来るような世界であれば、布切れ一枚しか着ていない俺らは間違いなく凍死するだろう。

 それはさておき。

 日々のトレーニングも捗り、俺達ジュニア組はかなり腕を上げて来ていた。

「ロイム、ぼくのじゃぶみて~。うちゅべしうちゅべしっ!」

 そう言いながら俺の太腿にバシバシ拳を当ててくるチビすけ。
 一番年下のチッポと言うのだが、すっかり凶悪なジャブを打つようになって末恐ろしいガキだ。

 皆、俺の課した一通りのメニューをすっかり熟せるようになっていた。
 腹筋を鍛える為に、水が満タンに入った大きな樽を腹の上に落とした時には、全員悶絶しながらゲロを吐いていたのに、よくあんな無茶苦茶なトレーニングに耐えたものである。

 それにしても……。

 俺はこのトレーニングに若干の物足りなさを感じていた。

 ミット打ちとスパーリングをしたい!

 この二つは、試合勘やパンチを当てる感覚を養う為にも、欠かせないものである。

 特にミット打ち。
 これはただ単に、適当に構えたミットにパンチをすればいいと言う物ではない。
 トレーナーが構えた場所に的確にパンチを当てて行く、それを瞬時に行わなければならないのだ。
 そしてミットを構えるトレーナーは、対戦相手の癖や特徴を見ぬき、攻撃を組み立てている。それを何度も繰り返して体に覚え込ませるのである。
 ミットの上手いトレーナーの指導を受けた選手は、例外なく強いボクサーに育つと言っても過言ではないだろう。

 とは言っても、この世界にはそんなミット持ちの上手いトレーナーなんているわけがないので、俺は適当にシャドーをするしかないのであった。

 ちなみにシャドーボクシンに関しては、どんなに説明しても誰も理解できなかったので、これは俺だけがやっている練習メニューである。

 そんなこんなで朝練の時間も終わり昼飯の時間になろうかと言う時に、ある事件が舞い込んで来た。


「だ、脱走だあああああああああっ!」


 脱走だと?



*****

 昼飯も食わせて貰えずに拳奴が全員練習場に整列させられる。
 腹が減ったと皆でブーブーと文句を言っていると、教官が怒鳴り散らした。

「いいかあっ! これから脱走犯の捕獲に山に入る!」
「脱走犯ってなんだよっ! それより昼飯を食わせろよっ!」

 年長の奴が文句を言うのだが張り手を喰らって黙らされていた。

 それにしても脱走犯ってなんだ? 奴隷の誰かが逃げたのか?

 奴隷の逃走は死罪確定の重罪である。俺がロイムの身体に入ってからは一度も聞いたことがない。
と言うのも、罰が厳しいからというよりも、あまり意味がないからってのが大きい。
 強制労働をさせられているのならまだしも、普通に働かされているだけで、衣食住も賄われて給料までもらっているのだ。
 はっきり言って住み込みのバイトと大して感覚は変わらない。
 まあ飯は麦飯と硬いパンに、葉っぱのスープとか芋煮ばかりで、肉なんて一ヶ月に一回くらいしか食えないのだが。
 そんなんで筋肉を付けろなんて結構な無茶苦茶なことを言う物である。

 とにかく俺達の主人であるマスタングは、人は財産であり、労働力は金を生み出すという事をよくわかっているらしく、奴隷のことをぞんざいに扱うような人物ではないということだけはこの5ヶ月でわかった。

「で、脱走犯って誰だよ?」

 殴られた年長の奴がそう尋ねると、教官はニヤリと笑って答えた。

「豚だ」


*****

 俺達は今、山狩りをしている。
 老朽化した柵を破り、農場を脱走した豚約20匹を生け捕りにしろと言う命令であった。

 豚とは言っても、俺らが想像するような食用の豚ではない。
 見た目が一番近いのは猪。猪豚だろう。
 デカい奴になると体長が2メートルくらいの奴も居る。あいつらには鋭い牙もあるし、そんなのに突進されたら怪我だけではすまない。

 と言うわけで駆り出されたのが拳奴達である。

 こういう荒事は、腕っぷしの強い拳奴達に任せるのがこちらの習わしであった。

「おーいガキ共ぉ。おまえらは子豚を捕まえろよぉ。いいかぁ、デカいのを見つけたら大人に報せるんだぞぉ」

 遠くでそう叫んでいるのはジョーンさんであった。
 何でもいいけど、豚に気付かれるから大声を出すんじゃねえと、全員で突っ込みを入れてやった。

 俺達ジュニア組も手分けして豚を追った。

 俺とシタールとカトル。
 この三人で組むと山に入り豚の後を追う。
 豚どもは逃げるよりも食う方が優先するアホなので、茸や木の実などを食い荒らした痕を追って行った。

「それにしても脱走犯だなんて、本当に誰かが逃げたのかと思ってドキドキしたよ僕」
「まあはっきり言ってそんなことは意味がないからな。うちでは逃げ出す奴なんてそうそう居ないだろう」

 俺とカトルがそんな感じで話していると、シタールはなんだかつまらなそうな顔でブスーっとしていた。

「どうしたんだよシタール?」
「べつにぃ……」

 そう答えるとシタールは先に行ってしまう。
 きっと飯も食わずにこんなことをさせられていることに、腹を立てているのだろうと思った。

 そして山を捜索すること30分程で俺達は一匹の子豚を発見する。

「ロイム、居たぞ、チビだ」
「あぁ、俺が左、カトルが右から行くから、捕まえるのはシタール、おまえに任せたぞ」

 シタールが親指を立てて答えると、俺達は散る。
 そして、俺とカトルが左右から豚を追いこむと、シタールが子豚に飛びついて簡単に捕獲することができた。

「ぎゅーっ ぎゅぎゅーっ!」
「あいてて! くそっ、暴れんじゃねえこの豚野郎っ!」

 シタールの腕の中で暴れる子豚。
 もしかしたら、こいつは自分の辿る運命をわかっていて、これだけ必死に抵抗しているのかもしれない。
 可哀相だと思うがこればっかりは仕方がない。俺達はこうやって別の生き物のを命を頂いて生きているのだ。
 俺は子豚を見ながら「ゴチになります」と手を合わせるのであった。


「とりあえず捕まえたし帰ろうか?」

 カトルがそう言った瞬間、俺はなんだか嫌な気配を感じた。
 これは、野生の勘とか言うか、なにか殺気にも似た気配である。

 それを感じた背後を振り返った瞬間、俺は戦慄した。

 2メートルはゆうに超えるであろう巨大な熊が、息を荒げながら俺達のことを見下ろしていたのだ。

「しゃがめっ!」

 俺が叫んだ瞬間、全員が頭を下げる。

 間一髪、熊の鋭い爪が頭上を通過した。
 考える間もなく次の攻撃が来る、皆必死にその場を転げ回り、熊の突進を避けている。

 なんだってこんなことになったんだ。熊が出るなら言っておけよ馬鹿大人どもっ!

 はっきり言って熊の動きは早いなんてものじゃなかった。
 ツキノワグマは時速50㎞で走るってテレビで見たことがある。デカい方が早いってのも聞いたことがあるし、目の前の熊は見た目がヒグマくらいある。
 俺達子供の足で山道を熊から逃げ切ることなんて到底できはしないだろう。

 突進してくる熊を俺はギリギリで躱すと、熊は前方の木に頭から突っ込んでフラフラしていた。

 その隙を見て俺は覚悟を決めると、カトルとシタールに向かって叫んだ。

「俺が時間を稼ぐっ! おまえらは大人を呼んで来い!」
「なにを言っているのロイム! そんなの無茶だよ!」
「いいから行け! 俺なら大丈夫だ、おまえらが居るとかえって邪魔なんだよっ!」

 カトルがその場に留まろうとするのを、シタールが腕を引っ張って強引に引き摺って行った。
 ああ見えて、土壇場で決断力のあるシタールのことを俺は見直した。

「カトルのことを頼むぞ……さてと」

 俺は熊の方に向き直るとファイティングポーズを取ってステップを踏み始めた。


「大人達が来るまで、遊んでやるぜ熊公っ!」


 続く。

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