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1.始まりはいつだって突然だ

 きっかけは些細な事だった。

 暇つぶしに寄った本屋で、ちょっと気が向いただけだった。

 天城(あまぎ)征路(せいじ)にとって、物語創作のハウツー本はそれくらい縁遠いものだった。

 いや、縁遠いという言い方はちょっと違うかもしれない。実のところ天城は物語創作として分類されるものに目がなかった。ジャンルは何でもいい。小説だって漫画だってアニメだってドラマだって映画だって、なんだって天城にとっては興味の対象だった。

 そう、だったのだ。

 天城は思う。最近はどうにも面白いものがない。別に懐古主義者になったつもりはないが、ここ最近「これだ!」と思うようなものが減ったような気がする。本屋にも随分長い間行っていなかったし、時間を持て余しでもしなければ、きっとこれからも入る事は無かっただろう。

 そんな天城にとってすっかり色あせた本屋の中で一つ、存在感をはなつ本があった。


「これだけで売れっ子作家!物語の作り方」


 嘘っぱちだと思った。

 天城は知っている。

 この手の本は大体アテにならない。

 何も見当違いの事を書いている訳ではない。しかし、余りにもその説明が断片的なのだ。円を作図せよと言われて正多角形を描いているようなものだ。その角数が多くなればなるほど、確かにその形は円に近くなっていく。それでは駄目なのだ。天城から言わせてみれば、その「限りなく円に近くなった正多角形ですらカバーしきれない部分」こそが重要なのだ。

 だからこそこの手のハウツー本は大体嘘っぱちだと思ってるし、目を通すことも無かった。

 今になって思えば魔が差したのかもしれない。

 その時、天城は何故か手に取ってしまったのだ。

 ほんのちょっとの興味で。一体どんな見当違いな事が書いてあるんだろうと思って。

 その結果が、

「だからさぁ、これ書いた人と会わせてくれって言ってるわけ。分かんないかなぁ……」

 これである。

 天城はその本を書いた編集者が所属する出版社に直接出向いていた。

 一言文句を言う為に。

 勿論アポも何もなしに。

 だから、

「ホントにちょっとだけでいいから、」

「お引き取り下さい」

「そこを何とか」

「お引き取り下さい」

「ケチ」

「申し訳ありません」

「…………厚化粧」

「あ、もしもし。警備会社ですか?今ちょっと不審者が」

 逃走。

 天城は受付を離れる。そのまま退散しても良かったが、どうせ警備会社に連絡するフリだろうし、このまま帰ればあっさり負けたような感じがして嫌だったので。同階の休憩スペースへと避難する。

「おーこわ……自覚あんのかな、厚化粧」

 既に視界の外となった受付嬢の方を眺めるようにしながら備え付けの椅子に座、

「きゃっ」

 ろうとして何かにぶつかる。しまった。誰かが座っていたらしい。天城はすぐさまそっちを向いて軽く頭を下げ、作りに作った笑顔で、

「すみません。ちょっと考え事をして……いまして」

 固まる。視界に映った少女の表情も固まっている。

 やがて少女の時が動き出し、

「お前、あれだ。天城だ。同じクラスの」

「…………人違いじゃないでしょうか」

 少女もとい久遠寺(くおんじ)文音(あやね)は、

「嘘つけやコラ。天城だろ、天城征路。あと、お前そういうキャラじゃないだろ。知ってんだぞ」

「…………チッ」

「おい、舌打ち、聞こえてんぞ」

「聞かせてんだよ」

「うるさいわ。当ててんのよみたいに言うな」

「それより、お前こそいいのか?そのキャラで」

「あん?」

 軽くため息。

「別にいいだろ。お前はどうせ知ってるわけだし」

 そう言って後ろ頭を掻く。そんな仕草は普段見られないものだ。

 大体からしてまず装いが違う。久遠寺文音といえば学年一の美少女として名高く、一年生の時からその名前は有名で、同級生のみならず、上級生からもよく告白をされ、その度に久遠寺が「ごめんなさい」と頭を下げて断るという出来事が一時期定期イベントのように開催されていた。普段から姿勢は良く、茶色がかった長髪はどんなときでもサラサラで、制服だって大抵の人が止めないようなボタンまできっちり留めているほどだ。

 それが今はどうだ。パンツルックで椅子の上にどっかりと胡坐をかき、髪は最低限整えてはいるが、寝癖のようなものがちらちら見える。ボタンをきちんと留めるどころか、上はそもそもボタンも何もないパーカーだ。下に着ているものも適当かもしれない。それに加えて、普段は一切かけない眼鏡をかけている。受ける印象は学校とはまるで正反対だが、こっちが久遠寺の素であることを天城はよく知っている。

「で、久遠寺がなんでこんな所にいるんだ」

 久遠寺はすかさず、

「それはこっちの台詞。天城だってこんなところに来るとは思えないけどね。何しに来たんだよ?」

 一瞬「質問を質問で返すな」と一喝してやろうかと思ったが、それをすると何も答えてくれなくなりそうだと思い、

「これだ」

 手元の本を久遠寺に見せる。

「あ、それ!」

 存外に食いつきがいい。

「そう。これだ。なんだ、知ってるのか」

 久遠寺がニッと自信ありげに笑い、

「そりゃ知ってるともさ。私がここにいるのもそれがあったからだからな」

「マジか。こんな近くに同士が居るとは思わなかったぞ」

「いやぁ、居るだろ。何せその本は」

最高(最低)だからな……ってちょっと待てやコラ」

 胸倉を掴まれた。なんでだろう。事実を言っただけなのに。そういえば今久遠寺は、

「え、最高?」

「そうだよ。なんか文句あんのか」

 じっとりとした視線が天城を襲う。それでも、

「いや、文句はない。久遠寺に対しては無いがこの本には文句が腐るほどある」

「じゃああるんじゃねえか」

「というか、久遠寺はこれを読んだのか?」

「まあ、そうだな」

「それで、最高だと」

「そういう事になるな」

「つまり、久遠寺は何らかの物語創作をしていると」

「……あ」

「そしてここに居るという事は、実際にそれを見てもらいたくてきたという事かなるほど。と、いうことはそこに置いてある紙袋にぎっちりと詰まっているのは、久遠寺がこれに大いに影響を受けて、一生懸命書いたくるしいくるしいしまってるしまってる周りの人皆こっち見てるから」

 久遠寺ははっとなって回りを見渡す。数は少ないが、休憩スペースに居たおおよそ全員が二人の動向を見守っている。久遠寺はぱっと手を放し、荷物を纏めて、そそくさと休憩スペースを後にしようとする。天城はそれを追いかけ、隣に並んで歩きながら、

「いやぁ、面白い事もあるもんだ。まさか天下の久遠寺がなぁ」

 無視される。天城は続ける、

「学校ではいっつも皆に愛される美少女キャラを演じて、ちやほやされるのを楽しんでいる久遠寺が、ある日、本屋で見つけたありがちなハウツー本をちょっと手に取ってみたらすっごい衝撃を受けちゃって。自分の目指すべきは小説家だ。これでみんなにもっとちやほやされるんだって勘違いして、うっきうきで買って帰って、その勢いで執筆して、何を間違えたのかアポもなしに出版社に持ってきて、門前払いを」

 ガシッ。

「見てたのか?」

 顔を鷲掴みにされる。その顔は眉間に力が入っている反面心なしか赤みが、

「見てたのか?」

 天城は小さく首を横に振る。

「じゃあなんでそこまで分かる」

 久遠寺は掴んでいた手を放す。天城は両手をひらひらとさせながら、

「別に分からないが?」

「なっ」

「分からないが、単純に考えられる中で一番可能性の高いパターンを並べただけだ。久遠寺は普段本を読んでいる事が多い。それが単なる見せかけである可能性も考えられなくはないが、割と他の女子から「これ、文音に勧めてもらったんだけど、面白いんだよね~」みたいな声を聞くから恐らくはちゃんと読んでいるんだろう。そして、このハウツーはどうも読書好きを書き手にしたがっているフシがある。そんな本を絶賛する。そして、いつも本を読んでいるとなればまあ、これをたまたま見つけて、可能性を感じたと考えるのが妥当だろう。次に、」

 久遠寺が手でまったをかけて、

「もういい」

「そうか?ここからが面白いと思うんだが」

「私は面白くない。まったく……」

 大きくため息をついて、

「あんたさぁ」

「なんだ」

 久遠寺はきっと天城を見つめて、

「そんなに言うんだったら、読ませてやろうか、これ」

 ずいっと、手に持っていた紙袋を差し出す。

 天城はそれを眺めつつ。

「これを……読んでどうするんだ」

「決まってるだろ。認めさせてやるんだよ。あの本は間違ってなかったって」

「そういう事か」

 考える。正直な所、ハウツー本に対する評価を改めるつもりは無かった。しかし、あの本を絶賛し、それに(恐らくは)影響されて書き始めたという久遠寺の小説にはいささか興味があった。今思えば久遠寺本人に対する興味だったのかもしれない。

「いいだろう。ほれ」

 手を差し出す。久遠寺は何事かという目で、

「何それ?」

「いや、だから読むから。渡してくれ。ああ、別に全部である必要はないぞ。ここに持ってきているという事はあらすじくらいは書いているのだろうから、それと、そうだな……最初の数ページ。展開が変わるまでで良い」

「何でよ」

「取り敢えずの足切りにはそれで十分だからだ」

 久遠寺の表情は更に険しくなり、

「足切りする前提ってわけか。こんにゃろう」

 雑な扱いで紙袋から原稿の一部を取り出して、

「ほら。どこまでとか調べんのめんどいから、取り敢えずこれ、頭から。あらすじは最初んとこにあるから」

「よっ……と。了解」

 天城は受け取った原稿をぱらぱらとめくる。エントランスから伸びる一つの廊下。その端っこでひたすらに紙をめくる。時折人が通り過ぎる。こつこつという足音が良くひびく。

 どれだけ時間がかかっただろう。あらすじを読み、本文の最初数枚を読み終わった所で天城は、

「……っはっはっはっはっはっはっはっ!」

 久遠寺は腕まくりをしながら、

「殴っていい?」

「それはやめてもらいたい」

「じゃあ、笑うなや」

 久遠寺の表情に陰が差し、

「え、なに、笑う程駄目ってこと?」

 天城は首を振り、

「いや、そういう意味じゃない。久遠寺。もしかしてアニメも見るな?」

「なっ」

「やっぱりか。いや、多分そうだろうと思ったんだ。今流行ってる……流行ってたというべきか?アイドルアニメと近い話だ。ただ、それに似せすぎるとパクリになる。だからそれを必死に避けて、それでもなお寄せようとしたのだろう?だから話が歪だ」

「な、な、な」

「どうした」

「なんで……なんで、分かるわけ?」

 天城は原稿に視線を落としながら、

「それくらい分かるだろう。これだけ露骨ならな。もっとも、同じようなやり方をしているラノベも世にはあるみたいだがな。あれだって俺から言わせれば劣化コピーにすぎん」

 天城はそう言いつつも原稿をぺらぺらとめくる。

 久遠寺の書いてきた原稿は良いところと悪い所がいくつかあった。

 悪いところはもう久遠寺に説明した通りだ。久遠寺は恐らく一つの有名作品が好きなのだろう。それを見て、憧れた。そこまではよかった。

 しかし、それをコピーしてしまった。そして、それだけならパクりだ。だから無理やり弄った。でもそれが出来なかった。コピーしないと近づけない作品は、どこが削っても良くて、どこが削ったら駄目なのかの判断が付かない作品だ。だから、何だか歪な話になってしまっていた。

 勿論いいところもある。まず文章が綺麗だ。流石にいつも読書にいそしんでいるだけはある。語彙が豊富で、かつ読みやすい、良い文章だ。ここだけは間違いなく誇っていいはずだ。
   
そして、

「こいつは」

「な、何?まだ何かあるのか」

「この主人公。この子は久遠寺が考えたのか?」

「そ、そうだが」

 天城は再び原稿に顔を落とす。主人公の少女は極めて打算的だ。アイドルだなんだという事を人気や金の為としか考えていない。普通に見ればライバル役になるようなキャラだ。本来ならば気にするようなキャラでは無いはずなのだ。

 そのまま、ならば。

 彼女が実際の活動には真剣だという描写がなければ。

 彼女が裕福な家庭出身で、金銭的な不自由は全くないという設定でなければ。

「……一つ、提案がある」

「提案?何」

 天城は原稿から顔を上げ、自信をたっぷり塗りたくった笑顔で、

「俺と手を組め。覇権(てっぺん)を取るぞ」

 そう宣言した。
 

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