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 時は、エリーとイレインがパン屋に向かうところから半日程さかのぼる。

 それはまだ明け方も遠い深夜の出来事。

 冒険者ギルドや商業ギルドから少し離れた住宅街の中。

『スバルのパン屋』では、もう仕込みの為に灯りが奥の窓から漏れ出ていた。

 夜半に何事と思うこともなく、他の地区にもパン屋があるので近辺の住民は、この店にとやかく言う事はない。

 むしろ、冒険者以外にも美味しいパンを提供してくれてるあの少女のような見た目の青年に感謝するばかりだ。

 同じように、夜半から勤め先に出向く者は思う。

 今日もまた、どんなパンを作っているのだろうかと。

 そんな期待を集められている、パン屋の店主スバルは店の中で大きな寸胴鍋と向かい合っていた。


「……………………うん、頃合いかな?」


 持っていた木ベラで鍋の中身を少し掬い上げると、ほんのり紫がかった黒いどろどろした何か。

 その何かを、スバルは調理台に置いてた小さなスプーンでヘラから少しこそげ取り、迷わず口に入れる。


「……んー、もうちょっとかなぁ?」


 渋みはいいが、甘みがいまいち。

 しかし、このどろどろした状態で使うわけではないので、付け足すのはやめておくことにした。


「ここから、火加減との勝負……と」


 強過ぎず弱過ぎず、火を加減させて木ベラで根気よく練っていく。

 ある程度、どろどろが無くなってきたところで小皿を手に取るが少量の水があるようにしか見えない。

 しかし、スバルは木ベラで少し皿を掻くと、鍋の中身よりもどろっとした液体が、ゆっくりと落ちていく。

 そして、迷わずその液体が全体に行き渡るように混ぜ、水気が完全になくなると丸めやすい固形に変化した。


「餡子出来た!」


 鍋で作ってたものの正体は、菓子パンに使う『餡子』。

 スバルが元いた日本や隣の中国大陸では主流の、国を代表する菓子の材料でもある。

 スバルは生粋のパン屋で育ったが、日本は菓子パンの代表格にあんぱんも存在する国。それ故に、彼の祖父は知人の和菓子職人からパン用にと開発してもらい、息子や孫に伝えるまでに出来るようになった。

 その関係で、スバルも仕込みである程度の餡子を作れるようになり、今現在異世界で役立てている。


「この世界に来て作れるとは思わなかったけど、和食文化の国の『白鳳(はくほう)国』ってどんなとこだろ?」


 鍋を火から下ろしつつも、また考えてしまうこの世界での異国。

 ヴィンクが言うには、白鳳の文化は和食ではあるが何故か味付けは洋食に近く。服装は古い中国服と言う不思議な文化圏らしい。

 しかし、仕入れられる食材の大半は醤油や味噌、小豆に大豆と日本の和食材が貿易で手に入るとか。

 このアシュレインの街や他を束ねる『クノーテン王国』は白鳳には比較的近いので、文化の一部も受け入れられてるが主に道具や食文化くらい。

 だから、和食の見た目なのに味付けが洋食だろうと、ヴィンクスは説明の時にぼやいていた。

 そこまで思い出すと、スバルは一つため息をつくのも、餡子を仕込むようになって習慣になってきた。


「あーあ、酒種(・・)作れたらなぁ」


 欲しくても、いくら近隣でも、あれだけが貿易の関係のせいか手に入りにくい。

 清酒は手に入るのに何故としか、疑問に思ってもヴィンクスも探すと言ってくれてからまだ返事がないのだ。


「……またそのため息か?」
「あれ、もう起きてきたの?」
「…………良い匂いがして」
「ふふ。今さっき出来たしね?」


 誰、と言うのも疑わない。

 住居兼店の同居人はラティストしかいないのだから。

 それと手伝う気でいてくれたのか、ラティストは作業着の姿で厨房に入っていた。


「例の『アンパン』とやらについてか?」
「そうそ。今のクロワッサンサンドや、今日から出す予定の『揚げ小倉トーストサンド』も悪くないけど……やっぱり日本人にとってはあんぱんがすごいんだよっ」
「前にも言ったが、普通の菓子タイプに使うのではダメなのか?」
「出来なくないけど、やっぱり風味とかが違うんだっ」
「お前が、そこまでこだわるなら……とやかく言えぬが」
「あ、でも。場合によってはコッペパンで作るし、餡子多めに作ったから試作してみるよ」
「……承知した」


 あんぱんについては、一度話をやめて先程口にした『新作』の準備に取り掛かることに。

 ラティストには、精霊でも簡単に使える生活向きの魔法を、餡子の鍋に施して貰うことにした。


「……集え、氷結の精霊よ」


 鍋に向かって手を差し伸べて、ラティストが小さく言葉を紡ぐと、瞬時に彼の周りに薄青のホタルみたいな光がたくさん現れた。


『くすす、どうすればいいのです御大(おんたい)?』
『何を冷やすんです?』
『貴方様の御心?』
『それとも、この目の前の?』


 どこからともなく、子供のような声が聞こえるがスバルは小さく苦笑いしながら、次の準備もしていく。
 今度はラティストの方が盛大にため息を吐くのが予想出来るから、敢えて離れたのだ。


「…………まだ数度だろうが。凍らせるな。熱を取るだけでいい」
『『『味見は?』』』
「ダメだ。俺の主の許可がない。早くしろ」
『『『はーい』』』


 調理台にバッドや道具を準備してると、一瞬だけ後ろから冷たい風が吹いたが、振り返るともうホタルのような光は消えていた。


「あ。ありがと、別にちょっとだけなら上げても良かったのに」
「ダメだ。下手すると俺以上に食らう」
「……それは、やめておいた方がいいね」


 せっかく日付けが変わって少ししてから仕込んだ、大切な餡子がなくなってしまっては元も子もない。

 スバルは、ラティストが持って来てくれた餡子入りの寸胴鍋を受け取り、中身を用意してた三つのボウルに分けて入れた。

 クロワッサン、新作、さらに次への新作用にと目分量だが分けておくのは大事だ。


「じゃ、昨日も作ったけどもう一度見ててね?」


 ボウル以外に用意したのは、スライスしておいた食パンと、小麦粉、卵、牛乳、砂糖を入れて混ぜた黄色の液体が並々入った深いバット。それと空のバット。

 道具は、金属製の上下不揃いの太さになっている、握りやすいヘラ。

 これは、ロイズに頼んで商業ギルド系列の鍛冶屋に頼んだ一品。


「作った餡子を適量……この『あんベラ』に乗せてパンに伸ばすんだ。多過ぎると揚げにくいからほんとに全体に行き渡るくらい」


 返事はないが、頷いてるような仕草が伝わってきたので、塗り終わったらヘラをボウルに置き、別の食パンでそれをサンドする。


「これをいくつか作りたいんだ。ラティストはとりあえずパンをサンドしてくれる?」
「承知した」


 二人で作業すれば、意外と早く終わり。
 空のバットに全部乗せたサンドがスバル、卵液をラティストが持って今度は油鍋の横の調理台へと移動。


「先につけなかったのは、パンに作った『タネ』が染み込み過ぎちゃうからなんだ。油に入れる直前で大丈夫」


 菜箸でタネを少量油の中に入れれば、じゅっと音が立つと同時に沈んだはずのタネが浮かんで周りを泡で囲まれる。

 スバルは、そのサインが出たのを確認してから素手でタネの中にサンドをくぐらせ、きちんと衣のようにまとわせてから油の中に入れた。


「……たしか、咲き狐の皮色くらいになればいいのか?」
「うん、キツネ色。ねえ、それってどんな生き物?」
「スバル風に言えば、愛らしい類だな。愛玩される理由で野生を捕まえる輩も多い」
「へー?……って、なんで落ち込むの?」
「…………住処から、俺が一等気に入ってた()を連れてくるのを忘れた」
「あらら……出来ないの?」
「今行ってきていいか!」
「いいよー、会わせてね?」


 では、とラティストは決めたらその格好のままスバルの前から消えてしまった。


「…………慌てん坊さんなんだから」


 この国どころか、世界の一柱を担う『大精霊』をそんな風に言えるのは、彼と出会った成り行きで『契約主』になったスバルくらい。

 と、ロイズやヴィンクスに言われたのを、スバルは思い出した。

 思い返してた直後に、油が爆ぜる音が大人しくなったので菜箸と金属製の玉杓子を使って網を置いたバットに置く。

 これをラティストがまだ帰って来ない間ずっと繰り返し、すべて出来上がってから、最初に揚げ終えたのをまな板の上でサンドイッチのように切った。


『錬金完了〜♪』






《揚げ小倉トーストサンド》


・睡眠不足を70%まで解消、疲労はほぼ回復
・白鳳国特産の小豆を使用した餡子は甘さ控えめ。食パンに挟んで揚げただけなのに、外側のカリカリと内側のふわふわが病みつき間違いなし!
 →お好みで砂糖をつけるとより一層美味しい!(今回は無し)




 昨日とほぼ同じ値。

 今少し疲れたので食べたいところだったが、せっかくの出来立てをラティスト抜きに食べてしまうと彼が拗ねてしまうので、やめておく。

 揚げたてもいいが、冷めるとより餡子の甘味が引き立つのでひとまず片付けをする事にした。

 それを始めてまもなく、ラティストが腕に小さな動物を抱えて戻ってきたのだった。


「毛が飛び散らないように、薄い結界は纏わせてある。遅くなった」
「おかえり。…………うっわ、お花がついた狐さん?」
「キューっ」


 ラティストが抱えてきた小さな客人は、今が秋なのに春の訪れを思わせるような、可憐な桜に似た花を首回りに咲かせていた愛らしい狐であった。

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