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重なる影

その髪は肩まで長く、黒く美しい。
少し幼い顔をしたスーツ姿の彼女は、大きな瞳で僕を見つめる。
あまりにも似すぎている、構想の中にしか存在しなかったその姿が。
何故、目の前にいるんだ。


「あのー?」


彼女は、戸惑いながら僕に声をかけてくる。
当たり前だ、誤ってぶつかってしまって僕が無言なら戸惑うはずだ。


「僕は大丈夫ですよ」

「でも……それは……」


指さされた先には、画面が完全に割れてしまったスマートフォンが転がっている。
恐らく尻餅をついた際に壊れたのだろうが、それを知るはずのない彼女はぶつかった事で壊してしまったとしか思えないだろう。
深々と頭を下げた後、何かを差し出してきた。
それは、サラリーマンやOLがよく使う名刺だった。


「私、三上アカリっていいます」

「僕は、保田ナオヤといいます」

「ナオヤさん、本当にすみません!!後日改めてお詫びさせて頂きます!!お時間あるとき、連絡いただけますか?」

「えっ、いやあの……」


アカリさんは、僕の言い分を聞く前に一礼して走り去ってしまう。
まるで嵐が過ぎ去ったかの様なこの場の状況に、走って追いかけることすら出来なかった。
強引に渡された名刺をもう1度見つめ、彼女の顔を思い出す。
構想の中の主人公が現れた驚きよりも、僕の中では1つの思い出が思い起こされていた。


僕が25歳の時、かつて結婚していた妻のユリと出会った。
初めてのサイン会、集まってくれるか不安とはち切れんばかりの緊張でおどおどしていたあの時。


『握手、お願いしていいですか?』


流れ作業の様にサインを書き続けていた、僕の前に出された女性の手。
白く綺麗なその手と、微笑んでくれたあの表情。
初めて一目惚れを経験し、そんなユリと結婚できた。
それが、今を思えば幸せの絶頂だったのかもしれない。

もう思い出すことも無いと思っていたのに、あまりにもアカリさんがユリに似ている為なのか。
無意識に僕は、空想の主人公を妻に当てはめていたのか。
どちらか判ったとしても、先ずは今の状況をどうにかしなければならない。
落ちていた携帯を拾い上げ、とりあえず鞄の中を確認してみた。
長い間使われてきたであろうボロボロな財布や手帳から、今の自分を何とか知ることが出来た。

僕の名前そのまま保田ナオヤ。
手帳には9年前の日付と会社の名前が書かれているが、地名が全く聞いたこともない地名だった。
ここの地名すらも、僕の頭の中にあったものと一致している。
何がどうなってる?ここは僕の頭の中だというのか?

1人この場に残されたのが怖くなり、せめて人気(ひとけ)のある街の方へと歩きだした。


大通りに出てきたのがいいが、僕はそこで更に異質な物を目撃する。
街の光景が、明らかに僕の知っている物ではなかった。
そこは渋谷や新宿が入り混じった、不可思議な場所だった。
しかし他の人々はそれに異常を感じている様子は無く、この中では逆に僕が異質なのかもしれない。

陽は完全に昇りきり、じりじりと暑さが肌に刺さる。
さっき壊した携帯を、何とかしなきゃいけない。
僕は大急ぎで携帯ショップを見つけ、慌てて駆け込んだ。


少し軽快な店内BGMと、店員の声が同時に聞こえてくる。
だがそこに、違う声も混ざっていた。


「あっ……あれ!?」


その声の主は、見たことがある人だった。


「三上さん!?」

「ま、まさかここで会うとは思ってなくて……」


アカリさんが、少し恥ずかしそうにこちらに寄ってくる。
思わず大声で驚いてしまった事に照れているのか、今度は控えめな声で話し出した。


「すみません、ここの携帯会社だったんですね」


「えっと、それは……」


携帯会社が分からないなんて言えるはずも無く、僕は口淀んでしまった。
本当の事を言っても、理解されるはずない。
そんな僕の考えなどわかるはずも無く、彼女は僕を席へと案内した。
とりあえず席へと座り、画面が完全に割れた携帯をアカリさんに差し出す。
彼女はパソコンに何かを入力しながら改めて携帯を眺め、「やっちゃったなー」と小さく呟いたのが聞こえた。


「今調べてみたら保田さんは保険に入られてたので、お金の心配はいりません!!でももしお金が発生しても、私がお詫びをする気満々だったんですけど」


「あ、あの三上さん?」


「アカリでいいですよ。絶対私より年上だと思ってたし」


「ははっ、そうかな」


こう見ると、ますますユリに見えてくる。
駄目だとわかっているのに、無意識に僕は妻と重ね合わせてしまう。
どれだけ未練たらしいのだろう、終わったはずの関係なのに。


「じゃあ私も、ナオヤさんって呼んでいいですか?」


無邪気に笑う君の笑顔が、とても眩しかった。

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