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「ん?」

 これが、俺の最後の言葉になった。バイト帰りに空を見上げ、つぶやいた一言。
 まさか、最後になるとは思わなかったんだ、はぁ。

「で、ここはどこだよ……。」

 周りの景色が一変した。ついさっきまで住宅街だったはずだ。それが今は静かな森で青空が少し見えている。周囲には雑草が俺の目線ほどまで伸びている。
 おかしい。おかしすぎる。周囲を見回して、それに気づいた。

「鼻……と、なんで尻尾?」

 白い、先端だけが黒いファーのような尻尾があった。動く尻尾が追い打ちをかけ、しばし呆然としてしまった。……俺が動かしたいように動くようだ。

「……はぁ。」

 ため息を吐き考える。何がどうなっているのかと。バイト帰りに《《いきなり》》森の中に来た。なるほど、意味が分からん。周りを再度見るも木々が見えるだけ。
 静かだなと、どうでも良いことを考える。

「へぇ……手も小さいな。耳もだよなぁ。」

 しばし自身の確認をした後、立ちあがる。二頭身の狐っぽい姿なのに、二本足で立てるようだ、って当たり前か。

「ん? なんか踏んでたか……指輪?」

 立ち上がった際、肉球に当たって気づいた下敷きにしていた指輪を観察する。外側には模様も何もない白い指輪。内側に模様があるが良し悪しが分からない。
 模様に触れても、においを嗅《か》いでみても異常はなさそうだ。どうせだし持っていこうと考えたが、今の俺の手は指輪より小さい……。

「とりあえず……はめとくか。」

 指輪なのにな、と思いつつ《《左前足》》に装着する。すると指輪がゆっくりと光に包まれ前足に吸い込まれていった。訳が分からず焦《あせ》ってしまう。

「!?……と、なんだこれ?」

 今の今まで何もなかった目の前に半透明の黒球が現れ浮いていた。
 いきなり目の前に現れたことに驚き、後ろに下がると黒球が近寄ってきて、目の前で浮遊する。
 なるほど。1メートルほどの距離からは近づいてこないようだ。

「意味分からんな……触って大丈夫なのか、これ。」

 と言いつつ黒球に触れてみる。ひんやりとしたビーチボールのような球だ、としか思えなかった……黒いけど。

「まぁ、いいや。害もなさそうだし、はぁ。」

 色々なことが起こりすぎて考えることを放棄し始めていた。
 とりあえずここにいても何もなさそうなので、当てもなく森を歩き始める。黒球はふわふわとついてくる。少し進むと雑草が顔に当たり顔をしかめる。

「草邪魔だな……。」

 何も考えずつぶやいた声に呼応し、黒球からキーンという高い音が一度だけ鳴った。思わず黒球を見たがふわふわ浮いているだけだ。目線を前に戻し、それに気づく。

「え?……はぁ?」

 目の前の草が左右に倒れ、幅30センチほどの道ができた。進みやすくなったけど、なんだこれ。それに少し気だるい。

「お?……靴か。」

 開けた前方に落ちていた片方だけの皮靴。観察し、花の匂いのする靴をどうするか考える。

「持っていくには大きいんだよなぁ。」

 大きさ。片方とは言え、自身の胴体ほどもある靴を持ち運ぶなど、たとえ花の匂いがしても嫌だ。悩んでいる俺の言葉に反応した黒球から高音がした。
 靴の下に黒い円ができ、靴が沈んでいく。トプンっと靴が沈み切ると黒い円も消えていった。

「ん?……消えた? いや、入れたのか?」

 浮いている黒球につぶやくが浮いているだけだ。さっきよりは疲れないな。黒球の反応が音だけなのか、実験してみよう。

「今入れた靴を出せ。」

 黒球に向け指示する。すると、目の前に現れた。間違いない。この黒球は俺の言葉に反応する。そして少し疲れる。ものを移動させたり運んだりできそうだ。

「靴の持ち主はっと……マジか。」

 もうため息もでない。黒球から高音が鳴ったからだ。草が倒れ道が伸びていく。

「あっちか、行ってみるかー。」

 靴をしまい、黒球に次は何を言ってみるかを考えながら歩く。
 草に木、土があって食べ物と言っても腹は減ってないし、じゃあ水か?
 つぶやいてみよう。

「水……あぶねー。」

 1リットルほどの水球が降ってきた。思わず飛びのく。地面にぶつかり水たまりができた。一応成功である。
 実験を続け、火ならばマッチ程度の火が、落とし穴ならば地面に半径20センチ深さ30センチ程度の穴ができた。風ならば草がなびく程度の風が吹いた。色々できそうだ。疲れるけど。

「ん? 人……か?」

 しばらく歩いた先の木の上で弓を構える人がこっちを見て……って矢をつがえようとしている。立ち止まり、少し考える。

「まさか撃って、俺って今やばいか?」

 自分が動物っぽいこと、矢の向き、目線を考え、ぼーっと人を見据える。弓から放たれた矢が迫る。あっと声も出せないままでいると、視界を黒球が覆った。カーンと甲高い音を立て、矢が弾かれる。木の上の人は目を見開いている。冷や汗が今になって出てきた。

「ぉぉ、防ぐんだな、死ぬかと思ったわ。」

 とりあえず、木の上の人に声をかけるか。通じれば良いのだが。

「おーい、撃たないで「カーン」くれーって、おい!」

 言っている間にも撃たれ、声を荒げてしまう。黒球には傷が無いようだ。撃たれても動かない俺を見て、あちらも何か言っている。

「矢が弾かれた? 魔物? なのかな……動かないけどどうしよう……ぅぅ。」

 ふむ、言葉は大丈夫か。本日何度目かのため息とともに、ぶつぶつ言っている人を観察する。
 突然、森の中に飛ばされ、矢を撃たれるという刺激的な状況。さらに今も木の上の人とにらみ合っている状態だ。上半身しか見えないが、薄緑色の服を着た茶髪セミロングの少女のようだ。こちらを気にしつつもキョロキョロしている。頭には獣耳がある。尻尾が見えないが獣人なのだろう。
 今もぶつぶつと何か言っているが、聞きとれない。

「降りてこいよー。」

 と、声をかけるも進展無し。はぁ、とため息をついて考える。何かが周りにいるのかと。
 その時、静かな森に木の倒れる音と振動が伝わってきた。木の上の少女は音がした方向を凝視している。
 振動が小刻みに伝わってくる。……だんだん大きくなってないか?

「なんかいるんだな。近くの木に隠れながら様子見するか。」

 と、近い木に隠れつつ少女の見ている方向を見やると、しばらくして大きな熊が姿を現した。いや、でかすぎだろう。そして黒球よ、お前も隠れろよ。黒球を捕まえておく。
 熊は地面や木に鼻を近づけ臭《にお》いを嗅《か》いでいるようだ。何かを探してるのか? 何もせず遠ざかってくれるだろうか。熊と戦った経験などあるはずもない。
 こちらに気づく前に逃げられないか、と辺《あた》りを確認する。
 木の上の少女はじっとしている。木に隠れながら移動すれば離れられるか? 黒球を持ちながらだと動きづらいな。

「熊があっちに行ってくれればなぁ。」

 その時、仄かに黄色く光った黒球から高い音が鳴る。ビクッとしてしまった。
 ここで音立てるのかよ、と思った次の瞬間、熊の《《後方》》に雷が落ち、稲光とともに大きな音が木霊《こだま》した。思わず地面に伏せてしまう。熊は振り返っており、こちらを見ていない。

「ひっ!? わっわっ。」

 そりゃあ森の中で雷鳴ったら驚くよね。あ、落ちそう。

「助けろ。」

 黒球に告げると、木の上から落ちそうな態勢の少女が無理な態勢でピタッと停《と》まり、ゆっくりと元の位置へ戻った。しばらく大人しくしてくれ。
 熊は木の上を一瞥《いちべつ》した後、俺たちから離れ、森の奥へ歩いていく。
 十分に離れたのを確認して、少女を見やる。……すごく見られているな。
 起き上がって話かける。

「無事か? もう撃ってくるなよ?」
「この辺に村でもあるのか?」
「降りてこれるか?」

 俺が聞いても、少女は首を縦に振るだけだ。まぁ、言葉が通じているのは良いことなんだが。怪我でもしているのか、慎重に降りようと四苦八苦している。

「はぁ、降りるの手伝ってあげて。」

 少女は俺の前にゆっくりと下降し、地面に降り立つとすぐに座り込んだ。薄緑色のワンピースに弓と矢筒、片方だけの革靴。裸足の方は……やはり足を痛めているようだ。

「足の怪我を治せるか?」

 黒球が少女の目の前に移動するも、少女はまるで見えていないかのように俺を見つめている。目の前に黒い球が浮いていれば、そっちを見ると思うんだが。
 黒球の高音も少女は気にならないのか、平然としている。
 俺がほんの少しの虚脱感に襲われると、少女の怪我の周辺が仄《ほの》かに緑色に光った。少女は自分の足を見て驚いている。そして俺も驚いた。傷薬でも出すのかと思ったら、光るのかよと。
 緑光がなくなり、きれいな足に戻ったようだ。が、片方の靴がないな。
 靴を出してあげると、俺と靴を交互に見て戸惑《とまど》っていたので履くよう促《うなが》した。
 少女は靴を履《は》くと立ち上がり、俺に小さく頭を下げた。

「帰るのか?」
「うん。」
「熊は大丈夫か?」
「ううん。」
「……村はどっちだ?」
「あっち。」
「……熊は村のほうに行ったのか?」
「うん。」

 片言《かたこと》な少女に聞いていくと、村には熊が近寄ってきても《《撃退》》できる装備があるそうだ。撃退したら俺たちの方にくる気がするが、遠回りして帰るから問題ないらしい。

「とりあえず村に行っても良いか?」
「うん。」
「よし、行こう。」
「うん。こっち。」

 俺が歩くのに合わせて、ゆっくりと案内してくれる。悪いね。足が短いんだよ。
 少し歩くと、やはり俺が遅いらしく抱えあげられた。少女に抱えられる日がくるとは、とガックリしてしまう。が、少女は口元がニヤついていた。……うれしいのか、そうですか。はぁ。
 少女は春に生まれたからハルという名前らしい。俺を抱えてから返事の文字数が増えて、俺はうれしいよ。はぁ。

「あれが村。」
「……ほぉ。」

 しばらくして村の近くまで来たようだ。
 高さ3メートルほどの石壁で囲まれた村は、50人ほどが暮らしているらしい。石壁の上で監視している人影が見えている。
 ハルが開けてと言えば、門を開けてくれるそうだ。こちらを見つけた人が走り去っていった。開けてくれるのだろう。……開けてくれるよな? と、ハルを見ると首をかしげている……大丈夫だろうか、不安になってきた。
 門の前まで近づくと門がゆっくりと開いた。門番と思われる数名が武器を構え、警戒している。
 俺たちが入ると門を閉め、ハルの無事を確認していた。

「熊が森から出てきて心配してたんだぞ。」
「うん。無事。守ってくれた。」
「無事か、って誰かいたのか?」
「うん。この子。」
「魔物じゃないみたいだが……まぁいいか。親御さんも心配してたぞ。」
「うん。帰る。」

 門番とのやりとりの間、俺は抱えられたままだった。問題ないらしいし、良いのだろう。黒球も相変わらずふわふわと。どうやらハルが気にしないだけではなく、皆に黒球は見えていないらしい。

しおり