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8 叩きのめすのはヒロインのお仕事です。

「失礼いたします、リディア様」
「! ネイラ!」

 にこやかな表情でネイラが部屋へと入ってきたのを見て、クロメレッドが立ち上がろうとしたのを視線で制し、ネイラを隣へと呼ぶ。

「ネイラ、殿下たちがお話したいことがあるそうです」
「……お話、ですか」
「ええ、あなたも言いたいことがあるでしょう。――グリーフィッド殿下からのお言葉を伝えます」

 ネイラが静かにこちらを見やる。ちなみにこの間、ネイラは一度もクロメレッド達を視界に入れていない。
 もちろんわざとである。

「『あなたがこの場で話すこと、語ること、どのような内容であってもすべてを不問とする。これは王家の誓約である』とのことです」
「謹んで賜ります」

 すっと頭を下げる。
 クロメレッド達が何かわからず困惑した表情でこちらを見ているのをちらりと視界に収める。
 もちろん、これはすべて茶番であり、グリーフィッドとの会話の内容などすでに話している。
 けれど、今この場でこの言葉を言うことに、その意味がある。

「では、ネイラ。あなたはここにお座りなさい。――私は少し離れます」
「はい、お心遣いありがとうございます」

 言って、リディアは席を譲り、少し後ろに用意していた椅子へと移動する。

 そして、――そこからもはやネイラの独壇場であった。


□ □ □


「ご無沙汰しております、皆々様」
「ネイラ! ようやく君に会えた!」

 満面の笑みを浮かべるクロメレッド達を前に、ネイラは静かにほほ笑む。もちろんそれはカトリーナによって培われた淑女教育の仮面である。

「それで、私のような平民の生徒にいったいどのようなご用でしょうか?」
「ネイラ、そんなに自分を卑下するなんて! やっぱりリディアに何か言われてっ」
「殿下、私が平民なのはただの、純然たる事実ですが?」
「いや、いいんだ僕にはわかってる。相変わらず君は優しいな、リディアを庇うなんて……」

 そう言って、やさしく微笑み、周りの3人も頷いている。
 だが、対するネイラは早くも仮面が崩れそうであり、リディアの場合はもはや無表情である。

 何がどうなったのかは知らないが、彼らの中でネイラは、自分を悪く言われているにもかかわらずリディアを庇う優しい女性、になっているらしい。
 想像力が逞しいにも程がある。

「ネイラ、僕は君を愛妾に迎えたいと思っている」
「……」
「本当は君を正妻としたい。でも、リディアも大切にすると先ほど誓ってしまったんだ」
「………」

 ちなみに勝手に誓っただけであって、リディアは断固拒否しているのだが、彼の中ではなかったことになっているらしい。不思議である。

「僕には王族の血が流れている。その義務から逃れることは出来ないんだ」

 そう言って、辛そうに顔をゆがめるのを周りの3人も辛そうに見ているのだが、ネイラもリディアも実にしらけた表情で見ていた。

「でも、ネイラ! 僕が心から愛するのは君だけなんだ。だからどうか、愛妾として僕の傍にいて欲しい。幸せにすると誓うよ」

 ――おそらく、ここにいるのが他の女性だったなら、10人中7人くらいは瞳を潤ませながらも頷いたことだろう。
 けれど、残念ながらこの場所にいるのはリディアであり、そしてネイラである。

「お断りします」
「え?」
「お断りします」
「「「え?」」」

 クロメレッドが聞き返し、さらに周りの3人も唖然とした表情で聞き返す。だが、ネイラの返答は変わらない。
 断固拒否、である。

「な、なぜです! まさからリディア嬢に何か言われてっ」
「私の意思です」
「……まさかお前は殿下じゃなくて、俺を選んで」
「違います」
「どうしてですか、ネイラ。たとえ愛妾とはいえ、愛する殿下と共にいられるというのに」
「そもそも愛してません」
「「「「え?」」」」

 ぽかんと、ネイラを見る。
 何を言われたのか理解できない、そんな表情である。

「リディア様、先ほどのお言葉は本当に信じてもいいんですよね?」
「ええ、大丈夫よ」
「わかりました」

 大きく息を吸ったネイラは、まるで見たくないものを見るような目で彼らを見始めた。

「そもそも、なぜ私があなた方からそのように思われているのか理解できません」
「何を、言っているんだネイラ。君はいつだって私に笑いかけてくれて……」
「あたり前じゃないですか。どうして平民が貴族の、それも王族の方に話しかけられて不機嫌な顔をできると思うのですか? 不敬にならないように、笑顔で接するのは当然じゃないですか」
「だ、だが」
「そもそもなんで私が愛妾になることが幸せなのかさっぱりわかりませんし、なによりリディア様を悪く言うなんて信じられません!」

 そう、ネイラは怒っていた。
 それはクロメレッド達がネイラの気持ちを勘違いしていることでも、愛妾にしようとしていることでもない。ただただリディアを悪く言うことに対して、本気で怒っていた。

「リディア様は私を助けてくれたんです。それなのに、何もしていないのに、あたかもそれが正しいとばかりにリディア様を悪く言うなんて信じられません!」

 睨むように見てくるネイラに、驚いたように目を見開いたクロメレッド達は、だが次の瞬間何を思ったのかリディアを睨みつけた。

「リディア! 君は一体彼女に何を吹き込んだ!?」
「……は?」
「ネイラの優しさを利用するとは何て真似をっ」
「こんなことをネイラにさせるなんて、恥を知れっ!」
「リディア嬢! いくらオルコット家と言えどもやっていいことと悪いことがある!」
「……はあ」

 もはや呆れてものも言えないとは、まさにこのことである。
 ぽかんとした表情で言いたいことを言ってくる彼らを見つめていたのだが、突如何かを叩きつけるような音がした。驚き、そちらを見る。

「ネイラ?」
「………」

 ネイラがテーブルに手をついて俯いていた。

「どうしたんだネイラ? 大丈夫だ、僕が君を守っ」
「……言いたいことは、それだけですか?」
「え?」

 恐ろしく、低い声がネイラから放たれた。
 ゆっくりと上げられたその顔からは、一切の表情が抜け落ちている。

「ね、ネイラ?」
「いい加減にしてください。先ほどから聞いていれば、私が、いつ、リディア様に何かされたと言いましたか」
「だが、君はっ」
「いつまで子供みたいに駄々をこねているんですか? いい加減現実を見てくれませんか? いつ、私があなたに一定以上の好意を示しましたか? なんで私が学園から態々ここに来たと思ってるんですか? あなた方が嫌だったからに決まってるじゃありませんか! 考えればわかるでしょうし、そう言ってますよね? ああ、ひょっとしてこれもリディア様に言わされているとかおめでたいこと考えてますか? この言葉は少しも、欠片も、何にも、リディア様は関係のない、私の本音ですよ? 私の言葉は聞こえてますか? 理解してますか? もう一度はっきりと言いますね?」

 まさに立て板に水の如く言い放ち、そこではっきりと一人一人の顔を見て、ネイラはきっぱりと告げる。

「私は今までもこれからも、あなた方と親しくしたことも親しくする気も、一生涯ありません」

 呆然と、ただ茫然とネイラを見るクロメレッドたちをリディアは内心拍手喝采で見やる。
 実に見事である。
 さすがはヒロイン、と見当違いの褒め方をしていると、扉の方から拍手が響いてきた。

「! グリーフィッド殿下!」
「いやあ、お見事です」

 そう言って、にこやかな表情をこちらに向ける。
 ちなみにネイラは即座に跪き、顔を伏せている。素晴らしき条件反射である。

「ぐ、グリーフィッド、なぜここにっ」
「兄上、これで現実は理解できましたか?」
「な、に?」
「なにって、ネイラ嬢が兄上のことを何とも思っておらず、リディア嬢も何もしていないということが、です」
「――っ」
「ああ、さらに言うと兄上とリディア嬢の婚約破棄が覆ることなどありませんよ」

 自業自得でしょう? と、グリーフィッドは告げる。

「貴様っ、兄に向ってなんという口をっ」
「あなたが私の兄だからこの程度で済んでいるのです。ああ、後ろの方々も勘違いはいけませんね」

 いったん言葉を切り、そしてにこやかに彼らを見やる。

「今まではリディア嬢に直接何も言わなかったから見逃されていたのですよ。でも、今回のこれは違います。――こちらからきちんと一語一句違えることなく報告することになっています」

 さて、どうなるでしょうね? と楽しそうに告げるその様子に、ようやく先ほどの己の言葉を思い出したのか、瞬時に青ざめる。
 だが、もう遅い。
 一度放たれた言葉は決して戻らず、まあ、リディアも特に止めるつもりもない。
 自分の言葉に責任を持つのは、貴族としては何よりも重要なことである。

「さて、ネイラ嬢」
「……はい」

 グリーフィッドは、実に優しげな口調で、いまだ跪いたままのネイラに顔を上げるよう促す。
 今回、王族と貴族の言葉に否を申し立てるという負担を強いたのは、王家でありグリーフィッドである。『すべてを不問とする』という言葉に間違いがないということを、今一度証明する必要がある。
 だからこそ、顔を上げるようにと言ったのだ、が。

「………」
「………」

 その瞬間、両者の間で花が舞い、そしてリーンゴーンという鐘の音が鳴ったのを、リディアは確かに見て聞いた。
 一瞬の沈黙ののち、グリーフィッドが掠れた声で問いかける。

「……ネイラ嬢、ですか?」
「は、はい。私がネイラです」
「もしよければ、その、このあとお茶でも一緒にいかがですか?」
「わ、私でよければその、喜んで」

 実に初々しいやり取りであった。
 あらあらまあまあ、と思いながらリディアはちらりと、クロメレッド達を見やる。
 なにせネイラの表情は誰がどう見たって恋する乙女状態である。それが己に対するものとまるで違うのだと、両思いだと思っていたのは幻想だったのだと、何よりも雄弁に突きつけている。
 今にも崩れそうなほど呆然としたその姿に、リディアは隠すことなく笑い出す。
 ――ああ、本当に、なんて素晴らしいヒロインかしら。

「えっと、リディア、様?」
「ああ、ごめんなさいね。ものすごくおかしくって」

 一応扇で隠してはいるのだが、隠しきれないほどの笑いがこみあげてくるのだ。もう、どうしようもない。

「えっと、リディア様が楽しそうなら、いいんですけど」
「――ああ、大いに笑うといいよ、リディア嬢」
「そうさせてもらいます」

 もはやクロメレッド達のことなど目にも入らないネイラは知らないが、グリーフィッドは気付いた。
 だからリディアは笑う。
 実に、実に情けない表情を見せる彼らに対して。

 ざまぁみろ、と。
 声に出さずに呟いた。 



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