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心臓のロックンロール

 微かな軋みをあげながら、エスカレーターは僕の身体を運ぶ。ゆっくりとしたペースで多くの人間を運ぶこの機械は、休むことなく働き続ける。一番上に着いたら、また一番下に戻ってくる。年中無休で繰り広げられる労働劇に関心を払う人間はあまりいない。

 僕はデパートの各階の売り物を見ながら、ゆっくりと目的の階まで上がっていく。目的の階は七階だ。なぜエレベーターにしないかというと、徐々にせりあがっていくエスカレーターの方が、気持ちの盛り上がりが段違いに良いからだ。まるでこれからライブを控えるロックスターがステージに上がるような心境だ。


 十一月に入った街は、もはや秋風とは呼べない寒風を吹き散らし、人間界に冬が近いことを知らせている。僕はデニムのボトムの下にヒートテックを忍ばせ、厚手の靴下を履いてからスニーカーを履いている。上は定番のグレーのパーカーだ。胸にはオレンジの文字で英単語の「CHICAGO」と書かれている。

 七階にたどり着くと、僕の足は勝手に左側に舵をとる。突き当りを曲がると、見えてくるのはタワーレコードだ。いつもの黄色と赤のロゴが大きく僕を出迎える。入り口には今プッシュされているバンドのメンバーの等身大パネルが置かれており、最新シングルが平積みにされていた。

 僕はタワーレコードに行くのを日課にしている。毎日昼前の十一時にはここに来るようにしている。その目的は店の奥のほうに設置されてある試聴のコーナーだ。ここでは今、店が推しているバンドやアーティストの最新のCDを聴くことができる。

 試聴のコーナーはジャンルごとに分かれていて、僕が行くのはバンドのコーナーのみだ。その中でロックバンドを特集するコーナーには欠かさず行く。邦楽から洋楽まで、有名なバンドから最近デビューしたてのバンドまで、分け隔てなく聴く。僕にはロックを差別する心など、微塵もない。


 僕は高校一年生の年齢だ。つまり今年で十六歳なのだが、高校には行っていない。そして僕には他の人と違ったところが一点だけある。それは小学六年生から言葉を一言も発していないことだ。その原因は小学校の卒業式の呼びかけ練習をしているときにつまずき、間違えてしまったことだ。全校生徒で行う練習だったので、担任の先生は僕のことを何度も叱った。わざと間違えたわけじゃないのに、担任の先生は静まり返る体育館中に響き渡る声で僕を何度も何度も叱った。自分で言うのもなんだけど、幼いころから僕は真面目に生きてきた。先生の言うことを真剣に聞き、先生から言われるとおりに実行してきた。それが正しいと思い込んできたし、母からもそう教えられて育った。一生懸命に行ってきた練習でミスをした。それは認めるけれど、一回のミスでそんなに怒らなくてもいいじゃないか。だが、事態はそんなこととはおかまいなしに進んでいく。もちろん一年生から六年生までの全校生徒は、そんな僕を一心に見つめていた。僕は数百人の小学生の視線を、一瞬たりとも忘れることができない。自分よりも劣っているものを見下している鋭い視線もあったし、大丈夫だよという過剰な同情を寄せる無駄にあたたかい視線もあった。晴れがましい卒業式の練習のはずなのに、僕の心は傷だらけになった。その日、家に帰った僕は眠れない夜を過ごした。

 そうして僕はその次の日から人前で言葉を発することができなくなった。学校の先生の前ではもちろん、今まで仲が良かった友達とも話せなくなった。母親とは辛うじて話すことができたものの、それも以前と比べ、ひどく億劫なものになってしまった。

 学校にはなんとか行っていたものの、誰とも一言さえも話すことができなくなってしまった。授業中に発表することも、また国語の時間に音読することもできなくなった。そんな僕を見て先生や周りの友達は、どうしたらいいのか分からない表情で遠くから様子を見ていた。前から優しかった男友達は気を遣って流行りのゲームの話をしてくれた。クラスのリーダー気質の女の子たちは、何か困ったことがあったらなんでも言ってね、と声をかけてくれた。しかし、僕はそういったアクションに曖昧に笑い、微妙な角度で頷くだけだった。頭に浮かんだ事柄を話そうとするものの、実際に言葉になることはなかった。なぜ普通に話せないのかは自分では分からないけれど、それが簡単なことではないことはすぐに分かった。脳に思い浮かぶ言葉を口に出そうとするのだが、それらの器官をつなぐものが分断されているように感じるのだ。結果、思い描いた言葉たちは喉の手前で自然消滅し、微妙な顔で頷くだけのアンドロイドが完成するのだった。

 母は僕の様子を見て、すぐに様々な病院に連れて行った。心療内科に行ったこともあれば、脳神経外科に行ったこともある。手当たり次第に病院を渡り歩く僕らは、さながらサラ金を借りまくる不憫な親子に似ていた。言葉が発せないという思い枷を課せられた僕は、母に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そして母も何も話せない僕に少しずつ苛立ちを募らせ、きつくあたることも多くなった。ストレスが溜まってくると「なんであなたは喋れないのよ!」「ねえ、声くらい出せるはずでしょ?」とヒステリックな声を上げた。それらの詰問に僕は例の曖昧な表情と曖昧な頷きしか返せず、それはさらに母の機嫌を損ねた。それはそうだろう、手塩に掛けて育ててきた小学六年生の我が子が、言葉を発せなくなったのだから。誰も予想できなかったであろう展開は、母を困惑させるばかりだった。

いま冷静に振り返れば、母はとにかく必死だったのだろう。父と早くに死別し、女手一つで一人っ子の僕を育ててきてくれた母は、何につけても機敏な女性だった。仕事で忙しいのにも関わらず、服装は適度に流行に沿ったものだったし、幼い僕には周りの皆が持っているようなおもちゃをたくさん買ってくれた。常に笑顔で周囲に気を配り、雰囲気を明るくしてくれた。病院を渡り歩くという母のフットワークの軽さは親としては素晴らしいものといえるだろうし、結果的に僕の症状にとってはこの上なくプラスの作用をもたらした。

 母との病院めぐりの日々が一か月ほど続いたころ、僕たちはあるカウンセラーのもとを訪ねた。小児科の心療内科版といったらいいのだろうか、子ども専門のカウンセリングを行う病院だった。社会が複雑化し、いじめや家庭内問題が多い現代では、心に病を抱えている子どもも少なくないのだという。その病院にいた女性カウンセラーは優しげな表情で母の話に耳を傾けた。丸い輪郭のメガネの奥の優しい瞳は、傷つき苦しみ抜いた僕たち親子をそっと抱きしめるようだった。母は今までの不安や心配を、まるで古い知り合いに打ち明けるかのように、勢いを止めることなく話し続けた。とめどなく話し続ける母の言葉たちは、一切の発話が不可能になった息子の分まで話し続けるかのようだった。カウンセラーは不必要に深く頷きすぎずに話を聞き、過分に同情するわけでもなく相槌を打った。ただただ、話をちゃんと最後まで聞いた。そして僕のこれまでの経緯を能率よくまとめ、カルテに丁寧に症状を記した。銀色のボールペンをデスクにそっと置き、最後に静かにこう言った。
「息子さんは、場面緘黙(かんもく)症です」

 僕自身はそのときに初めてその言葉を聞いたし、頭の中でうまく漢字に変換することができなかった。というか、大方の人は聞いたことさえない症状だと思う。詳しく説明を聞くと、場面緘黙症とは、一定の条件において一切の発話ができなくなるという症状のことだった。そして日本全国には推定二十万人ほどがその症状を抱えているということだった。また厄介なことに、場面緘黙症に聞く特効薬はもとより、具体的な治療法は特に無いということだった。

 場面緘黙症になる原因ははっきりと特定されていないが、心理的ストレスが要因になることが多いという。戦争を目の前にした少女、身内の死を体験した少年、そういった年齢に不釣り合いな心への衝撃が場面緘黙症を引き起こす場合があるらしい。僕の場合は、卒業式の練習での出来事がそれに当たるらしい。皮肉な話だが、僕は卒業式の練習を積み重ねて、自分から言葉を発するという行為から卒業したというわけだ。

 僕の症状が明らかになったその日から、母の僕への対応は昔の通り、柔らかく優しくなった。常に
「無理して話さなくていいからね」
と言い続けた。母は僕に無理をさせないと言うと同時に、自分自身にも無理をさせないように言い聞かせているように見えた。今まで一人で背負いこんできた苦悩の日々に、お疲れさまと労いの言葉をかけているようにも見えた。学校で話せない、友達とも話せない、もちろん一人きりでも話さない。そんな日常が続いていくと、母とも話す気が無くなってくる。人間の筋肉というものは、使わなければ使わないほどに、その動きが緩慢になってくるらしい。話すための筋肉がどこのどの部分なのかは見当もつかないが、その部分がどんどん脆くなっていったのだろう。それでも食事や入浴などの、生活に必要なものについてはコミュニケーションが必要になる。それらについては、母に対して首を縦に振るか、横に振るか、イエスかノーの二択の意志表示だけで十分だった。

 小学校はなんとか卒業できたものの、中学一年生からは不登校になった。なんせ、先生はもちろんのこと周りの友達とも話せないのだから、学校に行っても苦痛でしかないのである。学校が嫌で嫌で仕方なくて、でもどうにもならなくて、毎日を自分の部屋で過ごした。一人きりで過ごす自分の部屋は、常に無音で満たされていた。静かすぎるほどの静寂は、呼吸をするたびに自分の体内に吸い込まれ、より密度の高い静かさが蓄積されていった。そんな自室はまるで深い海のようだった。僕は深い海の中に沈んでいて、遥か上の方の水面を見上げる。水面より上は音のある世界で、光が反射するその世界はこちら側よりも素晴らしく思える。しかし僕は手足を縮めて息を潜める胎児のように、そこから一歩たりとも動けないのだった。

 物音一つしない部屋で、僕はひたすら本を読み耽った。幸い家には亡き父が残した本が沢山あった。ドストエフスキーや太宰治、志賀直哉やヘミングウェイといった小説たちが背を並べていた。また小説だけではなく社会主義について書かれた本や心理学に詳しい本もあった。有り余るほどの時間を携え、僕はそれら一冊一冊に目を通していった。難しい単語は丁寧に辞書を引きながら、無音の世界に一つ一つ語彙を増やしていった。まるで大きな石に碑文を刻み込むように、ゆっくりと、正確に。少しずつ増えていく言葉たちは、僕の喉から出ることはなく、ただただ胸の中を浮遊し続けた。いつか話せる日のために、なんて淡い期待で行った行為ではなく、辞書づくりに没頭する地味な編集委員のように、淡々と繰り返す作業が好きだったのだ。膨大な時間の海を前に、小さな無数の笹舟を浮かべるような気持ちで、本を読んでいった。

同じように繰り返していく日々の中で、身体だけは思春期特有の爆発的な成長を見せた。母が作る食事を食べ、水分を取り、窓から差してくるわずかな陽光のみを浴びる。食べて得た栄養分を消化し、それは僕の背を伸ばしていった。まるで、無菌状態の野菜工場で作られる無数のスプラウトのように。背が伸びていったのは、小さな母に比べ、背の高かった父に似たのかもしれない。でも僕自身の中身は、読書によって言葉が増えていった以外には何も変わっていなかった。もともと億劫になっていた母との会話は、そのうち完全にゼロになった。それでも生活には何の支障も感じなかった。母が、いつまでも嫌な顔一つせずに対応してくれたことを有難く思う一方で、こんな息子ですまないと自分を責める気持ちを常に持ち続けていた。

学校側は、時が過ぎていく中で、どうしていいのか分からないようだった。登校の兆しがまるでなく、第一、母親自体にも登校させる意思が無いようなのだ。言葉を発することができないから、本人の意思確認さえままならない。お互いにそっとしておくほうがウィンウィンの関係なのではないかというところか。たまに思い出したように担任の先生や友達が訪ねてくるものの、それ以上の進展があるはずなどなかった。担任の先生は会話でのコミュニケーションができないから、筆談を進めてくることもあった。またあるときは、ホワイトボードに五十音が配置されていて、それを指でたどることで会話を成立させようとしたときもあった。いろんな方法で交流ができるんだなあとどこか他人事で思いながら、なぜか僕の気分は乗らなかった。言葉を発するという、初歩的なコミュニケーションの術を絶って長くなると、そのほか全ての交流がひどく面倒になることを知った。筆談も五十音も、僕の前では何の意味もなさなかった。強いて言えば、交流をする意志はないという意思表示はできたのかもしれないが。

 気づけば、義務教育も終わりの中学三年生の三月になっていた。自分の部屋から一歩も出ないようになった僕は、背だけがひょろりと高く、陽に当たらない身体は不健康な白さを維持し続けた。担任の先生が訪ねてきて渡してくれた卒業証書にも、何の感情も湧かなかった。果たして僕は何から卒業できたのか、自分自身が一番謎だった。


 そして今に至るというわけだ。僕の今までの人生は原稿用紙数枚書けば余裕で足りる密度の低さである。伝記にして発行するにしても、本にする必要は無い。ぺらぺらの数枚の紙をホッチキスで止めるだけで事足りる。もちろん僕は高校には進学しなかった。出席日数が全く足りておらず進学できなかったということもある。しかし、今は様々な形態の高校がある。サポート校と呼ばれる学校の類がそれだ。通信制といって自宅学習をレポートにして送り、それを単位としてカウントするというものだ。僕はそれらにも行くことを拒否した。正真正銘のニートになった。ただただ毎日を浪費して、ただただ母の作る食事を食べ続けた。そんな単調な引きこもり生活もついに四年目に突入していた。オリンピックも夏季・冬季・夏季と通過していったが、僕の生活に大きな変化は何もなかった。自分の部屋で過ごし続ける日々に、季節は何の感慨ももたらさなかった。


 ある日、いつものように深夜遅くまで起きて部屋で本を読んでいた。ふと読書の手を止め、何の気なしにテレビの電源をつけてみた。だいぶテレビをつけていなかったのでリモコンが埃をかぶっていた。画面を見ていると、ロックフェスの特集があっていた。フェスについてはどこかでなんとなく聞いたことがあるものの、実際に見たことはなかった。音楽という、静寂とは真逆のものに興味がなかった。しかし、テレビに映ったその光景を見て、僕は身体の芯から震えるほどの衝撃を受けた。

 夏の炎天下、焼けつくような直射日光の中、人の波ともいえるような人間の群れがそこにはあった。ステージを前にして、その巨大な「生物」は、今か今かとバンドの登場を待っていた。頭にタオルを巻いている男性。好きなバンドのロゴを腕にペイントしている若い女の子。ビールを片手に、なにやら叫ぶ人。蠢く人の波波波波波。人間の群れは統一された意志を持っていないようで、好き勝手に各部位が動き続けていた。しかし今か今かと来たるべき瞬間を待ち続け、火山が爆発する時を待ちわびているように見えた。

すると、その世界の主役がステージにゆっくりと登場した。すると、会場のテンションは一気に最高値に達した。人間の群れは一気にボルテージを上げ、怒号に近い歓声をもってバンドを迎え入れた。バンドメンバー四人が所定の位置につく。ゆったりとした、しかし自信に漲るその所作は、初めて見る僕からしても誇らしいものだった。そう慌てるなよ、
たっぷり食わせてやるからな。バンドメンバーは人間の群れという「生物」を前に、飼育員のような慈愛に満ちた表情で各々の楽器を手にした。

楽器の手触りを確認したメンバーは、いよいよだなという感じで軽く目を合わせた。カウントを告げるドラムの声。ドラムスティックがハイハット・シンバルを高らかに打ち鳴らし、開幕を告げる。続いて下部にあるバスドラムのペダルを踏んでリズムを刻む。続いて地を這うような低音のベースラインが耳に飛び込んでくる。身体の幹の部分を揺さぶるようなそれは、徐々に迫りくるつむじ風を思わせた。そこに被さるようにギターの唸る轟音。中音域から高音域へと一気に駆け上がり、見る者聴く者を煙に巻く六弦の音は、会場の空気を切り裂く一羽の鷲に見えた。楽器から溢れ出る多彩な音の洪水が、渾然一体となり打ち鳴らされ続ける。そしてヴォーカルの感情の爆発した歌声。喜びに酔いしれる歓喜の歌声か、それとも完膚なきまでに打ちのめされた悲哀の歌声か。喜怒哀楽では足りない、この世の感情全てを網羅し、凝縮し、開放したような、もはや叫びといった方が的確な歌声は、どこまでも響いていく。それら個性的すぎる音の塊たちは、不思議な連帯感をもって一体となり、会場を駆け抜けていく。真夏の真っ青な空に突き抜けるサウンドは、宇宙に突き刺さるような鋭さと、世界の時の流れを止めてしまうような重さをあわせ持っていた。

僕は単純にテレビで見ているだけなのだが、まるでそこにいるかのような錯覚を覚えた。VRなんてちゃちなものじゃない。仮想ではない現実がそこにあった。引きこもっていた部屋の天井が飛んでいき、壁が四方に消えていくような感覚だった。こんな体験は生まれて初めてのものであり、自堕落だった僕の生活の中での唯一の刺激となった。

 それからは自分の部屋で音楽を聴くこと、特にロックンロールを聴くことが趣味になった。とは言っても家はネット環境が整っておらず、スマホも持っていなかった。CDも母のものしかなく、音楽とは距離のある環境だった。だから「音楽を聴く」とは言ってもテレビで「音楽を見る」のが僕の新しい趣味になった。

 昼近くに起きて、夜遅くまで起き続ける。そんな毎日を送る僕には他の人は持っていないものを持っている。それは時間だ。いくらでも使える時間が僕の誇るべき持ち物だった。僕は際限ない時間の中で、少しずつ外に出てみようという気持ちが芽生えるのを感じていた。その気持ちを動かしたのは、紛れもなくロックだった。

 もっとたくさんのロックに触れてみたい。周りに気を使わない大音量でロックを聴いてみたい。全身を突き抜けるような衝動を、毎日味わいたい。そして今までのどうしようもない日々を、自分を、変えたい。

 僕の日々は誰にも見えない形で、自分さえもしっかりと自覚できない形で、少しずつ前進していったのだった。


 僕がロックに目覚めてから、最初に外出して行こうと思ったのはタワーレコードだった。テレビの情報で聞いたことのあるそのCDショップは、膨大な品数と日本でも有数の規模を誇った。いくつものフロアにまたがって音楽CDが置いてあるなんて、狭い部屋に閉じこもりっきりの僕からしたら、夢のまた夢のようだった。

 僕は、ニートになってから半年近く経った十月からタワーレコードに行くようになった。毎日毎日、必ず同じ店舗に足を運ぶ。最初は部屋から出るのが心の底から怖かった。引きこもり生活がずっと続いていたし、周囲からの視線も怖かった。母以外からの視線を浴びることはもう長いことなかったし、怖気づいてやめたくもなった。しかし、僕は家から出る決意をしたのだ。母はそんな僕の姿を見てひどく驚いたが、深く聞くことはせずにほっておいてくれた。内心に秘めた思いを見せずに送り出してくれる母を、僕は心から有難いと思った。

 今日もいつも通りのコースを行く。自分の中のルーティンともいえるお馴染みの道のりがあるのだ。まずは日本のロックバンドのコーナーで試聴をし、次に洋楽のコーナーへ。そして最後に洋楽の中でもハードなロックのコーナーの試聴をする。ロックのフルコースだ。卒業式の「事件」以来、いまだに誰とも話していない僕は、外出先で人から話しかけられることがいちばん怖い。移動は常に速く歩くことを心がけ、誰にも声をかけられないオーラを出すことを意識した。不必要に話しかけられることがあったら、一巻の終わりだ。返事ができない僕のことを、その人は心底不思議そうな目で見るだろう。その目はきっと不審で心配で奇妙なものをみるような、あの日の体育館の人々の目に似ているだろう。

 タワーレコードの試聴が好きな理由は、品揃えが豊富なのはもちろんのこと、試聴機のヘッドホンが本格的なものを採用している点だった。初めてタワーレコードを訪れたとき、その音の重厚さに驚いた。テレビで聴く音とは全く別物の生の音がそこにはあった。視聴機のヘッドホンは「テクニカ」というメーカーのもので、臨場感のあるサウンドを提供してくれるのだが、特にベースなどの重低音をしっかり拾ってくれる。こういったやや専門的な内容は、店舗の中の多くの雑誌から得た知識だ。

 まずは日本のロックのコーナーで、最近出てきたバンドの曲を聴く。大ぶりなヘッドホンを留め具から外し、頭にはめる。ずっしりとした重みと、ヘッドホンの耳に当たる部分の柔らかい素材がしっかりフィットする。その瞬間、密着した耳とヘッドホンの間は無音になる。今まで店内を満たしていた音楽が消え、さあいよいよロックと向き合うんだと気持ちを入れる。

 曲を選り好みすることはなく、僕はいつでも並べられている順番の通り、上からCDを聴く。DISC1と書かれたボタンを押すと、ディスクがそっと挿入され、回転を始める。この瞬間が僕にはいちばん幸福な時間に思える。目の前で回転するCDは次第に速度を増し、CD表面のデザインが見えなくなる。最初のギターのリフ。耳をつんざくような攻撃的なサウンドは、僕の身体を浮き立たせる。充足感に満たされ始めるのを感じながら、深呼吸をした。

 引きこもりを続けて周囲との関係を断っている僕は外に出ている間はとても弱い存在だ。だけど、ヘッドホンをつけた僕は誰よりも無敵だった。大音量で流すロックは僕を勇気づけ、自然に足でリズムを取ることさえできた。ロックを聴きながら目を閉じる。するとそこはフェスの会場になる。そこでは足でリズムをとることが最も自然な行為であり、またリズムをとらないことが似つかわしくない姿なのだ。またヘッドホンをつけた時点で、他人から話しかけられることが無いのも心地よかった。周囲の他人の視線を受けながらも自分らしくいられるということは、自分の中では矛盾することだった。視線という無音の攻撃を浴びながら、轟音鳴り響くヘッドホンの中で、僕は音の波に酔いしれた。

 一曲一曲、じっくりと試聴をする。毎日毎日この生活をし、二週間に一枚だけCDを買った。吟味に吟味を重ね、自分の気持ちに最もフィットしたCDを買う。二週間視聴を続けていくと、様々なものが見えてくる。CDを一枚だけ買うという、スマホ音楽全盛の時代に似つかわしくないささいな贅沢は、僕の生き甲斐になった。

 日本のロックバンドのコーナーを終え、フロアを変えて洋楽に向かう。日本のロックもいいが、洋楽のロックも好きだ。僕は英語が全く分からないので、それが逆に良かった。歌詞の意味など全く関係なく、ただただ音に酔いしれていられる。歌詞は記号的な側面を強め、歌声も楽器としてとらえることで、より純粋にロックを楽しめるようになるのだ。


 今日の店内は人が少なかった。平日の昼間ということもあり、閑散とまではいかないが、混み合っているということはない。洋楽のフロアはちらほらと人が見えるくらいだった。目的の試聴機のところまでくると、そこには目を疑う光景が広がっていた。それは、僕とまったく同じ服装をした女の子がヘッドホンをして、音楽を聴きながら体を揺らしていたのだった。スニーカーにデニムのボトムが同じなのはもちろんのこと、グレーのパーカーまで同じであり、ご丁寧にもパーカーにプリントされてある文字までオレンジ色の「CHICAGO」だったのには目が点になった。スニーカーやデニムはデザインが異なるものの、少なくともパーカーだけは全く同じメーカーの全く同じデザインのものを着ていることになる。

 僕は今まで体験したことのない状況に戸惑い、後ずさりさえした。そして何よりも感じたことのない恥ずかしさが僕の胸を満たした。まるで同じ列車内に、偶然乗り合わせた同じTシャツを着ている同級生がいるかのようだった。が、それと相反する気持ちが心に湧いてくるのを感じた。それは、自分の唯一の聖域である試聴機を譲ってはならないという気持ちだった。幸い、ヘッドホンは試聴機に二つずつついている。隣に行けば、同じコーナーの曲を聴くことができる。

 このまま帰ってしまうのは楽だ。楽だけれど、なんだか悔しい。きっと生まれて初めての感情が僕を動かし、震える身体を引きずりながら足を前へと一歩ずつ踏み出させていった。勝負ごとに興味がなく、負けず嫌いとは程遠い僕に沸いた、同類への対抗心だったのかもしれない。

 僕と同じ服装をした女の子は、僕よりも遥かに小さかった。僕は身長が一八〇センチ近くあるけれど、彼女はたぶん一五〇センチぎりぎりのところだろう。近づいていくにつれて、より背が小さいのを実感する。悟られないように上から見下ろすと、彼女はきれいな栗色の髪の毛をしていた。それをボブの髪型にし、上からヘッドホンを装着していた。結果的に撫でつけられた艶やかな髪からは、キューティクルによる控えめな光が放たれていた。繊細な光は彼女が首の角度をゆっくりと変えるたびに様相を変え、輪が広がったり縮まったりを繰り返し、表情を変え続けた。

 後ろ姿の彼女を見ながら、ゆっくりと試聴機にたどり着いた。彼女の真横の位置に陣を取り、ゆっくりとヘッドホンを手にした。彼女に気取られないようになるべく素早く耳につける。いつも通りDISC1のボタンを押し、CDがプレイヤーに入るのを見届けると、イントロが流れ出した。今日の一曲目はオランダのハードコアバンドらしい。目の前に掲げられたポップを見ながら、説明を頭に入れていく。なるほど、デビューしたての若手バンドでありながら、その重厚な演奏はオーディエンスからの定評を集める、と。キャッチーかつバイオレンスなサウンドは、これからのムーブメントとなるだろう、と。って、カタカナ多すぎだな。

 彼女は僕の真横で、演奏に聞き入るようにしっかりと目を閉じていた。こっそり横を観察してみたところ、不必要に感じるほどに長い睫毛は一ミリさえも動かず、音楽に心酔しているように見える。音量を調節するツマミも最大にひねってあり、そこには外界からの折衝を遮断する意思が見て取れた。そこは僕と彼女の二つ目の共通点であり、同じ試聴機に現れたライバルでありながら、どこか親しみをも感じ始めていた。

 僕のヘッドホンの内部では(僕の想像でしかないが)おそらく強面でスキンヘッドのヴォーカルが、オランダ語でシャウトを続けていた。コーラスも入らないそのシャウトは、チューリップと風車でお馴染みのゆったりした国とはかけ離れた粗暴な印象を抱かせた。ヴォーカルが喉の血管を激しく浮かびあがらせながら歌う姿が目に浮かぶ。ヴォーカル、そしてギターへの細かい聞き取りを終えた僕は、そろそろベースに注目して聴こうとしていた。ロックにはまってから、パートごとにチェックをするのは、僕にとっての一つの儀式になっていた。それは自分の部屋で読書をするのに似ていた。各箇所の情報を確認し、それを全体として統合する。媒体は違えど、僕の対象にあたる際の手はずは同じだった。

 意識をベースの低音に移そうとして、固く閉じていた目を何気なく開いた、その瞬間だった。

 隣にいる女の子が、ヘッドホンを取ってこちらを見ていた。見ていた、というより覗きこんできたという方が正確である。彼女は僕と全く同じ服装をして、こちらに強い視線を投げかけていた。僕は、条件反射でその深い漆黒の瞳を見つめ返していた。しかしその視線には攻撃性が宿っておらず、好奇心しか感じなかった。どうして?なぜ?といった純粋な探求心のようなものを感じた。

 しかし、その視線とは裏腹に、彼女は何も喋らなかった。僕の耳には相変わらずオランダのハードコアバンドの演奏が流れ続けていた。僕らはお互いにじっと立ち尽くしていた。同じ服装をした二人は、身長から見てそれぞれ(大)(小)とサイズ分けされた人形のようだった。一分ほどの時間が流れ、僕の耳の中のフェスが終わりを告げようとしたころだった。彼女はゆっくりと、しかし堂々とした動作で一歩こちらの方に近づくと、僕の耳からヘッドホンを強引に奪い去った。


 僕の世界から一切の音楽が消えた。そして代わりにゆっくりと聞こえてきたのはタワーレコードの店内のBGMだった。それはハードコアバンドとは一転して、可愛い歌声のアイドルグループのものだった。轟音からの静寂、さらには甘ったるい歌声のギャップに、僕は頭がくらくらした。そして僕らは合わせ鏡の中の住人のように、その場に対峙し続けた。

 僕は彼女にかけるべき言葉を探した。そしてそれはすぐに見つかった。「何をするんですか」と疑問形で聞くのがこの場合の常套句だろう。誰がどう考えてもそうだ。自分の至福の時間を一方的に邪魔され、その理由さえ言わずに立ち竦んでいるのだから。

 彼女は僕の目を、好奇心に満ちた瞳で、耳で、頬で、口で見つめた。そして驚くほどにたどたどしい口調で、聞こえるか聞こえないかの小さな声で
「な、に・・・してい、る・・・んです・・・か」
と笑顔で尋ねてきたのだった。


 彼女は口よりも目で語るタイプだった。口数は多くはなく、そして語る言葉は聞き取るのが非常に難しいものだった。ゆっくり話すのだが、それが不連続に途切れ途切れなので、とても聞き苦しい。さらに声も小さいので、必然的に顔を寄せて話を聞くことになった。それでも彼女は、いま一七歳であること、たまにこの店に来ること、いつも一人で来ることを一方的に話した。「一方的に」なのは、もちろん僕がうなずくだけの反応しか返していないからであり、ここまで忘れていたが僕は一切しゃべれないのだった。自分が言葉を発せないことを忘れるほど、彼女はたどたどしくも真剣に話した。僕は説明に奮闘する彼女の顔を見ながら、自分は言葉を発せないくせに、話すのを頑張れ頑張れと応援していた。

 彼女はそんな僕にお構いなしで話を続けた。ゆっくりではあるが店舗のBGMに負けないテンポとギリギリのボリュームをもって展開される話に、僕が何かを差しはさむ余地はなかった。

 休むことなく喋り続けた彼女は、少し疲れたのか長めの呼吸をしてから、僕に告げた。
「あな・・・たは・・・なんでしゃべら・・・ない、の・・・?」

 これまで外界と触れないように努めてきた僕には、新鮮な質問だった。なぜ、しゃべれないのか。なぜ・・・?そういえば何でなんだっけ・・・?

 僕はその質問に真摯に答えたいと思った。話すことができない僕は、目の前にあったお客様アンケート用のハガキと簡易なボールペンを手に取った。そしてなるべく読みやすい丸文字で
「場面かんもく症という病気のようなもので、しゃべれません」
とゆっくり書いた。

 彼女はよく分からないという風な表情で小首をかしげたが、まあいいやという感じで自然に口角を上げて笑顔を作った。そして
「おしえ・・・て・・・くれて・・・、ありがとう」
と、割と「ありがとう」だけははっきりとした口調で言ったのだった。

 僕は久しぶりに、本当に久しぶりに他人と交流することに興奮を覚えていた。自分ひとりしか存在しない世界に、一人の流浪の民が迷い込んできたような、妙な感動を抱いていた。そこでハガキの残りのスペースに、追加でこう書いた。
「あなたはどうして音楽を聴いてるんですか?」
と。彼女はその文字を見て、少し考え込んだ後、やっぱり笑顔で
「わた・・・し・・・、みみがきこえ、にくいん・・・だ・・・」
と言った。

 彼女は頷くだけの僕を見ながら、ゆっくりゆっくりと語った。彼女は単純に耳が聞こえにくいのではなく「心因性難聴」なのだと言った。心にかかるダメージから、音が聞き取りにくいという症状だった。特に彼女の場合は、高音がよく聞き取れないということだった。どういったストレスがあったのかは、さすがに話さなかったが。

 そこで僕はなるほどと納得がいった。彼女はロックで試聴機のヘッドホンから流れるベースラインに、特に耳を傾けたいのではないかと。誰にも邪魔をされずに、低音の調べを楽しみたいのではないかと思った。彼女はそこまで喋ると
「それ・・・じゃあ・・・」
と言い、またヘッドホンを装着して音楽に没頭し始めた。僕も当初の目的を思い出して、また試聴機のスイッチを押した。CDは回転を始め、またしてもロックバンドの爆音の世界へと僕を誘った。

 その日は三〇分ほどお互いに試聴をした後、なんとなくそれぞれその場を離れていく流れになった。ただ、別れ際に僕はどうしても疑問に思ったことを聞いた。それは、どうして僕のヘッドホンを奪い取ったのかということ。これだけはどうしても聞いておかなければならないと思った。僕は新しいお客様用アンケートのハガキを取り、疑問を書いた。彼女はその内容を読み、恥ずかしそうに言った。今までよりも一段小さな声だったような気がする。

「同じ服・・・の人がいて・・・同じよ・・・うにロックを聴いていて、なんだ・・・か負けられないと思った・・・の・・・。どうせな・・・ら・・・わたしの・・・方が長く聴いてやろうと思ったんだけ・・・ど・・・なかなかどかなく・・・て・・・」

 彼女の言い分は、僕が彼女と出会ったときの心境に似ていた。どことなく負けられない気持ちに駆られ、その場を離れたくないと思ったのだった。そして彼女は

「それ・・・でね・・・そんな時間を過ごしている・・・うちに面白くなっちゃって、あなたと話・・・をしてみたいと・・・思ったの。こんな・・・こと初めてなんだけど・・・。それ・・・で衝動的にヘッドホンを取っちゃった・・・の」
と続けざまに話した。彼女はそれだけを話すと、その場を離れていった。よほど恥ずかしかったのか、一度もこちらを振り返ることはなかった。

不思議な体験をした僕は、家に帰って部屋にこもってからもなかなか落ち着かないでいた。気持ちがそわそわし続ける僕は、一歩距離を置いて冷静に今日のことを考えていた。

 「話せるけれど聞こえない」彼女と「聞こえるけれど話せない」僕のことを。お互いに抱えた複雑な事情と、お互いに好きなロックのことを。

 感情の爆発の結晶ともいえるロックが好きな二人は、感情を伝え合うことが最も不得手だという皮肉をはらんでいた。悲しいような、ユーモラスなような、またその一方で、ある意味で幸福なような僕らのカップリングは、いろいろなことを考えさせる材料になった。喜劇でもあり悲劇でもあり、なにかのメタファーでもある僕らの組み合わせは、考えれば考えるほど興味深いものだった。


 彼女との出会いからも、僕は相変わらずタワーレコードに通うことを続けた。彼女の方も同じであったらしく、二週間に一度くらいのペースで顔を合わせることになった。彼女に会うたびに、僕は無意識に笑顔になるのを感じていた。彼女の方の気持ちは分からないが、いつでも素敵な笑顔を見せてくれた。お互いに趣味が同じこともあり、入り組んだお互いの事情を話したことで、気持ちが通じたところがあるのかもしれない。

 ボブの髪がさらりと揺れ、笑顔から白い歯がこぼれるのを見るたびに、胸が疼くのを感じていた。つんと尖った鼻も、くっきりとした二重まぶたも、健康的な頬の色も、すべてが僕の胸を高鳴らせた。いつか彼女と話してみたい。そんな思いが僕の心を持ち上げていくのを感じ、だんだんと外出にも抵抗を感じなくなっていった。


 冬が終わりを告げ、二月の終わり。ちらほらと桜のつぼみが開き始める季節になった。寒さの中に時おり感じる暖かさが、時の移り変わりを感じさせる。これは引きこもっていたころには感じられなかったことだ。春の陽光が僕の肌を心地よくあたためてくれる。

 今日のタワーレコードは程よく混雑していた。土曜の昼下がり、人が多いといえば当たり前かもしれない。彼女とはもう一ヶ月以上の間、出会っていなかった。お互いに決まった間隔で来るわけではなかったし、約束を取り付けているわけでもなかった。ただ、ずっと会えていないと不思議と胸が騒ぎ、いつものロックを聴いたところで満足に心は高鳴らなかった。その感情を言葉にする手段を、僕は持ち合わせていない。

 いつもの試聴のコースを辿ろうとして日本のロックのコーナーにきたところで、見慣れた後ろ姿に気が付いた。彼女がヘッドホンをつけて、音楽に合わせて軽く体を揺らしていた。ちょうど曲が終わったのだろう、ヘッドホンを外し、軽く首を回している。僕は久しぶりに見る彼女に胸が高鳴る。少し足早に彼女の隣に向かおうとしたその時だった。

 彼女が足元に置いていた小さめの濃い緑色のリュック。いつも持ってきている定番のものだ。それに向けて駆け足で近寄ってくる男がいた。黒っぽいジャージ姿で、背は僕よりも少し低い。その視線の強さや迷いの無さから、置き引きを狙っているのだと直感的に分かった。彼女は次の曲を試聴しようと目の前のポップを読んでいるので、男の気配には全く気付いていない。その構図を見ているのは僕だけで、周囲を見渡しても誰も興味を払う者はいなかった。

 彼女に教えないと。

 頭の中にそのフレーズが浮かんだものの、どうすればいいか分からない。自分の考えが言葉となって口から出てくるだろうか。もう四年もまともに話していない。誰にも自分の想いを伝えられていない。でも、でも、彼女がピンチだ。

 そのときに今まで聞いてきたロックンロールの数々が頭の中に渦を巻いて再生されてきた。観客の歓声、それに応えるロックバンド。感情の爆発、すべてを超越する音、音。

 日本のロックのコーナーにいる彼女の近くには日本のスリーピースバンドのパネルが躍る。僕はそのバンドのある曲名を、一瞬のうちに思い出していた。

「できっこないを やらなくちゃ」

 やるんだ、僕はやるんだ。ロックはやるんだ。ロックはできるんだ。ロックは強くて、負けないんだ。


 震える唇をひきしめ、小さく息を吸い込む。話すときの準備を忘れかけてはいたが、身体は覚えていた。頭に思い描いた言葉をまとめ、のどの筋肉を動かす。唾液を飲み込み、のどを振動させるようにして口を開いた。

「うしろ!あぶない!」

 短い言葉だったが、しっかりとした言葉は店内に響き渡った。男は僕の言葉を聞くなり、彼女のリュックを掴んで振り返らずに走り出した。僕の声と男の様子を見て、周りのお客さんや店員さんの数名が、男を捕まえるために走り出した。男と、男を追いかける小集団は店舗を騒がしく出て行った。

 僕は自分がしたことについて、純粋に驚いていた。声を出せたということ、そして自分の想いを誰かに伝えられたということに。できたんだ。僕はできたんだ。できっこないを、やれたんだ。

 前の方を見ると、当事者である彼女は驚いたように立ち尽くしていた。耳が聞こえにくい彼女は、一連の流れをよく把握していないのだろう。けれども彼女は不思議そうな顔をして僕を見つめ、

「声・・・で、ました・・・ね・・・?」
とにっこりと微笑んだ。音を聞き取りづらいはずの彼女がなぜ聞き取れたのかと考えたが、僕の耳に残った僕自身の声を頭の中で再生すると答えが分かった。

 小学六年生以来出した僕の声は、ずっしりと低い大人の声に声変わりしていた。自分の声は小学生のときは澄んだソプラノだったので、ずっとそのイメージを抱き続けていた。が、今日出した僕の声は、エレキベースのような芯の強い低音だった。BGMの流れる店内によく響く、太く重さのある声だった。だから彼女の耳に、僕の声が届いたのだ。


 僕はゆっくりと彼女に近づいていった。まだ震える唇と震える足先と、そして震える心臓を引きずりながら。彼女を落ち着かせる言葉をかけてあげたいと思った。動揺して怯えているであろう彼女に声をかけてあげたいと思った。そしていつか彼女もストレスから解放されて、元通りに耳が聞こえるようになるといいと思った。根拠はないけど、いつかそうなる日がきっと来ると思った。

 置き引き犯をとりまく一連の騒動で、店内は閑散としていた。僕らの周りに、他のお客さんや店員さんは一人もいなくなっていた。


 静かな店内に僕の心臓の音が聞こえる。耳を澄ますと、彼女の心臓の音もしっかりと聞こえてくる。二つの心臓は互いのビートを力強く刻む。みんな、日々ビートを刻みながら生きている。自分だけの音を、大切な人たちと重ねながら。重ねられた音たちは、輝く光となって街を包み込んでいく。

ぼくらはみんな、ロックンロールを奏でているんだ。負けないように、強くなるために。

 宇宙まで突き抜けていくような二つの鼓動は、いつまでもいつまでも響き続けていた。






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