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「あれは、村がダムに沈むことになった日だった……」

 儂はシロを置き去りにしてしまったんだ、と寂しそうに語るお爺さんに、僕は言葉を返すことができなかった。


 村がダムに沈むことが決まった時、反対する人が大半だったという。
 それはそうだろう、と思った。
 住んでいる場所、思い出の土地が無くなってしまうのだ。
 思い入れのある品だって、全て持ち出せるわけではないだろう。

「儂の親父が反対派のリーダーになってな、反対運動をしていた。相手側もかなり強引だったもんで、妨害行為もだんだん過激になってな、逮捕者も出たくらいだ」

 幸い、お爺さんの父親は過激な妨害行為には関与しておらず、取り調べを受ける程度だったらしいが。
 逮捕者が出ると一転して反対派は激減、一家族、また一家族と転居先を見つけ村を出ていったそうで。
 お爺さんの家と、あともう二家族だけが、最後の最後まで立ち退きを拒否していたらしい。
 そのころにはもう水を堰き止めるための堤防が上流と下流に造られていたそうだ。

「人がいようといないと、一刻後に上流の水門を開ける、これが最終通告だ、という知らせが入ってな。とうとう、儂ら子供まで巻き添えにするわけにはいかんと立ち退くことにしたんだと」


 そうして、慌ただしく村を立ち退く事になったのだそうだ。
 残った三家族で協力してトラックに荷物を乗せられるだけ乗せて。
 幸い残った三家族とも農家で農耕具を運ぶための大きなトラックを持っており、敗色濃厚になってから少しずつ退去の準備を進めていたから、一刻という猶予の中でもなんとかたくさんの物を持ち出せたらしい。

「あとは人が乗り込んで出発、という時だった。シロが篭に入ってくれなくてな」

 いつもはお爺さんが何をするにもピッタリと寄り添ってついてくるシロが、この日だけは傍に寄ってこなかったそうだ。

「いつもと違うということを、感じ取っていたのだろう。無理やり捕まえて篭に入れようとしたら、噛みついてきてな。思わず手を放してしまった」

 それまで噛みつくことはおろか爪を立てることすらなかったから、驚き呆然としている間に逃げてしまったという。
 この辺りは以前覗いたお爺さんの記憶やシロから読み取った記憶と同じだった。

 探しに行こうとしたけれど、そんな時間はないからとお爺さんのお父さんに止められて泣く泣くシロを置いて村を出たそうだ。

「親父は、シロは動物だから危険を察知して山の方へ逃げただろう、大丈夫だって何度も言ってくれたんだがな。儂はそうは思えなんだ。シロの事だ、きっとあの家のどこかに隠れているんじゃないかって。戻りたかったが、放水の合図のサイレンに急き立てられるように村を出たんだ」


 お爺さんの話を聞いて、シロから読み取った記憶の全貌が理解できた。
 シロが怪物の鳴き声と思ったのは、放水の合図で、振動は流水によるものだったんだ。
 お爺さんの予想通り、シロは大きなサイレンに驚いて家の中で隠れていた。
 そしてそのまま、死んでしまったんだ……。

「きっと家にいるという妙な確信があったからな、きっとシロは助からなかっただろうって思った。今でも時々、シロは儂の事を恨んでいるんじゃないかと、あの日の夢を見るんだ」

 あまりにも悲しい話にボロボロと涙を溢す僕の頭をお爺さんは優しく撫でながら、そっとティッシュを寄越してくれた。


 僕は言いたかった。
 シロはお爺さんを恨んでなんかいないと。
 あの日お爺さんから逃げたことを謝りたがっていると。
 今も、お爺さんの膝の上で、お爺さんに撫でられたがっていると。

 でも、同時に要の言いたかったことも分かってしまった。


 お爺さんはあの日の事を悔いている。
 シロが自分を恨んでいると、今でもあの日シロを探しに行けなかった自分を責めている。

 僕の力でシロをお爺さんに会わせてあげるのは簡単だ。
 できることは楓でもう実験済みだもの。
 ただ姿を見せてあげたいと願いながら触れれば良いだけ。

 でも、今のお爺さんにそれをしてしまったら、きっとお爺さんはシロがお爺さんを恨んで化けて出たと思ってしまうだろう。
 それは、シロの望むこととは真逆の事だ。誰も幸せになれない。

 お爺さんとシロはこんなにも相手の事を想っているのに。
 どうしたら、すれ違うことなくお爺さんとシロを引き合わせてあげられるのだろう。
 お爺さんとシロのために僕ができることは、何があるのだろう。

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