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「お母さんがずっと家にいて、事あるごとに危害を加えようとしてくるってんなら、それが家を出る正当な理由になるけど。話を聞く限り、お母さんは自傷行為がほとんどで家にもほとんどいない。だからこれは出ていくための理由にできないだろうな」

 楓さんは、真剣に私が家を出ることについて考えてくれている。

「とは言え、お兄さんの言葉になっちゃんが傷ついてるのも事実だ。取り敢えず、バイトをして家を出る準備を進めたらどうかな?」

 確かにそれが一番の方法であると思う。
 家を出る正当な理由なんて用意できそうにないし。

「……できるかな……?」

 入学してすぐに梨花が真剣に眺めていた求人広告を一緒に見たことがある。
 目についたのはコンビニとか、書店とか、接客が必要なものばかり。
 クラスメイトにすら声を掛けられないのに、知らない人を相手に仕事なんてできるのだろうか。

「できるさ!」

 楓さんが何故か確信めいた口調で言う。

「なっちゃんは、自分で思っているよりずっと行動力も度胸もある。こんな山奥の廃墟に一人で来るし。俺みたいな得体の知れない人間とこうして普通に話しているしな」

 それは、香月君との約束があったからだし、要さんと似ているからだし。きっと楓さん以外の人は無理じゃないかと思う。
 それをそのまま伝えると、

「ふむ、なら、要の所で働いたら良いよ。なっ、要?」
「何の話?」

 ちょうど要さんが入ってくる所が見えたのだろう。急に話を振られた要さんが苦笑いをしながら、私に向き合う。

「夏樹さん、楓に何もされなかった?」
「失礼な! 俺にはちゃんと愛する妻がいるから浮気なんかしないぞ!」
「楓には聞いてない。夏樹さん、こいつキス魔だから適度に距離を保ってね。それで、夏樹さんさえ良ければなんだけど。俺の所で働かない? 仕事内容は表向き子守と家事。と言いつつたぶん洗濯も掃除も料理も香月がやるから、実際には香月の相手をしてくれればそれでいい。時間は夏樹さんの学校が終わってから、俺が帰宅するまで。おやつと夕食付き。休みは土日。時給は千円。どう?」
「やります!」

 破格の条件だと思う。
 知らない相手ではないし。
 二つ返事で飛びついてしまった。

「良かった。香月も喜ぶよ。一人で寂しがってたから。早速月曜日から宜しく」
「あ、でも、兄さんには何て言ったら……」

 バイトなんて許してくれない気がする。
 夜遅くなることですら、あの態度だったのだ。

「色々書面を用意して、ご挨拶に伺うよ。俺から説得してみる。ダメならその時一緒に考えよう」
「あ、なぁ要。それなら、俺の所でのバイトも要の所でしたことにして」
「ん? あ、楓もしかして税務署への申告めんどくさがってる? まぁ良いけど。年二回の源泉徴収で済むし」

 バレた! とか騒ぐ楓さんと要さんとの間でトントン話が進んでいく。
 こうして、私は正式に要さんに雇われる事になった。

「じゃあ、要も来たし作業再開するか!」

 楓さんの号令で再び作業に戻る。
 楓さんと要さんは大きなごみを拾ったり、壊れたテーブルや椅子を運び出したりと力の必要な作業をし、私は箒で細かいごみを掃き出していく。

「そう言えば、今日は香月君は?」
「……クラブ活動して、終わったら家で休んでるんじゃないかな?」

 ふと気になったので聞いてみたら、手を休めずに要さんが答えた。
 何のクラブに入っているんだろうと思って聞こうとしたら楓さんが手を貸せと言って要さんを連れて行ってしまって聞けなかった。まぁ、後で香月君に聞けば良いだけの話だよね。

 途中でルナさんが昼食を持ってきて休憩したり、業者さんが割れたガラスを入れ替えたり、産業廃棄物の回収業者さんが大量のごみを運び出したりしていると、あっと言う間に夕方となった。


「よし、六時だし、なっちゃんはここまでだな」
「それにしても大がかりだな。結構な出費じゃないのか? 割に合うのか?」
「んー、今回に関しては完全に赤字だなー。まぁ、恩を売っておくと次に繋がるから、長い目で見ればプラスになるだろ」

 そんな事を言いながら楓さんが苦笑していた。
 ごみがなくなり、壊れた物が運び出されたので全体的にすっきりし、今朝までとはまるで別の建物のようだった。
 まだ落書きや床の汚れなどが目立つが、それは明日やるという。

「なっちゃん悪いけど、ロープを張り直すから、明日ホームセンターで買ってから来てくれる? これお金ね。それからこっちが今日の分の報酬」

 楓さんが渡してきた給料と書かれた袋には一万円が入っていた。

 達成感に満たされながらルナさんに送ってもらって、家に着いた。
 生まれて初めてのバイト。
 全身を動かし、クタクタになった体はすぐに睡魔に襲われる。
 食事も入浴も簡単に済ませるとすぐにベッドにダイブした。


 薄れゆく意識の中、誰かに名前を呼ばれたような気がした。

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