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「やあ、少しぶりだなスバル」


 スバルに気づくと、ヴィンクスは片手を上げて声をかけてきた。

 それと、レンズがボロボロの眼鏡を少し上げてから、視線をスバルに手にある『からあげパン』に向けてくる。

 どこもかしこも浮浪者一歩手前の出で立ちなのに、薄汚れてヒビの入ったレンズの向こうにある緑柱石(エメラルド)の瞳は、まるで捕食者。

 今にもスバルに、と言うよりも好物である『からあげパン』に飛びつきそうな勢いだったが、先にそれを予測したラティストが彼の背後から白衣の襟を掴み片手で軽々と持ち上げた。


「何をするんだね⁉︎」
「好物を手にしたい気持ちはわからんでもないが、まず手を拭け」


 いつ用意したのか、既にアルコール付きの濡れ布巾をヴィンクスの前に差し出していた。
 降ろされながらヴィンクスは渋々受け取って手を拭けば、予想以上に布巾が黒く汚れていくのでさすがのスバルも苦笑いが抑えられなかった。


「……師匠、また研究に没頭して?」
「…………仕方ない、かもしれないが。食べるのも忘れていた」


 真っ黒くろすけに染まった布巾をラティストに返却してから、タイミングよくヴィンクスの胃の辺りから腹の虫が暴れる音が聞こえてくる。

 よっぽど楽しみにしてたようで、作って正解だったとスバルはほっと出来た。


「……しかし、何故今日は作り立てを?」
「師匠がいらっしゃる少し前に完売しちゃったので」
「報せて正解だった!」


 作った理由を言えば、ヴィンクスはまるで子供のように飛び上がり、踊るようにくるくると回り出す。

 スバルよりずっと年上なのに、研究者気質と言うかヴィンクスの性格故か、好物を前にすると彼はいつもこんな調子になる。
 気がすむまで回り終えると、空腹の事を思い出したのか少しよろけてしまったが。

 スバルはすぐに塩ダレの方を差し出したが、いつもならすぐに食べるのをすべて会計させてくれと言ってきたのだ。


「お腹空いてるのに、いいんですか?」
「一気には食べないが、夕飯の楽しみに取っておく。蝶でロイズ伝手に報せたのは他の用件もあるからだ」


 そう言うと、作ったからあげパン四つを本当に食べずに購入しただけで済ませ、ズボンのベルトに固定させてあるポーチ型の魔法袋(クード・ナップ)にしまい込んだ。

 その入れ替わりに、ポシェットからいくつかの『素材』を空になった会計机の上に置いていく。


「やっと、『魔物素材』でも君になら扱えそうなのを見繕えた」


 出してきたのは、三つ。

 ひとつは、白い布で包んだヴィンクスの頭ほど大きな肉の塊のようなの。

 ひとつは、同じ布で包まれてあるが少し平たい別の肉らしき塊。

 ひとつは、ガラスの小瓶に入ってる乾燥させた草の粉末のようなもの。

 これらすべてが、魔物、もしくは聖域に自生する素材ばかりだとヴィンクスは告げてきた。


「食用としては、別に金をかければ手に入らなくない。が、ポーションとして使う事はまずないとされている」
「……たしかに。お前のような錬金師が扱うのなら、この治癒草の粉末程度だろうが」


 ラティストはスバルよりは、ポーション作りに関する知識は持っている。
 最も、彼はある意味特殊なのでスバルよりも知識があって当然だ。

 それはさておき、今までの通常食材で作り続けてたパンだけでも売り上げは十分だったが、師匠のヴィンクスが提案してくれたのを突き返すのは良くない。


「これ……お肉の方はどの部位ですか?」


 使うにしても、部位もだが正体も知りたかった。


「特性についてはメモにすべて書いた。とりあえず、分厚い方がオークのモモ肉。少し平たいのが一角虎のヒレ肉だ」
「…………僕と師匠(・・・・)には、あんまり縁もなかったのばかりですね」
「まあ、特に君の場合無理もない。オークの方は普通の豚肉ブロックと思ってくれ。虎肉の方はどちらかと言えば、牛に近い」


 使い勝手がわかるのなら、とても助かる。
 魔物には、街にいるので普段はとんと縁がないでいるが食用出来ることは知っていた。

 だけど、パンとは言ってもポーションに使えるかは不確定要素が多い。その理由で、これまでギルドに依頼されても出来なかったのだ。

 そこをヴィンクスの耳にも入ったので、師である彼が選別してくれたのである。


「んー、それなら……オークの肉はカツサンド。虎肉の方は同じカツでもレアに近い状態にさせて……ビーフカツレツとか?」
「ナニソレヨダレトマラナイ」


 既に腹の虫が限界なところに追い打ちをかけてしまったか。
 今にも食べたくて仕方ないと、食に貪欲なヴィンクスは唾を飲み込んでいた。


「早くても、明日の午後ですよ?」


 出来れば早く作ってやりたいところだが、扱いは似てても不慣れな食材を試作する時間も、今日はあまりない。

 通常のに加えて、卸してるギルドへの商品もたくさん予約があるのだ。他の試作も、仕込みの合間にやってはいるが並行するときっと時間はかかるだろう。

 ヴィンクスもそれをわかってくれてはいるので、もう一度大きく唾を飲み込んでから、がくりと首を折った。


「……極度に腐敗しにくいように、保存のポーションは染み込ませてある。味には問題ないはずだ」
「わかりました。じゃあ、筋取りさせてから熟成させちゃいますね?」
「くぅう……すぐには食べれないかっ」
「あと、せっかくだからロイズさんやルゥさんも呼びましょうよ」


 あの二人にも、効果はともかく是非とも試食してもらいたい。
 ヴィンクスと同じく、この店を任せてくれた恩人達。仲間外れは良くないと思っているのだ。


「……君なら言うと思ったよ。蝶は私が代わりに飛ばしておくが、明日でいいのか?」
「そうですね。最低、オーク肉の方なら出来そうです」


 無理のないスケジュール調整と、調理工程を浮かべてからきちんと答える。

 ラティストの仕事は少し増えるが、試作は毎日色々してるし、ここ三ヶ月でだいぶ慣れてきてた。ラティストの方からも何も言わないから問題はないはず。

 それと、滅多に表情を崩さない彼でも、実はヴィンクス以上に食には貪欲なところがある。スバルの次に試食が出来るから内心期待に満ちてるに違いない。
 少しだけ目配せすれば、視線が合った彼はほんの少しだけ目元を赤くさせた。


「……ところで、師匠」
「なんだい?」
「治癒草?の方はどう扱えば?」


 唯一不明点が多い、乾燥させた草の粉末の見た目はハーブ類に近い。小瓶を持ち上げて、魔法の火を閉じ込めた魔灯(ランプ)に向けてみてもスバルの知識じゃハーブとしか思えなかったのだ。

 もともと、ハーブは全般的に野草に部類するから間違ってはいないはずだが。


「ああ。少し調べたが、ハーブと同等の扱いでいい。治癒草だと……たしか、バジルだったか?」
「じゃあ、ピザパンのトッピングに使えますね!」


 この街や外でハーブを手に入れられないわけではないが、スバルの知ってるモノや風味とかはなかなか市場には出回っていなかった。

 それが、こう言った形で手元に来たのならば作らないわけにはいかない。
 肉もだが、これは試作し甲斐のある素材ばかり。

 さすがはヴィンクスだ、とスバルは綺麗になった彼の手を握ってぶんぶんと振った。


「それなら、実家で父さんと一緒に任されてたので明日には出来ます! せっかくなので、師匠の好きなトッピングにしますよ」
「そ、そうか!……と言っても、私はミックスピザしか知らないが」
「あ、そうですね。パンでも、それやマルゲリータ以外だとデリバリータイプも出来ます」
「な、悩ましいなっ。……が、治癒草を使うのであればマルゲリータあたりが妥当ではないか?」
「そうですね。今回はチーズ多めで作ってみます」
「…………そこまで、騒ぐことか?」


 一人蚊帳の外にされてたラティストには、二人がはしゃぐ意味がわからなかったようだ。
 それも無理はない。あとで教えてやることにするが、スバルとヴィンクスはある意味で同郷(・・)だったから。そこはラティストも知ってるので、すぐに納得してくれるだろう。


「では、私はこれで失礼する。早いが、愛しのからあげパンで夕食にするからな!」


 そう言い終わる前に重い扉を開けて、すぐに出て行ってしまった。


「……来る時もだが、相変わらず騒々しい奴だな」


 乱暴に開けられても、うまく閉まらなかった扉を閉めつつラティストは大きく息を吐いた。


「師匠らしいよ。じゃ、さっきも言った通り明日の試食会の準備も並行するよ。少し仕事増えるけど、大丈夫?」
「問題ない。成形でお前が手を加える必要の箇所以外なら、任せろ。その代わり」
「はいはい、試食はラティストが最初。そこは変えないから」
「……ああ」


 等価交換させずとも、試食は恩人達より先にするのはいつものことなのに。
 よっぽど、この素材で作られる未知なるパンが、食べたくてたまらないのだろう。

 彼を目当てにやって来る女性客が、こんな子供っぽい一面を知ったらどう思うか。
 もちろん言わないでおいてあげるが、仕込みは急ごうと、ラティストと一緒に厨房へ材料達を運ぶことにした。

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