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二種類のからあげパン①

 冷蔵庫を開ける。

 それだけなのに、いつもワクワクしてしまうのは小さい頃から同じだ。
 最も、実家の馴染みのとは違い、今目の前にしてるのはスバルがこの街でパン屋を開くようになってから、まだ三ヶ月程度の相棒だ。


「さっ、てと……漬かり具合はどうかなぁ?」


 その相棒の中で眠らせてた、銀製のボウルに布を被せたのを取り出す。

 少しだけ布を被せると、中身は全体的に黒っぽい茶色の液体。の中に、元は薄いピンク色をしてた肉の塊が程よい柔らかな感じで浸かっていた。

 スバルはボウルを片手で抱えてから、空いてる方の手で肉に指を伸ばして(つつ)いてみる。指の先から、生の状態とは違う程よい弾力に跳ね返されたので、スバルは満足気に頷く。


「よし、いつでも揚げられるね!」


 冷蔵庫の扉を閉めてから、調理台の方へボウルを持っていく。

 この肉の下ごしらえは、材料があれば然程難しくはない。
 家庭で作るならば、塩胡椒、卵、醤油とシンプル。
 酒や生姜にニンニクは、お好みで入れればいい。

 鳥のモモ肉をひとくち大に切り、材料と一緒に揉み込むだけ。このまま衣をつけて揚げるのもいいが、少しの間漬け込んでおくと中に味が染みるので美味しくなるのだ。


「数は……1、2…………6個でいいかな?」


 調理台に置いてた菜箸でボウルの中の肉を取り出して、銀のバットに薄く敷いた白い粉の中へ落として衣をつける。

 個数分出来たら、ボウルの方はまた布を被せて冷蔵庫に戻しておく。


「油は、もういいかなぁ?」


 コンロの上にある大きな鉄鍋の中は、少し黄身がかった油。底からほんの少し気泡が上がってるが、菜箸で衣を少々放り込むと、浮かんではきたが音が弱い。

 少し間を置いてからもう一度同じことをすると、今度はぱちんっと音が爆ぜた。
 そのタイミングを逃さずに、鍋の中へと衣を纏わせた肉達をゆっくりと入れていく。
 途端に、衣を入れた時とは比較にならないくらいの音がスバルの耳を襲う。


「いい音っ」


 パンの焼き上がりの音も好きだが、揚げ物を作る時のこの独特の音はリズミカルで楽しくなってくる。

 実家でも、母親や先輩パン職人の父や祖父達がずっと手掛けてきた揚げ物入りのパン。
 コロッケやメンチカツは王道、鶏肉を使ったこの『唐揚げ』は常連客からのリクエストがきっかけだった。

 スバルはまだ物心つくかどうかだったが、同じくらいの子供を連れた主婦が他店であるような惣菜パンでも『からあげパン』はないかと聞かれたのが始まりだったそうだ。

 祖父達が知らないわけではなかったが、そう言えば揚げ物を挟んだのでもそれはないと気づいたようで。なら、作るかと祖母や母とも相談してから家族内で試作を繰り返し、スバルにも感想をもらってから売り出した。

 子供でも、食べやすいのを売りにしたかったと言ってたからだ。


(……懐かしいなぁ)


 この街に来るまで、三ヶ月前までは一緒に手伝って作ってたものが、今はラティストと二人だけ。

 その事については、不満を言える立場ではないけれど。ほんの少しだけ寂しいとは思う。

 菜箸でころころ唐揚げを転がしながら、揚げ具合を確認。
 一旦取り出してから、ツマミを最大にして油をもっと高温にさせる。鍋の表面が、こちらが汗だくになるほど熱くなってから唐揚げ達を戻すと、音もだが泡の勢いが増して油が跳ねそうになる。

 火傷に注意しながらころころ転がして、かりっとなったら網のバットに置いていく。


「2個は、小皿に」


 火の元を確認してから、スバルは厨房を後にして表の販売フロアに顔を出す。

 扉から顔を出せば、客がいない代わりに無愛想の美形過ぎる青年がもくもくとトレーやトングを乾拭きしていた。


「なんだ? 仕込みはいいのか?」


 扉の開いた音ですぐに気づいてただろうが、スバルがちゃんと出てきてから声をかけてくる。

 そして、スバルが手にしてる小皿の中身を見ると、トレーやトングを素早く片付けてしまい、会計机の棚にある爪楊枝を二本取り出した。


「ん」
「ありがと」


 受け取ってから、もともとあげる予定でいた大きい方に刺して彼に渡す。
 まだ熱い唐揚げを、ラティストは軽く息を吹き付けてから少しかじった。


「今日も、美味いな」
「お粗末さま」


 スバルも残ってた方に爪楊枝を刺して、自分の口に運ぶ。
 少し熱いが、衣や肉から浸み出る油のコクはまずまず。衣は、片栗粉もだがツナギに使った卵も相まって、じゅんわりとサクサク。

 肉はその卵のお陰で柔らかく、歯で簡単にちぎれて口の中で程よい塩気を教えてくれた。


「ヴィンクスが来るから、か?」


 よく噛んで食べる様子は、見た目は羨むくらいの美青年なのにどこか幼気で可愛らしく見える。だが、笑うと睨まれるので質問の方に対して苦笑いするだけにした。


「少し前に、最後の『からあげパン』が売れちゃったでしょう?」
「……ああ、あの魔法使いが」


 ほんの数時間前にだが、魔力量が少ない魔法使いの少女がパーティーのお土産にと買った中に、そのからあげパンも含まれていた。

 そのパンが大好物である人物が、この後来る予定のスバルの師匠だ。パン作りの方ではなく、ポーションを作る上での『錬金師』の方のである。

 シェリーが来た辺りで彼が来るのはわかってたのに、取り置きしておくのをうっかり忘れてたのだ。彼女が買った後に気づけたので、下ごしらえを急いでから唐揚げの方を作ったわけで。


「コッペパンの方も多めに焼いたから、夕飯の主食か明日の朝ごはんに残そうか?」
「……悩ましいが、明日の朝にしてくれ。今日の夕飯は、たしかカレーだったが」
「あ、ごめん。そっちはもう仕込んでたよ」


 うっかりが続くが、決して失敗ではないのでよしとしておくことにした。

 店番や表側の仕事をラティストに任せて、スバルは厨房に戻ってからあげパンの仕上げを急いだ。

 パン焼き用の窯横にある鉄板や網を乗せておく台車から、少し前に焼いてから冷ましてたコッペパンを四つほど鉄板に乗せて調理台に。

 きちんと乾いてるのを確認してから、波状の刃がついた長い包丁で真ん中に切り込みを入れる。そこから、切り込みに入れる具材を唐揚げ以外も冷蔵庫から取り出して、調理台に並べていく。


「千切りキャベツ、マヨネーズ、タレ二種類……あと、レモンスライス」


 全部用意出来たら、まずは冷め切ったからあげを全部半分にカット。それを小さなボウル二個の液体の中に、それぞれ唐揚げ二個分ずつ入れて菜箸でよく絡める。

 パンの方は金属の細いヘラでマヨネーズを薄く塗り、タレを軽く切った唐揚げをパン一個に対して四つ挟む。千切りキャベツは先に隙間に惜しみなく入れておく。
 仕上げに、半月切りにスライスしたレモンを一枚添えて完成。

 その直後、スバルの脳裏に軽快な音楽と共に可愛らしい女の子の声が響いてきた。


『錬金完了〜♪』


 音が消えていくと同時に、からあげパンの真上に薄い文字盤が浮かび上がってくる。




【スバル特製からあげパン】

《塩ダレ》
・食べれば三時間だけ、視力が回復!
 →完全回復ではないけれど、全盛期の70%程までは
 →ひと口でも半分でも、効果は同じ
・製作者が一から手作りしたからあげは冷めても絶品! しゃきしゃきキャベツと塩ダレの相性は抜群。レモンスライスであと味さっぱり!
・注意点は、一日過ぎるとお腹を壊す原因となる事





《香味ダレ》
・食べれば筋組織(中傷程度の筋肉痛)が、全体の75%まで回復
 →ひと口でも半分でも、効果は同じ
・製作者が一から手作りしたからあげは冷めても絶品! しゃきしゃきキャベツと手作りのさっぱり香味ダレの相性は抜群!
・注意点は、塩ダレ同様に一日過ぎるとお腹を壊す原因となる事




 相変わらず曖昧な説明が多いが、錬金術に近いポーション作りでは毎回起きる現象だ。

 注釈などは、まるで子供のような軽い調子であるのに、師のヴィンクスが言うにはこれが普通らしい。


「コッペパンの方は……成形がラティストだったから、この値かな?」


 補正の確率については、効果もだが毎回バラバラだ。商品によって効果は同じのがついても、確率の方はラティストが加わるとそこそこ値が低くなる。

 とは言っても、ヴィンクスは効果より食事目的でこのパンを買うことが多いので気にしない。
 文字盤が消えてから、片付けと並行して包装もきちんと済ませ、とりあえず一種類ずつ表に持って行くことにした。


「あ、師匠!」


 フロアに出たと同時に目に飛び込んできたのは、ボサボサ頭と少し薄汚れた白衣の人物。
 彼が、スバルの錬金師としての師匠である『ヴィンクス=エヴァンス』だった。

しおり